家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

コインホルダーできた

2007年01月30日 | レザークラフト
 
家の所要で会社を休んだのをいいことに、先日来「作るぞリスト」の上位に来ていたコインホルダーを作った。

ヌメ革を染色せずに使用、糸は黄色にした。
ルイ・ヴィトンに倣ったわけではない。丸っこい小さなものだからである。
実は手縫いで小径の円をきれいに縫うのは難しいのだ。かつて子供のために縁を革で囲った虫めがねを作ったときに失敗した経験がある。縫い目がガタガタになってしまった。
それで、ヌメ革の色に近い黄色の糸にすれば少々へぼでもごまかしやすい、と考えた。
それでも過去の失敗を頭にうかべて慎重に縫った結果、ミシン縫いほどの整然さはないが、なんとかごまかせたと贔屓目で自作を評価している。

これで五〇〇円玉が2枚収納できる。開いた写真はこちら→
原付バイクのキーホルダーとして使うつもりだ。
財布を忘れてバイクに乗り、なおかつ途中でガス欠になった、などというシーンに役立つ。
――ってそんなレアな場面での使い道を考えてニヤニヤしている。


納豆と耐震とリテラシー

2007年01月22日 | その他
フジテレビ系列の関西テレビが制作(下請けは「日本テレワーク」)した「発掘!あるある大事典Ⅱ」でデータの捏造が発覚した。納豆にダイエット効果が期待できるとした実験データは大半がウソであった。
なぜこんなことがおきるのか。

東京新聞の解説記事↓から一部引用
http://www.tokyo-np.co.jp/00/hog/20070122/mng_____hog_____000.shtml

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制作会社は一般に、潤沢でない制作費で短期間に仕上げることをテレビ局側から求められる。業界関係者によると、制作費と納期を切り詰める傾向はますます強まっているという。久世部長も「時間と予算の問題がないとは言わないが…」と苦しい胸中を語った。
 数多くの人気番組を手掛ける老舗制作会社「東阪企画」の澤田隆治会長は「テレビ局が下請け任せにして、チェック機能を真剣に構築しないから起きた。このままでは同じことがまた繰り返される」と警鐘を鳴らす。
 民放各局の番組制作は年々、下請け依存の割合が高まっており、関係者は「今は九割ぐらい」と分析する。澤田会長は「(待遇に恵まれず、仕事がきつい)制作会社志望の若者が減っている時代。質が下がっているならば、再教育しないといけない。制作サイドは緊張感を持ち、番組は視聴者の信頼で成り立っていることを忘れてはならない」と語った。

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これを読んで軽い既視感にとらわれた。
耐震強度偽装事件と構造が良く似ている(関連エントリ)。
「制作費と納期を切り詰める傾向」とは「設計・施工費と工期を切り詰める傾向」とそっくりではないか。それが下請けにしわ寄せされている点も、チェックが甘い点も同じだ。
双方とも「誠実なモノづくり」を差し置いて「効率的に稼ぐモノづくり」「世間にうけるモノづくり」を優先した結果でもある。

ただし耐震強度偽装事件と異なり、今回の釈明番組で、「あるある」に無関係のアナウンサーが出てきて説明しただけなのは納得いかない。
耐震強度偽装ではマンション販売業者の社長も釈明の場を持った。日本テレワークの社長はもちろんのこと、関西テレビの社長、フジテレビの社長も出てしかるべきではないのか。総務省に報告が求められたようだが、視聴者への弁明は足らない。国会での説明も必要かもしれない。
また、スポンサー企業は信用を傷つけられたわけだから、スポンサーを降りるだけでなくこれまでに支払ったCMの放映料を返却するよう申し入れるべきだ。
こんな釈明だけでとどまるとすれば、テレビ業界はマンション業界をとやかく論評する資格はない。


情報の受け取り手としての立場から今回の事件を眺めると、あらためてリテラシーが重要であると思う。
現代は情報があふれすぎているゆえに、各個人がそれぞれ情報を吟味する力を持たなければならなくなっている。
その点テレビ番組は安易に信じられすぎている。「あるある」放送後、納豆がバカ売れし店頭から消えたことが信じる人の多さを物語っている。信じるほうがバカと切り捨てている人もいるが、信じる人が多いのも無理はない。放送法には「報道は事実を曲げない」という規定があって、それゆえに信頼性を得ていた側面があるはずだから。
実際のところ、ある事象の正誤・善悪・優劣を判断するのにテレビ番組を根拠とするのはリスキーである。ニュース番組ならまだしもバラエティ番組ならなおさらだ。引用した制作サイドの人の発言からもうかがい知れる。
「あるある」に関して言えば、初期のマイナスイオンを特集した回あたりから、私は「話半分」と解釈すべき番組と位置づけている。「マイナスイオンがもたらす効能」のいかがわしさはちょっと調べればすぐ分かるのだが、まだ信じる人は多い。
プラシーボ効果くらいは期待できるだろうから、私は周囲のマイナスイオン肯定者をしらけさせないよう話をあわせてはいるけれど。

今回の事件を契機にぜひ過去の放映分まで調査すべきである。はたしてマイナスイオンまでさかのぼるだろうかちょっと興味がある。
いずれにしろ、「テレビ番組を簡単に信じるな」という姿勢の正しさをあらためて実感できた事件であった。

一方でネットから情報を得るほうがリテラシーを発動しやすいように思った。最初から玉石混交であると分かったうえで情報に接することができるからだ。情報は自分で探さなければならないということは情報を吟味するという行動につながる。
ネットという巨大なライバルメディアに対峙するテレビ関係者は信用力を維持してそれを武器にビジネスすべきなのに、自らそれを貶めるようなことをして力を弱めているともいえる。
ホリエモンがフジテレビを支配下に置こうというネット陣営の試みは失敗におわったが、このままでは資本の出所がどうなろうと、社会への影響力という点でネットとテレビの力関係が逆転するのは遠くなさそうだ。


国産材信仰+ ――あわや「総体ひのき造り」

2007年01月17日 | 我が家のスペシャルな事情
私は地産地消という考え方は好きだったので、できるだけ国産材、それも地元のものがいい、という志向はあった。雑誌の「チルチンびと」とかの影響も受けていたとも思う。
しかし、私以上に国産材にこだわっていたのが父。
山小屋づくりを経て地元の製材屋さんと知り合いになったことをきっかけに、父の国産材信仰は深まっていたのだ。

設計事務所から実施設計の最初の図面が出てきたとき、土台、大引、柱、内装材はヒノキ、スギ中心だったものの、根太、筋交い、垂木は米ツガ、梁は米マツ、そしてデッキ材は先日紹介したようにカナダ杉という案であった(ちなみに床材は「ナラ」)。
これを見た父がまず、「柱はスギではなくヒノキがいい」といいだし、「米ツガってなんだそりゃ?」「梁の米マツっていうのはヒノキにならないのか」「デッキ材もヒノキにしていいんじゃないか(※)」と語り始めた。
そのくらい父はヒノキへの信頼感が大きかった。
ただそれは実体験に即していたものの信仰に近く、他の材も広く研究した結果とはいえない意見だった。筋金入りのドメスティック人間の父には外国の材は得体の知れないものにしか映っていないようだった。

我が家の設計者は手刻みの仕口や継手を指定するくらいなので、建築家業界の中でも木材にかなりこだわる部類に属している。私もそれが気に入り、基本的な選択に間違いはないはずと信頼していた。あとは予算と好みの問題となる。

米ツガという材は私もあまりいい材には思わなかったのでヒノキへの転換に抵抗はなかった。
しかし、梁の米マツ、デッキ材のカナダ杉までヒノキ化するとなるとさすがに閉口した。
梁はねばりのある木がいい。国産材だったら地松だろう。ただし値段が高い(関連エントリ)。私は建築家の設計した別の家の設計図書を見たときに米マツの説明を受けていたし、地松は無理っぽいのでそれでいいや、と思っていた。デッキ材のカナダ杉は耐候性という面でヒノキと比べてもなんら劣るものではなく、値段も安いのでそこまで国産にこだわることはなかろうと割り切ることができた。
結局お金を出すのは私達夫婦なので、まだなにかものを言いたげな父を横目に、米マツ、カナダ杉を採用することで押し切った。

以前、「家ほめ」というエントリで、「牛ほめ」という古典落語に「総体ひのき造り」という家のほめ言葉があることを紹介したが、実は我が家は一歩違っていたらそれになっていたかもしれなかったのだ。


※父の作った山小屋のテラスは当然のごとくヒノキ。もっとも自家伐採したものなのでコストは安かったが。

手入れの後ろにあるもの

2007年01月15日 | 家について思ったことなど
我が家のデッキ材のウエスタンレッドシダー(カナダ杉)は耐候性があると言われているが、ウリンイペ、セランガンバツーほどではない(たぶん)。
建築家からは、ほっといても10年くらいは使え、メンテナンスすれば寿命はいくらでも伸びるというような説明を受けている。
もっともそれには、ちゃんとした設計・施工であることが重要。仮に水はけ、風通しが悪く、地面の土にべったりと接しているような造りだったら腐朽菌やシロアリを招き、上記の説明はあてはまらないだろう。
もし、ウッドデッキが何回メンテナンスしても長持ちしないということがあれば、設計・施工に欠点があったり、湿気の多い立地であったり、材がホワイトウッドなどの耐候性に弱いものであったり、ということが考えられる。

我が家はやっと築2年になろうとしている程度で、デッキ材に腐朽やシロアリの危機があったわけではなく、塗料がかすれてまだらになってきたことが塗りなおしの理由。「涼み台」は屋上ゆえに最も雨風や日射の影響を受け、同じ材を使っている(屋根つきの)縁側よりも劣化が目立ってしまっていたのだ。劣化といっても見た目だけで、材が弱っているということではなく、家の他のパーツがまだ新しさを感じる中でちょっと気になったということ。
塗りなおした結果、疲れが見えた若者がリフレッシュしてなおかつ経験を積んで落ち着いた風とも言えるような質感となった。

メンテナンスはそのような効果がある。
「メンテナンス要らず」といわれるような材だとしても、メンテナンスした方が気持ちよく使えると思う。
強い材というのは、同条件で管理したときに使用可能な期間が長いということに過ぎず、気持ちよく使えるかどうかはまた別の問題ではないだろうか。
例えば「汚れた部屋で飲むお茶よりも掃除してある部屋で飲むお茶のほうがおいしい」そんなことに近い気がする。
強い材を上記の部屋にたとえるならば「汚れにくい部屋」ということになるかもしれないが、それでも徐々に「汚れて」くるのは避けられないだろう。
適宜「きれいにする」作業は必要だし、きれいな期間が長いほど気持ちよく使える時間も長いと考える。
使う都度、拭き掃除(軽いメンテナンス)することでも気持ちよく使えるかもしれないが、だとしたら塗りなおしは数年に一度の大掃除だと思えばよいのではないだろうか。

最近流行りのサスティナブル(持続可能性)を成立させるには「素材」のみならず「手入れ」も重要なポイントだ。むしろ持続力の面では素材の優劣よりも手入れの影響が大きいかもしれない。
キザな言い方をすれば「手入れ」とは「愛」だ。
愛するものには手をかけたくなり、手をかけたものには愛が生まれやすい、そして愛するものは末長く存在していてほしいと思う、それはいろいろなものに当てはまる法則であろう。

もっとも愛の持ちようは人それぞれ。私にしたってとても身の回りのものすべてに愛は注げない。愛が増えればしがらみも増える。へたをすると身動きがとれなくなる。愛に縛られたくないという考え方もアリだ。


注:今回は、前回のエントリにつけていただいたジョイ(Hamajoy)さんのコメントへの回答を兼ねている


涼み台の手入れ

2007年01月14日 | 我が家のスペシャルな仕様
 
きょうは我が家の屋上デッキである「涼み台」の塗り替えをした。
もちろん自力作業である。
このくらいのメンテナンスは家人でやったほうが家への愛着が増すと思っている。

幸い天気に恵まれ、風もなく温かな日で助かった。
塗料はドイツのオスモ社の「ワンコートオンリー」。自然素材の塗料である。
デッキ材はカナディアンレッドシダーで約6畳ほどの広さ。妻と二人で擦り込むように塗った。
仕上がりのレベルは素人なりにすぎなくとも、やはり愛着度合いは増したように思う。

コインホルダー作りたい

2007年01月11日 | レザークラフト
ちょっと前、ポストイットホルダーの製品化はエルメスに先行した、などとうそぶいて自己満足していたが、実際のところは、「自分がいつかは」とあたためていたアイディアを他人に先行されることの方が多い。
そんなモノのひとつが「Clipon Coin Holder」。

「革の厚みを使って500円玉をコンパクトに収納する仕組み」は以前から考えていたものの、このように完成度の高い製品を見せられると「やられたなあ」という思いは禁じえない。
プロフェッショナルの仕事(デザイン、アイディア、品質)には容易に勝てるものではない。
そもそも勝敗を論じること自体、分不相応であるのだが。

そうはいいつつ、ちょっと悔しい(笑)。
極私的製品開発の意欲がわいてきた。
着手は「ほぼ日手帳カバー」の周辺ユニットより、コインホルダー作成が先になるかも。

オリジナル「ほぼ日手帳カバー」が完成

2007年01月08日 | レザークラフト
             

正月休みと今回の連休を使ってやっと「ほぼ日手帳」カバーを完成させた。

さて、このカバーについては前回のエントリでかなりよくばりな機能の構想をひけらかせていた。しかしながら今回お披露目するカバーはいたってシンプルな機能にとどめておいた。
というのも、これはビジネスシーンでも使用するコアユニットという位置づけであるためだ。このあと製作する予定(いつのことになるのやら)の周辺ユニットにいろいろな機能を付加しようとしている。

外観は純正カバーのサイズと同じにしながら、以前作った免許証ホルダーのデザインのラインを踏襲した。ただし免許証ホルダーと違い、色は茶色系とした。
こうしてみると本体と縁の色をもっと差をつけたほうがよかったとやや反省している。

さて、機能はシンプルといったものの、一点のみ、かなり工夫したと自負している機能を付加した。
それは「しおり」である。

純正のほぼ日手帳カバーには2本のしおりがある。それは、たとえば一本はデイリーのページに、もう一本はマンスリーのページにはさむ、というような使い方が想定されている。そのままこの機能は採用したが、そこからさらに工夫を加えた。
しおりの先のほうにスナップをつけたのだ。
一本に凹、もう一本に凸をつけて、二本のしおりが合体できるようにした。




これの利点は、
ふらふらと落ち着きのない所在になりがちなしおりを固定する、ということがひとつ。

そしてもうひとつはデイリーとマンスリーのページを簡単に行ったり来たりできるということ。
下の写真を参照のこと。

   

一体化したしおりを指でつまんでページの中央のほうに寄せながら、右に倒せばマンスリーページに、左に倒せばデイリーページにというように遷移できる。

自分では単純ながら画期的アイディアだと思っているのだが、どうだろう。
極私的実用新案にすぎないかもしれないが、とりあえず「スナップしおり」と名づけておく。

明日からの手帳の使用が楽しみになってきた。
 


石であそぶ

2007年01月04日 | その他
 
初詣に出かけた時に、神社の近くの海岸に寄った。

なにげなく子供が浜辺の石に目をとめた。
崩れてはいたものの、どうやら誰かがちょっと前に顔のようなものを作ったのかもしれない、と推定されるくらいには形が残っていた。
そして我が家でひとまず「いぬの顔」に作りなおした。あしもおまけにつけてみた。

写真をあとから見て、去年だったら年賀状用の写真につかえたなあ、などと思った。

海岸の石で干支を表現した年賀状シリーズというのは面白そうだ。
辰年は難しそうだけれど…。

正月を迎える

2007年01月01日 | 我が家のスペシャルな事情

「あけましておめでとうございます」

我が家は正月を古屋で迎える。
酔狂にも、昔の人と同じような手間をかける。

大き目の長火鉢に鉄瓶を置いて湯を沸かす。
しんしんとやさしく湯気をあげるさまは炭火ならではの情緒。

雪見障子から庭をながめながら、お屠蘇を飲んで手作りのおせち料理をつまむ。
自分たちでついたもちを使った雑煮を食べ終わるころに、年賀状が届く。
それをネタに家族であれこれ意見を交わす。

「ハレ」の場として古屋のよさをしみじみと感じる瞬間である。

我が家の高度成長期以前の「日本人ぶり」には自信がある。
セルフタイムスリップとでも呼べるかもしれない。