家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

新年あけましておめでとうございます

2013年01月02日 | その他
謹賀新年

あらゆる変化が起き、先が読めない世の中であることは皆なんとなく意識しているように思う。
変化に乗るのも大事だけど、必ず変化に乗らなければならないということはない。
変化しないモノ・コトがあってはじめて変化の価値も推し量れるというもの。
世の中の大半が変わった時、変わってないものがかえって価値を持つということもある。
我が家の鏡餅は、毎年必ず自前で作っている。
変わらないことの価値というものを意識して。
それが正解と主張するつもりはない。「ただひとつの正解しかない」という思考に陥りたくないだけなのだ。

本年もよろしくお願いいたします。

選挙と原発

2012年12月06日 | その他
選挙が近づき、候補者たちの主張がいろんなところで聞こえるようになってきた。
私は昔から原発に否定的な姿勢だが、反原発を声高に主張する候補者の主張が信頼できないのでガッカリしている。自民党が過半数をとりそうな勢いというのが(残念ながら)納得できてしまう。
彼らの言う「すぐさま原発ゼロに」っていう主張はいったい何をしようという政策なのかさっぱり理解できない。
だいたい「ゼロ」って何なのか。
全部廃炉にするっていうこと?
廃炉にするのに何十年もかかるって分かって言っているのだろうか。分かって言っているなら詐欺に等しいし、そうでなくて「すぐにゼロ」に出来るっていうのならその人は魔法使いでしかありえない。
魔法使いなら、選挙などという審判を経由しなくていいからすぐにゼロにしてほしい。やってくれてかまわない。できるだろう魔法なら。
だれが政権をとったとしても、実際に「ゼロ」にする作業をするのは技術者であって、政治家がどうがんばっても「すぐさまゼロ」になんてできない。
人類がそういう技術を確立していないのだからどうしようもないでしょうに。

私が震災前でも原発に批判的だったのは、始めたら簡単にやめられない(止めるのも壊すのも)ということもあった。
だから、原発が実際に存在する状況における原発反対の行動は、(1)原発を増やさせない→(2)原発を減らしていく→(3)ゼロを目指す、というような段階しかとりえないと思っていた。

不幸にして大震災が起きたために、(1)はすでに実現しているに等しい。
震災前の原発反対運動と比べたら格段の進みようだ。震災前はまだまだ原発を増やす方向にあったのだから。
現状で原発を増やそうと主張しているのは確実に少数派になった。
そして自民党ですら(2)の原発を減らしていくという方向性に舵を切っている人の方が増えている。

あきれてしまうのは「反原発」の人達が、「原発依存から脱却し、将来的に原発ゼロを目指します」と(2)の方向性を明言している人に対し、「すぐさま」でないことを理由に「原発推進派」とレッテルを張っていること。
「減らす」ことが「推進」なんて日本語はこれまでに聞いたことがない。

非科学的で情緒的過ぎる「反原発」の言動が支持されていないのに、「みんなまだ騙されている」と評する人達がまたみっともない。
騙されているんじゃなくて、対抗軸として頼りにされてないと気づいてほしい。
「自分たちが正しくて周りが間違っている」っていうのはカルトの主張と変わらない。正しいはずの主張が信頼を得られない理由を自分たちの中に発見しなければ、本当のカルトになってしまうだろう。

情緒的でなく、冷静な姿勢で科学的に確実に原発依存から脱する方策を展開してほしいのですよ。ホントに。

3.11以降も変わっていないこと

2012年08月11日 | その他

3.11以降、日本人の意識は変わったといわれる。私もそう思う。
だけど、議論の仕方は全然変わっていないのが残念でしかたがない。
例えば、原発問題。
反原発の流れは3.11以前とは比べようもなく強まっている。
3.11以前から、原発には批判的な姿勢だった私だが、最近の一部の反原発論者達に同調しようとはまったく思わない。彼らの論調、論法が感心しないからだ。
原発をすぐさま停止しない政府や原発関係者を悪人のように論じる。
政府や原発関係者にも彼らなりの正義があるのに、正義からの行動ではなく、私利私欲を満たそうとする邪悪な意思による行動のように語る。原発嫌いの私とて、原発推進派が邪悪な意志を持つ存在とは思っていない。彼らは原発を動かすことによって人々を幸せにしたいと考えているのであって、多くの人を不幸にしようとして原発を推進しているわけではない。

ある弁護士の方がこういうことを言っていた。
「絶対的な正義と絶対的悪は存在しない。部分的相対的正義と部分的相対的正義のぶつかり合いの中から、社会的正義が生まれてくる」

政治家を悪人のように言う人は、その政治家が世の中を悪くしようとして政治家を志したとでも思っているのだろうか。そんな動機で政治家になる人間などいない。自分が考える正義のもとに政治家を志したと断言してもいい。その政治家の正義と自分が考える正義が違っているだけだ。
政治家の多くがTVの時代劇にでてくる悪代官と越後屋みたいな悪だくみをしていると考えているとしたら大間違いだ。また、意図的にそういう印象付けをする連中は嫌いだ。
自分なりの正義で動いている人を悪人呼ばわりして、その人が行動を改めるわけがない。
対立しても、基本姿勢は「その正義を通しても、いい世の中にはなりませんよ」と説得するべきであって、「悪人は消えろ」みたいな言い様は相手をかたくなにさせるだけだし、真の解決からも遠ざかる。

対立する相手側を邪悪なものと考えることは戦争につながる。邪悪なものを封じるためには何をしても許されるようなムードになってしまうからだ。
悪代官と越後屋を切り捨てる桃太郎侍になった気分で論を繰り広げがちな人は、結局、切り捨てないとおさまらない。
敵を邪悪な存在と位置付けて、その悪を退治するというやり方がのさばると、戦争を起こしやすい性質を国民の中に成長させてしまう。「鬼畜米英」のスローガンと同じ構造を持つ危険なやり方なのだ。

ミニビースト「カーニー」誕生

2011年01月23日 | その他

 

 学研の付録つき雑誌「大人の科学」の最新号(VOL30)の特集は「鬼才テオ・ヤンセンの世界」。昨年、VOL29の次回予告のページを見て、「付録がストランドビーストとあっては、即買いするしかない」と決めていた。 

 ストランドビースト(STRANDBEEST)とは、テオ・ヤンセン氏が生み出した風をエネルギーにして動く人工の「生物」。CMでも使われたことがあるので知っている人も多いかもしれないが、知らない人は「テオ・ヤンセン」で検索してみてほしい。ストランドビーストの動画を見れば目が釘付けになることうけあいだ。

 さて、付録はそのストランドビーストの構造を踏襲した「ミニビースト」。プラモデルのように自分で組み立てるようになっている。雑誌発売日に即買いしたものの、この週末に組み立てた。

 

小さな風車で風を受けて、12本の足が不思議な動きをする。本物のストランドビーストから見たら豆粒のような存在で、そこがまたかわいい。横歩きするので「カーニー」という名前をつけた。

 

 いろいろ遊んでいるうちに面白いことに気が付いた。まああたりまえといえばあたりまえなのだが、「位置エネルギーも動力になる」ということ。すなわち、斜面に置くと、足を動かして降りていく。風車を回しながら…。この場合、風は抵抗力として働くのでゆっくりと動く。うちわであおいで動かすより、じっくりと動きを観察できて楽しい。

 私のようにSF少年だった人にはオススメの一品です。


あけましておめでとうございます 2011卯年

2011年01月01日 | その他



昨年に引き続き、つたないお手製年賀状で年賀のあいさつとします。

私は今年も廃番製品となったプリントゴッコを使う物好き者。
昔気質の私はせっかく出すのだからと、宛名は手書き、書面もオリジナル図案で、デジタルデータ化していない年賀状をあえて作る朴念仁。
プリントゴッコの消耗品はだんだん手に入れにくくなっていて、逆に希少性があることが気に入っていたりする。


さて、今年はちょっと面白いことを始めるつもり。
よい年になりますように。

<おまけ>
縁起もので、とれたての元日風景を。



日本銀行と養生シート

2010年09月07日 | その他


 日本橋本石町にある日本銀行本店の脇の通り(通称:日銀通り)はちょくちょく行き来するが、最近、気になることがある。
 日銀の建物の窓を補修するために目張りしている真っ青な養生シートが目障りなのだ。

 日本銀行本店は明治の建築界の重鎮である辰野金吾が設計、明治29年(1896年)竣工の重要文化財である(※)。
 風格のある建物で、たまにファッション雑誌が海外の街角に見立ててモデルの背景として撮影に利用しているくらい。そういう建物に、なんでまたこんな下世話な色の養生シートを張らねばならないのだろう。

 かつて我が家の水まき用のホースの選択にあたって、ホームセンターでのホースの色揃えの悪さについて問題提起したことがあるが(関連エントリ→LINK)、その時のコメント欄でもm-louisさんからホースのほかに養生シート(ブルーシート)も色揃えが悪いとの指摘があった。
 こうして重要文化財にあわせて見てみれば、色のセンスの悪さが一目瞭然である。
 みんな不思議に思っていても一向に改善されないものが世の中にはいくつもあるが、この養生シートの色もそんな部類に属する。
 
 養生シートが多色になれば、一般人のレジャーシートにも使えるはず。
 花見の時など、場所取りで真っ青な養生シートが全面に広がって自分の仲間の場所がわかりにくいなんてことがあるが、5色ほどもバリエーションがあればずいぶんわかりやすくなるだろう。
 運動会などの学校行事でも、クラスごとにシートの色を変えたりすればクラス対抗っぽさが強調できるし、なにより華やかになっていい。

 ベーシックなものを多色展開するのが得意なユニクロのような発想をする建築資材メーカーが出てきてもよさそうなものだと思う。


(※)ちなみにGoogle Mapの航空写真で見ると日銀の建物は「円」の字になっているというのは有名なトリビアだが、竣工当時の¥の漢字は「圓」であり「円」を意識したものではないらしい。

バインダーボール+バインダーシャープ+ジョッター

2010年05月29日 | その他

サンスターのバインダーボールという文具がある。
紙を挟むバインダークリップとボールペンが一体化したものである。
メモ帳などを、カバーをつけずに使うとき、このペンがコバンザメのようにはりつくというわけ。ガジェット好きな私はすぐにこれを購入していた。
ただ、自分が使うメモは大体カバーを自作してペンホルダーまでつけてしまう(これ→LINK とか これ→LINK)ので、このバインダーボールの出番はなかなか無かった。

最近になって、バインダーシャープというシャープペンタイプが発売された。
これを機に、バインダーボールとバインダーシャープの二刀流での使用方法を思いついたので、紹介してみる。

 
 上がバインダーボール、下がバインダーシャープ


準備は簡単。バインダーボールとバインダーシャープにジョッターメモ用紙を用意するだけ。
普通、ジョッターメモは台紙のような板に挟み込んで使うものだが、それはいらない。用紙のみあればいい。
サイズは5×3タイプ(75mm×125mm)がぴったりである。
これを30枚から50枚程度重ねてバインダーボールとバインダーシャープを両側から挟みこむだけ。

  
 5×3タイプのジョッターにあつらえたようにピッタリ。
 2つの側面を保護できる。

バインダーでメモを挟み込むので紙の「押さえ」は不要。
使うときはバインダーボールとバインダーシャープのどちらかをはずしてメモをとる。片側がバインドされているので紙が分散することもない。

また、メモ用紙を素で持つので表、裏どちらも使えるという利点もある。

メモをとりやすくするために、堅い板(プラ板とかアクリル板とか)を5×3タイプと同じサイズにカットして真ん中にはさみこんでもいいだろう。

最初にバインダーボールを購入したとき、黒を買ってしまったので、色の組み合わせの好みでバインダーシャープも黒にしてしまったが、これから夏シーズンなので青と白の組み合わせで使うなんてのもありだと思う。

サンスターさんはジョッター用紙と組み合わせて販売してみたらどうだろうか。


ジョッター関連エントリ

Pさんのジョッター付きIDカードホルダー


シモキタの穴場、建築BARに行った

2010年03月06日 | その他
 先日、シモキタ(下北沢)にある建築BARに寄った。

 ネットを通じて知り合いになった朝妻さんが経営している。
 建築プロデューサーという職業を持つ朝妻さんだからこその「建築BAR」だが、建築関係の会話をしなければならないということはない。誰でも寄って楽しめるBARだ。

 様々な個性を受け入れていたシモキタという街も大手資本系列の飲食店まで受け入れた結果、以前と比べると「ファスト風土」化(関連エントリ→LINK)が進み、街の個性は徐々に失われている。その中で「建築BAR」は個性のある店として古きよきシモキタの伝統をかいまみせている。

 下北沢駅南口から3分程度のところにあるものの、駅前の喧噪から切り離された静かで落ち着いた空間。高い天井と大きな窓、2階という低層なのに夜景を眺めている感覚。このここちよさは穴場といっていいだろう。
 泥酔や愚痴には罰金をとる(もちろん洒落)というメニューがさらりと書いてあるせいか、客層もよい。
 私がいた時間にも魅力的なご婦人が2名おられた。新幹線の時間が迫ってきたのと、泥酔しそうになってきたのとで、しばし会話した後、後ろ髪を引かれつつ退店した。

 なお、開店祝いに以前私がプレゼントした手作りの手帳は来店者の自由帳として利用されていた。
 私も一言、garaikaという言葉がどういう意味がある言葉なのかという、どうでもいい知識を書いておいた。
 訪問にあたり、なかなか手に入れにくいお酒を持参し、置いてきた。建築BARは基本なんでも500円だが、あの酒を500円で飲めるところはなかなかないので、今がチャンスである(と言ってもだいぶ飲んでしまったので残りは限られている:笑)。

 さて、話はやや変わる。
 しばらく前に、弁護士BARというBARを開こうとした弁護士に弁護士協会がクレームをつけたニュースがあった。建築BAR訪問記念に今後、いろいろな専門家BARが出てくるのを想像してみた。
・医師BAR
 病気の相談や健康法の会話の場。と思いきや、婚活会場になったりして。
・看護婦BAR
 来店したとたんベッドに寝かされてお酒は点滴で注入したりする。新手の風俗産業だと間違えて入ってくる客が続出しそう。
・税理士BAR
 税金対策の相談は飲まずにやったほうがいいでしょうね。
・教育BAR
 教師や塾講師とお受験ママさんたちが集う。あまり酔えそうにない。
・理容師BAR
 またの名をバーバーBAR。酔っぱらった理髪師には頭を刈ってほしくないなあ。
・スタイリストBAR
 服装に悩む人とスタイリストの集い。これは結構いけるBARになるかも。
・コスメティックBAR
 普通のBARは薄暗い照明だが、このBARは異常に明るい。カウンターにはお酒よりも化粧品がずらりと並ぶ。ボトルキープならぬ化粧品キープができる。ただ、赤くなるのはお酒のせいかファンデーションのせいかわからなくなったり。むしろお酒抜きで新手のビジネスにできるかも。
・マッサージBAR
 お酒とマッサージで気持ちよくなって寝てしまいそう。
・課長BAR
 中間管理職しか入れない。愚痴だらけのBAR。島耕作のように、うまくいけば部長BAR、取締役BAR、社長BARへの道がある。

 なお、住職がバーテンダーをやっている坊主BARというのは実在する。しかも数件(例えば→ココ)。一方、神父BARとか牧師BARは聞いたことはない。お経と聖書とではどちらかというとお経の方がお酒を飲みやすい気がする。それは我が家が仏教徒のせいだろうか。

初日のあたる富士

2010年01月01日 | その他
謹賀新年。

2010年、元日の早朝、初日の出に出向いた。

風が強く寒かったが、その分、雲も無い快晴。
初日のあたる新春の富士を写真に収めた。
縁起もののつもりで載せる。

景気はなかなか良くなりそうもないが、家族が仲良く、明るく過ごせるよう願った。

皆様にとってもよい年になりますように。

全米が怒った

2009年03月19日 | その他
映画のキャッチコピーじゃないけど、これ↓は「全米が怒った」ことだろう。

73人に1億円超ボーナス AIGでNY州長官公表
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090318/amr0903180837002-n1.htm


私もオバマほどじゃないけどムッときたので、かつて思いつきながらも封印していた一句をさらす。

AIG あ(A)っとい(I)うまに ガ(G)タガタだ

私はかつて宣言したようにアリコなどのAIGグループの保険には入るつもりはない。
http://blog.goo.ne.jp/garaika/e/c1a5bb5cb989450a4436b9b84c8f806f


世間の非難を不服に思うAIG社員はこれ(↓英文)を読めと言いたい。
http://www.voxeu.org/index.php?q=node/2966
このblog(↓)で翻訳してくれている。
http://d.hatena.ne.jp/ryozo18/20090306/1236273368

そもそも貰いすぎなのだ。この状況下でまだ貰おうという強欲さはなんとかしてほしい。

危機対応の最先端?

2009年03月02日 | その他
迷惑メールの代名詞「SPAM」の由来となった肉の缶詰SPAMというのをご存じだろうか。米国では有名な食品である。日本でも米軍基地がある沖縄ではポピュラーな食べ物になっている。本土でも沖縄料理店とかでSPAMを使った料理メニューがあることを確認している。ただし、タチの悪いSPAM(コメント)に立腹してから私は報復のためSPAM(食べ物)を食べていない。
このSPAMを製造するのがホーメル・フーズという会社である。
現在底が見えない下落基調にある株式市場の中で、このホーメル・フーズと銃器メーカー大手のスターム・ルガー社の株価が底堅く推移している。

ホーメル・フーズの株価推移(直近3か月)↓
http://finance.yahoo.com/q/bc?s=HRL&t=3m&l=on&z=m&q=l&c=
スターム・ルガーの株価推移(同)↓
http://finance.yahoo.com/q/bc?s=RGR&t=3m&l=on&z=m&q=l&c=

また、商品市場では金(GOLD)が人気だ。
消費者信頼感指数が低落するなかでのこの状況をとらえて、米国の某アナリストが以下のように分析しているという。

「すぐに換金できる金と缶詰のSPAMを貯蔵し、銃をかたわらに地下室にこもる米国人が増えている」


世の中は徐々にキナ臭くなってきた。
日本では海外で起きるような暴動はまず発生しないので、ここまでの防衛策は必要ないと思うが、貧乏性の私が考えている危機対応策(→LINK)と似たような状況まで想定する人間が米国内に増えているとするといよいよヤバイ。
なぜなら日本と比べて米国には貧乏性気質の人は少ないと思うからだ。もし貧乏性が多かったならば、貯金もせず、収入を考えないで多額のローンを組んで家を建て、燃費の悪いクルマをガンガン乗り回し、肥満どこ吹く風の高カロリー食品をガツガツ食べるような消費性向だったはずがない。
貧乏性でない民族がそこまで意識しているとなると、貧乏性特有の取り越し苦労に終わらない可能性が・・・・・・というわけである。

最近、金・プラチナの売買を促すBookOffのメールが増えている(メールはケータイ会員になっていると届く)のも気になる。

そこまで厳しい状況になる可能性が高まっているとすると、過去のエントリ(→LINK)でリーマンブラザースを破綻させたことを安易に首是した自分の浅はかさを反省せよと言われている気分にもなってしまう。
いよいよ本当に野菜の種と缶詰をしっかりストックしなければならないのかなあ。
かといってSPAMを買うつもりはないけれど(笑)。


Doblogの障害で損害賠償請求はできるのだろうか

2009年02月16日 | その他
2月8日から、Doblogというブログサービスが障害中で、1週間以上何も見れなくなっている(2月16日22:00現在)。
このサービスを提供しているのはNTTデータというIT業界では名が知れた大手企業である。
ボランティア的にフリーソフトを供給するような個人の仕事ならいざ知らず、大企業がこれだけ長期間サービス停止状態を解消できないとは信じられない失態だ。

さて、私はこの失態がどのように収束するのか興味がある。
システム障害に関わるテクニカルなことではない。補償問題のことである。

ブログには個人の記録としての用途がある。もし過去ログが復旧できないなどという事態になった場合、運営企業を信用して利用していたユーザーは納得できるだろうか。
個人にとって勝手に日記帳やアルバムが捨てられてしまったのと同じくらいのダメージである。
そしてブログの場合、筆者だけの損害ではない。資料的価値がある記録(例えば食べ歩き情報とか)や、参考となる高い見識が盛り込まれた文章などは読者にとっても大事な情報資産であるわけだ。復元できませんと言われておいそれと納得できるものではない。
私も個人読者としてファンになっているDoblogユーザーのブログが見れなくなってつまらない思いをしている。

これが有料サービスならば、ユーザーとして「金返せ!」と詰め寄ることもできるが、Doblogは無料サービスである。簡単に損害賠償請求なんてできるとも考えにくい。

自分が被害にあったことを考えてみる。
ブログにアップするために文章ファイルを作ってから入力することが多いので、オリジナルの文章ファイルは記憶媒体に結構残っている。しかし、アップしたあとのコメントやトラックバックのデータまでは保存してはいない。これがなくなってしまったら相当に落ち込むだろう。

この障害の成り行きによっては自分のブログ情報のバックアップや、ネット上の優れた個人発の情報を魚拓などで保全するということを意識せねばならない。
そう考えると定期的にバックアップし、そのファイルを運営企業ではなくユーザー個人や第三者が保存するようなサービスが必要かもしれない。

記録、データの喪失は、ネット全体の価値を揺るがしかねない。NTTデータという会社がそれを意識できていないとは思いたくはない。時間はともかく過去データの復旧は何が何でもやるべきだ。

円錐赤鉛筆のメモリー

2009年02月07日 | その他


以前、コクヨのフリーカットメモ「Tidbit」に関するエントリにTBしていただいたビックリクスさんの「机上の楽園Blog」を覗いてみたら、「鉛筆はどこまで使えるのか?」というエントリがあった。
ちびた鉛筆をオブジェにしている身としては非常にそそられるタイトルだった。
そのエントリ文章中には「円錐になるまで使いきった色鉛筆」というさらに気をそそるキーワードがあり、それが紹介されているサイトを早速みてみた。
デイリーポータルZの企画記事「文房具じまん」↓がそれ。
http://portal.nifty.com/cs/1000yen/list/148/1.htm

たしかに円錐になるまで使われた赤鉛筆がそこにあった。ただ、なぜかその姿におもいっきり既視感を覚えた。
しばし脳内を探ると「自分はこれと同じものを以前たくさん持っていた」ということを思い出した。記憶をたぐり、保存場所を探し、目指すものを見つけた。
それがコレ↓である。

  

「ほぼ円錐」を含めて、円錐になるまで使った赤鉛筆が50本、青鉛筆が1本。
自分が作り上げたものなのに、お宝発見気分になったのは、これが15年以上前のものだったからだ。すっかり忘れていたのだ。

当時の私が所属していた職場では、赤鉛筆を大量に使っていた。紙に印刷or手書きされたデータや文章をチェックするためだ。
そんな仕事をえんえんとやっていると、ちょっとした合間に遊びの要素を交えたくなってくる。その中で出てきた「いっそのこと極限まで使ってしまえ」という発想は自分の貧乏性気質にもマッチした。
鉛筆削りで円錐になるまで削り込んだ赤鉛筆を見せて、同僚の若い女性社員に「すごーい」とか言わせては喜んでいた。私も若かった(笑)。
上司に咎められた時のために、「経費節約」という大義名分を用意してあったのは言うまでもない。

このころ他の文房具でも遊んだことを思い出す。超特大のダブルクリップに白い修正液を使って、同僚の2m近い大男の名前を書き、最小のダブルクリップに一番小さなかわいらしい女性社員の名前を書いて、さりげなく並べて置いてみたり(中学生かっ)。

平和な職場だった。
今、目の前でそんなことをしている若手社員がいたら「バカヤロウ」って言わなければならない自分の身がうらめしい。きっと笑いを押し隠しながら怒ることになる(笑)。

それはそうと、せっかく昔のお宝を発掘したので、例のオブジェとおなじようにビンに入れて飾ってみようと思う。
子供に問われたら、「お父さんの職場はとても物を大切にする職場なんだ」って答えることにしよう。

実際に職場では超厳しいコストカット指令が下されている。とはいえ、「極限まで鉛筆を使おう」って提案したら怒られるだろうなあ。そもそも電子化で鉛筆の出番はほとんどなくなっている。
アナログ文具への恋しさを感じつつも、ポメラなんていうデジタル文具を使っている自分。

円錐化した赤鉛筆を見て、さまざまな想いがしみじみとかけめぐったのだった。

    
            円錐を立ててみた図

 



ちなみに、円錐まで削る方法は門外不出としておく(笑)。知りたい人は門内に入ってくる(リアル友人になる)ように。
 

<おまけ>若き日の私はこんなのまで作っていた↓。