家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

エルメスより先んじる

2006年08月29日 | レザークラフト
インプレスのケータイWatch「本日の一品」では、エルメスがポストイットホルダーを売り出したことを紹介していた(8月25日付)。

以前、自作のポストイットホルダーのことを書いたが、エルメスより先に自分で作っていたことが分かり、ちょっと誇りたかったりする。
しかもこちらはペン付き、台紙付きである。

ちなみにエルメスの製品は1万5000円。
さすがの価格設定である。こちらはその3分の1でも出してくれたら大喜びで作ってしまうだろう(当然エルメスのような高級な素材・技術にはならないが)。

実はそのペン・台紙付きポストイットホルダーを1つ受注しているのだが、やさしいクライアントに甘えてまだ手をつけずにいる。
これを作って紹介したら引き合いがくるだろうか。



余談:
ポストイット関連では、かつて「ポストイットとペン付きの携帯電話ケース」なんてものも作ったことがあった。
知人・友人の間でもけっこう評判がよかったが、その評価は自分も仲間も錯覚が混じっていた。

「電話中にメモをとりたいとき、ポストイットとペンがケースに付いていれば便利」というのが製品開発コンセプトであった。
これをそのまま読むと、たとえば歩きながらポストイットがくっついた携帯ケースを片手にメモを取れるような気がする。
しかし、よくよく考えてみると、携帯電話をかけているときはすでに電話を持つために片手を使用している。
もう一方の手はペンを持つために使うのであるから、ポストイットがついたケースはどこかに置いて使わざるをえないのであった。
すなわちどこかに立ち止まらなければ使えないわけで、見かけほどモバイルではなかったのである。
こっちのほうはエルメスが追随することはなさそうである(笑)。


さらに余談:
携帯電話を新しくしたことをきっかけに、またケースでも作ろうかと考えているのだが、
「小型マルチツール付き」にしようか、「真のおさいふケータイケース(つまり小銭入れ付き)」にしようか、思案中。
こういう思案が極私的な商品開発の楽しみでもある。

築200年の家で暮らしのプロセスを楽しむ人

2006年08月25日 | 家について思ったことなど
少し前、BSのどこかの局の番組で見て知ったのだが、築200年の武家屋敷に住む松場登美さんという方がいる。
松場さんは(株)石見銀山生活文化研究所の所長で、デザイナーである。群言堂というブランドを立ち上げて商品を開発している。
服飾のデザインというより、暮らしのデザインというコンセプトで、なかなか味わいのあるモノを提供している。

その番組では松場さんの暮らし方を紹介していた。
生活する武家屋敷には立派なかまどがあり、松場さんはそれをしっかり使って炊飯していた。プロセスを楽しみながら。

かまどでご飯を炊く、ということについて普通の人はどのように感じるだろうか。
出来上がったご飯が電気炊飯器のご飯よりおいしいということを知っている人はけっこう多いだろうが、出来上がるまでのプロセスについては「面倒」「手間がかかる」「時間がかかる」というマイナスイメージが思い浮かぶのではないだろうか。
ところが、松場さんは楽しんでいる。
釜のなかがどうなっているか想像し、だんだんとおいしそうなにおいがしてくることを喜ぶ。火加減の調節など作業自体をうれしそうにやっている。

現代は、暮らしにおいても効率性が重視されて、時間がかかること、手間がかかることを排除していく方向にある。
その結果、時間を有効活用できるということになる。しかし、その一方で「楽しめる工程」まで一緒に排除してしまっているのではないかと思う。

家事に追われるということはよく言われることだが、家事の中には自分が楽しめる要素が含まれているものもある。時間、効率という側面だけ考えてすべての家事を極限まで簡素化するのはもしかしたら精神を豊かに保つという面で損しているのかもしれない。
同じお茶を飲むのでも、ペットボトルのお茶を飲むのは手っ取り早くのどを潤すことはできるが、丁寧にお茶を入れて飲む場合、湯を沸かして、冷まして、入れて、待って、注いで、器を選んでというような工程の最中に、のどを潤す以外の何かを得ることができると思う。

時間がかかることや手間がかかることを単に時代遅れだと表現したり、それらを排除できることが優れたシステムだと安易に考えたりしないように心がけたい。
効率的なことは経済的な豊かさをもたらすことは多いが、効率ばかりを追求すると精神的には豊かではなくなることもある。

家づくりもそんな側面がある。効率を追求するならばプランニング、設計、施工にいたるまですべて短時間でやったほうがいい。そしてきっとそうした方がイニシャルコストは安い。
けど、家づくりの工程をじっくり楽しむことはできなくなる。
簡略化したい家事というのもあるから、家づくり自体も簡略化したいという要望を持つ人がいておかしいことではない。ただ、簡略化するともったいない家事があるように、家づくりを簡略化したくない人がいてもそれもおかしなことではないはずだ。

松場さんは築200年の家に手を入れながら住んでいる。まだ家づくりを続けているともいえる。
家をつくるということは、本当はそういうことではないだろうか。竣工=家の完成ではないということをあらためて思う。
新築した我が家も築60年ほどの古屋部分を残しているが、そちらも合わせてまだ家づくりを続けていると考えながら暮らそうと思う。

築200年の武家屋敷は、ハードとしての家の性能が現代の家と比べてかなり劣っていることが多いだろう。しかし、松場さんにとって「いい家」であるのは間違いない。その点、以前紹介したターシャ・テューダーさんの家とも通じるところがある。

家のそれぞれの性能は、家の良し悪しを判断する材料にはなるけれども、特定の性能だけで良し悪しが決まるわけではない。そんなこともあらためて思った。

越屋根の思わぬ効果

2006年08月23日 | 我が家のスペシャルな事情
 
 
これまで、越屋根のことを何回か書いている。
低い地窓から涼しい空気を取り込んで越屋根の高窓から熱気を逃がすという通風、高い位置からの採光、天井が高くなることによる開放感など、当初から期待していた効果を実感しているのだが、想定外の効果にも気づいた。

我が家の周囲には高い建物がほとんどない。大抵は2階建てである。
我が家も2階建てだが、越屋根が頭一つ飛び出ているような格好になっている。
それが思わぬ効果を生んでいるようだ。

一つは風。
そもそもは冒頭にいったように地窓から高窓という通風ルートを想定しており、たしかにそのような通風は実現しているのであるが、逆に越屋根の方から風が入ってくることがあるのである。
海と山に挟まれた広くはない平野の中間点にある当地区は、海風、山風をある程度受ける。
そんな環境ゆえ、時折、越屋根が海風をとらえるのだ。
このとき部屋にいると、風を上から受けることになり、ちょっと面白い感覚を味わえる。

もう一つは音。
障害物が少ないため、越屋根が集音器のようになって遠くの音を拾ってくる。
他の物音が少ない早朝とか夜に、遠くから聞こえる電車の音というのもちょっと風情があったりする。
比較的騒々しい時間帯に余計な音を拾ってくることもあるわけでいいことばかりではないのだけれど、幸い私はそういう時間に家にいないので不快に思うことは少ない。

こんなことで喜んでいる自分はおめでたい人間なのだが、それでいいと思っていたりする

正統派流しそうめんの道

2006年08月15日 | 山小屋・ログハウス
 
  
旧盆に合わせてとった休みに親類とともに山小屋にいった。
そろそろ毎年恒例になりつつある流しそうめんをデッキテラスで執り行う。

プラスチックの枠をぐるぐる回転するようなアレではなく、近くの竹林から取ってきた竹を真半分に割り、節をとる。そこに水を通してそうめんを流す。これぞ正統派の流しそうめんだと思っている。
8mほどの一直線のコースに8人が並んでそうめんを待ち受ける。その姿はなかなか壮観である。
子供達は競うようにそうめんをすくうので、しんがりのほうを任せた。
すくいそこねてもちゃんとざるで受け止められるようにはしてある。

こないこないと騒ぐので流す速度をあげれば、ざるにたまる量が増える。コントロールは難しいのである。正統派の道を極めるのは簡単ではないということだ。

2006年08月13日 | 我が家のスペシャルな事情
 
我が家は旧盆なので、本日は盆行事の準備でばたばたした。

仏様をお迎えするための馬と牛を作るのはずっと私の役目だった。
小学生のころから作ってきたが、今年は自分の息子と一緒に作った。

馬、牛の本体はそれぞれきゅうりとなすで、ともに目はあずき、耳は南天の葉、尻尾はとうもろこしの毛、足は麻がらである。
もう少し凝ったつくりにする場合はインゲンで鞍をつくるが、今回はそこまで手間はかけなかった。

自分が子供のころは少々めんどうくさく感じていた作業だった。そう思う人が少なくないのか、最近は何年も使えるわらで作った既製品も売っている。宗教も複雑化したことで盆行事そのものがあまり重要視されなくなっているのはいたしかたない。
私は風習を自分で断ち切る勇気もなく続けてきたが、最近は親子で引き継ぐ作業ということを思い、行事の準備自体が先祖と子孫の接点を維持するとても大事なことのように思えてきている。

面倒くさがっていた私と違って、息子は興味を示しながら手伝っていた。誰に似たのか良い子なのである。これから徐々に役割を移していくつもりだ。


遠くの花火

2006年08月11日 | 我が家のスペシャルな仕様

今日は会社を休んだ。
夜、のんびりくつろいでいると「ドン、ドン」という音が聞こえてきた。
急いで「涼み台」に上ると花火があがっていた。

この花火のスケジュールは意識していなかった。
会社を休んでおいてよかった(笑)。

今日の花火はやや離れた山の上からあげていた。
遠くの花火というのはなかなかおつなものだ。
今回の場合、光と音の差が10秒ほどある。大人の花火といった感がある。
ちびちびと飲りながら見たかったものだが、すでにしっかりお酒を飲んでしまっていた。
それがちょっと残念だった。

駐車場の日――有効活用できるか?

2006年08月09日 | 我が家のスペシャルな仕様
立て続けに記念日シリーズ。
8月9日は「駐車場の日」。89を「パーク」と読む語呂合わせで決めたという。大手の駐車場運営会社「パーク24」が定めたこともあって、本当は「有料駐車場の日」らしい。

当然有料ではないが、この機会に我が家の駐車場(ガレージ)のことでも書いておこう。
―と思ったら過去2回ほど、すでにエントリにしていた。↓
その1 http://blog.goo.ne.jp/garaika/e/f5c3f24b290cd7785875fd6303c37174
その2 http://blog.goo.ne.jp/garaika/e/cfa6b29cc3328ec29769a99aea1c5e2d

そんなことなので、今回は趣向を変えてこのガレージを使っていつかやってみたいと考えていることを紹介してみよう。

上記「その2」で紹介しているように、ウチのガレージはその前後がスノコ状の大きな扉が開閉するような構造になっている。
スノコを通して、緩やかに光と風が入り込む、半分アウトドア(?)のような変わった空間である。
車が出払っているときに、「この空間は何かに使えそうだ」と考えた。車2台が収容できる大きさもある。

<構想1> ワンポイントギャラリー
発表場所がない街のアーティストに1日限りの個展開催場所として提供する。

<構想2> シーズン営業の週末カフェ
 気候がよい時期しか開店しない。自家製ケーキやジャムを振舞う。腕に自信のある料理好き主婦に貸し出してもいい。

<構想3> フリーマーケット的ゲリラショップ
 構想1の街のアーティストの作品や、家族のクラフト作品(私のレザークラフトや父の木工作品)を売る。

いろいろ考えているとわくわくしてくるのだが、実は大きな問題がある。

ここは地方。日本は田舎ほどクルマ社会なのだが、駐車場を使ってしまって、来てくれたお客さんのための駐車場を用意できないのだった(笑)。

8月8日は「屋根の日」「瓦の日」

2006年08月08日 | 我が家のスペシャルな仕様
 
8月8日は全国陶器瓦工業組合連合会が制定した「屋根の日」「瓦の日」である。
「八」という漢字の形状が由来というが、「八」は「や」と読めることも意識されているのではないだろうか。
 
さて、我が家の屋根の場合。
古屋のほうは当然のごとく瓦屋根、新築したほうは陸屋根に越屋根が乗っている形状である。
3種類の屋根があるようでよくばりだ。
ここで「やーねー」というリアクションをするのは林家木久蔵である。


はっ、
私は何を言っているのだろう?
ダジャレ好きなあのAさん(謎)が憑依したのだろうか?

ハンミョウ 道教え・道しるべ

2006年08月07日 | 山小屋・ログハウス

 
昨日、山小屋に家族で遊びに行った。この日は運良くハンミョウを写すことができた。

ハンミョウは人が来るのを待っているかのように立ち止まっていて、人が近づくと数メートル前方まで飛んでまた立ち止まる。また近づくと前方に飛ぶ。それゆえミチオシエ、ミチシルベとも呼ばれている面白い虫だ。
写真でわかるように、美しい色をしている。ちょっとした宝石のようだ。

結婚できない男 第5回は・・・

2006年08月01日 | 家について思ったことなど
前回は見逃し、前々回は半分しか見られなかった「結婚できない男」を今日はちゃんと見れた。

今回の現場の家は、建築家っぽさが感じられる家だった。
オフィスではあいかわらず変な模型もでてきたけど・・・。

主人公が忙しすぎて倒れ、代わりに別の建築家を、という状況には???
そんな数日のことで設計者を代えようって施主はいるのだろうか。