家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

長持ちさせることがエコ

2007年03月31日 | 家について思ったことなど
エコを考えたら省エネ住宅にするべきというのはもっともな意見である。
しかし、省エネ住宅を短命に終わらせたとしたらそれはエコでもなんでもない。
月当たりの光熱費をいかに抑えていても、30年足らずで取り壊して大量のゴミを発生させるなら、少々光熱費がかかっても100年以上解体ゴミを発生させなかった家と比べてエコではないかもしれない。

そもそもエコへの貢献度合いというのは結果をもってしか言えないのではないだろうか。
かつて「『前世代省エネ生活』の方が省エネでは?」というエントリでも言ったことがあるが、省エネはハード(住宅)だけで語れるものではなく、ソフト(暮らし方)を抜きにできないはずだ。
省エネ住宅に暮らすことがエコではなく、結果的に省エネ生活をしたことこそがエコだろう。
もちろん省エネ住宅の方が省エネ生活はしやすいはず。しかし、実際に住人が省エネ生活をしているかどうかも言及せずに前世代の家を貶めるような住宅論を展開して、まだ手入れすればさほど問題なく使える家を結果的に解体ゴミにするような働きかけは、一時的に省エネを実現したとしても全体でみてエコであるわけがないと思う。
私の家は古屋を除き、旧宅より省エネ性能は明らかに高まっている。しかし、旧宅を築38年で解体したことを考えたら、エコという面で胸を張ろうとは思っていない。築60年弱の古屋部分は省エネ性能は劣る(特に冬)が、省エネな使い方をして、解体せずに使っている点においてはエコに貢献していると思う。

住宅建築占い――「照明器具さん」でよかったか

2007年03月25日 | その他
住宅建築に関係した、道具、材料などで占いをするという住宅建築占い(↓)というのがあるのでやってみた。
http://u-maker.com/176694.html

結果は

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あなたは「照明器具さん」です。

照明器具さんのあなたは、有言実行を信条とするタイプです。一度口にしたことは、周りの協力を得ながら、必ず実行しようと努力します。的確な判断力とまれにみるタフネスぶりで周囲の信頼も厚く、リーダーとしての才能が開花すれば大きな組織を築くことができます。会社勤めをするにしても、変化の多い職種やクリエイティブな仕事に才能を発揮します。恋愛にはやや臆病ですが、一度好きになってしまうと激しく燃え上がる傾向があります。その一途さゆえ大恋愛をする可能性も秘めています。基本的には、物事の道理を柔軟に考える思索派で、意思が堅く、独立心が旺盛です。
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内容はともかく、「『照明器具』か私は」というのが最初に感じたこと。
「住宅建築に関係した、道具、材料などで占う」とあったので、屋根、壁、柱、梁、窓、床なんてラインナップを想像していたなかでの「照明器具」だったので意外に傍流な部類なのかな、と思った。
ところが、ほかにどのようなものがあるかというと、「屋根」「桁梁」「基礎」「土台」などはいいとして、「設計図」「見積書」「契約書」なんてのが混じっていた。
「設計図さん」というのはなんとなくよさげに感じるのだが、「見積書さん」「契約書さん」というのはちょっとなあ・・・、という感想。
しかも「契約書さん」の今日の運勢が「へそ出しルックで運気アップ」っておいおい。「絵」が想像しにくいったら・・・。
私の「照明器具さん」は「ヒョウ柄の小物がラッキー」って、「おいおい×2」。

ちなみに妻は「柱さん」。今日は「前髪をアレンジして」だって。

どこが住宅建築なんだろう。

住めば住むほど得する住宅

2007年03月13日 | 家について思ったことなど
発売中のNewsweek日本版(3/14)号表紙の見出しがこれだった。

「欧米の家は古いほど高く売れる」なんてコピーがあって、古い家の価値に注目している私としてはニンマリというところ。

面白いと思った点を少し紹介
・ 築140年の家を購入し、リフォームとメンテナンスをし続けて、20年弱後に購入価格の10倍近い値段で売れたというイギリスの事例があった。ちゃんと家として使えるなら、古さによって生まれる価値があることを証明している
・ 「住めるアンティーク」として古い家を大事にしながら誇りをもって住んでいる人がいるという話
・ デザイナー住宅は総じて中古住宅市場では不利であるということ。我が新居はちょっと不利かもしれない。ただ前衛的なデザインではないし、和とモダンが融合したデザインの時代性に価値が生まれる可能性に期待している。
・ これからは日本の家の寿命がほっといても延びるという話。東大の松村教授は住宅性能の向上から、60%を占める1980年以降の住宅がまもなく壊されるとは思えないとし、「社会は高齢化し建て替える経済力もなくなる」と見ていた。となると、やはり古い家に金銭的に見た資産価値は期待しにくいか。



「住宅」と「食品」と「健康に関する乱暴な論法」

2007年03月08日 | 家について思ったことなど
「あるある」のような捏造は論外だが、最近の健康と食品への関心の持ち方はちょっと異常ではないかと思う。
「こういう食材をこのように食べれば健康にいい」そんな論法がまかりとおり、それをありがたく聞く人が多すぎる。
ウソではない情報でも論法はかなり乱暴だ。
重要なのはどのようにバランスよく摂るかということのはずなのに、局所的、部分的な効能をクローズアップしてそれでほとんど解決するような論を繰り広げる。(※下段に追記)
身体にいいといわれる食品を摂取することによってトータルな健康を目指すとしたら、とても1日で食べられる量ではなくなる、と揶揄されているのが聞こえていないのだろうか。

住宅の世界でも、健康に関連して食品の世界と似たような風景を見かける。
この工法にすれば…、この建材にすれば…、この間取りにすれば…、そんな話。
それぞれがウソだとは言わないが、「健康」との結び付け方は強引だ。
特定の工法、特定の建材、特定の間取り作法に思い入れが強すぎて、「それ」にすれば大方いい方向に向かうように話を進めていく。

だいたい、「こういう家に住めば健康になる」というような論説はまやかしといっていい。いくら「いい家」に住んだって、運動もしないで「食っちゃ寝」を繰り返していたり、家中にゴミを散らかしていたりすれば健康に程遠いのは自明であろう。
それなのに「健康住宅」とかいって、まるでその家に住めば健康が保証されているようなニュアンスで売り込んでいる例がいかに多いことか(もし健康を作り出す住宅としたらこういうの→LINKこそをいう)。

たしかに住宅の質は健康と無関係ではない。私だってそれを意識して家を建てた。しかし、健康を維持するのに最も重要なのは日々の暮らし方であって、その次に食品とか住環境とかが来る。トータルな視点で見れば、暮らし方、食品、住環境、それぞれを工夫すれば、それぞれに少々足りない部分があっても補完できるのだ。
住宅に関する情報の中には、あきらかな欠陥はともかく、特定の性能・機能がやや劣っただけで健康な暮らしができなくなるかのごとき論調が結構まじっていることに注意したい。
質の高い家によってもたらされることは「健康になる」のではなくて、「健康をおびやかす恐れのある要因をいくらか減らせる」というようにとらえるべきだろう。


※追記:
どうやらそういうのはフードファディズムというらしい。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0
食品について書かれているリンク先の文(特に「背景」のところ)が、「住宅」あるいは「住宅の一機能」について書かれていると思って読むことをお勧めする。

暖冬の被害

2007年03月04日 | 山小屋・ログハウス

 
のんびりするために山小屋に出向いた。
食後の運動をかねて、川の上流にふきのとう狩りに出かけた。
ふきのとうは私の好物である。

途中、ライバルたちが摘んだ痕(あと)を見つけつつも、「秘密の場所があるもんね」と足取りも軽い。

ところが・・・

気候が良すぎて、みんな「花」になってしまっていた。
こんなシーン↓に遭遇し、「なぜもう少し待っていてくれなかったんだ」と嘆くばかり。

       

やっぱり暖冬は考え物である。


古い家の価値

2007年03月02日 | 家について思ったことなど
前回のエントリ「楽しまないと損――住宅の趣味性」の中で、資産形成という面における、ローンを組んでの「持ち家」のリスクの考え方をざっくり紹介した。
それらのリスクのうち、古い家には資産価値がほとんどない、という点について少し考えてみたい。

資産形成の指南者が古い家に資産価値はないと言ってしまうのは、売り物としてまともな値段がつかないところからきている。
それにはいろいろな理由がある。

・そもそも日本人は新しいもの好きで、文化財でもないかぎり古いものに価値があるという発想はあまりしない。
・日本には中古住宅の流通市場が育っていない
・税制で木造住宅の法定減価償却期間は22年となっており、22年を経過したものは、モノの価値を保持して使用できる年数を過ぎてしまっているような印象が持たれている。

まあ、こんなところだろうか。
一般論では、こうした現状をもとに資産の価値を考えるのはあたりまえであろう。
ただ、現在の一般論にしたがっていさえすれば賢い判断ができるのだろうか。
状況とは変化するものである。

日本の中古住宅の流通市場は確かにお粗末である。中古住宅が市場に出ても、築年数と広さ、立地くらいしか価格算定のものさしになりえていない。
しかし現状の価格形成はともかく、建物の「真の価値」はその尺度だけでは決まらないはずだ。
そのギャップに着目したようなサービスをしている不動産会社がある。
書籍も出ている「東京R不動産」↓がそれである。
http://www.realtokyoestate.co.jp/index.php
詳細は上記サイトをみてもらいたいが、おおまかに言えば「変わった物件を扱う不動産会社」である。その中には築年数の古い物件も当然ある。
いくつか抜粋してみる。↓
http://www.realtokyoestate.co.jp/estate.php?n=3526
http://www.realtokyoestate.co.jp/estate.php?n=2855
http://www.realtokyoestate.co.jp/estate.php?n=2810
これらはあきらかに「古さ」が付加価値になりえている。築年数の大きさは一般的には価格形成上のマイナス要因だが、乱暴な一般論から離れればこのような価値を見出し、価格に反映できるのである。
さて、こういう物件を扱う業者がいるということは、日本人のすべてがすべて新しい物好きということでもない、といえる。規模は小さくともちゃんと価格形成がなされる市場ができると期待はできる。
以前紹介したが、政府から200年住宅という構想が打ち出されている。
とすると、今後「古い家」の評価が現在と変わってくる可能性がある。中古住宅市場は徐々に改善される期待がある。その市場で高い評価を受けるために、ちゃんと長持ちする家を建てて今のうちに仕込んでおく、という考え方をすれば少しは気が楽になる(気休めともいう)。

最近は古民家がちょっとしたブームになっている。それからもわかるように、ちゃんと作られた家は耐用年数が20年そこそこ、なんていうことはないのである。乱暴に定められた法定減価償却期間なんていう「想定使用期間」にあてはまらない家をつくるのは誰にも可能なのだ。

古民家と資産形成なんて、関連性が薄い項目のように思うだろう。しかし、もしかしたら最近の古民家の受け渡し場面では、「お得な話」で紹介したような古屋の譲渡をかなり計画的にやっているのかもしれない。
すなわち、価格価値がほとんどないものは譲渡にあたって税金が相当に軽い、という状況をうまく利用しているということ。
現在、うまいぐあい(?)に公的に古い家を低い価格に評価してくれているのを利用しない手はない。市場価値はなくとも利用価値はある物件を格安(すくなくとも税金の面では)で手に入れられるのである。そうみれば資産形成と古民家の関連性に注目できる。
まっとうな古い家は日本の未成熟な中古住宅市場で本来の価値を算定されないまま安値に放置されている。つまり底値であり、下落リスクはそもそも小さい。そして将来、古い家のポテンシャルが正当に評価されるようになったらどうだろう。市場価値がついて譲渡時の税金が高くなるかもしれないから、いまのうちだ(笑)。「ゆがみ」はいずれ是正される、安いときに買って高いときに売る、人の行く裏に道あり花の山だ。それが投資というものだ。きっとそうだ。



このような空想(※)をしつつ、わが古屋で炭火で沸かした湯でお茶を飲む。
資産として古い/古くなる「持ち家」を所有するのも悪くない、と思っているおめでたい人間なのである。


※ ようするに情報の「バイアス」に注意が必要ということ。そこそこのおじさんである私は「売る場面」を想定しない「終の棲家」を建てているつもりであり、上記記述の多くはかなり「後付け」の理由である。


最近、読ませていただいている「NED-WLT」(←非常にためになる良質ブログ)の昨年12月のエントリ「人口減少の時代に、持家を考える」にそろーりとトラックバックさせていただく。
このような「家」フェチもいるってことで・・・。

楽しまないと損――家づくりの趣味性

2007年03月01日 | 家について思ったことなど
最近流行の資産形成指南を読めば、住宅ローンを抱えて持ち家を手に入れることのリスクがとうとうと語られている。
「月単位のローン返済額が賃貸での家賃に比べて同程度以下なら、最終的に自分のものになる持ち家が得、というセールストークを間に受けてはならない」という。
ローンを組むのは本来価値以上の大きなコスト(つまり金利分)を負担し、家計のバランスシートをゆがませ、ローンを払い終わった後では資産価値もない、金の使い方は賃貸と同義で考えてはいけない、まあそんなところが理屈になっている。
「持つ家」の形態(新築・建売、一戸建て・マンション)や、家計に占めるローンの割合、収入を得ている職種によって状況は多少異なるだろう、というようないくらかの反論はできなくもないが、考え方の大筋は間違っていないと思っている。

さて、

それでも家を建てる/建てているのである。
住宅を楽しまなければ損ではないか。
家づくりの初期構想から、設備・仕様についての取捨選択、設計図面、施工現場、地鎮祭や上棟式などのイベント、竣工…、その先のカスタマイズ。せっかくだから賃貸ではできないことをしっかり楽しむべきだ。
家づくりを趣味にする、そんな視点があれば、ローンを持つことに納得できる部分をいくらかでも膨らませることができるのではなかろうか。家族で楽しめればなおいい。一人で楽しんでも4人、6人で楽しんでも元手はほとんどおんなじだ。

それはそれで、借金してギャンブルするのとたいして変わらない、って資産形成アドバイザーは怒りそう(笑)。
しかし、少なくとも楽しまないでギャンブルをする無意味さと比べれば雲泥の差があることは主張できる。

今日の教訓(のようなもの)
「(ローンを組んでおいて)家づくりを楽しまないのは、楽しくもないギャンブルをわざわざ金を借りてやるのと同じ」