家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

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子供部屋

2005年03月28日 | 我が家のスペシャルな仕様
うちの子供は現在小学生。
男子1女子1の2名からなる。
新築にあたって、子供部屋を作った。

 子供たちに部屋を与えるにあたって、はっきりさせたのは、あくまでもこの部屋の持ち主はお父さんとお母さんであるということ。
社会人になるまでは何の負担もなしに使ってもいいが、社会人になったら、相応の負担はしてもらう。負担がいやだったら、どこかに自力で部屋を借りればいいと言うつもり。
 社会の中で自分の家(居場所)を持つということの意味を教える狙いがある。学校では教えてくれないから親が教えなければならない。
そういうことを徐々に教えておかないと、平気な顔で当然のようにパラサイト生活するような大人になってしまうのではないかと危惧している。

 居場所のあることのありがたさがわからない人間は、家族に感謝するということもできないのではないかと思う。
「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、衣食住の「住」が抜けているのは住が足りても礼節とは関係がないからだろうか。
子供部屋が与えられるのがあたりまえのようになって、感謝の心を失った子どもたちが増えているように思えてしかたがない。


<設計・生活にあたっての大まかな決め事>

・部屋は狭くていい。勉強しやすさと寝やすさを重視して、遊びやすさは、さほど重視しない。他の場所で遊べばいい。
・カギもつけない。親である私たちの部屋にもカギなんてつけないのだから。そのくらいの信頼感がない家族などにはなりたくない。
・外から部屋に居ることを分からせる仕掛け。いわゆる「けはいを感じる間取り」というヤツである。明かりがもれれば、何をやっているかはわからないにしろ、何かをやっていることはわかる。これは欄間という形で実現。
・テレビは置かない。篭りっきりにさせないためである。たまには篭ってもいいが、ずっと篭っていれば不健康だ。別に引きこもりでなくとも、テレビがあったら、部屋の中に居続けてしまうということはありうる。ゲームも無制限にできてしまうし・・・。
ちゃんと家族共有の場所にテレビを複数台置くのでそこで見ればいいのだ。
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吊り収納

2005年03月27日 | 我が家のスペシャルな仕様
 我が家では、いろいろなところに吊り収納がある。
キッチンにあるのは普通の家と同じだが、居間と、夫婦の部屋、子供部屋にも据え付けられている。
 なぜ、吊り収納になっているかというと、地窓があるからだ。収納を床につけてしまうと地窓をふさいでしまい、地窓にした理由がなくなってしまう。
 だから、吊り収納といってもキッチンのそれとは違って、天井から床上50cmくらいまでの縦長の収納になっている。

 吊り収納は地窓のリスクを抑える効果もある。
 我が家のように2階の部屋に地窓をつける場合、高所恐怖症の気がある人は多分、地窓の際に立つと足がすくむ。
 また女性の場合、高所恐怖症でなくともスカートをはいている場合など、2階の地窓の際に立つのを躊躇することもあるだろう。
しかし吊り収納がバリアーとなって、窓際に立つこと自体がありえなくなるのである。

 いろいろなパーツが絡み合って役割を増幅するなどということがあるから、建築とは面白い。
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ダンボールとの戦い

2005年03月24日 | 建築現場記録

目の前にあるのは、何の表情も見せないダンボール箱。
中に入っているものを知らなければ、そのままケトバしたい存在。
今思えば、この形になる前、もっと慎重に詰め込むべきだったと悔やむ。
大切なものと、どうでもいいものが混在している。
開けたとたん、どうやって片付けたらいいものか、途方にくれる。
なかば投げやりになりながら、ひとつの箱を片付ける。
すると、その背後には次の箱が無表情に鎮座する。
開けてみると、今度はどこに収納したらよいのかわからないモノが顔を出す。
それもなんとかねじ伏せる。
するとまた、別の無表情な箱が平然と居座っている。
次から次へとそうした相手が対峙する。
地獄の百本組手なのか、これは。

ひとつの真理にいたる。
施主適齢期はある。あと10年後では私は施主はやれそうにない。
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m-louisさんに感謝

2005年03月23日 | 我が家のスペシャルな事情
施主ブロガー仲間である「谷中M類栖」のm-louisさんが、我が家のオープンハウスの模様をアップしてくれた。→LINK

人が自分と自分の家を見た感想を読むというのは、何か気恥ずかしいものがある。

ただ、竣工間近で現実から遊離したような気分でいた自分を客観的に観察してくれた記録は、後になればなるほど貴重な資料かもしれない。照れくささは我慢することとした。

m-louisさんのリポートは長文である。その筆まめさは敬服に値する。
いろいろな人に読んでみてほしいが、感想は積極的には聞きたくない。やはり気恥ずかしいのだ(笑)。



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引き渡し

2005年03月21日 | 建築現場記録
2005年3月19日、ついに我が家の引き渡しとあいなった。

まるまる8カ月をかけて、まだ手直しはあるのだが、ちゃんと住める状態になった。
とにもかくにもよろこばしい。

こまかな手直しはさておき、全体としては申し分なく、工務店、設計事務所、ご近所の方々すべてに感謝したい。

現在、段ボールと格闘中。それは後日報告することとする。
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施主が選ぶ建築賞、施主が望む建築賞

2005年03月17日 | 家について思ったことなど
建築物や建築家に与えられる賞はいろいろある。
だいたいは自治体が主催し、業界団体が協賛する、というような形。そして審査員を見ると、大学教授、建築家、業界団体の代表などが名を連ねている。

運営の難しさをさておいて、妄想・願望ベースで好き勝手なことを言うと、個人住宅を対象に、施主達が選ぶ建築賞があったらおもしろいのではないだろうか。

 ケンチク業界人による建築学的な視点ではなく、生活者の視点で優れた住宅を選ぶ。

 対象も設計者だけでなく、ある個人住宅の施主、設計者、施工者をひとつのグループとして審査対象とする。設計事務所に限らず、工務店内、ハウスメーカー内の設計者だって審査対象にする。
施主がどのような要望を出し、設計者がそれをどう解釈し、施工者がどんな技術を使って実現したか、というような過程を開示する。
評価は、オリジナル性は重要視するものの、デザイン的な冒険、斬新さ、奇抜さよりも、暮らしやすさを重視する。

また、それとは逆にアカデミー賞に対するゴールデン・ラズベリー賞(サイテーな映画に与えられる賞)のようなものがあってもいい。ケンチク業界では高評価でも、一般人、施主連からはトホホな建築って実際あると思うのだ。業界内の賞を取った作品を審査対象にして施主連が評価を下す。
こちらは、ケンチク業界的な評価は考慮せず、「暮らしにくさ」を評価の重点に置くのだ。

興味本位の発案ではあるが、そういう賞があると案外役に立つことが多いように思える。
建築家が「生活する人のことを考えない自分の作品づくりに熱心な人」ばかりではないことを明らかできるだろうし、オブジェ的建築に走りがちな建築家をあぶりだすこともできる。「古臭い間取りしか考えられない」工務店ばかりではないことだってわかるだろう。あるいは、ちょっと特殊な施主の要望を意外と小器用に実現したハウスメーカーの存在がわかるかもしれない。

 賞のバリエーションとして、新築ばかりでなく、築10年、築30年、築50年なんて古い家を対象にするのもいい。
 新築時は高評価でなくとも、30年経って評価が上がったなんてことがあったら面白いと思う。工務店がしっかり作ったことの証になったりして、やはり依頼先を選ぶいい参考資料になる。
 築30年、築50年の家部門に、「あるハウスメーカー、ビルダーの家は何軒もエントリされている/一軒もエントリされていない」なんていうデータを私は見てみたいと思う。
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ヤモリはいた

2005年03月16日 | 我が家のスペシャルな事情
先日、母が古屋の縁の下を片付けていたら、ヤモリが出てきたという。
以前、「」というエントリで、旧家屋取り壊し後のヤモリの安否を気にしていることを明らかにしていたが、今回、無事生存していたことが確認できて、ちょっとうれしい。

 ヤモリは「家守」と書くくらい、「家」にとっては縁起のいい生物である。
壁に張り付いて蚊やハエ、蛾などの害虫を捕食することから、家を守るという名前がつけられたのかもしれないが、「家守」という字面を見ただけで「お守り」的な効果を期待してしまう。

ちなみに、ヤモリは「守宮」とも書く。さらに霊験あらたかな感じがある。

ヤモリとはこれからも、うまく共生していきたい。
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「家づくりははじめてですか」――まずは「出発点」を見定めたい

2005年03月14日 | 家について思ったことなど
インターネットの世界を徘徊しているとたまに見かけるのが、家づくりを検討し始めたばかりの施主予備軍が、家づくりの依頼先はどこがいいか、構法は何がいいかを人に問うているシーン。
そして親切な施主や住宅業界人がそれに答える。ハウスメーカーはどうの、工務店はどうの、建築家はどうの・・・、2×4、2×6はどうの、在来工法はどうの・・・。

回答の正否はともかく、その流れは何かおかしい。
家づくりの出発点は、実現のための依頼先・構造の選定ではない。
自分がどういう家に住みたいか、の洗い出しと整理、そして自らを取り巻く制限(予算、時期、立地条件)の認識であると思う。
それなくして先に依頼先・構造を検討し始めると、家づくりの方法はいつのまにか限定された範囲になってしまうし、楽しみもそれだけ少なくなる(もっとも、家づくりなんてチャッチャと終わらせたいと考えているのなら別だが)。
ハウスメーカー、工務店、建築家(設計事務所)それぞれに長所・短所があるが、自分の家(家族の暮らし方まで含んだ広義の「家」)の姿がはっきりしない段階でそれを吟味してもしょうがない。将来着工する「自分の家」にとって、それらは短所ではなく長所であったり、その逆だったりということもありうるからだ。

だから家を建てようとする人は、どこに頼むかを考える前に、自分で家の姿を描くところから始めるべきだと思っている。
条件を文章に書き出してもいいし、間取りをああだこうだ考えてもいい。形が気になる人は外観でも描いたらいい。
そうして家の姿が見えてきた段階で初めて、それを実現するのに一番都合のいい相手・方法を考えはじめるのがいいのではないだろうか。

私は最初に間取りをたくさん描いた。さんざ描きながら(※注)、耐震性や素材、外観、断熱など家のスペックへの条件を書き出していった。そのうち、間取りだけ考えていたって全然足りないと気づき、さらに「古屋を残す」という特殊な制限を考慮していったら、建築家と組むという道筋が自然と見えてきた。

住宅関連のBBSや相談室のようなところで、自分が考えている家の姿もろくに開示せずに、いきなり「どこに頼むのが一番いいのでしょう?」「どの工法にするのがいいのでしょう」などという質問を投げかけているのを見るたびに、「順番を間違っているよなあ」と思う。
おぼろげでもいいから、住宅に対する考え方がわからなければ、外部の人間が正解など導き出せるはずもない。

 上記のような文章を用意してあった。そしてひとつのエントリにしようと考えていたら、すでに建築プロデューサーの朝妻さんが、物語仕立ての著書「家づくりははじめてですか」で出発点の重要さを見事に伝えていた。
よって、この文章は朝妻さんにささげることにする。

 さて、その本。
 ジンというおじさんの妖精(!)が、家づくりの迷路に入り込んだ主婦を導くというストーリーなのだが、これを読むと家づくりの出発点の重要さが自然にわかってくるのである。
 方法とか依頼先を考える前にやることがあるということを、堅苦しくない文章でわからせてくれる。さらっとした中に相当深く考えて構成してあることが見て取れる。さすがである。
 ここで過去に展開した「建築家とは?」についても、簡潔な文章でわかりやすくその役割を論じている。「普通の家」しかり、間取り論しかり、私の問題意識と近いので、いちいち納得してしまう。読みやすいので私は新幹線通勤の1往復で読み終わった。

なお、前に書いたエントリ「施主予備軍のBLOG活用」においては、施主予備軍がこうした家づくりの出発点から記録をつけ始めることを想定している。
ネットの世界ならば、普通の人間でもジンのような機動力を実現できそうだ。きっと、ジンのような役割をする人も現れるだろう。その第一号が朝妻さんだろうか。

このところ、一部の施主blogではこの朝妻さんの本を題材にしたエントリが立っている。
ゆかりさん LINK
ノアノアさん LINK
m-louisさん LINK
rattleheadさん LINK

 私ももう少し書評らしく書こうと思っていたのだが、私は後発で、これらのするどい方々がすでに紹介したあとなので、なかなか書きにくい。まずは施主連の感想を読んでみてほしい。


(※注)ちなみに以前のエントリで紹介した本には、「絶対に『建築家』に頼んではいけない人」の条件のひとつに、「自分で間取り図を書く人」という項目があった。しかし、私の場合は間取り図を描いていたからこそ建築家と組むという方法に至ったし、自分で間取りのシミュレーションをしていたからこそ、建築家の図面の意図を読み取りやすかったということがある。自分が「建築家に頼んでもよさそうだ」と思ったのは、自分の描いた間取り図に固執するつもりがなかったからだ。
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オープンハウスと宴会

2005年03月13日 | 建築現場記録
3月12日、予定通り、オープンハウスを開催した。
ただ、前日まで突貫工事といっていい状況で、当日朝になってハウスクリーニングをしている有様。
古屋の方の修復工事は間に合わず、障子を閉めたままの公開となった。
まさにどたばただった。

12:00からの公開だったが、ご近所の方はその前に訪れた。昼食前にちょっと見ておこうということなのだろう。
12:00を回ったばかりの時間はさすがに人は少なかったが、13:00ごろからは、とぎれなく人が来るようになった。
遠くは大阪からm-louisさんが訪問してくれたが、他にも長野県から来たり、熱海市から来たり、時間と労力を使ってわざわざ見に来る人がいてびっくりした。
市内でも結構遠い場所から見に来た人がいた。
晴れという天気が幸いしたのだろうが、興味を持ってくれる人がいるのは何となくうれしいものだ。

自分も、あらためてじっくり家を眺めていると、建築家が「まるで人のオープンハウスに来たみたいですね」などとちゃかす。
「昨日までごちゃごちゃしてましたからね」と皮肉を込めて切り返しておいた。

いったん昼食ではずしたものの、それ以外はずっと現場で新築の我が家を味わっていた。

もっとも・・・。
残工事はまだ多く、ここにいたって引き渡しをさらに1週間延ばした。
ここまでくると私も一週間くらいはどうってこともないように思えてしまっている。それでいいのだろうか。

18:00ごろから、現場で工務店、設計事務所をねぎらう食事会をした。
感謝の意を伝え、乾杯。その後はにぎやかな宴会と化した。病み上がりの身なのに、うれしくてしこたま酒を飲んでしまい、しまいには前後不覚に陥り、記憶はとぎれた。
翌日(つまりきょう)は完全に2日酔い。
自業自得なのだが、それだけうれしかったということで、自分で自分を弁護している。
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おおわらわ

2005年03月09日 | 建築現場記録
父と母、また設計事務所からの報告を聞くと、今週末のオープンハウスと引渡しに向け、現場はおおわらわのようだ。

自分は離れた場所にいるため、隔靴掻痒といった感はどうしても出てきてしまう。
ただ、ここまでくると、施主としての自分はあんまり焦りのようなものはなく、むしろ陣中見舞いや応援に駆けつけたいという気分。
本当はずっと現場にいたい。そして、職人として「いい仕事」をしていれば、「うんうん」とうなずき、その場で賞賛し、励ましたい。
急ぐ必要はあるが、何より確実な仕事を望んでいるのだ。


ここへきて、情けないことに風邪をひいてしまった。新しい職場でもらったらしい。前の職場から一緒に異動した部下もダウンした。
空調の効き具合が前の職場と違うというのも影響したかもしれない。
シックハウスというわけでもなく、家を変えると体調を崩すということもあるらしい。それをオフィスにおいてプレ体験したということか。これでワクチン的効果を得て、住宅でそういうことはおきないだろうと考えることにする。

とにもかくにも、
風邪は、週末までに「気合」(by アニマル浜口)で治すことは宣言しておく。
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足場撤去--インパクトの大きいイベント

2005年03月05日 | 建築現場記録
 ついに足場が撤去され、家の姿が見えるようになった。
 家の外観を表すということは、お披露目や幕開けといっていいイベントだと思う。
「幕」の内側にいる施主、設計事務所、工務店にとっても、「幕」の外側にいた施主周辺の人々にとっても待ち遠しい瞬間ではないだろうか。

地鎮祭や上棟式の他に、イベントじみた行事をしてもいいように思える。

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引っ越し前哨戦

2005年03月02日 | 我が家のスペシャルな事情
前回、報告したとおり単身赴任生活に別れを告げた。
と、それに伴って「引越し」というイベントが自然発生。
この前の週末はそれに忙殺された。

人事異動によるものなので、当然、オフィスの資料・道具も引越しで、週明けで月末でもある月曜日はその作業も否応なく、やらざるをえなかった。

もう当分、ダンボール箱は見たくない気分だが、東京から届いたダンボール箱が仮住まいにうずたかく積まれている。
半分以上はダンボール箱のまま、新居に移動するわけだが、一部は開梱しなければならない。

かんべんしてほしい、と愚痴りたいところだが、これから最後の一番大掛かりな引越しが控えている。
愚痴っているとパワーが減退しそうなので、今回の引越しで、次回に備えた予行演習ができた、と思うことにする。
手順など、いくばくかの段取りは予習できたはずである。

とはいいつつ、このへとへと状態のなか、ポジティブシンキングの力も衰えている。そう簡単に割り切れそうにない。
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