家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

セミ

2005年07月31日 | 我が家のスペシャルな事情
 セミの鳴き声が我が家の庭でも聞かれるようになった。
 いかにも「夏」だと感じさせる。

 しかし、この週末、朝の5時台から鳴きはじめたのには参った。
 私は通勤形態のせいでいつも5時台に起きているが、週末くらいはゆっくり寝ていたいのに、そうさせてくれなかった。
 そうかと思えば10時ごろ、なぜかピタリとやんだ。
 虫というものはまったく何を考えているのかわからない。

グリーン車の通行

2005年07月29日 | 新幹線通勤
いつからか新幹線車内で、
「グリーン車乗車券をお持ちでないお客様は、グリーン車の通行やグリーン車デッキの利用はご遠慮ください」
というようなアナウンスが流れるようになった。
 旅客機のファーストクラスや客船の1等船室なども通行に制限はあるだろうから、いわんとすることはわかる気はするが、新幹線はいわば長い廊下のようなものであり、ど真ん中(8-10号車)にあるグリーン車を通り抜けることができないという指示に「はいそうですか」と納得しにくい。10号車には売店があり(東海道新幹線の場合)、それをアナウンスすることもある。とすると、1―7号車の乗客はどうすればいいのだ、と問いかけたくもなる。

そして、なぜ最近流すようになったのだろう。
セキュリティ意識の高まりからだろうか。それともモラルの低下のせいか。
そういえば、グリーン車から乗車して座席にある情報誌(東海道新幹線には旅情雑誌「ひととき」とビジネス情報誌「WEDGE(ウェッジ)」がおいてある)を失敬した一般席乗客と車掌がトラブルになっていたという報告をどこかで読んだような気もする。
 モラルの低下がアナウンスの理由になっているとしたら残念なことだ。

既製シースについて――ナイフシース作り(2)

2005年07月28日 | レザークラフト
 「収めるナイフ BUCK119――ナイフシース作り(1)」からの続き

 シースナイフ「BUCK119」には当然のことながら、既製のナイフシースがついている。
このナイフシースも何回かモデルチェンジをしているようで、現在市販しているタイプとは異なる。

新しくナイフシースを作るにあたって、この既製のナイフシースについてポイントをまとめておく。

・ 色は黒一色。ナイフのハンドル色(黒)に合わせたと推定できる
・ 長さ280mm、最大幅45mm、最大厚35mm
・ 革厚2mm
・ 幅広の革でくるみこむようにハンドルをホールド。同時にヒルト(鍔の部分)も押さえる。ジャンパーホックで留める仕組み。ホックの位置はエッジ側のハンドル部分
・ ベルト通し付き。ベルト通し部分は可動式で、ベルトにつるせばシース本体は左右に振れる
・ ベルトに装着した場合、ハンドルのバット(後端部分、柄頭)がベルトとほぼ同じ高さになる。
・ シースのブレード部分エッジ側は7mmの木が革の間にはさみこまれている。エッジ部分のシースの厚みは11mm。背の部分の最大厚は17mm。

なかなか機能的なシースだが、ハンドルをくるむ幅広な革が、やや抜き差しの障害になっている。また、ブレード収納部の「あそび」がやや大きく、ナイフを装着して揺らすとカタカタ音がする。新シースではこの2点は改善したいところだ。

慣れ

2005年07月28日 | 我が家のスペシャルな事情
 先日、遠くに住む親戚が我が家を見に来た。「木のいいにおいがするね」と話を振られた。
昨日訪れた息子の友達も「木のにおいが気持ちいい」(子供っぽくない発言だと思ったが)と言っていた。
しかしこちらはもう慣れてしまって、あんまり「木のにおい」を意識できなくなっており、それぞれあいまいにうなずくにとどまった。
そんなことがあって、なんとなく楽しみが減ってしまったような感じがしている。
ただ木のにおいは、特段意識できなくなったとはいえ、「家の中がなんとなく気持ちいい」という要素のひとつになっているのはまちがいないと思っている。
 

建築家が「センセイ」になってしまう理由

2005年07月26日 | 家について思ったことなど
 基本的に施主は建築家を「先生」と呼ばない方がいいと考えている(関連エントリ)。先生と呼ぶことで、施主と建築家の間で上下関係を作ってしまうことになりかねないからだ。
好みの作風の建築家を選んだつもりでも、細かな部分において施主のオーダーを逸脱した設計を出してくる恐れがある。その建築家が我が強い性格だった場合、自分を下にしておけば交渉で不利になるだろう。

ただし、先生と呼んでしまういくらかの事情もわからなくはない。その事情をすこしばかりまとめてみた。

 1.施主が素人過ぎるから
  大方の施主は建築のことなどまるでわからない。かたや建築家は建築のプロ。その知識ギャップの大きさがつい「先生」と呼ぶことにつながる。(ただ、それだけで先生というのはいかがなものか。よく考えてみて欲しい。自動車を購入する人が、車をデザインした人や車のメカニックに強い整備士を「先生」と呼ぶだろうか)
 2.世の中の慣例だと思っている
  「家(か)」という権威性を帯びた言葉からか、テレビの影響か、あんまり深く考えずに「先生」と呼んでしまう。また、建築家によっては自分が芸術家の本流と思っている場合、画家のように先生と呼ばれて当然と考えていること「も」ある。
 3.実際に先生だったりする
  建築家が大学教授だったり、講師だったり、弟子を持っていたりして、建築家を「先生」と呼んで当然な人間が建築家の周りに存在することがある。そういう人が「先生」と呼んでいるのを見て、クライアントである施主が別にまねしなくていいのにまねしてしまう。またはそうした環境に長く身を置いて「先生」付きで呼ぶことが通称のようになってしまっている場合もあろう。
 4.施主が満足感を得るため
  施主が建築家を心酔し、また「家(か)」の権威性に身をゆだねることで満足感を得ることはある。普通よりすごい人に設計してもらったということを意識していたいという気持ちが「先生」と呼ばせることもあるかもしれない。それは施主の自由である。
 5.施主の作戦
  その建築家が「先生」と呼ばれることで気分よく働くことをつかんでいる施主が、意識してそう呼ぶ場合もありうる。それは政治家を「先生」と呼んで操る地域の実力者と似ている。うまくいくならその作戦もアリだと思う(私にはできないが)。


個別論から言えば、施主が建築家を「先生」と呼んでも、それは無邪気な理由であることは多く、他人から非難されるようなことではない。また、上記の4のように完全に身をゆだねる覚悟ができている場合はそれはそれでアリなのかもしれないし、5のようなしたたかさがある人間なら「先生」と呼びながらも自分の土俵で交渉ができるかもしれないので問題は小さいだろう。
ただ、建築家・設計事務所との家づくりを世の中に広めるということを考えたら、やっぱり「先生」と呼んだり、呼ばせたりするのはあんまりいいことじゃないように思えるのだ。

収めるナイフ BUCK119――ナイフシース作り(1)

2005年07月24日 | レザークラフト
 現在、ナイフシース作りの構想中。
 まず、シースに収めるナイフのことについて記録しておくことにする。

 このナイフは知人の所有物で、BUCKという米国の大手ナイフメーカーの製品である。型番は「119」といってスタンダードなラインの量産品で、めずらしいモノではない。
 ただ、このナイフは新品ではない。まごうことなき道具としての「現役」であることが普通のナイフと異なる点だ。
私もナイフを何本か持っているが、使用頻度はものすごく低い。
日本に存在する大抵のナイフはそうではないだろうか。ナイフにあこがれて所持したものの、使うきっかけもなくしまいこんでいる人は少なくないはず。
 このナイフはエアライフルで狩猟をする知人が、狩猟仲間の大先輩から譲ってもらった物で、道具としてハードに活用されていたものだ。使用者はこれを腰にぶら下げて野山を駆けめぐり、獲物をさばくことにも使っていたようだ。りんごの皮むき程度にしか使ってない私のナイフと比べてブレードの砥ぎ減りのし方にもどことなく貫禄がある。

 「ちゃんと」使われたナイフが「受け継がれる」というのもなかなかめずらしいこと。この機会に知人はシースを新しくしたいと考えたようだ。
知人によると、現在、狩猟人口は減り続け、世間一般を上回るスピードで老齢化が進んでいるという。そうした状況で道具の引継ぎが行われ、それに関わることになって、こちらにもプレッシャーがかかるのである。

免許証ケースが完成

2005年07月21日 | レザークラフト
 妻のバッグのあと、製作にとりかかっていた自分用の免許証ケースが完成した。
 作ろうと思ったのは、免許更新時に警察でもらった免許証ケースの、あまりのちゃっちい作りとダサい装丁にうなだれてしまってからだ。
 そういうことでずいぶん前から作るものリストに入っていたのだが、家の建て替えと(家の中の片付け途上で白い目を回避するために)妻のモノ優先という事情から後延ばしになっていたのだった。

 構想をまとめるのにやや時間を要したが、パーツの少ない構成にできたため、製作時間は短くてすんだ。といっても、新幹線通勤で帰宅後、一日すこしずつ作業するという進め方なので日数はかかってしまった。

 免許証ケースと言いながら、結局はカードケースでもある。市販のカードホルダーのパーツを挟み込むカバーを作成したといってもいい。

 今回もヌメ革を使用したが、厚さの違う2種を組み合わせた。
外側は黒く染めた厚めの革を使った。内側は茶色の薄手の革をポケットに使っている。
茶色はちょっと変わった方法で色をつけているが、それは企業秘密。

ポケット部分を使ってケースの一辺を玉縁状(真の玉縁とは違うが)にするアイディアが浮かんだとき、このケースのデザインが決まったといっていい。
黒と茶の組み合わせでシブく決めよう、と考えたのだが、糸を焦げ茶にしたら、なんとなくチョコレートのようなムードをかもし出すことになった。夏にはあまり向かないデザインになってしまった。


次にとりかかるのは、知人から依頼のあったナイフシースである。ナイフシースは何度か作ったことがあるのだが、今回はちと考えることが多いので時間がかかるかもしれない。

食洗機それぞれ

2005年07月18日 | 我が家のスペシャルな事情
 谷中M類栖のエントリ「食洗機とトップライト」にトラックバック。

食器洗い乾燥機(食洗機)はキッチン設備の中では最近の人気アイテムであるが、我が新居には設置しなかった。
こんなことを書くと、「妻のことも思わずに資金をケチったのでは」とかんぐられそうだが、それは違う。
というのも、時代遅れの我が家にしてはめずらしく、すでに10年以上前から旧家屋では食洗機を導入して使っていたのである。
我が家の食洗機はビルトインで容量も大きかった。当初は母も妻も「これは便利」って言っていたような気がする。
しかし、記録はしていないが年々稼働率は落ちていった。
ではなぜそうなっていったのか。

理由は食洗機がだんだんと食器棚化していったせいだと思う。
食洗機は手元にあるだけに収納場所として使い勝手がよかった。容量が大きいため、普段使いの食器がほとんど入った。普段使いといっても、朝食から夕食まで毎回使うわけではないもの(たとえば味噌汁用の器、夕食用のプレート)も入れてしまった。
結果、食器洗いをするために、使っていない食器を取り出してから洗うというめんどうな状況になっていったのだった。
旧家屋では食洗機は役に立っていたものの、その「稼動」時間の大半は収納場所としてのものだったのだ。

新築にあたって、食洗機がほしいという声は我が家の誰からも出てこなかった。
また10年使ってもガタがこなかった業務用ガスコンロと違って、食洗機の方はもうあと何年も使えないだろうことも見えており、「施主支給」にする気もおきなかった。

m-louisさんの家でも、新築前から食洗機を導入していれば、食洗機を導入することもなかったろう?? 

ローコスト住宅

2005年07月14日 | 我が家のスペシャルな事情
 家を建てるにあたってローコスト住宅のことが頭をよぎったが、案外早い段階であきらめた。ローコスト住宅を目指す時に覚悟することは何か、という観点で考えたとき、私の場合、大きな項目で覚悟できないものが多すぎた。
質と価格の見合いとしてのローコストは実現できなくもなかっただろうが、建築費用総額という絶対値的な観点でロープライスは実現困難と考えた。
以下、思考のポイント。

1. 家の広さをどのくらいにするか
 当然、広い家は狭い家より建築費がかかる。ローコストはともかくロープライスは不可能に近い。
→我が家は6人家族であり、しかも親夫婦と同居というスタイルである。それぞれの距離を調整できる広さは必要だった。

2. 家の寿命をどのくらいと想定するか
 例えば、30年くらいしたら建て替える、と考えるならローコスト住宅でも問題ないように思う(短期間にゴミを大量に出すという別の問題はあるが・・・)。しかし50年以上ガタがこないようにしたいと考えるのならば、構造のグレードは高くしなければなるまい。
→私はできることなら、(リフォームしながら)100年くらいは持たせたいと思っている

3. 家の中での快適さの性質・レベルをどう考えるか
 例えば真冬でもTシャツ1枚で過ごせる全館暖房の高高住宅にしたい、というような要望を持っているならば、断熱・気密にお金をかけるのは必然だ。
→これについては、我が家はそこまでの要望はなかった。今までの低気密・低断熱住宅より暖かければそれでいい、というレベル。

4. 各種設備・素材のグレードをどう考えるか
キッチン、バスなどの設備は上を見ればきりがない。自分が妥協できる水準のものはメーカーの商品ラインナップ上のどのあたりにあるのかを見れば、ローコスト志向をどこまで貫けるか推し量ることができそうだ。また、自然素材といわれるものを多用したいと考えるならばローコストにはなりにくい。建材そのものも総じて高めだし、工賃も高くなる。
→設備は妥協できそうだったが、素材は後々の風格への期待から自然素材にするのは譲れそうになかった。

5. 施主サイドの労働をどう考えるか
 例えば一部資材の仕入れを施主自らがやって価格を抑えることは不可能ではない。ただし、仕入先を探し、交渉するという労力がかかる。プロ同士の商取引を上回る割安なルートを作るのはそれなりの労力が必要になるだろう。さらに工程に合わせた納期の管理にも労力はかかる。
 また、工事の一部を施主が受け持つということでコストを低減するのは可能。たくさんやればそれだけコストは落とせる。ただし、その部分が多すぎれば、工務店側は施工の保証(例えば10年保証)はしないだろう。究極はセルフビルドだ。施工の責任をすべて自分が背負う分、安くなる。
→我が家はセルフビルドで、すでにコストをかけずにログハウスを建てていた。道具もそろっていて普通の家族よりは自分達でやれることは多かった。しかし、むしろ山小屋があるがゆえに、住宅はプロの技で作ってほしかった。

6. こだわりや特殊要素をあきらめたり、打破したりできるか
 「ローコストにする」というこだわりを除けば、大抵のこだわりはコストアップにつながる。デザインはあまり凝ってはいけない。そして、できるだけ世の中に大量に出回っていて価格競争の激しい部材を使うことを考えるべきであって、稀少品、特注品が多いほどローコストでなくなる。
→「残す古屋とデザイン的におかしなくっつき方をしない」というのがそもそもの家づくりのコンセプトなので、デザインは軽視できなかった。構造材でも合板や集成材をできるだけ使いたくないというこだわりを捨てられなかった。


 3と、4の一部、5での妥協を除くと、我が家の場合、ローコストとは明らかに相反する方向性を持っていた。この考えのままでローコスト(ロープライス)にしたら、どこかに相当な無理がかかり、とんでもない建物ができるリスクが大きくなると想像できた。

 結果、値段なりの価値のある仕事・素材でやってもらうということを重視し、その確実性を担保するために信頼できる建築家・設計事務所、工務店を探した。

我が家は少なくとも安いものを高く買ったりするようなことにはなっていないはず。いわゆるローコスト住宅ではないものの、もし今後100年持ったならば、ローコスト住宅といえるかもしれない。

やまぼうしの実

2005年07月10日 | やまぼうし
やまぼうし連合のfinziさんのエントリにトラックバック。

finziさんが「やまぼうし」に実がついたと報告しているのを見て、私も我が家のやまぼうしを今日見てみた。

そうしたら、ちゃんと実をつけていた。

finziさんのところは緑色だったが、我が家のは赤。
実をつけてからだいぶ経っていたのだろうか。
気がつくのが遅くて申し訳ない気分。

「センセイ」もアリ

2005年07月06日 | 家について思ったことなど
以前から主張しているが、施主が建築家を「先生」と呼んだり、建築家が自分のことを先生と呼ばせたりすることを私はあんまりいいことだとは思っていない。
ただし、建築家がまさに「先生」的に活躍してくれるシーンはある。

最近、話題のリフォーム詐欺。こんなのは建築家が「先生」になってくれれば簡単に蹴散らせる。
それは、上品な比喩をすれば「主治医」。いかがわしい健康食品の売り込みに対し、「主治医の先生と相談しておりますので」といえばたいていは引き下がらせることができるだろう。
下品な比喩をすれば「用心棒」。時代劇によく出てくるやくざの親分のかたわらにいる腕の立つ浪人だ。揉め事があれば、「腕」で相手をねじ伏せてくれる。
建築家はリフォーム詐欺という家主の敵にどちらかのニュアンスに近い働きをしてくれるはずだ。しつこい住宅設備の営業も怖くない。
「主治医」も「用心棒」も、クライアントから「先生」と呼ばれている。そういう含みを持たせるなら建築家を「先生」と呼ぶのもアリだと思う。
建築家本人に面と向かって「先生」と呼ばない私でも、もしリフォーム業者が来たならば。まずは「建築家の先生と相談します」とセンセイを強調して言ってみようと考えている(その機会はいまのところないが)。

このエントリは、鋭い分析に感心することの多いR30さんのblogでのエントリ「使用期間の長い商品選びの鉄則――リフォームビジネスを考える その1」にトラックバックした。R30さんはリフォームビジネスと消費者とのかかわりに建築家をかませることのメリットをわかりやすく書いている。

あえて注意点をあげておくと、なかには詐欺的といっていい自称「建築家」もいるので、建築家と契約すれば「これで安心」とはならないこと。見掛け倒しの用心棒よりタチの悪いトラブルメーカーみたいな「先生」だっているのである。
 建築家・設計事務所についてのしっかりしたデータベースがほしいところだが、それはないので気をつけねばならない。


 なお、「建築家」と「先生」については別の視点もある。後日述べることにする。

バッグが完成

2005年07月02日 | レザークラフト
ワークショップ稼動第一号となった妻のバッグがようやっと完成した。
ヌメ革を手縫いしたモノ。
前面と後面に大きくポケットをとってある。スナップで開閉する。
本体はファスナーで開閉する。
ヌメ革なので最初はデリケートだが、日焼けさせるとだんだんあめ色になって表面も丈夫になる。

私の「作品」(笑)のコンセプトはだいたい
「素朴」「愛嬌」「丈夫」「便利」
である。
使う人にいろいろな意味で安心感を持ってもらいたいと考えながら作る。


次の作成予定は
免許証ケースである。