家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

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トイレの話題

2013年05月05日 | 家について思ったことなど
更新しないでいたら、変なテンプレにされてしまったので、ひとつ投稿しておく。

おもしろい記事を見かけたので紹介。

懐かしき和式トイレの意外な「効能」
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0200H_S3A500C1000000/?n_cid=DSTPCS004

<一部引用>
なぜ、トイレで本や新聞を読んでいると痔になりやすくなるのか。それは、1)本を読んでいると気が散って、トイレで座っている時間が長くなる、2)トイレで長く座っていると肛門管の静脈が膨らむ、3)この膨らんだ静脈が大きな痔になる、というわけだ。

米国人の7割が1度は痔の手術をするというのは初めて聞いた。
我が家には自慢の小便器があるが、大の方は洋式なので気を付けないといけないって思った。
トイレに本を持ち込むということは日常的にやってしまっているからだ。

さらに気になった部分は↓
腰掛け式のトイレが発明されたのは16世紀で、比較的最近のことだ。そして、そもそも「我々の体はトイレで腰掛けるようにはできていない。野外でしゃがむようにつくられている」という。

で、和式トイレには意外な効能があるというハナシにつながっていく。


さて弊ブログではかつて、小便器をめぐる話の中で、男も小用時に座るか否かという論点を紹介した。
参考エントリ→(続続々?)男性の小用姿勢のモンダイ

立つ/座るというだけでなく、座るかしゃがむかという論点もあるのだとしたら、男の小用姿勢モンダイはさらに複雑になったりするのだろうか。
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家づくりブログは残しておきたい

2012年12月08日 | 家について思ったことなど
きまぐれにこのブログのアクセス解析を見てみた。
gooブログのアクセス解析はここ2年ほど、ほとんど見ていなかったので、解析内容がやや充実していることをいままで知らなかった。
それを見て意外かつ、うれしかった報告はこれ↓

昨日1番多かった検索キーワードは越屋根でした

おおお、「越屋根」で検索して覗いてくれる人がいたか、と喜んだ。

越屋根--お気に入りの家のパーツ

を見てくれたのだろうか。建築途中の姿しか出ていないのが申し訳ない。
完成後の写真もあるので興味があったら見てほしい。↓

越屋根の思わぬ効果

閲覧キーワードを見てみたら、「階段の段数」というのもあった。
その名も同じ、階段の段数というエントリを見てくれたのだろう。

ためしに、Googleで「階段の段数」で検索をかけてみたら、なんと、このエントリがトップで出てきた。8年前のエントリなのに。光栄かつうれしいことだ。

このブログ、更新をさぼっているものの、閉じてしまおうとはまったく思っていない。
家づくりというものは様々な形態があり、ただひとつの正解というものはないので、できるだけ様々な情報があったほうがいい。そして過去の情報が役立つ場合は多い。
さらに言えば、過去に現在進行形で書かれた情報(ブログ)は、現在に過去形で書かれた情報(書籍)より、リアルでためになる(はず)。
だから、家づくりブログは(更新していなくとも)できるだけ残されるべき、と考えている。
当ブログの家づくりと同時進行中にあった家づくりブログでいまだに残っているブログは残念ながら少なくなってきた。
一時期、ブログ主の間で家づくりに関して熱い議論のようなものがあったが、対抗軸的なブログ主達のブログより、私の友人のブログの方が多く残っているのは何か考えさせられるものがある。

最近はTwiiterやfacebookが流行ってそちらにシフトしているのかもしれない。実際私もその双方をやっているが、断片的な情報が流れ続けるSNSは、家づくり情報にはそぐわないと思う。
家づくりはどっしりと腰を据えて取り組むべきもので、目先のフローな情報ではなく、しっかりとストックされた情報の方が有用だ。

当ブログは昔のエントリへのコメントも歓迎しているので、現在家づくり中の人、施主予備軍の人がコメントを寄せてくれたりしたらいいなあと思っている(レスポンスが遅くなるかもしれませんが)。
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3.11と家

2011年09月12日 | 家について思ったことなど

  Blogを長いこと更新していなかった。自分自身の環境変化もその一因だが、3月11日の東日本大震災のあの津波の映像をみた後、能天気な家語りをするのに抵抗があったのもたしかだ。

 あの日から半年が経過したのを機に、その間考えたことをちょっと書いておこうと思う。 

  大災害を前にしては、個人の家は何も抵抗できない。
 津波、原発の放射能漏れ、周囲の液状化に対抗できる家なんて無いのだ。もし対抗できる家があったとしたら、それはシェルターのような家であり、平時にはまったく暮らしにくい家であろう。

 その一方、かつてあった平時の家の優劣を決めるような住宅性能差の議論も、些末で些細なことのようにも思える。
 「家の中の温度差が不快」なんていうのはなんと贅沢な心象か。そのことに不快感が抑えられないような人は、冷えた体育館で肩寄せあって過ごすことなんてできはしないだろう。
 だから、温度差を「不快」なんて強調するのはやめたほうがいい、とあらためて思った。「温度差がない家で快適」というのは否定しないが、逆は「不快」ではない。そのことについて以前、快適でも不快でもないゾーンの大事さを指摘してある(関連エントリ→LINK)。
 快適であることは喜ばしいことだけれど、だからといって快適でないことを即不快だと思うことは不幸だ。本当の不快な状況に直面した時、あまりにも弱くなる。

  性能の重要度についても考えた。

躯体の頑丈さ、耐震、免震はやっぱり重要なポイントだ。津波には耐えられないとしても、津波が到達せず、家が残りさえすれば、最低でも雨風をしのぐことができる。 

 電気、ガス、水道などライフラインが断たれた場合の強さはどうだろう。ライフライン(生命線)というくらいだから、長引けば生命にかかわる。
 何といっても水の確保が一番大事だ。雨水利用の仕組みがある家はそれを導入してない家にくらべれば多少長く耐えられるかもしれないが、大半の家は結局救援に頼らざるをえない。

 水が何とかなったとして、エネルギーとしての電気・ガスが来ないのも深刻だ。
 電気、ガスの最も重要な役割は熱源としての存在である。暖房や調理は熱源なしにはできない。ただし、他の熱源を自前で用意することはできなくもない。我が家の床下に多数置いてある炭袋は調湿を目的としているが、非常時の熱源としてある程度は頼りになる。この考え方は以前のエントリ(→LINK)で紹介したが、世間的にはもっと認知されていい性能だと思っている。同様に薪ストーブのある家の薪も有効だろう。プロパンガスの家は、その器具が損傷していなければしばらく安心だ。太陽光発電を導入している家は熱源としてはこころもとないものの、何もないよりはるかに心強い。

電気が断たれているときは、24時間換気の問題が出てくる。高性能な高気密高断熱住宅は換気が命。換気機能がなくなったら、窓を開けるしかない。私自身そんなことは些細な問題にすぎないとは思うが、高気密高断熱でない家の環境をまるで劣悪な環境のような表現をしている人々は大丈夫かしら、なんて思う。何段階も厳しい環境の避難所に避難したとたん、すぐにストレスでまいってしまいそうだ。もし大丈夫であるなら、平時に大げさに言わないでほしいものだ。 

 作家の曽野綾子が言う。

「基本的、原始的不幸――今日のような衣食住が確保されていない不幸――を体験したことないすべての人は、我々をも含めて、基本的、原始的幸福を発見する技術をもまた見失っているのである」

このたび、残念ながら東北の多くの人が原始的不幸を体験してしまった。逆に言えば、その他の人は家があるという原始的幸福がある。そのことを認識したうえで、被災地の方々に何か手助けになることをしたい。

小さなことに幸せを感じることのできる「幸福力」(→LINK)が重要な意味を持つ時代になってきたとあらためて思う。


 

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風通しがいいことの良さをうったえる

2010年10月29日 | 家について思ったことなど
 私は家作りにおいて風通しを重視したことはこれまでも何度か紹介している(関連LINK1LINK2LINK3)。
 私のような一般人の発言では訴求力もたかがしれているなあと思っていたのだが、著名人の発言を収録した記事があったので紹介する。

日経ビジネスオンラインの記事

「椎名誠さん 家族とともに移り変わる風通しのいい暮らし」より
http://special.nikkeibp.co.jp/ts/article/a0a0/106889/
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「風通しに関してだけは、業者との話し合いに僕も参加したんですよ。というのも、そのころは日当たりばかりが重視されていたけれど、僕は実地体験から風が大切なんだって知っていた。外国に行く機会が多いので、いろいろな国の家造りの工夫を見たりします。例えばバリ島の家なんか、石造りで頑丈にできているんだけれど、実に涼しい。聞いたところ、風の流路を考えて造っているからだと。そこで業者に相談して、風の縦の流れと横の流れ、両方を確保するように計算して、風の入り口を多く作ってもらった。これも成功しました。今年の夏は酷暑だったけど、わりと平気で過ごせましたよ。」

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 どうだろう。風通しに興味をもってもらえただろうか。
 最近は、一部のハウスメーカーやビルダーが自分達が建てる住宅の強みの機能を訴えるあまり、施主達がその機能ばかりに目が向かされて他の機能がないがしろにされているケースが増えているように思う。
 例えば、風通しという機能は、断熱・気密の性能をピーアールする上では不必要なので、高高住宅をもてはやす昨今は話題に上ることは少なくなっていそう。Q値はどう、C値はどうということばかりが施主とメーカーの間で会話され、椎名誠のように風通しについてつっこんだ打ち合わせはしていないんじゃないか、なんて思える。
 断熱も気密も機能として大事であることはそのとおりとしかいいようがないが、一番大事なことは各機能が高水準でかつバランスよく考えられていることではないだろうか。

 地元のTVでは、「耐震」に絶対の自信があるメーカーが、耐震以外の機能を文字通り切り捨てるようなCMを流している。
 一点強調型のブランディングなのだろうが、施主としてそうしたものに変な影響を受けて、家の機能のバランスを崩すのはいいこととは思えない。

 なお、上記記事は住宅メーカーとのタイアップ記事と思われるが、それらメーカーが風通しを重視しているかどうかは私はよく知らない。住宅を建てようと考えている人を本のプレゼントで呼び寄せるマーケティングに過ぎず、メーカー自身は記事の内容にこだわりがない可能性は否定できない。その点はご注意のほど。
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便利も考えもの

2010年05月23日 | 家について思ったことなど
 最近、夜中とか朝とかトイレに入り、手を洗う段になって失敗することがたまにある。
 蛇口のレバーを動かさず、蛇口の下に手を入れて水が出てくるのを待っていたりするのだ。
 そう、会社のトイレにある自動水栓に慣れてしまって、寝ぼけている時、つい同じアクションをしてしまうのだ。
 「それが失敗か」といわれるほどのたわいもない失敗ではある。
 ただ、もし子供のころから、自宅も自動水栓で、学校も自動水栓で、という環境で育ったら、ちとやばいかも、と思える。
 昔の蛇口を使う場面で、レバーを動かすということを知らなくて立ち往生したまま動けない子供、という場面はありえるかもしれない。
 
 そんなことを思わせる格好の映像がYoutubeにあった↓。

http://www.youtube.com/watch?v=FSIkjNaICsg

 ばかばかしくて笑えるが、このような極端なものはともかく、昔の人だったら何でもなくクリアできるトラブルがクリアできなくなっている人は増えているようにも思う。

 便利な道具はありがたいものだが、便利が当たり前になりすぎるのも考え物だ。
 
 道具や機械の原理を知っておき、素手の自分ができることは何かを意識的に考える努力をしないと、昔の人間より退化してしまう時代になったのではないだろうか。
 
 貧乏性の私は、自動水栓にしなかったことをこうしてポジティブシンキングするのであった。


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バーナンキFRB議長の家づくり

2010年02月03日 | 家について思ったことなど

 去年12月に流れていたニュースを先日知って、恐縮しつつ話題にする。

 米国のバーナンキFRB議長がタイム誌のインタビューで、自分の住宅ローンを変動金利型から固定金利型に切り替えたことを明らかにしたという。
 FRB議長といえば、日本では日銀総裁にあたる。国の金利政策の最高責任者といっていい存在の発言だから、一般人の住宅ローンの切り替えとは次元が異なる。
 いまごろ変動金利から固定金利に切り替えたということは、金利の低下局面はいよいよ終了する(させる?)と判断したとも読むことができるわけだ。
 金利の決定権を持っているといっていい存在が、こんなことを雑誌のインタビューというような場で明かしていいのだろうかと思った。
 と、このニュースを知ったならそんな読みや感想を持つ人はおそらく大勢いるだろう。

 周回遅れの私がなんでこれを話題にするかというと、3年以上前の2006年6月17日の「日銀総裁の家づくり」というエントリで、日銀総裁と村上ファンドの問題に絡んで、「日銀総裁は取得した資産ばかりでなく、住宅ローンなどの個人負債も情報開示すべきではないのか」という指摘をすでにしていたことを自慢したいからである。
 あの時期、中央銀行総裁の資産の開示に言及していた人はいても、負債の開示に言及していた人はほかに見かけなかった。それが今まさに負債の開示について問題提起される事態が起きたのだ。ちょっとは自慢もしたくなる。

 中央銀行総裁の資産・負債の動向は、ある意味インサイダー情報といっていい。タイムリーに開示されるべきではなかろうか。
 遅れて話題にしてなんだが、世間ではもっと騒いだほうがいいと思う。
 このバーナンキ発言について、日本の大手マスコミが報じていないため、私はすぐに気づかなかった。それもなさけなく思う。報じられなかったのは雑誌ネタを取り上げないという硬直的な新聞社体質も原因になっているかもしれない。
 そうやって一般人の情報取得の軸足は、硬直的なマスメディアから無手勝流のネットへと移っていくのだ。

 それはそうと、家づくりを考える人がタイミングを推し量るのはますます難しい局面になってきた。デフレ・低金利の今は悪くない時期のようには見えるが、景気動向を考えると・・・。
 私はもう建ててしまったので、そういう悩みをしなくていいのが救い。ローンの返し方をどうするか考えるくらいで済む。
 この先、ハイパーインフレがきたりするならば、ローンの前倒し返済はしないでおいたほうが得(固定金利型の場合)なので、今後、バーナンキ議長が住宅ローンを前倒し返済した・していないというような情報開示はぜひタイムリーにお願いしたいところ。
 はてさて白川日銀総裁の個人情報はどうなのだろうか。もし白川総裁が住宅ローンを組んでいたら、そのローンの窓口となっている銀行関係者は、すばらしい情報の第一次取得者となれますぞ。

 
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インフレと持ち家についての怠け者による推論

2009年11月19日 | 家について思ったことなど
 ちょっと前の話で恐縮だが、勝間和代氏が管国家戦略室担当大臣にデフレ脱却提言をして以来、インフレについての是非論がところどころで盛り上がった。

 ぶっちゃけ、どちらにすべきかなんて私にはわからない。
 ていうより「毒をもって毒を制す」みたいな、悪さの質が違うだけでどちらも悪いなんてこともありうる話ではないかというふうに思っている。現在はデフレなので、実体験として「悪さ」を実感できるから、リアルに実体験していないインフレの方に目を向けたくなるということもあるだろう。

 いずれにしろ、どうしたらいいのか提言する実力のない人間が議論に参加するのは無意味なので、インフレということにスポットが当たったことをきっかけに、家づくりの観点からざっくりと状況認識してみることにする。

 私は物事を考える時、よく時間と確率を大づかみに意識する。
 4年前、家を新築する時に考えたのは、「今(←当時のこと)はデフレだ」ということ。そこから「デフレはいつか終わる」という考え方に遷移した。デフレ時は建築資材が安いわけで、「ある意味、家を建てるチャンス」という風にとらえた。
 その後いったん建築資材が高騰したので(関連エントリ→LINK)自分の判断に自信を持った時期があったが、結局それは中国の北京オリンピック需要が影響していたにすぎず、今はまたデフレ状態に戻っている。したがって自分の選択が必ずしも正解だったとは言えない状況にある。
 ただ、少なくとも現時点ではっきり言えるのはデフレ局面がさらに長く続いている、という事実。
 ということは今後、インフレが訪れる確率は次第に高まっていくと考えることができる。なぜなら未来永劫デフレが続くわけはないのである。インフレではない期間は相当長くなっている。時間の経過は確率を高める方向に働く。
 むろん世界情勢や経済政策次第でどうともなり、それを分析もしていない怠け者による単純で荒っぽい推論ではある。確率と称しながら数値で表すことすらできない。
 しかし、目先のことは予見しにくいが、長いスパンで起きることは予見できるということがある。たとえば、今後一年間で大地震が起きる予測はしにくいが、今後一〇〇年間だったら、どこかのタイミングで大地震が起きそうだと考えられるわけである。
 インフレ、デフレは地震と違って人為的所作による影響はあるものの、自在にコントロールはしにくい点において自然災害と似たように考えてもいいと思う。

 さて、個人としての立場で気になるのは、リタイアして年金と貯蓄に頼る生活に入ったときのインフレだ。
 持ち家はインフレとなったときは賃貸より有利だ。人口減の局面で土地の価格高騰は考えにくいものの、その他の物価が高騰したら、大家はたまらず家賃を引き上げるだろう。
年金生活で家賃が上昇するのはつらい。その点、家賃を支払わなくともよい持ち家ならインフレヘッジになる(ただし、その時点で住宅ローンを払い終わっているか、固定金利のローンを組んでいる場合←コレ重要)。

 自分の残りの人生の長さを見つめると、デフレが終わり、インフレが到来する局面がくる確率は、そうでない確率より高いと判断する。そしてこの家の寿命はおそらく自分の寿命より長い。引き継ぐ家族まで含めたら、どこかで必ずインフレに遭遇するといってもいいのではないか。
ということで、やっぱり「自分の家を建ててよかった」と納得している次第。



<注意書き>
・わけのわからないポジティブシンキングが得意なブログ主なので(関連エントリ→LINK)、意識して読むべし。

・ついでに、このエントリはブログ主による、認知的不協和の逓減的行動であるかもしれないこと(関連エントリ→LINK)も意識すべし。

・こんなことまで妄想することも、私にとっては家づくりを楽しむことの一環である(関連エントリ→LINK)。

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UMEZZ HOUSE 楳図邸の全貌があきらかに

2009年09月29日 | 家について思ったことなど
 
これまで漫画家の楳図かずお邸について何回か書いてきた(LINK)身として、これは紹介せねばなるまい。
UMEZZ HOUSE」という本がそれ。
写真家の蜷川実花氏による楳図邸写真集である。
9月30日発売というふれこみだったが、私は28日に某大手書店の店頭で見た。

竣工前から一部の周辺住民から訴訟をおこされるきっかけとなったのは外観だが、植栽もあって問題になるほどのどぎつさも無いことがわかる。
またその外観の写真はちょっとしかなく、多くのページをさいているのは内観だ。赤白チェックの床、同じく赤白の縞模様の特注スリッパ、巨大ステンドグラス・・・
むしろすごいのは外観より内観であることがよくわかった。ここまで自分のキャラを押し出した家はめったにないだろう。これはまさに芸術家が住む家だ。
ここまでいけば、後に文化遺産的な扱われ方をされるかもしれない。
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(続続々?)男性の小用姿勢のモンダイ

2009年09月29日 | 家について思ったことなど

当blogでは男性の小用モンダイについて過去何回かとりあげてきた。
トイレ自慢――男性_限定
小用姿勢の問題を解決する便器

最近、TOTOが男性の小用スタイルについてアンケート結果を公表していた(↓)ので再び話題にする。
http://www.toto.co.jp/tips/tidbit/toilet/019.htm
 
調査内容は
 ・洋式便器に向かって立って
 ・洋式便器に座って
 ・和式便器に向かって立って
 ・和式便器に座って
 ・和式便器に取り付けた便座に座って
 ・小便器で
 ・その他
の選択肢から選ぶようになっている。
このうち、「洋式便器に向かって立って」が1位(57.2%)ではあるものの、5年前と比べると8%ほど下がっている。
台頭してきているのが「洋式便器に座って」派で、なんと5年前の23.7%から33.4%と10%分も上昇している。
私にとって深刻な(笑)モンダイは30代の小便器率が突出して低いことだ。↓

  

30代といえば施主適齢期と言っていい年代。この人たちが新築する家に小便器はほぼなくなっていると推測できる。「家庭内小便器保護の会」会員としてはこの状況を憂うばかり。
 「立ち派」が肩身の狭い思いをする時代がひたひたと近づき、そのあかつきには「立ち派」最右翼にいる小便器設置族は古代人扱いされるかもしれない。

いや待て、和室がなくなって希少性という魅力が増してきているように(関連エントリ→LINK)、家庭内小便器の希少性は逆に光り輝くかもしれない、そう思うことにする。


ちなみに、立ちでもない座りでもない第三の選択(→LINK)は、いくら希少性があろうとも永遠に脚光が当たってほしくはない。

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プライバシーの日にプライバシーを考える

2009年09月28日 | 家について思ったことなど
9月28日は「プライバシーデー」らしい。
http://ranking.goo.ne.jp/column/article/2/615/

現代の家は過去の家に比べるとプライバシーを守る機能がかなり強化されている。
基本的にプライバシーは重視されるべきことなのでこの流れは自然ではある。しかし家の外部に対してはともかく、内部の家族間のことを考えるとプライバシーの確保はほどほどにしておいたほうがいいこともある。

たとえば、ひきこもりの増加などは子供のプライバシーを確保しすぎたことが一因(主因とはいわない)になっていると思う。
昔の家の間取りは、ひきこもろうにもひきこもりにくい構造だった。部屋が引き戸でつながり、部屋が通路になることも多いので、いやが応にも開けて使う時間があった。そんな場所では物理的に長期間ひきこもることができない。
そういう家で育つと、そもそもひきこもろうという発想自体が生まれにくくなる。何かから逃避したい場合、短時間押し入れにこもるか、短時間で解決しないなら家出という手段になるだろう。

現代の家には子供用の個室があり、そこに鍵もつけたりする。これではプライバシーの面では完璧だろうが、親にしてみたら子供が部屋の中で何をやっているかわからない。
場合によってはテレビやパソコン、冷蔵庫まで常備したりする。これで携帯電話を持っていたら、その部屋単体でほぼ生活を完結させることが可能になる。
別にそうしたからといって必ずひきこもりになるわけではないが、ひきこもりが可能な環境を用意してしまっているのである。子供が現実逃避したくなった時に、目の前にひきこもりできる環境があったならば、そういう選択をしてしまうことはある。

じゃあ、昔の家のように全部が見えるようにしたらいいともいえない。
子供にだって親に知られたくないことだってある。特に年頃になればそういうものは増えてくる。そのプライバシーは守ってあげるべきだ。
だから我が家も子供の部屋は作った。収納もあるので工夫次第で親に見られたくないものも隠せるだろう。戸をしめればプライバシーが守られた空間にはなる。
共有空間であるワークショップ欄間でつながっているので、光や音によって気配を知ることはできるが、直接見えるわけではないので最低限のプライバシーは守れる。
勉強したり、パソコンをいじったり、お菓子をたべたりする時はワークショップでやるようになっている。

長期間他と接触しないですむような環境は成長過程にある子供に提供するものではないと思っている。
「もう少し自分の部屋のプライバシーを強化したい」と渇望するくらいが子供にとってはちょうどいいと思っている。その方がプライバシーの価値を真に理解できる。食べ物の真の価値を知るのは空腹になる機会が必要であるようにだ。
また独立心を養うためにも、完全に自分の思い通りになるプライバシー空間は自分の力で勝ち取れと教えたい。社会においては、プライバシーが守られる空間や時間は何の努力もなしに取得できるものではないのだから。


※ 過去の記念日シリーズ
トイレの日
ガスの日
畳の日
ふきのとうの日
禁酒の日
いい夫婦の日
いい石の日
あかりの日
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「正解主義」と家づくり

2009年09月08日 | 家について思ったことなど
藤原和博という人がいる。
リクルート出身で、後に民間人から公立中学校の校長となったような変わった経歴を持つ人物である。
住宅に関連して「建てどき」という本を書いていたりする(以前、「インパクトのある家のパーツ」というエントリで触れたことがある)。

日経ビジネスオンラインにこの藤原氏のインタビュー記事が載っていた。
家づくりの話ではなく、人材論である。ここで「正解主義」なる興味深いキーワードが登場する。

日本をダメにした「正解主義」の呪縛を解け
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090907/204164/
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藤原 最近、すぐに答えを求める人が増えているけど、その背景には正解主義があると思う。よく学校では「わかった人だけ手を挙げなさい」と言うでしょう。わかった人のうち、さらに自信があるやつだけが発言を許されるわけでしょう。その瞬間に、ほかの子は思考が止まっちゃうんですよ。

(中略)
人生には正解はない

このように、日本の教育界は常に正解を求める正解主義でやってきました。この中で10年、20年と育てられた子供がどうなるか、というと、常に物事には正解がある、と思ってしまうよね。今の若い人はほとんどがそのように思っている。30代、40代の人だって、人生の中に正解があるに違いないと思っているよ。

 だから、変な自分探しをするんですよ。自分にとって、絶対、正解の会社がある、自分にぴったりな仕事がある、とかね。でも、そんなものはあるわけがない。

 自分も変化するし、相手も変化する。人生はその中でのベクトルあわせじゃないですか。仕事にしても、普段のベクトルあわせが本質なのに、正解があると思っちゃうわけよ。これは結婚の問題もそうだと思うよ。いつか正解が現れると思っているうちに、潮時を逃してしまう、というみたいにね。保留しちゃうんだよ。
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この記事には家づくりのことは一言も出てきていないが、私のほうで家づくりと結びつけて考えてみた。
というのも、家づくりの世界でもこの「正解主義」がはびこっていることが思い起こされたからだ。

私は、はっきり言って家づくりにおいて唯一無二の絶対の正解などないと思っている。
施主それぞれの前に様々な「解」が考えられて、ベストに近い解、ベターな解、ワーストに近い解等々のたくさんの解が散らばっているとイメージしている(関連エントリ→LINK)。
ベスト、ワーストなんていってもそれぞれの解を採点する評価軸は多岐にわたっている。仮に点数をつけるにしても採点者によって変わってくるような解の群れ。論文や小説の採点・評価をイメージするといいかも。

ところが、一部の家づくりのプロによる指南においてはそうなっていない。そこでは正解と不正解しか示さない。
自分の勧める方法が唯一の「正解」であるように語り、ベターな選択肢の存在を無視し、その「正解」以外は劣悪な「不正解」みたいな論調。
そして、正解を選べないと一生後悔するような言い方をする。

藤原氏が言うように「人生に正解はない」。
これは実感できる。今自分が就いている仕事は唯一無二の正解かと自分に問うても自信はない一方、不正解とも言えない。
いい方か悪い方かと問われて、いい方と思えれば理想としての正解に近く、悪い方に思えれば遠い。そんなふうに正解への距離をイメージするものではなかろうか。たった一つの正解などというものはない。家も同じことだと思う。

人間だから選択を間違えることはある。しかし、間違い方にもいろいろある。
「最良のものを選んだつもりが、もっといいものがあった」
という間違いと
「最良のものを選んだつもりが、最悪のものだった」
という間違いでは、深刻度合いはまったく違う。
また、補強したり修正したり運用を工夫したりすることによって選択の失敗による影響を軽微なものにできることもある。
その時点で間違った選択をしても後になって結果オーライだったなんてこともある。

一つの「正解」だけを示し、それを選択した人だけが幸せになり、そうでなかった人は悔やみ続けることになる、そんな家づくりの「正解主義」を唱える人に振り回されることこそ不幸だと思う。

自分にとってのベストな解を探すことをまず努力する。そして後からでも修正や手を加えることでベストに近づけていくことは可能、そう考えたほうが幸せに過ごせる。

最初の選択というプライマリーばかりを重視する風潮(関連エントリ→LINK)も「正解主義」の一面を表しているように思う。
依頼先を選んだ時点とか、竣工時のスペックだけを見て正解・不正解を判定する。そして「正解を選んだ」と安心してしまったあとは思考停止してしまう。いい大学や大企業に入っただけで「正解」と考えてしまうことに似ている。それは決して人生の正解と同義ではないのに。

正解を選ぶのではなく、正解を作る――人生も家も家庭も、基本的には「作る」心構えで取り組むべきものだとあらためて思う。
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和室についてのポジティブシンキング

2009年09月03日 | 家について思ったことなど
昭和の半ば生まれの私が学生だったころは、ワンルームマンションも普及しておらず、下宿・アパートといえば和室ばかりだった。フローリングの洋室の物件だったりすると、それはおしゃれに見えた。
当時、和室はありふれていてつまらないだけではなかった。
時代遅れ的ムードを埋め合わそうとしてなのか、妙なアレンジをして失敗している例が多かった。
私が最初に住んだアパートは変な模様の壁紙が張られていた。その模様は畳や鴨居、天井とまったくマッチしていなかった。そして畳部屋なのにいきなりドアでトイレとつながっていた(割安物件のため、やむなく入ったが・・・)。
友人の部屋を見ても、和室なのに照明は未来的デザインとか、ちぐはぐな洋風のカーテンとか、おしゃれ感はまったくなかった。

さて、日本の21世紀は様変わりしている。1K、1DKあたりの間取りでは全部がフローリングだろう。2DK以上でも和室が存在しない家のほうが大半ではないだろうか。
ダサいイメージの和室を敬遠する若者と同調するように供給側もフローリング化を進めていったのだろう。
そんなこんなで、いまや都市部の住宅(特に賃貸住宅)では和室や畳はめずらしく、フローリングのほうがありふれたものになってきている。

これは逆に和室にとってのチャンスだ、と思う。
ありふれたフローリングの部屋より、正統派の和室のほうが希少という面でおしゃれ度のポイントが高い。
もし目の前に和室があったなら、かつてのように、わけのわからない洋風テイストを盛り込む方向ではなく、和を深める方向で「洋モノ」を排除したら、すぐに落ち着いたおしゃれな空間にできそうだ。
むろんフローリングの洋室は洋室なりのおしゃれな空間にはできるのだけれど、洋室自体がありふれている現在、他と差別化するにはそれなりのセンスと努力を要する。一方和室は存在が希少になってきているがゆえにちょっとしたことで付加価値がつきやすくなってきている。
和柄や漢字のTシャツが定着しつつあるなど、「和」のクールさが見直されている時代。和室を持っていることを誇らしく語れる日は近いかも。

例の「畳ビズのうた」を展開した全国畳産業振興会もいろいろと活動しているようではある↓。

畳の復権目指せ 市場開拓プロジェクト進行中 (産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090901/biz0909011307009-n1.htm

目新しさを狙うのもしかたがないのだろうが、少数派になっていることを逆手にとって正攻法で畳空間の粋さを訴えるのもやってみたらどうかと思うのだが…
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「スムストック」的なやり方では・・・

2009年06月19日 | 家について思ったことなど
住宅は長寿命であるべきという意見には賛成である。だから政府が「200年住宅」なんて大げさなキーワードで優良住宅を普及させようとする試みにも、陰ながら応援するスタンスで発言してきた。
 関連エントリ 福田新政権の住宅政策に期待?

昨年、そうした政府・当局の方針に沿って、ハウスメーカー9社が「優良ストック住宅協議会」なる組織を発足させている。住宅の長寿命化に有効であればいいことだとは思うが、その内容を見て、将来これが長寿命化のためのスタンダードな基準のようなものになっていくのはどうかと思った。

優良ストック住宅協議会は、「スムストック」というブランディングでストック(資産)になる家を推進しようというものだ。
詳しくはHPを見てほしい。
http://sumstock.jp/assessment/index.html

スムストックの査定は、スケルトンとインフィルを分離して考える、というのを特徴としてあげている。構造であるスケルトン(骨組み)と内装や設備であるインフィルは耐用年数が違うというのは納得している。スケルトンの寿命はインフィルより長いというのはおおむねそうであることも理解する。インフィルの劣化によってスケルトンの状態が無視されて取り壊されて寿命が短くなっている例が多いのも事実。だから分離して考えるということは賛成だ。

しかし、劣化という視点でしか物事を考えていないことが気になる。私は成熟・円熟という視点が住宅を長寿命化させるのに有効だと考えているからだ。
経年変化には劣化と成熟の双方のベクトルがある。年を積み重ねて衰えることは当然あるが、年を積み重ねて魅力が増す要素もある。
劣化・衰えという尺度でのみ、住宅を判定するのならば、いくら「優良」のお墨付きをもらっても住宅の長寿命化には大きな効果はないだろう。なぜなら同じ優良住宅どうしを比べたら、築年数の若い住宅のほうが古い住宅より常に高い評価になり、年を積み重ねることによって相対的な劣等感が強まり、家を建て直したいという動機につながっていくからだ。
それでは、築年数の大きさを引け目に感じる現時点の住宅事情と変わらない。
欧州のように、築年数の大きい家に住むことが誇りに思えるようにならない限り、日本の住宅はいつまでたっても全体としては長寿命化できないように思う。
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うがった見方をするならば、化学系素材を多用しているために価値が増す方向で経年変化しにくいインフィルの作り手にとっては、現実的な長寿命化策ということなのだろう。劣化したインフィル部分を取り替える継続需要も見込めるわけだから。

私は古い建物に住むことに誇りを持てるようになるために、美しく経年変化する素材のことを無視してはいけないと思う。価値を積み重ねて経年変化したインフィルが目の前にあるなら、それを保持していることに誇りが持てる。
経年変化によって高まった価値は計算できないから評価しにくい、という反論はあるだろう。しかし計算はできなくとも、長寿命化に有効に働く要素であることに間違いはないのだ。
私は、将来長寿命化しそうな新築住宅を優遇する前に、実際に長寿命となった既存の長寿命住宅を優遇する制度を導入すべきだと主張しているのである。
 関連エントリ 200年住宅を普及させる実効的な案

新築時にあらかじめ計算はできなくとも、長寿命化したことを結果として実証しているわけで、長寿命化への貢献に報いることはまったくおかしなことではない。長寿命化した家をグルーピングしてみれば、きっと経年変化したインフィルがいい味を出している住宅群もあるはずだ。

新築時にスムストックというブランド付けするのに反対まではしないが、そんなことより、築50年でもまだちゃんと使える住宅かどうかを査定して優良住宅としての称号を与えるほうが住宅の長寿命化に効果があると思う。
そのような称号をもらった住み手は古い家に住むことに誇りが持てるようになるし、作り手の方にもメリットがある。「我が社が50年前に建てた家が優良住宅に認定されました」っていうのは施主予備軍に対して訴求力のあるキャッチコピーになるはずだ。
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エコポイントへの疑問とエコ紙幣の提案

2009年05月15日 | 家について思ったことなど
本日(15日)から、省エネ家電を購入すると付与されるエコポイントなる制度が始まった。

この手のエコって何か変だと思う。
例えば、夏に省エネエアコンをガンガン使う人が、できるだけ団扇で過ごす人よりもエコ行動として優遇されるなんて構図はおかしい。
エコに最も貢献するのは、できるだけエネルギーを消費しないことのはず。エコを推進するとき、エネルギーを消費する便利な製品に頼らない生活をする人が無視されていいとは思えない。
200年住宅のときにも言ったことだが、エコに効果が大きいのは、エコ製品を購入することを推奨することよりも、結果的にエコな生活をしたことに対して恩恵を与えることだろう。

エコへの実効性を考えるのならば、一人当たりの消費電力量が少ない世帯にエコポイントを付与するような制度にしたらいいのではないかと思う。
そうすれば省エネ住宅とか省エネ家電を導入する契機となるうえに、暮らしの工夫や質素さによって省エネ生活をする人にまで恩恵がある。

さらにエコを前進させるなら、CO2を吸収する効果のある山林の購入・維持に対してエコポイントを付与したらどうだろうか。
老成木や荒れた山林の場合、CO2吸収効果はあまり期待できないから、樹齢の若い山林や、管理(間伐、枝打ち、下草刈り)が行き届いた山林ほどポイントを高くするといい。
用途が限られる家電のエコポイントと違って、こちらのエコポイントはお金と同様に何にでも使えるようにする。いわばエコポイントではなくエコ紙幣にするのだ。
自らの活動によるCO2の発生量を減らすのではなく、他人が発生させたCO2までも減らすという貢献をするのだから、そのくらいの優遇をしてもおかしくないと思う。

このような制度が導入されれば、山林が荒れるのを防ぎ、衰退する林業の活性化につながる期待も持てる。補助金のような形で林業を保護するより、エコに貢献しているという誇りを持たせたほうがやる気がでてくるはずだ。

世の中にエコ紙幣の流通量が増えてくれば、それに比例してCO2も減ってくることだろう。



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楳図かずお邸の内部ご拝見

2009年03月20日 | 家について思ったことなど
私は楳図かずお邸ウオッチャーだったはず(LINK1LINK2LINK3LINK4)なのだが、ここのところ怠けていて工事差し止め訴訟の判決確定時もエントリを立てていなかった。
ちょっと反省して、先日見つけた楳図邸内部の情報が公開されているサイトを紹介しておくことにする。

たけくまメモ
1:http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-4481.html
2:http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-4940.html

それだけで一軒の家が建てられるほどのステンドグラスとか、数百万のイタリア製のカーテンとか、とても一般人には真似できないけれど、訴訟の種となった家の配色はそんなにドギツイわけでもないようだ。

竹熊氏によると、家そのものが「まぎれもなく100%楳図作品」とのこと。
建築家の「作品」たる家ではなく、施主の「作品」たる家。
思いが込められている家はどのような建てられ方をしても「作品」と呼んでいいのだろう(関連エントリ→LINK)。

すでに吉祥寺の観光名所になっているらしい。
ランドマーク的な存在と位置づけられれば、むしろ感謝している近隣住民もいることだろう。

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