蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

田舎暮らしの泣き笑い(追記)

2008-05-20 11:20:58 | 日常雑感

5月20日(火)雨後曇り

「月日は百代の過客にして…」俳聖には程遠いが、この日頃貧乏暇なしのためか、自分の心身の能力の低下か、時間が以前(十数年前か)に比べてもの凄い速さで経って行く気がする。

前回、我が家の周りの赤松林が伐採されたことの嘆きをしるしてから早くも40日以上がたってしまった。伐採された当時は赤茶けた一面の荒地の風景が、今は早くもそこ此処に芽吹いた若芽と周囲に残された雑木の新緑で、瑞々しい緑一色に埋められつつある。
隣地の裏切られたと思った伐採跡地には、約束どおりクヌギやコナラの苗木が一面に植えられ、目印のピンクのリボンが優しくはためいている。
裏切られたと思ったのは私のはやとちりのようだった。一瞬でもそう思い、その気持ちを記してしまったことを深くお詫びしなくてはならない。

聞けば、行政の方で何でも一旦は完伐してしまわないと、助成金の対象にしないということらしい。何とも融通の聞かない話しではある。

現金なもので、赤松林が完伐された直後の荒々しい風景に接した時は、「もうこんなところに住んでいられるか」とさえ思いつめていた気持ちが、回復著しい新緑が深まるにつれ、いつのまにか氷解しつつある。
そして、やっぱり「ここはいいなあー」との気分が湧いてくる。

ただ、赤松の伐ったあとに檜を植林するについては、先日もインターネットを見ていたら、「なんでそんな無駄なことをするんだ…」と言うことを主張されていられる人が居ることを知って、こちらも同士を見つけた気がして嬉しかった。

それにしても、個々の人間は、たいていのことには、何事にも受身でいるしか仕方がないのだろうか、という思いである。
そう心底思うようになったということが、歳をとるということだろうか…。