家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

「いい家」は本当は後から決まる

2007年08月31日 | 家について思ったことなど
「いい家とは何か」というのは一律に決められない。
それなのに「いい家」を、一定の考え方を元に条件付けしようとする人達が結構いる。
それはその考え方において「いい家」であるのは間違いないだろうが、条件を一般化・標準化しようとし、それからはずれる家を「いい家」にはなりえない、とする考え方に私は批判的姿勢でいる。

一方で、私が文句なく「いい家」だろうと思える「状況」というものはある。

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伝統ある民家 壊さず直す(asahi.comより)
http://mytown.asahi.com/niigata/news.php?k_id=16000000708240005
 伝統ある民家をあわてて壊さないで――。古い木造家屋に被害が出た中越沖地震で、NPOの啓発活動が続いている。余震対策の応急危険度判定で「危険」の赤紙をはられたり、罹災(りさい)証明で全壊とされたりしても、修理や耐震補強をすれば使える家も少なくない。建て直しより負担が少ない利点もある。3年前の中越地震の実例を示しつつ、説明に回っている。
                 ◆
 柏崎市別山地区の木造平屋建て住宅。瓦ぶきの玄関はブルーシートで覆われ、応急危険度判定の赤紙が。地盤が陥没し、広間が沈んでいた。
 「この造りなら、ばらせば生かせますよ」
 新潟市の建築家長谷川順一さん(46)は住人の男性(47)に説明した。家は築約150年。木で木を組む柔軟な「伝統構法」で、組み直せば「再生は可能」という。「壊してはもったいない」

(中略)

 長岡市村松町の農業吉井昌(まさし)さん(66)宅は築約50年の木造2階建て。主要な柱の1本の土台が崩れ、大きく傾いた。応急危険度判定で赤紙をはられ、罹災証明でも全壊扱い。建て替えれば1500万円はかかる。同協会に「直せる」と言われ、希望を抱いた。
 柱をジャッキアップして土台を補強。家屋のゆがみをワイヤをはって矯正し、壁を増やして強度を高めた。工事費は約700万円。配布された義援金と保険金、貯金で何とかまかなえた。「生きている間はここに住める。思い出いっぱいのうちだからのう」と喜ぶ。

(後略)
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建築家長谷川さん達の行動は尊い(長谷川さんのブログ→「たてもの修復支援ネットワーク」)。
なぜなら、正真正銘の「いい家」を救っているのだから。

記事中、吉井さんの「生きている間はここに住める。思い出いっぱいのうちだからのう」という言葉こそ「いい家」である証明ともいえる。
取り壊したくないという思いの強さは家に対する愛情の強さと同じだ。これだけの愛情を持たれている家は、第三者がどう思うとも「いい家」でないわけがない。

そう、「いい家」というのは当の住人が決めるものであって、けっして第三者が決めるものではない。
そしてそれが決まるのは竣工した時点ではなく、もっと後になってからだ(関連エントリ)。

家づくりをするにあたっては、いろいろなことを検討する。
広さ、間取り、素材、性能、コスト、デザイン…
それらが思い通りになったからといって、その時点ではまだ「いい家」とはいいきれない。
その時点でいえるのは、「いい広さ」「いい間取り」「いい素材」「いい性能」…というくらいであろう。
家を使って家に対する愛情が深まってはじめて「いい家」になっていくのだと思う。
思い通りに出来たのにいくら使っても愛着がわかなかったら、それは「いい家」ではないのかもしれない。
出来上がった時点で家にほれ込んだとしても、その後愛情が薄れてなくなってしまうのなら「いい家」ではないのかもしれない。

家づくりの依頼先探しは伴侶・パートナー選びに似ているとよく言われるが、依頼先に限らず、家づくりそのものもパートナー選びと似ているのではないだろうか。
恋愛関係において、カップルになったばかりのアツアツの時期は誰でも「いい人を見つけられた」と思う。
しかし「正真正銘いいパートナーだ」と断言できるのは結ばれた瞬間ではない。年を経ていいパートナーとして成就できたときだ。
ルックス、性格、学歴、収入等、自分が考える条件にあったパートナーを見つけたのに、結果的にいい夫婦になれなかった、そんなことだってある。それは結果的にいいパートナーではなかったことになる。逆に自分の理想とは少々違う人と一緒になったけれども、いい夫婦としてまっとうできたのならばいいパートナーだったといえる。
家も同じだと思う。

我が家は築60年ほど経った古屋と、築2年の新居がくっついてできている。
古屋については「いいパートナー」だと胸を張れる。新居については「いい関係を築きはじめた」といったところだろうか。

ファスト風土と住宅

2007年08月29日 | 家について思ったことなど
三浦展という人は「下流社会」(光文社新書)で有名になったが、それ以前にも面白い切り口で社会分析をした著書がある。
ファスト風土化する日本――郊外化とその病理」(洋泉社新書)がそれ。
「ファスト風土」とは三浦氏の造語で、ファストフードのように全国均質な大量生産された風土のこと。多少コジツケ感はあるものの、わかりやすいネーミングだと感心したものである。

わが地域を眺めてみても幹線道路には郊外型量販店が幅を利かせ、大規模ショッピングセンターが進出していて、ファスト風土化が進んでいるのが良く分かる。
駅前に並ぶのは、大手「サラ金」(←私はこの言葉を復活させたいのであえて使う。「高利貸し」でもいい)、カラオケボックス、駅前留学、ハンバーガー屋、チェーン居酒屋、コンビニ…。
没個性そのものである。
地場産業をもっと前面に押し出せば外部の関心を集めるだろうに、どこにでもあるものをどこにでもあるように配置しているだけ。狭い地域で自己完結し、外から人が訪問しない。これじゃあ地域が活性化するわけがない。
街並みを眺めていると、そんなオヤジの小言をこぼしたくなる。

「ファスト風土化する日本」では、地方で均質な「郊外化」が急速に進行して地域社会・文化にゆがみが生じ犯罪が増加している、というような説が述べられている。犯罪増加の主因かどうかについてはあくまで仮説として聞いておくが、地域特性が薄れてきていることは実感できる。

私は、個々の住宅でもファスト風土化が進んでいるのではないかと思っている。
全国一律で規格を定めて大量生産したパーツを組み立ててできあがる住宅、土地の特性や環境を活かさずとも「閉じる」だけで身体に負荷なく暮らすことが可能な超高性能住宅…、どんな土地柄に建てても同じような家になる傾向は強まっているように思える。
裏を返せば「ファスト風土にマッチした住宅」が開発されてきているということになりはしないだろうか。
大量生産でコストが下がるのも、住宅性能が向上するのも、経済的にはプラス面があるので、そういう住宅が供給されることを否定するつもりはない。だが、そればかりになるのはいただけない。地方が都会の亜流になる構図が強まるだけになるから。
地方の工務店・ビルダーは、現在売りやすいからといって、むやみなローコスト化とか特色のない高性能化に動くと、自ら「ファスト風土住宅化」に力を貸すことになり、やがて全国展開する競合社とのパワーゲームに巻き込まれていくのは必定だ。性能でも、素材でも、コストでも、デザインでも地域特性を加味していることを強みにできる住宅に力を入れたほうがきっといい。

「ファストフード店がどこにでもあるのが普通」であるかのごとく、「どんな土地柄に建ててもかまわない家が普通」と認識されるようになれば、地方の特性はどんどんなくなっていくことだろう。
「普通」は細かな地域ごとに違っていてもいい、と私は思う。

そんなこともあって「普通の家」と安易に語ることにちょっとした問題意識を持っている。

どんな形の「普通」であれ、「普通」と称することが出来るレベルならば、たぶん住宅個体としては特段の問題があるわけではないだろう。ただ、全国が均質化することを推進するような「普通」であったなら、それは風景や文化の面から特に推奨したいことでもない。

商業施設も、住宅も、全国どこへいっても同じ、「それが普通だ」なんていうようなつまらない世の中になってほしくないものだ。

先日、夏休みをとって家族と鎌倉に行った。
鎌倉は神社仏閣の多い街でそれが観光資源になっているが、個人住宅もなかなかどうして観光資源といっていいような価値がある。魅力的な家がたくさんあって決してデザインが統一されているわけではないが、落ち着いた調和が感じられた。
よくよく考えると、ファストフード店もコンビニも量販店も極端に少なかった。商店も住宅もファスト風土化していないことが鎌倉という街の魅力を維持していると実感できた。

プラレール恐るべし

2007年08月27日 | 新幹線通勤


JR東海の新幹線の訓練がこのような↓楽しげなものだとは…

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新幹線の安全、プラレールで訓練 「状況把握しやすい」
http://www.asahi.com/national/update/0827/TKY200708270109.html

 最新技術を乗せて超高速で走る新幹線。その安全を守るためにJR東海が実施している訓練で、対象年齢3歳以上の鉄道おもちゃ「プラレール」が使われている。安上がりで、全体状況を把握しながら効果的な訓練ができる。なにより、「なごめる」と乗務員にも好評だ。
 青いプラスチックのレールが目にまぶしい。ここはJR東海の殺風景な会議室。名古屋駅周辺の線路が机上に再現されていた。緊張した様子の運転士4人と、鋭い目つきの指導助役、門前文雄さんが各自の配役を決め、訓練を始める。
 「やわやわ、やわやわ」。無線に向かって赤坂広視運転士が、速度節制を求めるJR東海の専門用語を繰り返す。
 ベテランの荒木敏弘運転士が無線で聞きながら、レール上の700系新幹線のおもちゃを右手でゆっくり前に進める。前方にある別の新幹線にたどり着くと、「連結器はありませんが、これで連結しました」。一同から笑みがこぼれた。
 故障で止まった新幹線を、名古屋駅にいた別の新幹線が救援する想定だった。荒木さんが救援車の運転士、赤坂さんは故障車の車掌を務めた。
 指令役の門前さんは指示を出しつつ、「救援時になぜATC(自動列車制御装置)を開放するの?」などと、次々と質問する。
 プラレール訓練は06年7月に始まった。発案者は、東京第1運輸所の大島善次副所長。「技術進歩で、トラブルを経験する乗務員が減った。実際の車両を使った訓練では個々が全体状況を把握しにくい。この歯がゆさを、手頃な予算で解決できた」と、大島さんはいう。
 JR東海は実車訓練もするが、乗務員教育の基本は5冊のマニュアル本。大島さんは「現場で異状に即応できないのでは」と感じていた。
 そこで、大島さんが買ったプラレール「いっぱいつなごう700系のぞみセット」と、部下が持つ「TVで遊ぼう! 僕はプラレール運転手」で訓練が始まった。
 沿線全駅を再現できる量のパーツを購入し、信号機などは特注した。今ではJR東海の全乗務員約700人が、定期的にこの訓練を受けている。
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コレ、東京-新大阪間全線・全駅をプラレールで再現しているのだろうか。
そうだとしたらさぞかしすごい光景だろう。鉄道マニアが泣いて喜ぶような細かな設定・配置があったりするのではないだろうか。見てみたいものだ。

これを使って、新幹線通勤者の乗り過ごしシミュレーションなんてできないものだろうか(笑)。


ローテクな「家電の名品」

2007年08月24日 | 我が家のスペシャルな事情
こんなニュース↓が話題となった。
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扇風機の火災で2人死亡 三洋電機、70年に製造
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200708230326.html
三洋電機は二十三日、同社製の一九七〇年製造の扇風機から出火して火災が起き、東京都足立区の夫婦二人が死亡したと発表した。
 三洋は長期に使用した扇風機について、部品の劣化により発煙・発火の恐れがあるとして、三十年以上前に製造した扇風機の使用中止を呼び掛けている。
 同社は今回の事故原因について「経年劣化であり、品質不良ではない」として、最近相次ぐ携帯電話用電池などの欠陥事故とは違うと説明しているが、安全性について利用者への周知の在り方などが問われそうだ。
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これを欠陥というには酷というものだろう。
メーカーを責め立てるべきではない。

それはそれとして・・・
我が家の扇風機は三菱電機製で、40年以上は使っている。
今は山小屋に置いてあるため、稼働時間は短いが立派に現役である。
扇風機はこれまで数台使ってきたが、一番古いコイツの風きり音が一番優秀で、心なしか風もやさしく感じられる。このため我が家では「家電の名品」扱いしている。
いかに名品といえども、使用の限界は訪れる。こういう事件を教訓にすれば、使用をやめるべき時期かもしれない。
ただよくよく考えると山小屋では、この扇風機を、夏に使わない薪ストーブの上に置いている。ようするに、部屋の中でも防火仕様になっている場所にあるのだ。
気をつけながら自己責任でもう少し使わせてもらうとしよう。


今回の事件での教訓はもう一つある。
単純な構造のローテク製品は長持ちする、ということだ。
電化製品でなければもっとすごい。薪ストーブなどは乱暴に扱わなければ人間の寿命より長く使えそうに思う。
道楽で餅をつく我が家は、臼を100年使っている
こういう道具は古代から形がほとんど変わっていない。「構造」というのもおこがましい超ローテク品といえる。

ハイテク製品は総じてデリケートだ。
住宅もだんだんハイテク化してきているが、そういう場合はデリケートな機能や部分をメンテナンスしやすくしたり、リフォームしやすくしたり、取り替えやすくしたりしておいたほうがいいかもしれない。
その点、我が家はさほどハイテクでもないので、あんまり気にしていなかったりするのであるが…。

処暑に思ったこと

2007年08月23日 | 家について思ったことなど
きょう8月23日は、二十四節気でいうところの「処暑」である。
暑さが峠を越す節目の日に、まさに暑さが和らいだ感があった。
これですぐに暑さがおさまるのかどうかは分からないが、前日までのあの暑さも、終わってしまうとすればちょっとさみしかったりするから不思議だ。あれだけ暑さと格闘していたというのに、人間というのは勝手なものなのである。
あの暑さがあったからこそ、和らいだことがうれしく感じられるということもしみじみ思う。

今年の夏を無理やりポジティブに表現するとすれば、「季節を満喫した」ということになろうか。

季節は時に優しく、時にきつい。
「優しさ」も「きつさ」も家の性能・機能によってどの程度緩和するかということを考えたい。
「きつさ」への対処はとても重要だが、あまりに完璧に回避を期すと「優しさ」にも気づかなかったりして、いい意味でも悪い意味でも「季節を満喫」しにくくなる。このあたりの調節が難しいところだ。
老人になったら季節と格闘するのは酷だが、子供には季節と少々格闘させて、格闘すること自体の面白さも教えたい。
私は貧乏性的発想から、「子供のころから寒暖に神経質なのは損」と思っている。
「暑いなあ」といいつつも顔は笑っている、そういうたくましい人間に育てたい。
きっとその方が楽しく生きられるから。


やせ我慢して楽しむ?

2007年08月14日 | 我が家のスペシャルな事情
暑い、暑すぎる。
ここ数日は、さすがに我が家でもエアコンの稼動率は上がっている。
夏の暑さを楽しむ」レベルを超えても、貧乏性の意地で少しでも稼働率を下げるための(?)川柳をひねってみた。


省エネと 言えば通せる やせ我慢

やせ我慢 しているはずが メタボ腹

大汗で 水分補給に 缶ビール

高額の 酒税を納める 猛暑かな



おそまつ。

「緑のオーナー制度」のしょうもなさ

2007年08月08日 | 山小屋・ログハウス
数日前の話題だが…
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「緑のオーナー制度」9割元本割れ、林野庁リスク説明せず
8月4日0時32分配信 読売新聞
国有林のスギ、ヒノキの育成に出資して伐採時に配分金を受け取る林野庁の「緑のオーナー(分収育林)制度」を巡り、満期を迎えた個人、団体の契約1万件のうち9割以上が契約時の払込額を下回る「元本割れ」となっていることがわかった。
 同庁では年3%の利回りを想定していたが、輸入木材に押され、国産木材の価格が低迷しており、今後満期を迎える約7万6000件についても、見通しが立っていない。
 公募当初、同庁は、金融商品ではないなどとして元本割れのリスクは説明していなかった。
 同制度は1口50万円か25万円を出して国有林の樹木の共有者となり、満期(最短で15年)を迎えた後に伐採、販売代金を配分する。公募は1984~98年度に行われ、個人・団体から計約8万6000件の出資で約500億円を調達した。
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国がやる商売はなんともずさんである。
今回もそれを証明してしまった。

この件につき、いろいろ考えてみた。
私はそもそも、この制度が出てきたとき、元本保証でないことは明らかだと直感的に思った。いわば「立木の先物買い」なのだから元本が保証できるわけはないのだ。半ば寄付感覚で参加するものかとも思ったが、今回の問題化でそういう人ばかりではなかったことが分かった。
「緑のオーナー制度」を利殖手段として提供したというならば、まさにずさんだ。国がやる事業だから安心だ、というような思わせぶりな広報をしていたとしたら一層罪深い。
マスコミもいまになって騒いでいるが、発足当時、なぜリスクについて突っ込まなかったのかを批判したい。「緑の」という耳障りの良い言葉のせいか、むしろ好意的記事が目立っていたと記憶している。
これは前述したように「先物買い」なのである。しかも転売も途中解約もできないリスクの高さ。素人の利殖手段として適しているはずがない。そんなことも見抜けなかった記者のことを考えると、やっぱり「投資教育」は必要だなあと思う。林野庁は糾弾されるべきだが、マスコミ自身も反省を要する。

さて、私は「緑のオーナー制度」には参加しなかったが、数年前に小面積ながらも山林は購入している。そして、山林を購入してよかったと思っている。その違いは何か。
そもそも山林購入はログハウスをセルフビルドするための土地と材を調達するのが目的。
立木を自家消費したことで、一般の市場価格より安く仕入れることができた(※注)という満足感がある。
山林購入ならば、どの木が自分のものかわからないような制度と違って、リアルに自分の木を実感できる。山林としては狭いが宅地に比べたらかなり広い面積を相当に安い値段で占有できることも、そこはかとなくうれしい(笑)。
また、満期などというものが存在しないので、残った立木はいつでも処分できる。いつでも処分できるのであれば、株式よろしく「塩漬け」で持ち続けることも可能だ。もちろん将来はリカバリーするという根拠の無い「夢」を持ちながら…(笑)。
満期があるとその時点で清算することになり、取引価格が値下がりしていたら確実に売却損が発生する。

今にして思えば、緑のオーナー制度もしっかり証券化して金融商品にするべきだったろう。
せめてクローズド期間(例えば5年)のようなものを設けておいて、期間開けに現金で清算する以外に、立木のまま持ち続けることや、現物(伐採した丸太)での受け渡し(現渡し)を認めればよかったのではないか。
持ち続ければ含み損はあるが前述した「塩漬け」で気分的に楽になれる。
現物での受け渡しを認めるのならば、我が家が自家消費したようにこれから家を建てる人が木材を施主支給する、なんてこともできたかもしれない。自前の木で家を建てるなんてそれはそれでちょっとロマンもある(関連エントリ→)。

この制度が発足してから、材木価格は下がり続けていた
結果的に儲けるチャンスはなかったと言える。ところがここへきて徐々に潮目が変わってきている。国際的に資材の価格が上昇しているからだ。
国産木材の上昇がすぐに本格化するとまでは思わないが、儲けようとしたらこれからかもしれない。しかし、これまでの緑のオーナーは最安値近辺で無理やり清算させられる。ここからさらに新規購入する気力もおきまい。投資家層の育成をむしろ大きく阻害したわけで、つくづく林野庁はしょうがないことをしでかしたとしか言いようがない。

これから仕切り直すなら、しっかり証券化した上で、CO2排出権ビジネス(この場合はCO2吸収源ビジネスか)、税制優遇などと絡めて魅力的な金融商品に組み立てるようなことをしてほしい。それはそれで林野庁の手に負えるものではなく、金融庁から国税庁、政府、はては京都議定書を管轄する国連まで巻き込んで調整する必要があり、実現させるには相当な労力がいりそうだ。

林野庁はとりあえず、「緑のオーナー」などというまどろっこしいことをあきらめて単に国有林を売るのがいいかもしれない。伐採と転売に関するルールを定め、管理コストを林野庁に支払うことを条件にして。
そうなればできれば販売代理店をやらせてもらいたいくらいである。個人から見た山林の魅力を知っているから、いいセールスマンになる自信がある(笑)。
私に貯金ができれば購入する気もある。それどころか年をとって死にそうになったらそれまでに貯まった財産の大半を国有林購入に充ててもいいくらいだ。他の資産より相続税は安くあげられそうだし、「子孫に美林を残す」なんてかっこいいじゃないか。


(※注)ただし購入後、伐採に時間を要し、さらに1年は乾燥のために寝かせていたため、その間の値下がりはある。結果的にどの程度コストが安くなったのかは検証していない。


「マッチョメマン」の塔――ハウスメーカーもなかなかやる

2007年08月07日 | 家について思ったことなど
先日のエントリの楳図かずお邸に関連して、テレビの報道バラエティ番組を見ていたら、いくつかの事実がわかった。
まず訂正しておくべきことは、「まことちゃん」像が建つかどうかはわからない、ということ。計画では屋根の上に、「まことちゃん」に出てくるキャラクターの「マッチョメマン」の顔をモチーフにした塔のようなものができるらしい。
訴えた住民にとってはどっちでも同じかもしれないけれど(笑)。

さて、興味を引いた事実は、施工者がハウスメーカーの住友林業であること。
住友林業はハウスメーカーの中でも、いろいろな注文に器用に対応するほうであるとは知っていたが、まさか「マッチョメマン」の塔まで手がけるとは…。なかなかやるものである。
同時に、ハウスメーカーは総じて「規格外」になると値段が跳ね上がることを考えると、この場合、コストはどうなっているのかということも気になった。
稼いでいる楳図かずおにとってはたいした問題ではないのだろうが、もしさほど金額を上積みしていなかったとしたら、住友林業はそのことを宣伝に使ったらどうだろうか。

竣工できなかったら、元も子もないか(笑)。

あなたは楳図かずお邸の存在が許せるか

2007年08月02日 | 家について思ったことなど
奇抜すぎる建物が近隣に出来る → 地域の景観が損なわれるので反対
もし私の家の近所に趣味の悪い金色のラブホテルとか、わけのわからないデザインの宗教施設なんて建てられたならば嘆き悲しむことになるので、その心情はよく分かる。
奇抜さも程度問題という議論もあるだろうし、そもそも守るほどの景観をかもし出している地域か否かという視点もあるだろうが、こうした問題は「どこかに建ててもいいが、場所柄はちゃんとわきまえよ」というあたりが一般論的な落ち着きどころと考える。

ただこういった(↓)の場合、

外壁は赤白の横じま「奇っ怪」楳図かずお邸工事待った!
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200708/sha2007080207.html
赤白塗装、巨大『まことちゃん』 楳図さん宅『景観壊す』
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007080202037921.html

単に奇抜な建物が出来るという以外に考慮してみたい要素が付随している。その要素をちょっと客観的に考えてみる。

まず施主が著名人であること。
例えば、社会的に高評価を受けているアーティストが隣人だとしたらどうだろう。その人に好意的心情を持っているのなら、住んでいることがすぐに分かる家があるのは必ずしも悪くはない。

その点、楳図かずおは微妙である(笑)。
推理小説作家の綾辻行人とかアイドルの中川翔子あたりは楳図かずおを「神」とあがめるほどの信者だが、決して一般ウケする人物ではない。「奇人」の範疇に入ると思う。
奇人でも、周囲の人が「あの人なんだからしょうがないか」という心情になれる愛すべき性格かどうかということもある。
本件の場合、反対運動が起きてしまった時点で特段愛していない住民がいるということになる(当然、好意的な人々もいるのだろうが)。全国にファンが数多くいるとしても、立地場所周辺はそのことはあまり理解していない状況といえる。

ここでいったん話は変えて・・・
注目選挙のたびに立候補する羽柴誠三秀吉氏の建てたホテル(施設)もかなりスゴイ。
シンボルの天守閣などはさほどめずらしくもないが、なんと国会議事堂やミサイル基地(!)まであるのである。
参考リンク↓
http://algolium.farewell.jp/report/odagawa.htm
http://blogs.yahoo.co.jp/mrkusayakyu/19071885.html
もっと知りたい人は「日本インディーズ候補列伝」(大川豊著、扶桑社刊)を読むべし。上記サイトより写真が豊富である。改造戦車まで保持していることもわかる。
この人物の場合は、全国的にはあきれられているものの、周辺住民には意外と愛されているのかもしれない。

本題に戻って・・・
モニュメントが愛すべきキャラクターかどうかというのも問題である。
例えば東京・世田谷にある円谷プロダクションは住宅街にあり、ウルトラマンとミラーマンが立っていたが(参考リンク→http://members.jcom.home.ne.jp/qqq7/puro.htm)、周辺住民は好意的に見守っていたのではないだろうか。

その点、「まことちゃん」は微妙である(笑)。あれだけヒットした漫画なのだから、あのキャラクターのファンはそこそこいると思われるが、なにせ下品さが際立つキャラクターなので生理的に受け付けない人も少なくない。
行政も後押しした、「ゲゲゲの鬼太郎」はじめ水木しげるキャラクターせいぞろいの街「水木しげるロード」なんてところもあるので、地元商店街とタイアップするという手もあったろう。しかし、そもそも吉祥寺住民のセンスとはマッチしそうもない。それに「まことちゃん」はまだしも「へび少女」はちと扱いに困りそうだ(笑)。

周囲から浮いた建物というのは場合によって地域のシンボルにもなりうる。
建てられた背景も絡んでくるが、将来をにらんで、文化財になりうるか、風景になりうるかという視点でも考えてみるべきだろう。
本件はそういう点でも分が悪そうだけど(笑)。

ついでにリンク CRぱちんこまことちゃん↓(←全部ひらがななのもなんとも…)
http://www.kyoraku.co.jp/public/products/2007/makotochan/index.html