家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

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飾り棚でセッション

2007年02月25日 | 我が家のスペシャルな事情
 
いつの間にか、玄関の飾り棚にひな人形が飾ってあった。
母が飾ったらしい。
床の間のひな人形は娘が生まれてから手に入れたものだが、このひな人形は私の生まれる前からあり、私の祖母もつかっていたはずである。
なかなかものを捨てられない血筋はこういうものを見て実感する。
もっといろいろな人形があったのだけれど、さすがに古くなりすぎて数年前に一部を残して処分した。
ここに写っているものをみればよくわかるが、お内裏様とおひなさま、五人囃子はいいが、三人官女がひとり欠けている。
まあそんなこともあって、こんな風に並べたようである。
ちょっとセッションしているようで面白い。
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ビーチグラス――貧乏性のオブジェその2

2007年02月24日 | その他
 
我が家は地方都市ということもあって、浜辺はそんなに遠くない。クルマで15-20分も行けば到着する。
子供を連れていったとき、波打ち際でビーチグラスを拾ったのをきっかけに、ここのところ行く機会があるとビーチグラス拾いに時間を割くことがある。
金もかからず、時間をつぶすことができる。貧乏性にはうってつけのように思う。

ちなみに、貧乏性のオブジェその1は↓
http://blog.goo.ne.jp/garaika/e/e9a90ce08d6c0bb8db8d6c5a93b221d7

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利上げの行方と家づくりと相場観

2007年02月22日 | 家について思ったことなど
2月21日の金融政策決定会合で日銀が追加利上げを決定した。
これから家を建てる人や、短期固定や変動金利の住宅ローンを抱えている人は悩むことが増えてくる。
いつ借りればいいのか、いつ借り換えをすべきか、いつ繰り上げ返済をしようか…

これから家を建てる人にとっては、本当に切実な問題だろう。
具体的に進んでいる人はもう後戻りもできないので割り切って突き進むしかないが、これから計画を着手する人は簡単に割り切ることもできない。今後の金利動向をどう読んだらいいのか、難しいからだ。今がいいのか、先がいいのか、という悩み。しかも選択して、それが良かったか悪かったかの判断ができるのは何年もかかる。つまりすっきりしない。

福井日銀総裁の発言
「『極めて低い金利水準を維持しながら』という言葉を使っている間は正常化の余地が残っている。 ・・・(中略)・・・ 『極めて低い金利水準』という言葉を使わなくなるまでは正常化のプロセスだと思っていただいていい」

この言葉から読み取られること。
・ 現在は極めて低い金利水準である
・ 極めて低いということは正常化していないということである
・ 正常化のプロセスということは利上げの機会をうかがう期間が続くということ

以前も言ったが、長い目でみれば、金利が極めて低い現在はお金を借りるのに相対的に不利な時期ではないのはわかるだろう。だから、具体的に家づくりが進行中の人はそんなに悪い環境ではないと思う。じゃあ、これから計画する人はどうかというと、ここ1年くらいの間にローンを組むところまで持っていけるのであれば(長い目で見て)不利ではないのではないか。日本経済はそんなに急ピッチで利上げできるような状況にないから。
ただ、私は構想には時間をかけるべきと思っており、あわただしく家づくりをすることをすすめたくない。資金面でさほど損をしなくとも、出来上がったものに満足できなければ元も子もないからだ。

2、3年先はなんともいえないが、例えばバブル経済崩壊初期のころの金利に比べたらまだましかもしれない。最近封切りした「バブルへGO!!」という映画では主人公が1990年3月の世界にタイムトリップするそうだが、そのころの公定歩合は5.25%である。
どのくらいの長さの時間軸で捉えるかによって、ポジティブシンキングはできなくもないが、それこそそんなに簡単に割り切れるものでもない。
住宅ローン金利の変遷グラフ↓をにらめっこしてもそんなに簡単に答えは出せそうにない。
http://realestate.yahoo.co.jp/docs/myhomeguide/01_66_01l.html


これもかつて言ったことだが、実は消費税率引き上げの方がもっと恐い。
こっちは近い将来の引き上げは色濃い。この場合、駆け込み需要のリスクも気になる。
建材価格の上昇も気がかりだし、それを考えると今のうち、とも思う。
かといってやっぱりあわただしいのはすすめられない。非常に難しい。

奇想天外な方法をひとつ思いついた。
いつ建てるか決まっていなくて住宅ローンの頭金程度の資金が手元にあるのなら、ひとまず住宅に使えるくらいの成木がある山林を買ってしまうこと。(関連エントリ
山林はいまとても安いし、固定資産税もほとんどかからない。
今後もし材木価格が上がっても、山林を買った時点から材木の値上がりを気にする必要はなくなるし、材木価格が上がるようなら山林の資産価値も上がる。自家消費なので材木分については消費税率引き上げも気にならない。建て終わったら山林は売ってしまえばいい。
当然、条件もリスクもある。
・建設地へと運搬可能な場所で山林を手に入れる必要がある。あまりに遠いと運搬費が問題になってくる。
・樹種はヒノキがいいかもしれない。いろいろな箇所に使えるからだ。ただし、建材が総じて値上がりしてもヒノキに比べればやっぱり外国材のほうが安い、なんていうことは当然考えられる。
・材木を施主支給となると、とてもハウスメーカーは受けてくれない。工務店でも受けられるところを探すのに労力がかかりそう。
・木材価格は上がらないかもしれない。中国やインドなどの大人口国の経済成長によって建材の需要が高まっていくという推測はあるものの、金利が上昇して円高になって外国材が今後も安く手に入る状況も否定できない。
・山林は買い手がなかなかいない。売れなければ成木を使い切ったあとの山林の使い道を考えなければならない。
…こう書いてくると有利になるための条件は厳しいし、リスクのほうが多そうだ。
もし可能ならば、土地は買わず立ち木だけを買っておく、という手がいい。それならばメリットはさほど変わらず、リスクは抑えられる。これは意外によさそうだ。

「相場観」というものを持つことは重要だ。金利動向だけでなく、土地やそのほかのモノについても。
家を持つにあたってそういう視点を持つ人が少ない気がしている。
大学生から東京で暮らしていた私は、バブル期に東京で住居を持つのはあきらめた(やがて新幹線通勤を始めた)。私の相場観ではあまりにばかばかしい住宅価格になっていたからだ。
ゼロ金利政策のときに家を建てた。相場観としてこんな金融政策はいずれ解消されるのは間違いないので金を借りるのはいまのうち、と考えたからだ。デフレで建材も人件費も安いとも考えた。
いまのところ、自分の相場観は当たっている。バブル崩壊で住宅価格は下がったし、やはりゼロ金利は解除された。デフレも脱却しようとしている。この局面で私はお金を手に入れたわけではないが、余計な出費をしなかったことで得はしていると思う。
もちろん、相場観というのは考えていれば当たるというものではない。
人に投資を勧めるプロである証券マンがバブル期に高級マンションを買っていた。彼らの相場観が外れたのは周囲が短期売買を繰り返していたせいだと想像する。「家」という長いスパンで考えるべきものを短期的な相場観で考えたら失敗する確率は高い。
バブル期からゼロ金利解除までの期間を考えたら私は相当に長い期間にわたって家のことをそれとなく考えていたことになる。
ちなみに私の相場観では現在の山林価格は依然として安い。上がる時期に確証はないが自分が生きている間には上がるような気がしている。相当に気が長い投資になる。「投資は自己責任で」ということは一応言っておくが、そんな投資をする人はまずいないから大丈夫だろう。

自分は別に頭がいいわけではない。それなのにこのように相場観があたったのは、祖先のおかげ(もしくは導き)のような気がしている。実際祖先の住んでいた土地で現在暮らしている。気が長い性格は祖先のDNAによってもたらされたという見方もできるし。
祖先に感謝し、伝統行事( **)を大事にする、古屋も残している、それで守られているように思う。だから、古いもの、古い考えを最近の価値観を元に捨て去ることを躊躇する。非科学的に見えるかもしれないが私はそういう暮らしを続けていくことになるだろう。



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「家を建ててしまった人バイアス」に気をつけろ

2007年02月22日 | 家について思ったことなど
バイアス (「はてなダイアリー」のキーワードより)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D0%A5%A4%A5%A2%A5%B9
************************************************************************
(英:bias)、斜め、または偏りや歪みを意味し、転じて偏見や先入観という意味をもつ。心理学や社会学などの統計から一般論を導く分野で使われることが多い。
************************************************************************

バイアスがかかった意見は政治をテーマにした世界ではよく見かけ、そのバイアス自体が話題になることがある。
マスコミなど中立性が要求される業態ではバイアスは悪いものと認識されがちだが、実際は発言者それぞれに何らかのバイアスがあると考えるのがむしろ自然だ。重要なのは、情報の中のバイアスの介入具合だし、その存在を意識して読むかどうかで情報の有用度が違ってくるということだ。

家づくりの世界においてもバイアスがかかっている情報は存在する。
建築業界人が発する情報にバイアスがかかっていることは容易に想像できる。
ロコツに我田引水なものはバイアス云々以前にセールストークといっていいが、ロコツでないものも、よく読むとバイアスが存在するのが分かる。
ハウスメーカー、工務店、建築家など業態によるバイアスのほか、工法、素材・建材などにかかわるバイアスもあると実感している。

一方、施主の情報にはバイアスがかかっていないかというとそんなことはない。立場上バイアスがかかりにくそうに思えるので、むしろ気をつけて読まなければならなかったりする。
「いやそんなことはない、正直な意見を書いている」といいたい施主も多いだろう。しかしバイアスの有無というものは情報を発する人が正直かどうかは問題ではないのだ。
バイアスの存在が批判されるのは意図的にある方向に誘導しようとしたり、印象操作したりする場合で、それは正直者とは言いがたいが、バイアスは必ずしも「意図的な操作」が付随しているわけではない。実はバイアスがかかりつつもその時点で当人が本当にそう思っているから操作の意図もなにもなく、自然に主張することは多い。ウソをついているのではないし、善意を動機とした情報発信なら正直者といわれてふさわしい存在だったりする。

人は一貫性を求めるというのが心理学のセオリーらしい。
自分がそれを選択するまでは、その選択肢に対して中立性を維持していても、それを選択したとたんに楽観的にその選択肢が有利なもの、正しいものに思えてきてしまうという。それは人間には一貫していたい、一貫していると思われたいという強迫観念があるせいらしい。
だから、悪意も善意も、意図的な計算がない場合でも自分の選んだ選択肢については自然にバイアスがかかった見解を表明してしまいやすいのだ。
だから、ビジネスに関係がない施主の意見だって大なり小なりバイアスはかかっていると考えた方が情報を読み誤らない。

さて、ここまで書けばわかると思うが、施主OBである私のブログ上の情報にもきっとバイアスがかかっている。
「きっと」と書いたのは、ある程度自分でも推測がつくバイアスと自分では気がついてないバイアスがあると想定できるからだ。

<このブログで気をつけたほうがいいと自分で気がついている(笑)バイアスのキーワード>
建築家、工務店、無垢材、国産材、通風、手作り、庭、日本の伝統文化、職人、古い家、子育て

これらの項目やそれに関連する事象に関して、第三者から見たらきっと私はたいした根拠もなく楽観的観測を持ち、好意的心情で発言している恐れがある。それを意識して読んでほしいと思う。

このブログに限らず、バイアスとは、そのキーワードに直接関係する話題でなくとも発言者の思考の背後や底辺に存在して、いろいろな発言に影響していることは意識しておいたほうがいい。

家づくりを経験した人、家づくりの仕事に携わっている人で「自分の家づくりの情報にバイアスなんて一切ない」なんて言い切る人がいたらそれは、バイアスのことを勘違いしているか、人を騙そうとしているかどちらかだと思っている。

こういうことを表明するのは、私の言葉をそのままうのみにしないよう注意喚起しておいて、あとから苦情を受けないようにするせこいディスクレーマーであったりするのだが、私の正直さも背景にあることは間違いない。
そう、正直さとバイアスは同居しうるのである。


追記)
こういうの(↓)もわかりやすいかもしれない。
「確証バイアス」 Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%BA%E8%A8%BC%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9
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確証バイアス(かくしょうバイアス)とは社会心理学における用語で、個人の先入観に基づいて他者を観察し、自分に都合のいい情報だけを集めて、それにより自己の先入観を補強するという現象である。
例えばグループに一人だけAという女性がいた場合、Aが様々な行動を示していたにもかかわらず、自分が持つ女性への固定観念に合致する行動だけを特別に認識して、「やはり女性は○○である」という結論を導くといった行為を指す。
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たいがいこういうことは自分の先入観を認識せずにやってしまうから困るのである。
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知る人ぞ知る――組織について考える

2007年02月19日 | 家について思ったことなど
ハウスメーカーに比べて、工務店や設計事務所は組織としてあまりにも小さい。
その状況をもって最初から敬遠する人がいるが、理由としてはどうなのだろう。

世の中には、質の高いものを提供する小さな組織は決して少なくない。
街の片隅におどろくほどおいしいパン屋があったりする。
妙にクセになるコロッケ屋なんてのが商店街にあったりする。
小さな造り酒屋が名酒を造っていたりする。

大組織がいいというだけの理由だと、パンやコロッケはスーパーに並んでいる大手メーカーのものを食べ、酒はテレビCMが流れているものを飲み、紳士服は量販店で買うということになる。
もちろん、モノを全般に眺めれば、大手メーカーもいいものを供給している。自分の好みにジャストフィットすることだってある。
だけど、真にいいものを探すとき、最初の行動として作り手の組織の規模によってふるいにかけたりはしないだろう。
パンが好きな人はパンを探すのに、まず作っているのが大手か中小か零細か、というようなことを考えるだろうか。酒の好きな人は小さな造り酒屋の酒だって飲んでみたいと思うだろうし、オシャレな人はオーダーメイドでスーツを作ろうともするだろう。

大手は大手なるがゆえに世間一般のおおまかなニーズをはずしていない。ゆえに失敗に遭遇する確率は小さい、そんな考え方もできなくはない。
だけど大手だから失敗しないことが保証されているわけではなく、小組織だから成功しにくいわけではない。大量生産品の場合は、作り手の規模の大小が質や価格を左右することが多いが、注文住宅は総体としては大量生産品ではないのだ。
作り手の組織の規模というのは知っておく必要はあるだろうが、それは提供するものの優劣を決める最大の要素とは言えないし、家づくりの出発点から条件付けしなくてもいいことだと考える。
さまざまな理由から結果的に組織の規模が決定要素になることはあるだろうが、求めるモノの本質を考えるのがまずあって、その後にそれを提供してくれる依頼先を考えるのが素直な順番ではないだろうか。

好みの問題だが、私は知る人ぞ知る名店なんてものにそそられてしまうクチだ。それは建築業界にも存在するだろう。知る努力はしてみる価値があると思う。
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床の間とひな人形

2007年02月18日 | 我が家のスペシャルな事情
 
今年は二十四節気の「雨水」を前にひな人形を飾った。昨年は雨水が週末でよかったのだが、今年は明日の月曜日なのでまあいたしかたない。
こちらはしがない勤め人であるので平日に飾るのは難しいのである。
都合よく(?)雨が降ったのでちょうど良いと考えることにした。

こうした伝統行事になると古屋の出番となる。なかでも床の間がにわかに存在感を増す。
床の間は純粋な「ハレ」の空間ともいえる。効率性を重視する現代の家ではこうした空間を確保するのは難しい。
現代は昔とくらべるとはるかに豊かなはずなのだが、一方で昔にあった、違う豊かさをどこかに置いてきてしまっている感がある。床の間はそんなもののひとつになっているのかもしれない。

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どんな家に住みたいの?

2007年02月17日 | 家について思ったことなど
こんな表題で「家づくりホームズ」というサイトが、家を建てる依頼先について自己分析するツール(↓)を提供していたので、やってみた。
http://iezukuri.homes.co.jp/self_analyze.php
もう家が竣工してから2年も経とうとしている時期にこれをやる自分にもあきれるが、それはおいといて、肝心の結果は…

設計士派度数(※)         100point
ハウスビルダー・工務店派度数   75point
ハウスメーカー派度数         60point
分譲住宅派度数            25point
マンション派度数            7point
賃貸住宅派度数            0point

あまりにもはっきりした事実が突きつけられ、なるべくしてなったのだと納得。私の場合、古屋の存在がなかったら工務店に行っていた可能性は高いようにも思うけど。
「セルフビルド度数」がないのは業者のHPだからしかたがないか・・・。



(※)この「設計士」という言葉が一般に定着しているのはどうなんだろう。「建築士」なら資格なので「士」でいいが、設計士は資格ではない。ハウスメーカーにも工務店にも建築士はいるからこのQ&Aで「建築士」にできない理由はわかるが・・・。この場合は「設計事務所」にすればいいではないかとも思う。最近の風潮では「建築家」なのだろうが、家づくりのサイトであえて「建築家」を使ってないところをみると、やはり「『家(か)』の問題」が背後にあるのではないだろうか(と勘ぐっておく)。


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住宅における一神教と多神教

2007年02月12日 | 家について思ったことなど
宗教には唯一絶対の神だけを信仰の対象とする一神教と、多数の神を信仰する多神教がある。住宅をめぐる考え方もそんな区分けができるような気がする。

一神教が数多くある(唯一神しかいないはずなのに…)ように、住宅における「一神教」も多数存在する。
それぞれの「神」は家づくりのためにいろいろな「教義」を持つものの、コアになる「教え」については一歩も譲ることはなく、他の「教え」の方を優先することを糾弾する。
ある「神」は、自然素材の使用を最高教義とし、人工合成物だらけの家を忌み嫌う。
別のある「神」は、超高水準の断熱・気密の確保を絶対教義とし、その方向性を追求しにくい工法を邪教のごとく表現する。
また別の「神」は、ローコストこそが信者を幸せにするとして、高価格な住宅は善人を騙していると主張する。

こうした「神」の教義を布教する「教主」や「司教」は業者側に多く存在するが、それはいたしかたない。仕事に信念を持っていればおのずとベクトルが定まってくるものだからだ。
それぞれはまじめで、悪意があるわけでもなく、頼りになることも多い。

ただ私は、施主サイドは一神教より多神教的考え方のほうがいいのではないかと思う。
「神」は唯一絶対の教えを説く存在ではなく、それぞれの分野ごとに神がいる、というような…。
「自然素材の神」
「断熱・気密の神」
「ローコストの神」
「耐震の神」
「防音の神」
「通風の神」
「デザインの神」

それぞれの「神」に、どのくらい自分の家に宿ってもらうか、そんな風に考えたらどうだろう。
一番重要だと考える「主神」を意識しながら、他の「神」にもできるだけ気分よく宿ってもらう。
「自然素材の神」を100%満足させたいけど、「断熱・気密の神」や「ローコストの神」がそれでは困ってしまうから、満足度は80%くらいで我慢してもらおう。そうすれば「断熱・気密の神」も「ローコストの神」にも怒られない程度には満足させられそうだ――。そんな風に…。

絶対の教義を説く「神」を100%満足させると「いい家」になる、というような考え方に身をゆだねたい人もいるだろう。
ただ、それに忠実に従わないと「悪い家」になると考えるのは正直疲れないだろうか。
「一神教」だと「司教」たちの「宗教戦争」に巻き込まれることもある。住宅関連のコミュで「司教」よりも激しく戦う十字軍のごとき「一信者」施主の姿を見かけたりすると、私はほどほどの信心にとどめておけばいいのになあなどと思ってしまう。

そして、自分が信じる絶対神だけに認められた家しか「いい家」に見えないのはもったいない気がする。
・「断熱・気密の神」に愛でられた「いい家」があそこにある
・こっちの「いい家」には「自然素材の神」が気持ちよく宿っている
・あんまり相性がよくないといわれる「耐震の神」と「デザインの神」がケンカもせずにバランスよく同居している「いい家」がある
……
多神教的に考えればそんなポジティブな家の見方ができて楽しい。
八百万の神が住む日本の住人であれば、多神教的な考え方もしやすいのではないか。
自分がひいきにする「神」を定めておけば失敗することもないだろうし、他者に寛容にもなれる。

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不用意なTBを戒める

2007年02月12日 | その他
この前、四面背割り材のエントリを書いたら、変なトラックバックがついてきた。
そのブログは「家を売るのは簡単なんです」というしろもの。
「家を売るのに営業マン2人で102棟」なんて袖見出しが付いている。
工務店向け営業マン養成プログラムについての情報だ。たぶんフランチャイジー営業だろう。こちらのブログのエントリになんら関係のない内容である。
工務店が使うようなキーワードを多用していたせいか「検索トラックバック」にひっかかったと推測する。
私はキーワードが同一という理由だけでトラックバックする手法はブログ運営上の迷惑行為だと考えている。よってトラックバックを削除のうえ、遠慮なく言わせてもらう。

このような営業マン教育プログラムやフランチャイジー営業に乗る工務店は、少なくともこのブログを見に来るような施主の方々には向いていません。
一人の営業マンが年間50棟もかかわったら、一つ一つの仕事を余裕を持って丁寧には対応できないでしょう。
そんなあわただしそうな家づくりを私は薦められません。
そもそも「検索トラックバック」などという安直な手法をすること自体が丁寧さに欠ける組織であることを証明しているのに等しいでしょう。
どんな社名の会社か知りたければ下のURLをコピペしてみてください。
http://24toh.seesaa.net/




当事者があやまればこのエントリごと削除してあげるのでコメント欄に申告することをおすすめする。(たぶんコメントは来ないだろうけど…)。
これでまた機械的な「検索トラックバック」がついてくるかも。

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釈然としない「あるある」問題の進捗――これが住宅だったら

2007年02月10日 | その他
「発掘!あるある大事典Ⅱ」のデータ捏造問題の責任追及の進み方が釈然としない。
放送したフジテレビは当事者としてしっかりと釈明・陳謝すべきであるし、それをしないならもっと糾弾されるべきである。

この問題の構図を個人の住宅建築に置き換えて考えてみる。
例えば個人がハウスメーカーに住宅建築を依頼した場合、ほとんどは地元工務店が工事を下請けする。そして工務店が基礎工事、木工事、左官工事、塗装工事、給排水工事等々をそれぞれの業者に依頼する。
このとき、基礎工事でいい加減な仕事が発覚したとして、土建屋のせいだといってハウスメーカーは許されることはない。むしろ矢面に立つはずだ。
今回の「あるある」におけるフジテレビの立場はハウスメーカーに相当する。工務店が関西テレビとなり、その下にテレビ番組制作会社が存在するという構図。
いまのところの「あるある」責任問題は、工務店トップ相当の進退が取りざたされている程度にすぎない。
ハウスメーカーに依頼した施主に対し、欠陥工事についての謝罪・釈明が下請けの工務店によってだけなされるなら許すわけがない。ハウスメーカーの責任者がこなければ到底納得はしない。
まっとうに仕事をしているハウスメーカーはこれほどまでに明確な悪い仕事が発覚すればちゃんと責任をとる。フジテレビは視聴率トップをとる業界最大手のくせに、悪質な4流ハウスメーカーにも劣る対応しかしていない。
「あるある」を視聴していた建築業界関係者はマスコミにもっと怒りをもっていいと思う。
これが許されるのなら、耐震強度偽装問題におけるヒューザー社長も法廷で、フジテレビとどう違うのか、と訴えてみたらどうだろうか。

この問題におけるマスコミの腑抜けぶりは以下のリンクをみればよく分かる。
http://news.livedoor.com/article/detail/3011772/
http://news.livedoor.com/article/detail/3013674/
http://news.livedoor.com/article/detail/3016016/
実のところ、この記事を提供しているニュースメディアに対する私の評価は総じて低いのだが、この記事だけは人に紹介しておきたいと思った。
マスコミ業界の体質をみれば、フジテレビは本件で負うべき責任もとらずに終わりかねない。

こうしたことをちゃんとしておかないと、テレビがネットに追い越される日が近づくばかりだろう。

ps.「あるある」の書籍を買った人は出版社(フジテレビ系列の扶桑社)に「金返せ」とねじ込みにいってもいいのではないだろうか。
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「四面背割り材」とポジティブシンキング

2007年02月08日 | 我が家のスペシャルな仕様
ある程度の太さがある無垢の木材は時間が経てばどうしても割れが生じてしまうため、割れる場所をあらかじめ決めてしまう背割りというものが施されている。
普通の柱材は四面あるうちの一面に深めに背割りを入れる。この背割りがあるおかげでほかの3面は割れが出ることもなくすっきりした表面のまま使い続けることができる。背割りを入れた面はできるだけ目に触れない方向に設置するのがセオリーだ。
我が家もむき出しになった柱はこうした材を使った。旧家屋でもそうだった。
ただ真壁でなく大壁の場合は柱は壁に隠れてしまい、人の目に触れない。我が家ではこの隠れてしまう柱はむき出しの柱と違う材を導入してある。
普通の一面背割りでは長い時間を経ると一箇所の割れ部分に変化が集中し、大なり小なり断面の正方形が歪んでくることがある。それが壁に悪影響を生じさせる原因になる場合がある。最近の家で集成材の使用が増えているのはそれをきらっているという理由もあるようだ。
ところが我が家の好みと建築家の志向が集成材の使用に後ろ向き(関連エントリ)であったため、工務店の提案で導入されたのが四面背割り材。四面に浅く背割りを入れることで歪みを小さくする効果がある。原理は単純だが、コロンブスの卵的発想が気に入った。

四面背割り材を説明したサイト↓
http://www.blk.mmtr.or.jp/~kane8ito/yonmen.html

そして・・・
建築も終盤に差し掛かってきたころ、私はあるミスに気がついた。あらわしの柱(当然一面背割り)の木目を見て「うんうん」と満足げにうなずいて現場を回っていたのだが、1箇所だけ、あらわし部分に四面背割り材が使われていることを発見したのだ。
それは和室の窓の部分に露出した柱だった。この窓はかつて下記エントリで写真つきで紹介していて、当該部分は右側にすこしだけ見えている。
http://blog.goo.ne.jp/garaika/e/29fda79818506715fdd91c5df244fce1
もう壁のボードまで張られている段階で、どう考えてもリカバリなどはできないことは明らかだった。設計者のミスなのか施工者のミスなのかはわからないが、こんなものは上棟時にでも気がつかなければ直しようがない。
まあそんなことを考えたりはしたのだが、このミスはショックではなかった。露出部分は25cm足らずに過ぎない。そしてなにより四面背割り材を使用している事実自体に満足していたので、それを確認できる場所ができた、ってなものである。そう思ったほうが嘆いたり、糾弾したりするよりよほど楽しい。
むしろ子供がこの部分を見て、「なんでここだけ割れているの?」なんて質問をしてくれて、待ってましたとばかりに四面背割り材のことを説明したいなあ、などと想像したら、さらに楽しくなった。
ポジティブシンキングはしてみるものである。
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家づくり 失敗

2007年02月07日 | 家について思ったことなど
Googleでキーワード検索すると、下のほうに別の語句と並んだ「関連検索」というものが出てくる。検索者にとって対象を絞り込むヒントになっている。
検索する際の語句と語句との組み合わせパターンの件数が元になっているようだ。
例えば「メタボリックシンドローム」という言葉で検索すると、関連検索では「メタボリックシンドローム 診断基準」「杜仲茶 メタボリックシンドローム」「メタボリックシンドローム撲滅委員会」…などと続く。

で、「家づくり」でやってみると…
「関連検索」の最初に出てくるのが「家づくり 失敗」。
家づくりを考え始めた人の多くは、まっさきに「失敗」を避けようという情報収集から入るということなのか。

大金を投入するだけに「失敗したくない」という気持ちは良く分かる。実際私も失敗例から学び取ろうともしたし、その作業はやったほうがいいとも助言したい。
ただ、失敗ばかりを気にしていると家づくりはあんまり楽しくないし、自分が本当に求めているものを見失う恐れがある。
大金をつぎ込むからこそ楽しんだほうがいい、という視点を大事にしたいものだ。

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暖かい冬に考える

2007年02月06日 | 家について思ったことなど
地球温暖化が関係あるのかないのか知らないが、今シーズンは掛け値なしの暖冬だ。
当地方、ただでさえ気候温暖なので、こんな暖冬となると季節が良く分からなくなる。
まだ2月上旬だというのに庭の梅はほぼ満開。去年に比べたら2週間も早い。
縁側でひなたぼっこすらできそうな時間もある。

「暖かい冬」の前に、「冬暖かく」という高性能住宅のセールスコピーの威力がかすんでいるのではないか、などと余計なことまで考えてしまう。

そもそも人間の要望としては、寒い冬を暖かく過ごしたいのか、できることなら冬が暖かくなってほしいのか、どっちが主なんだろう。

温暖な土地で育ったのんきな私はむしろ冬にたいするあこがれのようなものがあると自覚している。雪が降ってほしいと公言もしているし。
四季があること自体が好きということもあり、やはり冬は寒くなければと思う。
だから基本的には寒い中でも暖かく過ごしたいのであろう。しかし、じゃあ家の中で夏も冬もTシャツ一枚でいたいのかというとそんなことはない。そこまでの要望は冬が暖かくなってほしいと思うのと同じような気がする。

人間の願望とは微妙で複雑なもので、変化もする。地域性や年代まで考えたら、誰もが将来にわたってすべての面で満足する家なんていうものはないのだろうと思う。
家に少々いたらない部分があっても、不満ばかりを口にするより
「そこにあるもので工夫する」
その方がよほど楽しく生きられるし、家を長く使うことにつながるのではないだろうか。
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鰯の頭も信心から

2007年02月03日 | 我が家のスペシャルな事情
 
きょうは節分。
我が家の玄関先には写真のようなオブジェが掲げられた。
これは魔よけである。ひいらぎのトゲと、鰯のにおいを鬼が嫌うのである。
「鰯の頭も信心から」ということわざはここからきているというありがたいものなのである。
信心深くもない我が家だが、こうした風習は妙に律儀にやっている。
これも季節感をかもしだす風景と思っている。
夜は当然豆まきだ。
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早く降りてしまった男

2007年02月01日 | 新幹線通勤
実は昨日、帰宅時に大きなミスをした。
最終電車に乗っておきながら、降りるべき駅のひとつ前で下車してしまったのだ。
ある人の送別会があって結構呑んでしまって寝ぼけていたせいだ。

一つ前の駅での下車といっても普通の路線ならたいした問題ではない。タクシーでも帰れるし、歩いたっていい。しかし、新幹線となるとそうはいかない。
距離といえば、いつぞやの「深夜の大遠足」時の5割増し。歩いて帰ったらきっと夜が明ける。タクシーを使ったらとんでもない額になりそう。
通勤距離の8割方以上、家に接近しておきながらビジネスホテルに泊まるのもばかばかしい。
ということで、妻にヘルプコール。
車で片道40分の距離を駆けつけてくれた。

ただし頭に角が生えていた。

こちらは40分も寒空のした冷たいベンチに腰掛けていて弱っていたのだが、ひたすら謝るしかなかった。
ダメージレベルは乗り過ごし以上だったかも。
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