家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

家の寿命

2005年06月29日 | 家について思ったことなど
 日本の家の平均寿命は30年に満たないという。
 家づくりを考え始めたころから、それは変だと思った。借金して何十年も返済を続けなければならないのに、その程度の寿命でいい訳がない、と。

同じ額を投資するのなら長く使えば使うほど得になる。
乱暴な計算では、60年持つ家は30年しか持たない家の2倍の値段でも価値的に見合う。しかし、大抵は2倍まではしない。
長持ちする家にすることは、短命な家に比べて、かけた金額が生む価値が大きい。建てるなら、長持ちする家・長持ちさせる家にするしかないと考えた。
 
では、長持ちする家とは何か。
① しっかりと作ってあること
それにはたしかな構造で、手抜きなく施工することが必要。
② リフォームしやすいこと
長年住んでいれば、住人の構成は変わってくるし、部屋の用途も変えたくなる。変えようもない家だと、構造的にはまだ頑丈でも建て直したくなってくる。
③ メンテナンスすること
何にもメンテナンスしないで住んでいると、表面のボロさがイヤになって、建て直したくなる。

 このあたりまでは書籍やネットなどを調べればだいたい出てくる情報だ。私はほかに2点ほど考えた。

④ 時間を味方にすること
経年変化が価値を生むようにすれば、ずっととっておきたい家になる。
⑤ 思い出をつくること
家の中で心に残る楽しいイベントをやっていれば、それが思い出になってなかなか壊せなくなる。またそのイベントを家の伝統行事にしてしまえば、その場所はずっと維持していきたくなる。

我が家は家の建て替えにあたり、築38年の部分を解体し、築55年(もう60年といったほうが近くなったが)の古屋を残した。
古屋の方は、まさに時間を味方にしていたし、家のイベントの場になっていたのだった。
今の新しい家も、時間を味方にできるような素材を使い、イベントができるような仕掛けを施してある。

未来のどこかで、古屋も、新しい家も、「築100年です」って家族が人に紹介する場面を想像して、楽しんでいる。

エアコン

2005年06月28日 | 我が家のスペシャルな仕様
できるだけ、エアコンを使わなくてすごせる家に、という要望を持っていたが、ここのところの「6月の猛暑」で今週初から父が居間と自分の寝室で使用をはじめた。
が、いまのところ、子供部屋と私たち夫婦の寝室においては使わずにすんでいる(もっとも、寝室にはまだエアコンを設置しておらず、使う場合は戸をあけて共有スペースのエアコンを稼動することになるのだが・・・)。

風がうまく抜ける構造が効いている。
「してやったり」という気分。


「作品」という呼び方

2005年06月26日 | 家について思ったことなど
 建築家が設計した家のことを作品という言い方をすることを気に入らないという人は多いようだ。自分の家ではないような表現に感じられてカチンとくるらしい。
しかし、私はそんなには気にしていない。家というものは、ハウスメーカーでは「商品」「製品」と呼んでいるし、不動産屋では「物件」なんて呼び名になっている。「作品」という言葉にだけ過敏に反応する人はだれかに刷り込まれた変な思い込みがあるのではないかと思ってしまう。
「作品」であれ、「商品」であれ、「物件」であれ、その家に住む施主からみればしっくりこない表現だ。建築家が「あの作品は・・・」って会話をするのと、ハウスメーカーの営業マンが「あの商品は・・・」って会話をするのを比べて、施主の「しっくりこなさ」加減に違いはないように思う。

「作品」も、「商品」も、実は施主のいない場面で使われている言葉だと思う。建築家だって、施主がいる目の前でその施主の家を「私の作品」なんて言いやしないだろう。営業マンがその家の施主を目の前に「わが社の製品」などとは言わないように・・・。
それらの言葉は主に第三者に提示するときに出てくる言葉ではないだろうか。

「作品」はもろ手を上げて賛成とはいいにくい言葉とはいえ、建築家・設計事務所が何がしかの呼び方を考えれば「作品」というのは妥当な線だと思っている。他に置き換える言葉が思いつかないのだ。
ある工務店では自分のところでやった案件を「施工作品」として紹介していた。それから考えると「設計作品」というべきであろうか。事務的に「設計案件」でも間違いではなかろう。ただ、これらは言葉としては収まりが悪い。「作品」でも許してしまう。

以前私は「建てたのは誰か」というエントリを書いた。それは、建築物に関わったそれぞれの人間が所属するカテゴリによって、建てたのは誰かということがさまざまな言われ方をするだろうというような内容だった。
同じように、家を「作品」とか「商品」とか「物件」とか呼ぶのは、それぞれの人間の集合で使い分けられているのではないか。
そうであれば、さほど気にすることもないように思う。

これは何だろう

2005年06月20日 | 新幹線通勤
 各車両に1箇所だけついている不思議なもの。
 300系の普通車両だと15列と16列の間にある。
 スピーカーのようにも見えれば、換気系の装置のようにも見える。
 ただいずれにしても、1箇所だけある意味、15列と16列の間にある意味はわからない。

山小屋にて

2005年06月19日 | 山小屋・ログハウス
 前のエントリで紹介した、父が山小屋の脇に建てている物置の進捗。
 屋根の瓦葺が終わり、コンクリの土間を作り終わったところ。
 もう、東屋としては機能しそうである。
 父の好きなようにやらせているので、最終的にどうなるかはよくわからない。

 山小屋に行ったのは、例の「蛍風呂」を決行するためである。
 幸いにして天気に恵まれ、おぼろ月夜のなか、露天風呂で蛍を鑑賞できた。「かじかがえる」の鳴き声がBGM。
「極楽、極楽」とつい口に出た。

娘が一句
「ほたる舞う 夜はたのしい カーニバル」

実際の家を使った耐震実験

2005年06月18日 | 家について思ったことなど
きのう(6/17)のテレビ朝日「報道STATION」の特集で、家の耐震実験をやっていた。
実際に使っていた家を移築しての実験だっただけにリアルさがあった。
建築基準法改正前に建てた築25年を過ぎた家を、震度7の地震に遭遇させる。最初の40秒間は何とか倒壊せずにすんだが、亀裂が各所に入り、二度目で簡単に崩れた。
我が家も耐震性能のなさ(関連エントリ)が家を建て替えるひとつのきっかけになっただけに、興味深い特集だった。
実験した家は移築する段階で「筋交い」の少なさを専門家に指摘されていた。我が家の旧家屋も似たようなものだった。

新しい家の設計では、要望として「地震に強い家」という項目を入れた。
おかげで、がっちりと筋交いが入った家になった。

 番組では、耐震性を診断したり、補強したりするには、ちゃんとした設計図があること、設計図どおりに作られているかどうかが重要だと専門家が言っていた。
ちゃんとした設計事務所と建てれば、詳細な設計図、現場の監理記録が残るので、その面で安心感がある。
 工務店やハウスメーカーでも記録に残る資料を作れば、それはひとつのアピールポイントになるのではないだろうか。
 施主としては、設計事務所と組まない場合でもできるだけ詳細な設計図をしっかり要求したほうがいい。もし、かたくなに出し渋るビルダーだったら、表面だけ取り繕った適当な工事をするリスクも意識しなければならない。

 設計図には見る楽しみもある。もし余分にお金が必要だといわれた(実際はないはずだが…)としても手元に置いておく価値はある。

B席の救済措置――こまやかな気配りなのか

2005年06月15日 | 新幹線通勤
 前回、新幹線の座席ABCDEの5席のうち、B席の人気がないという、誰でも分かるどうでもいい考察をした。
 今回、やや踏み込んだマニアックな情報を記す。
 この情報を知っていれば、やむなくB席に座ることになったとしても、少しはポジティブな気分になれる。
 
 実は、B席には他の席より有利なポイントがあるのだ。
 それは、座席の幅である。
 B席だけが大きいのだ。

 300系で測ってみた。
 ACDEの各席は肘掛と肘掛の内寸が43cm、背もたれの幅が46cm。
 ところが、B席だけはそれぞれ、46cm、50cm、と余裕がある。
これを知らないで座るのと、知っていて座るのでは多少なりとも気分に差が出てくるように思う。
もしかしたら、これはJRの細やかな配慮かもしれない。

 私は何気なく座席を見ていてふと気が付いたのだが、「鉄ちゃん」(鉄道マニア)ならこれは常識なのだろうか。

新幹線の席はどのように埋まるか――どうでもいい考察

2005年06月14日 | 新幹線通勤
 新幹線の座席はだいたい5席が20列という構成になっている。
その5席にはABCDEという番号がふられていて、ABCの3席が一体となり、DEの2席が一体となっている。そしてCとDの間が通路である。
イメージは以下のとおり。
ABC DE
ABC DE
ABC DE
ABC DE
ABC DE
ABC DE
   ↑
   通
   路

この席はどのように埋まっていくのか。
順位をつけると
E→A→C→D→B
となる。

なぜそうなるのか。

座席の評価ポイントから考えるとその理由がはっきりする。
評価ポイントその1
「窓際」
外の景色が見やすいのと、採光の権利(スクリーン・カーテンの開閉権)を得られる。
これを点数にしてみると
AとEが1点
BCDは0点

評価ポイントその2
「コートハンガー」
側壁のコートハンガーの利用権が得られる。
AとEが1点
BCDは0点

評価ポイントその3
「棚」
座席の折りたたみテーブルだけでなく、窓下の棚が使える
AとEが1点
BCDは0点

評価ポイントその4
「隣の席」
隣の人に気を使うわずらわしさのレベル
A、C、D、Eが1点
Bは0点

評価ポイントその5
「出入りのしやすさ」
通路への出やすさ。トイレ、電話、ごみ捨てなど
C、Dが1点
B、Eが0点
Aが-1点

評価ポイントその6
「肘掛の確保」
肘掛を確保しようとすると
A、C、D、Eは1ないし2(最低保障1)
Bは0から2(最低保障なし)
平均点を点数にすると、
A、C、D、Eは1.5
Bは1

総合得点を見てみると
A 4.5
B 1
C 3.5
D 3.5
E 5.5
となる。これでだいたい説明がついてしまう。
さて、CとDは同得点なのに、なぜ、Cの方が先に埋まってしまうのか?
それは、Eの人気ぶりとBの人気のなさが影響している。
Bは人気がないので、Cの人間にしてみれば、あわよくば両側に人間がいない状態になるという期待を抱かせるからだ。Eは真っ先に埋まってしまうので、Dの人間は最初から片側に人間がいることは甘んじなければならないのだ。

こんなことは別にどうでもいいこと。普通の人間は直感的にこれらを判断して座っているのだ。

風が入る

2005年06月11日 | 我が家のスペシャルな仕様
 ここちよい風が吹く季節になった。
 窓を開けていると、時折、たまらなくいい風が入ってくる。

 家というものに窓は必ずあるので、どんな家でも風は受けられる。ただ、窓があればそれでいいわけではない。自然にすわっていたり、寝転がっていたりするときにいい風を感じられるのが良い。風が入る口と抜ける口がうまくかみあっていないと気持ちよさを最大限享受することはできないだろう。
 なにげない時に、風の通り道をしっかり考えてあるのに気がつくと、何かうれしくなってくる。

 良い風が吹いていようがいまいが関係ない家ではなく、いい風を拾える家にしてよかったと思う(関連エントリ)。
 この機能はプライスレスだ。



新幹線通勤の特徴

2005年06月06日 | 新幹線通勤
 さて、カテゴリを作っておきながらエントリを立てないのもなんなので、新幹線通勤の紹介をば。

<普通の電車通勤との違い>
・ たいていは超遠距離
・ 早起きしなければならない
・ 大都市のラッシュ時のぎゅうぎゅう詰めのような状況はまずない
・ 乗り越しは恐ろしい事態を招く
・ 定期はひと財産
・ 車内で飲食、晩酌が可能
・ 終電が早い
・ 忘れ物をすると、とんでもない場所まで行ってしまう
・ トイレの心配はない
・ 車内でPCが使いやすい
・ 眠りやすい


 なお、新幹線通勤者の中には元締めとも言うべき人物がいる。「新幹線通勤の日々」のMujinaさんがその方である。
新幹線通勤に関わるたいていのことがMujinaさんのサイトには収録されている。
おそろしいほどの筆まめなお人でもある。



大贅沢な風呂

2005年06月01日 | 山小屋・ログハウス
 金平糖さんのblogで「贅沢な家づくり」って持ち上げられて戸惑い気味ではあるが、いっそのこと、ここでひらきなおって我が家の大贅沢なイベントを紹介してしまう。
 
 その名も「蛍風呂」。
 我が家の山小屋の脇には伏流水が湧いており、ここに毎年6月中旬ごろ、蛍が乱舞するのである。乱舞というのは大げさかもしれないが、かるく100匹ほどはいると思う。
 これを見ながら露天の風呂に入るのである。
日本中でいったい何人が露天風呂と蛍鑑賞を同時にやれるだろうか。これを贅沢と言わずして何と言おう、って表現したいくらい。

 風呂といっても、石組みした本格的露天風呂ではなく、マグロ解体用の樹脂製の大桶を改造して作ったもの。つめれば大人6人くらい入れる大きさがあるが、驚くほど安く仕上げてある。
 だけど、贅沢とはお金だけではない(by金平糖さん)のだ。お金はかけずとも時間、空間的な贅沢は可能なのだ。
 プライスレスな贅沢はプライシングできる贅沢より上なこともある。

タイムリーに朝妻さんも蛍(?)の話題

明るい

2005年06月01日 | 我が家のスペシャルな事情
 一年のうち、日の出がもっとも早いのは夏至(6月22日)より1週間くらい前だという。そんなこともあって次第に強く意識されてきたのだが・・・、「我が家は朝っぱらからとても明るい」。

 特に私たち夫婦の寝室の開口は、南側がはめごろし窓+越屋根の窓で雨戸はない。カーテンもつけていないのでしっかり光が入ってくる。
 工夫がしてあって、直射日光こそ直接床(つまり寝ている目線)にあたることはないのだが、部屋の中は自然に目が覚めるほどしっかり明るいのである。
 まあ、私は特殊な通勤形態ということもあって、普段は早起きせねばならず、これで特に問題はない。
ただ、休日にしっかり寝たいときのことを考えたら「暗くする」工夫もしておくべきだったかなと思う。

私は目の前にかざした自分の手が見えないほどの漆黒の闇でも、日中の野外でも、眠ろうと思えば眠ることはできる体質なので大きな問題ではないのだが、暗いところ/明るいところでは眠れないというような人はしっかり考えたほうがいい項目だ。

ちなみに、両親の寝室は遮光性のあるロールスクリーンを設置してある。