家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

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乗り過ごし――ダメージレベル「低」

2005年08月31日 | 新幹線通勤
新幹線通勤の再開後、初の乗り過ごし。

今回は折り返しの新幹線があったため、ダメージレベルは「低」ですんだ。

ちなみに、
折り返しの新幹線はないが、在来線で折り返し可―――ダメージレベル「中」
折り返し不可でビジネスホテル泊          ―――ダメージレベル「高」
折り返し不可+宿泊場所無し            ―――ダメージレベル「翌日休みます」

という種類がある。





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循環する古建具――山の物置にて

2005年08月28日 | 山小屋・ログハウス
 「スーパー親爺の普請道楽」というエントリで紹介した物置作りの進捗。

私が山小屋に来たのはかれこれ2ヶ月ぶりだが、この間、私の父は山小屋に足繁く通い、こつこつと物置作りにいそしんでいた(この点、父は「家づくり、行ったり来たり」の現役なのである)。
写真で見ていただければわかるが、現在は壁に取りかかっている。

 この建物、いわずもがなのローコストなのだが、最近流行のローコスト手法とは全然違う次元でローコストを実現中なのである。

前のエントリでちらりと紹介したが、ひとつはタダで手に入れた材を柱、梁などの構造に使っていること、もう一つのキモは建具である。
旧住宅で使っていた建具を解体する前に取り外してとっておき、再利用しているのだった。
(この木製建具を見れば、我が家がついこの前までいかに気密と縁遠い生活をしていたかということがよくわかる。超低気密のおかげで結露の心配はまったくなかったが、冬は寒かった。温暖な地方でなかったらとてもたえられなかったろう)

実は写真に見えてない部分に、さらに古い建具をはめこんである。その建具は2代前の住宅、すなわち旧住宅の前に住んでいた住宅から取り外して保存しておいたものである。
手が込んだ建具というわけではない。愚直に作られていて「まだまだ十分に使える」ため、とっておいたらしい。
こうなると、単なるものずきではかたづけられない。貧乏性道楽とでもいったらいいのか。

 さらにさらに、この物置につける戸も実は「骨董品」なのである。古物商の免許を持つ親戚につきあってもらって、古民具のオークションのようなところで安く仕入れてきた。
それは蔵の戸だったらしく、もはやいつごろのものかさえよくわからないシロモノだ(いずれお披露目するつもり)。

何世代にも渡って使い続けるわけで、建具達からみれば、「建具冥利につきる」といったところではないだろうか。
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完成――ナイフシース作り(6)

2005年08月27日 | レザークラフト
 コバ磨き――ナイフシース作り(5)からの続き

 ということで、ナイフシースは完成した。

ジャンパーホック部分が出っ張るのは想定の範囲内ではあるが、やはり目立つかも。
ちょうどいいアクセントになったと思うことにする。

 ハンドルが黒なので、シースも黒くしたが、単色でなくて別の色を入れても良かったかもしれない。ファクトリーナイフでなくてカスタムナイフだったらもっと冒険的な試みをしてみたい。

作成途中、「もう少し余分に寸法をとっておいた方が良かった」と気がついた部分が2カ所ほどあった。革の場合少しは伸びるので、1、2mm程度の誤算ならなんとかなってしまうが、反省点として今後にいかしたい。
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コバ磨き――ナイフシース作り(5)

2005年08月25日 | レザークラフト
 手縫い開始――ナイフシース作り(4)からの続き


レザークラフトにはコバ磨きという工程がある。
革の裁断面はざらざらしていて、そのままでは見た目も悪く、カスも落ちる。そのため、磨いて固める必要がある。それがコバ磨きである。なお前回のエントリの写真がコバ磨き前である。
前回紹介したようにナイフシースの場合、裁断面を合わせた分厚い縫い合わせ部分があるため、ほかの製作物以上にコバ磨きが重要な工程となる。
普通は、コバ面をヤスリ(カンナも可)で削ってならしたあと、コバ処理剤を塗ってスリッカーという道具(縁にぐるりと溝をつけた円盤のようなもの)で磨く。
ただ、今回のコバは厚過ぎて、溝が小さい円盤状のスリッカーは使えない。
そこで、自作した棒状のスリッカーを使った。
スリッカーは固く目が細かい木が好ましい。写真の下に写っているのが自作のスリッカーだが、これは「カリン」で作ってみたものである。他に「黒檀」と「サクラ」でも作ってあるが、使った感じではどれも悪くはないと思う。
コバ処理剤は「オーリー」の黒を使った。

相当磨いたつもりだが、写真ではその苦労がいまひとつにじみでていないのが残念である。
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花火鑑賞――スーパーエクスプレス版

2005年08月25日 | 新幹線通勤
昨夜、またまた花火を鑑賞した。

といっても前回のように計画的なものではない。
帰宅途中で思わず遭遇したのだった。

目撃地は「熱海」。
夏季期間中に定期的に開催している花火大会だった。

ただ、見たのはわずか3発のみ。
乗った新幹線が「こだま」ではなかったので、あっというまに通り過ぎたのだった。
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手縫い開始――ナイフシース作り(4)

2005年08月23日 | レザークラフト
型紙――ナイフシース作り(3)からの続き


 レザークラフトにおいて、ナイフシース作りの特徴は分厚い革を縫うことである。今回、ブレード側の縫い合わせ部分は4mm厚の革を2mm厚の革で挟む形にするので、2+4+2=8mmの厚さのものを「縫う」ことになる(ちなみに既製シースは7mm厚の木を2mm厚の革で挟んであったので11mm厚だった)。こうなると縫う過程で針がなかなか手で抜けないことがあり、その場合、ペンチで引き抜く。
布を縫うのとはまったく異なる世界なのである。
 
 針を通す穴は縫製前にあけておくのだが、これだけ厚いものになると、穴の位置あわせがとても重要になる。だから型紙にも穴を開けておいた。そして革に穴を穿つにあたり、垂直に通るよう神経を使った。
今回は糸が盛り上がらないように、ステッチンググルーバーという道具を使って革の表面に溝を切り、その溝に糸が収まるように縫っている。このナイフとシースは狩猟時の道具として野山でハードに使用することが想定されるため(収めるナイフ――ナイフシース作り(1)参照)、何かに糸を引っ掛けて切ってしまうのを避ける狙いがある。
私は「持ち歩くモノ」を作るのが好きなのだが、それはフィールドワークを想定していろいろな条件を探って設計することに面白味を感じているせいだ。

持ち歩くかどうかは別にしても、実用を伴うモノの設計って、芸術品と違って「デザイン」と「機能」が親和したり、時に闘ったりするところに醍醐味がある。その点は家でも日用品でも同じだと思う。
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型紙――ナイフシース作り(3)

2005年08月21日 | レザークラフト
既製シースについて――ナイフシース作り(2)からの続き。

ずいぶん間が空いてしまったが、ようやっと型紙を起こした。

時間がかかったのは、ハンドルとブレードの厚さの違いから、収まりに悩んだせい。そして、ちょっとクライアントを驚かせたいとおもいつつも、面白い案が浮かんでこなかったせいだ。いや、面白そうなアイディアはなくもなかったが、今回の案件は実用第一なので、採用できなかった。

で、結局、一見なんの変哲もないシースになりそうである。
ただ、工夫はある。ヒルトとハンドルのホールドの仕方と、ちょっと変わったベルト通しと本体の連結である。
既製シースの弱点2つ(前エントリ参照)も解消できると思う。

実は興が乗ってきて、型紙ができたらすぐに裁断をしてしまった。
縫製はこれからだが、うずうずしているのでここからは早いかも。

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先輩施主のアドバイス

2005年08月19日 | 家について思ったことなど
 施主となる人は住宅についてさまざまな勉強をすることになる。
 家を建て終わった先輩施主の中には、せっかく身につけた知識を無駄にしないように、新人施主に親切心からアドバイスしてくれる人もいる。ネットのおかげでそういう情報は集めやすくなった。プロ顔負けの知識を身につけた人が施主の視点で解説してくれるのはとてもありがたく、参考になることは多い。
ただ、そこには注意点がある。

それは、その先輩施主が何にポイントを置いて家を建てたのかということだ。先輩施主がある項目についてアドバイスしてくれたとしても、その先輩施主が建てた家とポイントが違う家を建てるのであれば、そのアドバイスの有用性は、先輩施主が熱心に教えてくれたほどには高くないかもしれない。
ある施主が前提条件・絶対条件としている項目が別の施主にとっては前提でも絶対でもなんでもないということだってある。
私のように、通風をかなり重要な条件と位置づけている人間もいれば、風通しは二の次という施主だっている。アドバイスの内容が風通し以外の項目についての話題だったとしても、その項目を充足するために風通しをどのくらい犠牲にできるかによって解決策は違ってくることだってある。
我が家ではデフォルトな通風状態を作れるようにドアをなくしてしまったが、部屋間の防音を何よりも重視したいと考えていたのならきっとドアを導入していたことだろう。
そのほか、「超」高気密・高断熱住宅にするのであれば、大開口のはきだし窓などは設置しにくいとか、高度な耐震性を求めるならコーナーサッシなどは避けたほうがいいとか、通風や防音、気密・断熱、耐震といったそれぞれの要素をどのくらい重要と考えているかによって、開口部の取り方は変わってくる。
逆に開口部の形状にこだわりがあって、どうしてもこうしたいという形があるのなら、他の条件について譲歩する覚悟も必要になる。
吹き抜けの壁1面すべてをガラス窓にしてなおかつ断熱性能で最高水準の数値を出せ、なんていう要望は相当に無理があることなのだ。
極端な吹き抜け・ガラス窓はともかく、高水準の断熱性能を優先する中で極力、採光や眺望、開放感を求めるのか、採光・眺望・開放感を充足する形にした中で極力断熱性能を高めるのか、をはっきりしてから設計に入らないとおかしなことになる。ましてや、前者の立場の先輩施主が後者の立場の新人施主に文章でアドバイスしたってどれほど役に立つのか疑問である。その逆の立場でも同様だ。

家を構成する要素のいろいろな選択肢において何が良い/悪いというのは施主ごとに違うはずなのに、ネット上の掲示板などでは、ともすれば一般論的に良い/悪いを判定するように議論が展開されていって、結果、ミスリードされてしまうリスクを感じることがある。

アドバイスしてくれる施主は毎回毎回自分の前提条件を開示したりはしない。それはいたしかたないことであり、読み手の方で発言者の志向・嗜好を知る努力をしなければならない。

「いい家」の条件は施主によって違うもの。先輩施主のアドバイスは背景に何があるのか注意して読もう、というのが、私の先輩(になりたての)施主としてのアドバイスになろうか。

このblogはタイトル下にあるように「ヘンなコダワリ」を持っている施主が書いている。変なアドバイスになっているかもしれないことを、注意して読まなければならないことは言うまでもない。
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お得な話

2005年08月14日 | 我が家のスペシャルな事情
今回私達夫婦は建物の登記にあたって、父から古屋部分を贈与してもらう格好にした。古屋は公的には資産としての価値はほとんど無いと判断され、行政書士によるとその税金は微々たるものになる。
だけど実際には築60年近い我が古屋は古くなっていたからこそ価値のある(と思っている)建物なので、非常にラッキーな気分なのである。
公的にはタダのような価値、しかし実際住んでいる人にとっては高い価値という場合、そのギャップが大きいほど相続・譲渡の面で有利だ。

骨董品はすごい評価になって高い相続税がかかることもあるが、家は事実上「骨董品」になっても相続時に骨董品扱いとはならない。
日本の家の短い寿命(平均30年程度)に対する反省が生まれている中、これを有効に使わない手はないと思う。

世間には「骨董品」に住むのはものずき者だけなどと揶揄する向きもある。我が家は事実ものずきなのかもしれないが、これからの住まいのことを考えたら揶揄してばかりでいいのかといいたくなる。

現在の日本の施工技術で建てる家は(ちゃんと作れば)30年しか持たない家ではない。30年という年月を経過したとき、表面的に劣化・陳腐化していると、構造的にはまだ使えるのに壊したくなってくるだろうが、劣化ではなく骨董的な味わいが出ていれば愛着を持って家を持続できる。そんなことで我が家の場合は無垢材にこだわった。

メーカー・ビルダー側が古い家を「骨董品」と揶揄しているとしたら、商売上の考えから短いサイクルで建て替えさせたいのだな、とかんぐりたくなる。それとも、どこかがはじめた「新築そっくりさん」のような全面リフォームをさせようとしているのだろうかと思う。

私達夫婦が建てた新居も、子供に相続する時、公的な資産価値がタダ同然になっていて、それでもまだまだ使えるような家であってほしい。さらに子供が孫世代に相続する時に、骨董的な風格が価値を生んでいて、それでもまだ使えるとなれば、お得感はなお膨らむ。
その間いくらかリフォームはするだろうが、家を新築しなくてすめば他の資産を膨らませることもできるだろう。

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ドアがない

2005年08月11日 | 我が家のスペシャルな仕様
考えてみたら、我が家にはドアがひとつもない。

 前の家も大半が引き戸ではあったが、トイレやベランダの出口など「ドア」はいくつかあった。
それが新居ではまったくなくなってしまった。
 設計の段階で「基本的に引き戸に」と要望は出していたものの、ドアがひとつもなくなるとまでは思っていなかった。かろうじて浴室の扉だけは引き戸ではないが「折れ戸」なので、純粋なドアではない。

 いろいろなところで語られていることだが、ドアは閉めているのがデフォルトというか普通の状態である。空間をくっきりと区切る。一方、引き戸は開けっぱなしでも閉めっぱなしでもどちらの姿でもよく、あいまいな区切り方もできる。
引き戸を開けっぱなしにすれば、大きな空間にできるし、風も通る。古来、日本の住宅で採用されている使い方である。

我が家がなんとなく「和」のテイストをかもしだしているのはドアがひとつもないせいもあるだろう。
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防犯対策

2005年08月10日 | 我が家のスペシャルな仕様
 何かと物騒な世の中となり、家の防犯対策の重要性がさけばれるようになっている。
 我が家の場合、敷地は長方形で角地であるため、2面は外からよく見える。交差点の対角にはタクシー会社があってそこには24時間誰かがいるので、泥棒がねらいにくい住宅だと思う。
 ご近所づきあいがちゃんとある区画であることも防犯上の効果は大きいはずだ。

 それでも、絶対に大丈夫ということもないだろうから、実は別の防犯対策も導入した。
それはなかなか想像できないスペシャルなものなのだが、中身は内緒である。
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「日時計」計画

2005年08月07日 | 我が家のスペシャルな仕様
 2階デッキテラスに面する外壁に「日時計」を設置しようかともくろんでいる。

 休日、日時計でわかる程度のアバウトな時間の使い方をしてみたい。
「分」や「秒」などという概念から切り離されたら、開放的な気分がぐっと高まるような気がするのだ。
デッキテラスや「涼み台」から見える位置に掲げるべく、最初から準備はしてある(写真にあるボルトに日時計を掛ける予定)。

 日時計にはいろいろなタイプがある。
鷲見洋一さんによるこちらのサイト
http://www.ne.jp/asahi/sundial/hidokei/
では、さまざまな日時計が紹介されており、精密であったり、芸術的であったり、かなり奥が深い分野であることがわかる。日時計というものに対するイメージを一変させる興味深いサイトなので見てみてほしい。

 ウチでは垂直式日時計を自作するつもり。
せっかく作るのだから、勉強してしっかり計算された正統派の日時計にしてみようかとも考えたが、やめた。もともと精度の高さを追い求めるのを主テーマにしていたわけではなかったし、家の外壁が真南を向いておらず、夕方も早い時間から「影」を利用できなくなることに気づいたのだ。冬だと14:00を過ぎるともう使えなくなりそうだ。

 で、一時期だけ使えればいいとして、単純な方法で作ることにする。
まず、壁面に棒(ノモンというらしい)を立てた盤を設置し、普通の時計をつかって影の先端位置を1時間ごとにマークしていく。時間はかかるが誰でもできる方法だ。
マークしおわったら、盤を取り外して盤面を好みのデザインで装飾する。そしてまた壁に据え付ける。
使わない時でもちょっと面白いオブジェとして楽しめるようにしたい。

 春分の日や秋分の日あたりに決行しようかと考えているが、子供に夏休みの工作として一つやらせてみてもいいかも、なんて思い始めた。

 これから家を新築する人だったら、思い切って南面の壁に一本の棒を突き出させて、影が時刻を指す部分に直接好みのタイルを貼り付けたりしたらどうだろうか。その家のシンボルになることうけあいである。
「日時計のある家」なんて呼ばれるようになったら街のランドマークにもなりそうだ(注)。


注)我が家の場合、残念ながら設置場所が外からは見えないため、「日時計のある家」とは呼んでもらえそうにない。
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完全同居――家族のスタイル

2005年08月06日 | 我が家のスペシャルな事情
 現代において、完全同居という生活スタイルに対する評判は地の底に落ちている。ちょっと昔までは逆に同居しない嫁を悪者視する風潮が世間に蔓延していた。その反動で、まるで悪事であるかのごとく語られてしまうのもしかたがないことなのかもしれない。
完全同居の若夫婦の夫として、妻に申し訳ないことをしてしまっているような気分にさせられることもある。

そんなことで最近は同居のデメリットばかり強調され、メリットの存在をまったく無視したような極端な意見まで聞かれるが、メリットだってちゃんとある。
デメリット情報は今やどこにも転がっているので、ここではメリットをすこしばかりまとめておくことにする。

経済的メリット
・光熱費、通信費、雑費など家のランニングコストを一括処理できて効率的
・食材に無駄が少ない(ただし、食の好みがぜんぜん違うとそうならない)
・住宅設備(水周り、家電製品)も無駄が少ない。

協力するメリット
・大人の手が多いと家事の作業分担ができて効率がいい
・子供の面倒。私たち夫婦のように共働きだと非常に助かる。経済的な効果もある
・子供の教育。いわゆる「おばあちゃんの知恵」も伝授できるし、情操教育効果も期待できる
・危機管理。誰かの具合が悪くなったときなど、役割を差配して乗り切りやすい
・防犯効果。複数世帯だと完全な留守になりにくい

上記にあげたメリットは、家族内にいい関係が築けないとメリット足りえないものが多い。だから、まったく相性が合わない場合はやっぱり同居はしないほうがいいと思う。

私は信頼し協力し合える関係があるのなら、構成人員が多いほど組織は強いと考えており、それは家族という組織にも当てはまると思っている。結婚するにあたって、最初から両親との同居を希望し、妻に納得してもらって生活を始めた。メリットを期待して。
ただし、たわいもないことでいがみ合うような場面が増え、協力関係が築けないようになったらすぐに両親とは別居しようという覚悟も決めていた。そうなると組織の強さは生まれにくく、しわ寄せが向かいやすい妻につらい思いをさせることになるから。

幸いにして8年ほど経過してもトラブルはなく、その後、私の単身赴任生活が始まっても、妻と子供たちと両親は問題なく暮らしていた。この間に山小屋づくりという大イベントも成功させた。

私は家を建て替える構想をかなり前から持っていたが、同居生活の継続に自信を深めることができたことで、満を持して家づくりを決行することにしたのだった。
10年以上の同居のメリットが生きたことで、その分資金も余分に貯まっていた。
 これも家族が仲良く暮らしてくれたおかげだと感謝している。

 生活のスタイルは各家族それぞれでいいと思う。あるスタイルを強制してはいけない。ただ、それぞれのスタイルの良し悪しは人の意見を聞く前に、自分の家族の性質を知った上でしっかり吟味して決めた方がいい。ある家庭ではダメなスタイルでも別の家庭ではいいスタイルということはあるのだから。
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施主がプロに勝る知識

2005年08月03日 | 家について思ったことなど
家づくりにおいて、施主のほうがプロ(設計者や施工者)を上回っている知識がある。
それは「暮らし方」に関する知識である。
その知識は施主が日々の生活で蓄えてきたオリジナルのものである。あたりまえだが、施主家族こそ最も自分たちの暮らし方を知っているのだ。

暮らし方次第でハードとしての家の形・機能も変わってくるはずだ。
ところが、ネットや出版物の世界において、住宅の供給者側は自分たちの「家」哲学・理念こそが最高だと思っているせいか、個々の施主家族の暮らし方に言及せずに「こういう家のほうがいい」と断定してしまっていることがある。
施主はこうした言説をうのみにしてはならない。参考程度にとどめておくべきだ。その断定は、筆者が勝手な施主像を描いて一般論化している結果なのである。
腕のいいプロが建てたならば第三者的にはいい家と言ってもいい家ができあがるかもしれないが、その家に住む施主の暮らし方によっては「悪くはないけどしっくりこない家になった」なんてことだってあるのだ。
例えば、私も快適な家を望んだが、重要なポイントは「外が気持ちのいい時には窓を開けたくなる(いい)家」だった(関連エントリ)。
それがもし、「窓を閉めた状態での快適さを保証する(いい)家」を建てられたら、重点がずれて、どこかしらしっくりこなさを感じていただろう。

多くの人が「いい家」と思ってくれそうな家を目指すのではなく、何より自分の家族にとって「いい家」を目指したい。そのために施主は家族の持つ「暮らし方についての知識」をプロにどんどん教えるべきだ。
そしてその「知識」には自信を持っていい。その部分はプロもかなわないのである。

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便利な道具の是非論

2005年08月03日 | 家について思ったことなど
ノアノアさんのblogエントリ「カーナビと食洗機」にトラックバック。

便利なモノを使うとき、その使う理由を自覚するという意見に同意。

道具に頼って、安易に「安きに流れる」と人間に備わっていたある能力や機能が退化または消失しかねない。ただし、合理化することによって生じた時間で別の刺激的な体験をするならば、別の能力をのばすことだって考えられる。

モノについての議論で、そのモノの持つ弊害の存在を断固完全否定したり、弊害があることを必要以上にあおって使用させないように導いたりという両極端な人々が議論を不毛化させている例をよく見る。
 是非を論じるのではなく、長所・短所、利点・欠点を洗い出し、使用を検討しているそれぞれの人間のそれぞれの理由で使用するかどうかを決めるべきだと思う。

世の中には、交通機関が発達して歩く必然性が減る一方、体力維持のためにジムでウオーキングするなんてこともある。賢い人は2駅分だけ歩く、なんてことをする。
人によって、どこかにいい落ち着きどころがあるはずだ。

便利な道具を使う意味を自覚していれば、弊害があったとしてもそれをフォローしやすいように思う。

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