家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

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三つ巴のマイナス情報――変則的ポジティプリーディングのススメ

2005年10月31日 | 家について思ったことなど
家(注文住宅)を建てるとき、パートナーの選択肢は
工務店
ハウスメーカー
設計事務所(建築家)
の3つ。
そして、ネットの中でもこの3つの派閥が形成されていて、それぞれが自分の陣営にひきこもうとしているように見える。
その動きの中で少々辟易とするのは、他者をけおとそうと持ち出してくるネタだ。
曰く「工務店は経営基盤が弱く不安」
曰く「ハウスメーカーは割高(ボッタクリ)」
曰く「建築家は住みやすさを考えない」

そりゃ、それぞれのカテゴリにそういった例はあるだろう。
だけど、そういう例があるというだけで、「すべて」がそういうわけじゃない。
酷い例を取り上げて、その選択肢全体を貶めるような論陣を張るのはいかがなものか。
かなり乱暴な話の持っていき方だと思う。

そこで、私は施主として変則的なポジティブ・リーディングをオススメする。
どういうことかというと、批判的な言説はむしろそれらを注意事項と考えてみたらいいのだ。
前述のような例ではそれらの指摘にあてはまらない依頼先候補を探すことで有効に使える。
他にもライバル同士、多くのマイナス情報を出し合っているので、その情報をすべて批判された側の注意事項・チェックポイントと前向きに捉えてしまえば役に立つ。

どの選択肢を選んでもリスクは大なり小なりある、そしてそれぞれにリスク回避策もあるはずだ。
そしてリスクを回避しながら事業を成し遂げるというのは事業主=施主ならではの醍醐味なのだ。困難を乗り越えてこそより大きな成果が得られるということや、簡単に手に入るモノの価値はえてして大きくはないというのは、家づくりに限らず言えることである。
もったいないのは、家づくりの出発点の段階から、業界のマイナス情報ばかりを仕入れてきて、依頼先候補をひとつの集合ごと選択肢からはずすことだと思う。


ちなみに、私は工期が延びるというリスクを回避できなかった事業主である。前にも言ったが、エラそうなことを言っている手前、あらためて公開しておく。道楽的な心構えのボンクラ事業主のいうことは参考にならないと思うのも自由である。
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行楽シーズン――景気は回復傾向?

2005年10月29日 | 新幹線通勤

 早朝の 新幹線が 混む秋に

 低レベルな俳句ともいえないようなしろものしかお披露目できない才の無さにがっかりするが、まあそんな季節なのである。
 行楽シーズンということで朝方から新幹線は混んでいる。ホームには団体旅行の集団と旅行代理店の添乗員が目に付く。
私は新幹線通勤の中でも距離があるほうなので、座れないなどということはないが、お目当ての席がとられてしまうこともしばしば出てきた。
新幹線通勤復活から半年を過ぎたあたり。「この季節はこうだったなあ」と思い出した。
しかし、先日のサギの話ほどの実感はないものの、なんとなく以前より旅行客が増えているような気がする。
景気は緩やかに回復している、ということだろうか。
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家づくりとblogについて考えてみた――開設一周年

2005年10月27日 | このblogについて
24日の200エントリ記念に続き、当事者以外、ほとんど意味の無い節目であるが、ひとまずblog開設一周年を記念してのエントリ。
自己満足だけしていても役に立たないので、回顧しながらblog論のようなもの、特に「家づくり」という限定したジャンルをテーマにしたblogについて、とりとめもなく考えてみた。

ネットでの家づくりの紹介は普通のHPのほうが適している。読者にとって家のスペック、各種写真などの格納場所がはっきりしている方が早く目的の情報にたどりつきやすいからだ。
しかし、私はblogの簡易さや、今後の展開が面白そうな情報発信ツールということに魅力を感じ、使ってみることにした。
blogというツールはエントリが時系列に並ぶため、ニュースサイトのように時節の話題をネタにしたり、日記にしたりするのが向いている。家づくりにおいては多くの施主が「建築記録」用に使っている。
私も当初それをメインに考えていた。しかし一年前にblogを開設したときは、既に我が家は着工し、上棟も終えた段階。そこからの建築記録、また単身赴任中の家づくりということもあって、更新頻度を維持するために、「家のパーツやスペックのこと」「家づくりに関わるあれこれ」的な話題を書き込んだ。予期できたことだが、結局そっちの話題の方が多くなってしまった。カテゴリ別の記事本数を見れば歴然だ。
そういう話題は決して時系列に並んでいなくともよい。筆者にしてみたら、いつ読んでもらってもいい内容で、できれば同じテーマについて問題意識を持つ人に読んでもらいたいが、そういう人が訪れた時は大抵過去記事になっていて目立たない。このあたりがblogの短所になるだろう。
それを補完するために、カテゴリを工夫したり、カテゴリの紹介をするエントリを立ててみたりした。それが効を奏したか相当前のエントリにコメントをつけてもらって感激したこともある。ただ、根気よくバックナンバーをたぐってくれた奇特な方ともいえ、根本的な解決にはなっていない。今後もいろいろ試みることにする。

一方、blogの長所は、意見交換がしやすいことである(スパムを除く)。HPと違い該当コンテンツに直接コメントできるのでまどろっこしいことはない。さらにトラックバックなら「がっぷり四つ」で意見交換出来る。
ただ、「家づくり」blog全般においてはコメントのやりとりこそ多いものの、TBは盛んではないのが残念だ。第三者がネタを供給するニュースや書籍、映画、音楽などについて評論しあうのと違って、「家づくり」のネタは筆者が当事者ということもあって、客観的に論評しにくいせいもあるだろう。特に「建築記録」は施主の好みが具体物として生々しく現れるので意見の出し方は難しい。「家づくりあれこれ」的なエントリの方がつっこんだ意見交換がしやすいかもしれない。

弊blogでは、初めてのTBをまさに「お手本」のようなm-louisさんと交わせたのが幸運だった。そのほか、このblogでは「施主予備軍のためのblog活用」「『らしい家』考」「やまぼうし」等々でブロガーどうしTBによる意見交換・情報交換ができたように思う。

blog主が施主予備軍であるならば、積極的に意見交換することを勧めたい。人と意見交換しながら自分の考え方をまとめていくことができるからだ。家づくりで大切なことは出発点で「自分の家」観を確立することだと私は思っている。ただ、注意したいのは、施主を含む住宅業界かいわいでは「自分の家」観こそ家づくりの定説と考えている人がけっこう多いということ。そういう人は決して悪い人ではないが、そういう人であることを意識して意見交換しないと「自分の家」をあらぬ方向に持っていかれる恐れがある。

我が家は3月に竣工したが、弊blogではそれ以降、半年以上もまだ家づくりをメインとしてエントリを立てている。
家づくりはディテールを語り出したらネタは多い。人生の大イベントはまだ楽しめそうである。
暮らしを楽しめる家、経年変化の「味」を狙った家なので、報告できることは適宜出てくるだろう。
それはそれで時系列情報といえるが、スパンが長すぎて、やはりblogが表現ツールとしてふさわしいのだろうかとまた考えてしまう。
エントリを分類したり、エントリどうしをつないだりする仕組みはやはりほしい。

さて、
これまでいろいろな方に訪問していただいた。1年未満の付き合いしかないのに、古くからの知り合いのように感じてしまう方もいる。面白いものである。のぞきに来てくれた方々に感謝の言葉を捧げたい。
どこまで続けられるかわからないblogではあるが、反面教師でも他山の石でもなんでもいいから、誰かの役に立てたらいいなあと思いながら更新していこうと思う。
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「朝日新聞」の構造は弱そうに思える

2005年10月26日 | 家について思ったことなど
asahi.comより(元記事には写真あり)

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震度3でも崩れない 古紙3.5トン、新聞ハウス
2005年10月25日
 東京都中央区京橋3丁目の画廊で、新聞の古紙3.5トンを積み上げた「新聞紙の家」が公開されている。二つの「家」は中でつながり、自由に出入りできる。
 神戸芸術工科大学大学院の鈴木明教授(51)が、身近な材料である古新聞でも家をつくれると製作。新聞はすべて、朝日新聞東京本社が提供した。新聞紙を積み上げただけだが、構造はしっかりしており、19日に起きた震度3の地震でも崩れなかったという。この作品は京橋3丁目の画廊「アートスペース・キムラ ASK?」で29日まで開催中の「鈴木明×山田正好展」(武蔵野美術大学主催)で展示されている。入場無料。
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えーと、震度3で崩れないのはいいのだが、そんなのをアピールしてどうするのか。
いまどき震度3で崩れる家を探す方が難しい。おなじく身近な材料で作った段ボールハウスやブルーシートハウスなんか震度5でも柳に風と受け流すだろう。子供の砂遊びの家とでも比較しているのだろうか?
この家の場合、耐震性能にアピールポイントがあるのではなく、リサイクル、ローコスト、設営の簡便さ、デザインとかに長所があるのではないのか。
震度3ごときの耐震を強調すると、震度4で上から3.5トンの新聞紙のカタマリが落っこちてくるシーンを想像してしまう。記者のセンスを疑う。
設営後、たまたまちょっと大きめの地震があり、それでなんともなかったことに気をよくした主催者サイドの言をそのまま使っているような気がする。冷静によく考えて記事を書いてほしい。
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郵政民営化でこれは改善するの?

2005年10月25日 | 我が家のスペシャルな事情
カザリヤさんのblog「Over40」のエントリ「郵便貯金から銀行へは振り込めない」にトラックバックしてみる。

工務店に工事代金を振り込むとき、我が家もカザリヤさんと同じはめに陥った。
3回に分けた工務店への支払いのうちの1回分は郵便貯金をコアにするつもりでいた。そこから多少高めの手数料を払えば銀行にお金を移せるだろうと安直に考えていた私達夫婦はなんとも間抜けだった。
家絡みの雑務をこなすためにわざわざ会社を休んでいた私はその日に支払いを終えるつもりだったが、郵便局から銀行に振り込めないという事実に気づいたのが午後になってから。
15:00までになんとしても指定銀行への振り込み手続きをするために、郵便局から一気に大金を下ろして、現ナマのまま、銀行に運ぶことになったのだった。
郵便局は現ナマを入れるのに安っぽい紙袋を提供してくれていたが、「そんな気配りはいらんから直接振り込めるようにしてくれ」というのがそのときの心の叫びである。

我が家の車は急遽、現金輸送車と化した。
運転手が妻、私は輸送責任者兼ガードマン。
思わず、妙な白バイ警官が近寄ってこないか目を光らせた私の年齢も知れようもの。
「いいやなんの、かの城南電機の宮路社長はいつもこのくらいは軽々と持ち歩いていたはず」と自分を鼓舞もした。

その資金と妻の預金の一部を足して支払うため、妻の口座がある取引銀行に出向いた。
銀行窓口では、ドカン(それほどでもないか)と入金があるわけで、にわかに行員の表情がほころんだが、すぐに他行にスルーされることを知り、表情が素に戻る。
「閉店近いこの時間になんぼにもならない金勘定させやがって」という気分だったのではないか。あるいはたった今郵便局からおろしてきたことも知らず、「タンス預金になんかしてないで最初からこっちに預けときゃあいいんだよ」とか勘ぐっていたのではないか。余計な詮索が頭の中を行き来し、金を数える時間が長いことをうらめしく思ったり。こんなにかけずりまわってさらに他行への振込手数料を払うのにむなしい気持ちも。
みんな損している。なんという非効率であることか。

わが日本の金融システムのスバラしさを実感した1日だった。


間抜けな夫婦の話はともかく、郵政民営化でこれは改善されると思っていていいのだろうか。
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blogでやってはいけないこと――200本到達記念

2005年10月24日 | その他
ようやく、エントリ数が200本に到達した。blog開設から362日目である。
しかし、個人のblogのエントリ数が開設1年ほどでなんとか200本に達しても社会的にはまったくどうでもいいことなのである。
だからこういうことはオープンな場でわざわざ報告するようなことではない。
良いblogであるためには「やってはいけないこと」の部類に入るだろう。

とはいえすんなり通過してもつまらないので、あえて、無理やり言い訳してみる。

1.メジャーリーグのイチローが5年連続200本安打を達成し、セ・リーグのヤクルト青木がイチロー以来の年間200本安打を達成した年で、「200本」がキーワード化しているのだから本年は大目に見てもらってもいいのではないか。100本のときは報告しなかったし。

2.blog開設から、362日で200本ということは、200/362という更新頻度であり、毎日更新ではないけれど2日に1回以上は更新しているblogであって、そんな頻度で監視すればいいという心構えを読者にもたらすことが出来る

3.ダイビングにおいては1回の潜水をエントリと表現する。エントリの本数はタンクの消費本数でもあり、そこからダイバーの力量をある程度推し量ることが可能である。1日に潜れるのは大体2エントリであることから考えると200本目のエントリというのはなかなかに感慨深い通過点だったりする。私は以前ダイビングをやっており、エントリ数に対する感度は人より高いのでつい、ということで許してほしい

4.「○○本目のエントリ」に意味が無いことを冒頭に言っているのだから勘弁してもらえないだろうか


説得力なし…。
かつて電信柱を擁護したときのほうがまだましか。


このエントリはblog論で鋭い指摘をする「えっけん」さんのblog「むだづかいにっき」のバックナンバーを掘り起こしてトラックバックしてみた(*)。
「質の高い記事」「更新頻度」のどちらも誇れない弊blogは反省することしきりである。


(*)なお、弊blogもバックナンバーへのコメント、TBはスパムでないかぎり歓迎していることはおそるおそる申し添えておく。
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干し柿をつるす

2005年10月23日 | 我が家のスペシャルな仕様
 
柿の収穫期である。
我が家にも親戚や知人から、あるいは購入して柿が集まってきた。
父と母はいつのまにか干し柿を作ることを決め、勝手に縁側の上に柿をつるしてしまった。
こういうことは事前に相談してほしいものだが、結果オーライということで良しとする。

以前、家の建築中に「干し柿をつるしたら」というエントリを立てていた。
家の外観がごちゃごちゃするので基本的にモノをぶらさげたりはしたくないのだが、古い農家は干し柿がつるされていて絵になるということもあるので、必要なものは似合う家になったらいいなあ、というような考えを綴っていた。

今回の干し柿は中庭側につるしたため、外部の人からは見えないが、内部から見た風景はそんなに悪くない。
というか、なんとなく和める。古屋と重なって見えるからだろうか。
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照明の工夫--10月21日は「あかりの日」

2005年10月21日 | 我が家のスペシャルな仕様
10月21日は「あかりの日」らしい。
1879年にトーマス・エジソンがはじめて実用的な白熱電球を発明した日だそうだ。
これにかこつけて我が家の照明について書いておくことにする。

はっきりいってウチは照明器具には金をかけてない。
そして、エジソンの恩恵をたっぷり受けているといっていいほど、白熱電球が多い。それもごく普通のやつ。
ソケットは碍子の汎用品である。被いや笠があるような照明はひとつもない。

写真のように壁付けにしてある。
壁を四角にへこませている(これもニッチ利用?)ところとあわせ、建築家の意匠である。
壁付けの利点は空間を広く見せること。吊り下げ式の照明だと、照明器具の存在感の大きさから、その位置まで天井が下がっているかのごとく感じることがある。しかし、壁付けだとそういうことはない。
我が家の場合、天井の照明もダウンライトで、空間を大きく見せる工夫がしてある。
蛍光灯も使っているが、間接照明の光源として電灯自体は隠れている。
贅沢な照明器具を使わなくとも、安っぽくならないように設計してくれていると思う。
プライスが直結するハードの豪華さではなく、配置の仕方というソフトの工夫でプライスレスな価値を生んでいる。
こういうところが、ローコストでできるだけ大きな価値を生む建築家のテクニックなのだと思う。

ただ、必ずローコストで済むかというと微妙な部分もある。
我が家の壁は漆喰塗り仕上げなのだが、左官さんがぼそっと話していた。
「こういう風に照明つけられちゃうと、光のあたり方で塗りの巧拙がはっきりでちゃうんで大変だ」
我が家には、蔵の壁もやっているというベテランの左官さんが動員された。
この様式とすることで、見積もり段階から左官の労力が意識されると、左官工事費は多めに請求される恐れがあるかも。木の壁とかなら影響はないだろうけど。
一方、手抜きできない仕様ともいえ、職人さんがプライドからいい仕事をやらざるをえないという安心感もある。
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「やっちまったよ一戸建て」――我が家もその類か?

2005年10月19日 | 家について思ったことなど
 
私はぬかっていた。
家を建てるにあたって、結構な分量の本を読んだつもりだった。
しかし、重要な本を見逃していた。
伊藤理佐著「やっちまったよ一戸建て」という本は読んでいなかったのだ。
最近、文庫化されたことでこのような本があることがわかった。即購入して読んだ。

新幹線車内で笑いをこらえながら読むはめになった。
簡単に紹介すると、漫画家である著者が一戸建て住宅を建てた実録漫画である。
マンションの売却から土地取得、資金繰り、パートナー選び、プランニング、建築経過、竣工と一通りの流れが描かれている。
しかし、著者自らが「家を建てる人は参考にするな」というように、この本はマニュアル本では断じてない。家づくりのてんやわんやを面白おかしく(死語的表現で申し訳ない)描いてある。

一人暮らしの女性用の3階建て住宅という条件自体が面白い。
不動産屋や設計者、施工者とともに、その場が固まるような勝手な発想を出すシーンはいちいち笑える。
特筆すべき点はトイレ。
このblogでも過去トイレの話で盛り上がったが、トイレに興味のある施主はけっこう多い。この家のトイレはまさに「やっちまって」いるので、施主達は是非読んでほしい。

「参考にならない」と著者はいうものの、家づくりの各種のイベントを素人として立ち向かう姿は参考にならないことはないだろう(勘違いしているところや特殊な部分があるので注意して読む必要はあるが)。
2001年に単行本になっていたようなので、私は家を建てる前に読めたはずなのに、出版に気づかず残念なことをした。
そのあげく、結構「やっちまった」かもしれない・・・。

文庫本版で得するのは「まえがき」と「あとがき」があるところ。
入居後6、7年経過した筆者が客観的に振り返っている。
まえがきで、他人の建てた各種の「やっちまった」家を観察しながらブツブツ言っているところで思わずふきだし、自虐的に「やっちまった」家は面白いということを教えてくれるところでは感心した。
あとがきでも、すったもんだしながらも家づくりが楽しかったことが、本当に楽しかったとわかるように読者に伝えていて微笑ましかった。
家づくりで何が損かといえば、「楽しまずに建てること」と思っている私はこの本を推薦図書としたい。
書店経営者の方、この本は文庫本コーナーだけでなく、「住宅本」コーナーに是非おくべし。施主達に売れることうけあいである。
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サギが増えている?

2005年10月18日 | 新幹線通勤
サギといってもリフォーム詐欺とか犯罪のことではない。
鳥のサギのこと。どうも最近よく目に付く。

東京での単身赴任生活から脱出して半年を過ぎたが、単身赴任前(約5年前)と比べてサギの目撃数が妙に多くなった気がする。
サギはもともと身近な鳥といってよく、昔から住宅地を流れる河川などにも顔を出していたものの、ここのところ一度に複数羽見かけることが多い。
当地に限らず、新幹線に乗っていても見かける。
それも1羽2羽ではない。
富士川の鉄橋下に10羽ほど、富士市周囲の田園地帯で20羽ほど毎朝確認できるのだ。
前からこんなに多かっただろうか。
増えているように感じるのは私の気のせいなのだろうか?
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ニッチの利用

2005年10月16日 | 我が家のスペシャルな仕様
LaLaLa♪な節約家計簿の「壁厚の利用」にトラックバック。

はてさて我が家にもニッチを利用した部分があるので紹介。
写真は夫婦の部屋としている和室の壁である。

和室ということもあって、ニッチの位置は50cmほどの高さ。対面にある吊収納の底辺と高さを合わせて統一感をとっている。
機能的なニッチ利用というよりは、壁にアクセントをつけたという感じ。
奥行きは5cmしかないが、卓上時計やカレンダーくらいは置ける。
私は寝るとき、ここにメガネを置いている。
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新幹線通勤時に目撃した有名人

2005年10月15日 | 新幹線通勤
新幹線内、あるいはホームで見かけた有名人(カッコ内は当時の肩書き)

京唄子(タレント)
藤本義一(タレント)
熊谷弘(衆議院議員)
三浦泰弘(Jリーガー)
三都洲アレサンドロ(Jリーガー)
鈴々舎馬風(落語家)
天竜源一郎(プロレスラー)
谷沢健一(プロ野球解説者)
石川嘉延(静岡県知事)

普通の通勤よりは有名人との遭遇率が高いのではないか。
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苔のその後

2005年10月14日 | 我が家のスペシャルな仕様
家の建築中に、父と母が根付かせた庭の苔についてすこしばかり紹介し、竣工後の庭づくりで苔の帰還のことを書いた。

で、最近の苔の様子(写真は先週末撮ったもの)。
「苔の帰還」のエントリの時には虎刈り感があったが、ここのところはしっかり勢力を増し、定着してきている。
雨が適度に降ると、苔はうれしそうに緑を色濃くする。

縁側古屋の広縁に座って、苔を眺めながらお茶でも飲めば、すっかり和める。
たまには爺の境地に入り込むのも良し。
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信奉者となる施主

2005年10月13日 | 家について思ったことなど
家づくりでは、施主は自分が選んだプロのパートナーの影響を大きく受ける。
自分の家づくりで満足できた施主は、知らず知らずのうちに自分が組んだプロの「家づくり手法・哲学」の支持者になっている。

施主はいつのまにかプロから受け継いだ思想を振りまく。それはそれでいい。
しかし・・・

プロが「この手法、工法でなければ成功はしない」「この条件を満たしていなければいい家ではない」と主張するのはある意味しかたがないが、施主がそれと同様な「いい家」論を展開することはないのではないか。第三者からみたら、その施主にはその工法・そのスペックがあっていたという程度のもので、一般論的に「いい家」として語るのは何か変だ。自分にとっての「いい家」がこうやってできた、という流れなら納得できるが・・・。
最近できあがったにすぎないスペックを勝手に「基本」とか定義されるのにも面食らう。プロが自分のやり方では「これが基本」ということは言ってもいいが、施主全般が対峙する家の概念はもっと自由であって、そこでの普遍的な「基本」とはいえない。
施主の中には「屋根は必要か」「窓は必要か」というところから家というものを考えている人もいるのだ。そのくらい多様性があるのが家というものだと思う。私の家には屋根のない部屋と言える空間があるが、これはこれで存在意義はしっかりある。最初から、基本とか前提とかいう形で、「こうでなければならない」などという縛りに変にとらわれると、自分がほしいものを見逃すこともありうる。

プロは「いい家のスタンダードな姿」を追求する。その姿勢はいいし、文句はない。だけど、個々の施主にとっての「いい家」は決して「スタンダード」でなくともいいし、スタンダードであったとしても、スタンダードは一種類しかないということはない。
かくいう私もご多分に漏れず建築家の信奉者のようになっていると思う。同じ建て方をする施主は増えてほしいとも思う。だけど、それが誰にもあてはまるスタンダードな「いい家」であると、施主の立場から主張するつもりはない。
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ハンモックの極楽

2005年10月10日 | 山小屋・ログハウス
 
テレビや映画、雑誌などで人がハンモックに寝ている場面を見ることは案外多い。しかし実際にハンモックに寝た経験のある人は少ないのではないか。
私もかつては、ハンモックに触れたことはあっても寝たことはないという人間だった。
いや瞬間的に横になったことはある。レジャー施設のハンモックで、子供同士、場所をとりあう状況の中で身体を横たえたという、睡眠ともリラックスとも程遠い、ブランコに乗るような感じの利用体験だけだった。
「だった」という過去形を使ったということはもちろん、現在はハンモックを保有までしている真のハンモッカーであるということだ。

山小屋の丸太柱に頑丈なフックを据え付け、ハンモックを引っ掛けて使っている。かなり大型なサイズで、大人が余裕をもって乗ることができる。
このハンモック、実は山小屋が出来る前から手に入れていた。
ご近所さんが南米にいる親戚に会いに行ったときに同様のハンモックに乗せられて大層よかったという話を聞き、そのご近所さんと共同購入したのだった。

ここで昼寝をするのは本当に気持ちいい。
そして、やっぱり前と同じように子供と取り合いになるのだった。
子供があきて外に遊びに行ったとき、ハンモックを満喫している。

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