家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

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なぜそういう家にしたか

2008年08月26日 | 家について思ったことなど
読売新聞が運営する「大手小町」という読者コミュニティがある。
その中の発言小町というコーナーでは、相談事から、愚痴、雑談までいろんな人が問いかけをして、いろんな人がアドバイスしたり、批判したり、励ましたり、叱咤したりしている。
女性を中心とした広範囲な井戸端会議といったふうで、雑談好きな人などが集まってにぎわっている。

その中にあったひとつのトピ↓

「注文住宅・・・なぜそんなふうにしたの?(駄)」

ちなみに(駄)というのはトピ主自ら駄トピであることを宣言しているという符号のようなもの。コミュには深刻な相談も混在しているため、あらかじめわかりやすいようにする工夫である。まあそれはどうでもいいことで、肝心の問いかけの内容は以下のようなものだ。

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犬の散歩をしながら、新しい家・きれいな家を見て歩くのがひそかな趣味です。そ
の際、失礼ながら「なんでこんなふうに建てたんだろう?」と思ってしまうお家が
あります。

たとえば、シックな色づかいの家々の中に立つ、ビビッドなオレンジとか黄色とか
真緑の外壁の家。
目立ちたい?
それとも単にその色がお好きなだけ?
毎日窓からその外壁を見なければならないお隣のこととか、気にならないものなの
でしょうか。
あと、南向きも可能なのに、西向きの家。
やけに少女趣味な家。(←ご主人は抵抗を感じないのでしょうか?)

人の家に口を出すな、そもそも人の家を見て歩くのが問題、と言われれば全くその
とおりですが、その点は大目に見てくださる方、「私もこういうお家がわからな
い」と思ったことがある方、あるいは「それはこういう理由からです」と説明して
くださる方、いらっしゃいましたらお願いいたします。

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私も週末に早朝ウオーキングしながらハウスウオッチングすることがよくあるので興味深く読んだ。

最初に言ったように、大手小町というところはいろんな人が参加している。
親切な人、突き放す人、同情する人、興奮する人、さめた人、被害妄想気味な人…
このトピもせっかく(駄)ってつけてあるのに、眉間にしわを寄せた感じで意見している人がいたりする。
それも含めてこのコミュの面白いところだと思って読んだ方がいい。
(ちなみに私はROM専門)

どこかの匿名の人がどこかにある匿名(?)の家について論評するのだから、気楽に読めばいいものだが、そうもいかない人が多いようで…。
寄せられた意見を読めば
「個人の自由派」VS「周囲の景観重視派」
「素朴な疑問の答えが知りたいだけ派」VS「似たような家の住人(読者)に配慮しろ派」
「明るく開き直り派」VS「後悔・憂鬱派」
なんて対立(?)の構図があったりする。

家を論評することって面白いんだけど、いろいろ難しい(笑)。

読んでみたいと思った人は以下のLINKへGO.
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2008/0822/200085.htm?g=01&from=yol


そうそう、このトピの中でちょくちょく出てくるのが「ピンク色の家」。
施主仲間のNさんの家がピンク色だったけど、どんな反応するかなあ。

私の予測は…



あるけど伏せます(笑)。





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雨のせいで…

2008年08月25日 | 新幹線通勤

日曜日に雨についてのんきなことを書いていたのが悪かったのか、週明けの今日は雨でえらい目にあった。
そう、東海道新幹線(東海道本線も)のダイヤが大きく乱れたのである。

新幹線はただでさえ週初に混みやすいというのに、まったく動かない時間が2時間以上も続いたので、ホームにはどんどんと人がたまっていった。
地方駅ではちょっとない風景。

   

動き出したら存外にスピードは出していたが、駅ごとに停車時間が長かった。
こういうときは慌てたり騒いだりしてもしょうがないので、会社に遅れると電話して後は寝ていた。

しっかり寝て(笑)、なんとか品川に到着するも再び上下線とも一時運転停止のアナウンス。
東京駅から列車が出て行かないので入ることができないとのこと。しかたなくそこから京浜東北線で東京駅まで行って会社にたどり着きましたとさ。


定時から1時間ほどの遅刻ですんだというのは、中途半端な日ごろの行いのせいか(笑)。

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雨を下から眺める

2008年08月24日 | 我が家のスペシャルな仕様


週末というのにあいにくの雨。
まあ、これといって予定があったわけでもなく、せっかくだから雨を楽しむことにした。
すぐに思いつくのはだ。雨が降るとうれしそうに葉を広げるからだ。

コーヒーを淹れ、デッキテラス(実は縁側)に置いた椅子に陣取った。

そこから眺める苔はいきいきとしていてじつにすがすがしい。

  

しばらく堪能したあと、ふと見上げるとおもしろい風景に気づいた。
ガラス屋根に落ちる雨粒がおりなす波紋である。
池の中の魚はこのような風景を見ているのだろうかなどと想像した。
こういうものはランダムであるから面白い。
山小屋で雨だれを見て楽しんだのと同系列の面白さかもしれない。

貧乏性でおめでたい人間にとって、ちょっとうれしくなる発見だった。

 

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「家づくり、これでいいのだ」

2008年08月11日 | 家について思ったことなど
子供のころ、「天才バカボン」を読んでいた。
バカボンのパパが、大騒動をひきおこしたあげく、
「これでいいのだ」
と締めくくると、ちょっとまじめな子供であった自分は「困ったおじさんがいたもんだ」的なまっとうな(?)反応で笑っていた。

もう少し成長してくると、この言葉の持つ無敵さが気に入った。
登場人物のほとんどが「こんなのでいいのか」と思っているさなかに、
「これでいいのだ」
と言い切る。
本人がいいと思っているのだからいいのである。無敵だ。

アニメ主題歌の詞もすごい。
「西から上ったおひさまが東へ沈む」
「これでいいのだ」
そんなことまで認めてしまう懐の広さ。

いつのことか、この言葉には癒し効果もあると気づいた。
人間誰しも不安や懸念、心配事はある。そういうものが重苦しくのしかかっているとき、たまたまTVでバカボンのパパが、
「これでいいのだ」
としゃべるのを耳にした。
一気に気が楽になった。

やるだけやった人が
「これでいいのだ」
と自分の行動を納得する。
うまくいかないことがあっても
「これでいいのだ」
と割り切れる。
応用範囲がとても広い。

歳をとるにつれ、
「これでいいのだ」
は、すごい言葉だ、赤塚不二夫は天才だ、と思うようになった。
バカボンのパパに後光がさしているように思えたこともある(笑)。

タモリ氏による故赤塚不二夫氏への弔辞が話題となっている。
やはりタモリ氏は「これでいいのだ」という言葉のすごさをちゃんと理解していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080807-00000908-san-soci
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 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。
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さて、家づくりblogとして…

いまさらになって思うのは、blogタイトルを
「家づくり、これでいいのだ」
にする手もあったか、ということ。

自分が
「これでいいのだ」
と思える家づくり。

おせっかいな人にいろいろ言われても
悩みぬいた決断も
「これでいいのだ」
と自分で納得する。

「これでいいのだ」
と宣言するのは、自己責任の覚悟でもある。
事業主たる施主(関連エントリLINK)が発するにふさわしい言葉とも言える。

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ストビューの遊び方を考えてみる

2008年08月06日 | その他
このタイミングでエントリ立てるのは乗り遅れ気味だが、Googleマップのストビュー(ストリートビューのこと。そのうちこんなふうに呼ばれるのではないか)で結構遊んでしまっている。
昔、上京してきた時に住んでいたボロアパート近辺、独身時代に住んでいたちょっとオシャレな街、単身赴任時代のマンション…
(少しだけ関連したエントリ→LINK
ちょっとしたショートトリップを楽しんだ。

まあこういう新しいものは世間にすんなり受け入れられるものでもなく、所々で物議をかもしている。
プライバシーの問題がその最たるものだ。
たまたま風俗店のビルから出て来た男性、ラブホテルに入ろうとしているカップル、なかなか個人が特定されるものではないが、写されてしまった人は笑いものにされてちょっとかわいそう。
その他では、「自宅の洗濯物が写されたらヤダ」なんて意見も。
案の定、こんなこと↓になっているようだ。
http://www.asahi.com/national/update/0806/TKY200808060317.html

そんなことを意識しつつ、思い付いた遊び方がある。
それはトマソン物件巡り。トマソンとは赤瀬川原平の命名による「何の役に立つのかよく分からないのだけど何故か残り続けているもの(物件)」。詳しくはWikipediaをどうぞ→LINK
ストリートビューなら360°見渡せるので、例えば「高所ドア」を周囲の風景と見比べながらよりリアルに実感できそうに思う。

もうちょっと下世話にVOWの「街の中のヘンなもの」巡りもいいかも。
誰かに住所をそのまま教えてもらうより、ヒントだけもらって探すのが面白いだろう(この地点から矢印20コ分移動したどこかにあるなんてヒント)
名作「とれま」に辿り着くことができたらきっと万歳したくなる。

さらに違う遊び方。
きっとGoogleはもう考えているのだろうが、年代ごとのストリートビューを残しておくととても面白いことになりそうだ。100年後の人たちが100年過去にタイムスリップできるのだ。現代の地図と古地図を重ね合わせて楽しむ行為よりはるかにリアルに過去を体験できる。
100年後の人達の遊びを思うととてもうらやましい。


知り合いのストビュー関連エントリにTBしておく。
谷中M類栖
朝妻さん
ちはるさん
ノアノア
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ストレス耐性のある子供に育てたい 「快適でも不快でもない」ことの重要さ

2008年08月03日 | 家について思ったことなど
無差別殺傷事件が相次いでいる。
被害者の親族・友人の心中を思うといたたまれなくなる。
また加害者の親はいったいどのような心持ちであろうか。まともな人間であるならば親としての責任を考えずにいられないはずだ。育て方が間違っていなかったか、と。

どの加害者にも共通しているのは相当にストレスフルな状態であること。
孤独感、疎外感、失業への危機感、非モテ…
もちろん、どんなにストレスがたまっていようとあんなことをして許されるわけはない。憎むべき所業である。
ただ、「彼らにストレスがたまっていなかったら、あんなこともしなかったろうに」と思わずにはいられない。

私は自分の子育てを考える上で、ストレス耐性をつけることを意識している。
少々の不都合はストレスだと感じないように、ストレスを溜め込まないように…

我慢しすぎるとストレスを溜め込むことになるが、まずは我慢する能力を高めておかないとつまらないことまでストレスになってしまう。
子供は図太く、我慢強い性質に育てたい。また、いろいろな楽しいことを体験させてストレスを発散するスキルも身につけさせたいし、ささいなことでも幸福を味わえるような性質にしたいとも思う。

「子供は風の子、大人は火の子」っていう言葉がある。
これは生活の知恵なんだと思う。
子供だって冬は寒い、コタツに包まっていたいだろう。
しかし―、
風を知らなければ火のありがたさもまた知ることができない。
子供の環境適応能力を育むためにもコタツに包まりっぱなしではいけない、
方や大人は徐々に環境適応能力が衰えていく、
だから火のそばにいる時間は、子供と大人で異なっていていい。
そんなふうに解釈している。

現代の家ではコタツが必要でなくなってきている。それは家の性能が向上し全体を「コタツ化」できるようになってきたからだ。
だからこそ風の子の教訓を忘れないようにしたい。

当地方は温暖だ。厳寒の地と比べれば気候面で恵まれている。
家全体をコタツ化するのが可能であっても、やや寒い程度の時期は子供のストレス耐性をつけるためにもコタツ化するまでもないと思っている。大人の誰か1人が寒いと感じてすぐに全館暖房してしまったりすれば、子供にストレス耐性を身につけさせる機会をそぐことになる。「寒くなりはじめ」「温かくなりはじめ」くらいの時期は部屋の戸を閉める局所暖房でいい。省エネでもあるし。
「家の中で子供を鍛える」のではなく「日常生活における少々の負荷は慣れさせる」というイメージ。

今は夏。
猛暑日になることもあってさすがの我が家もエアコンを使う場面が出てきたが、稼動時間は短い方だと思う。通風によって涼がとれるとか、時には暑さを楽しんでもいいと思っていることもあるが、安直にエアコンの快適さに埋没したくないという気持ちがある。

快適なのは素敵だ、だけど、常時快適でなければ不幸だというようには私は思わない。
そもそも「快適でない=不快」と考えるからおかしいのだ。「快適」「快適でも不快でもない」「不快」の3つくらいに分けるべきだ。
「快適でも不快でもない」ことまで「不快」と感じてしまうのだとしたら、それは不幸だと思っている。
最近の住宅は快適さを競うあまり、「快適でも不快でもない」時期まで快適にしてしまうことがある。
そのために昔の人だったら何てこともない状況を現代の人は不快だと感じてしまう、そんな例が増えているように思う。貧乏性の私はそれは損なことだと受け止める。

社会では人間関係などで昔より精神的なストレスが生じるシーンは増えている。そうしたなかで身体面でもストレスを感じやすい性質に育ったならば、ストレスに押しつぶされるリスクは高まる。
逆に「快適でも不快でもない」とする環境の幅が大きい人間ならば、快適空間がストレス解消により有効に働く。常時快適空間にいて「快適でない=不快」と感じる人間なら、その効果も期待薄だ。

我が家は子育てにおいて、食べ物の好き嫌いをなくすことを心がけている。嫌いなものがあったとして、せめて「好きでも嫌いでもない」レベルにさせようと努める。健康のこともあるが、嫌いなものが少ない方が幸せに生きられるから。
それと同じように、少々の温度差や環境変化をいちいち不快だと感じるより、不快だと意識しない方が幸せに生きられると思っている。それには子供のころの日常の過ごし方が重要だと考えている。
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自己満足に変わりはない

2008年08月02日 | 家について思ったことなど
斬新な家を建ててテレビなどで紹介された人がかわいそうなのは、口の悪い人間に「オ○○ー住宅」なんて陰口を言われてしまうことだ。
このような下品な比喩に突っ込むのもなんだが、使い方がおかしいと思うので一言。
「自分だけ満足している」状況を揶揄しているのだろうが、個人の注文住宅なんてすべて自己満足であることを忘れている。
そもそも他人を満足させるつもりで自分の家を建てるわけではない。なにより自分を満足させるために建てるのではないのか。
設計事務所に設計させようが、ハウスメーカーにまかせようが、輸入住宅を建てようが、赤白横じまの家を建てようが、ログハウスにしようが、古民家を移築・改装しようが、高高住宅を建てようが、ローコストで建てようが、やりたいようにやったのならどれも自己満足だろう。

結局、スタンダードなもので満足する人もいれば、変わったもので満足する人もいるということ。
冒頭の下品な比喩で表現すれば「オ○○ーをノーマルな想像でやるか、アブノーマルな想像でやるか」の違いということだ。どちらも自己満足であることに変わりはない。
したがって、もし異質な個人住宅を批判したいのであれば、「アブノーマルさ」について突っ込むべきであって、オ○○ー的であることではない。

赤の他人を満足させる家なんてそうそうはない。もしそういう家があったらすばらしいことだが、「オ○○ー住宅」という言葉の対比で考えれば「ソー○ランド住宅」なんて言い方になってしまうだろう。

筋が通った批判をするなら下品で余計な言葉など必要がない。そういう言葉を使うのは結局、悪口を言いたいだけなのだ。

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