株式市場には「最高値」(さいたかね)という用語がある。ある会社の株式が取引所に上場してから最も高い値段をつけることをいう。安い時期に買って最高値で売ることができたらそれこそ最高だが、そんなにうまく読みはあたるものではない。
これが「家」の場合はどうだろう。
いつ最高値をつけるか、と問われればあっさりと正解を言うことができる。
それは注文住宅なら「竣工時」、建売住宅やマンションなら「購入時」だ。
ということは、購入者は最高値をつける時期を知っていても儲けることはできないということをあらわす。なんと不自由な資産だろうか。
世にある「いい家」論議の大半が、出来たときのスペックばかりで語られるのは、住宅というものは右肩下がりで価値が下がるというのが定説になってしまっているからなのかもしれない(関連エントリ
*)。
しかし、市場価値が右肩下がりであるのは日本の市場と住宅政策が未成熟であるために正当な評価がなされないせいであって、利用価値としては決して右肩下がりではない。家は手入れしたりカスタマイズしたりすることによって使い勝手は向上する。そして古刹や古民家を見てみれば、古くなることによって生まれる風格が付加価値を生むことだってあることもわかる。
欧米では手に入れたときより高い値段で家が売れる場合もあることは
以前紹介した。
欧米の家が特別なのではない。日本の家にだってそのようなポテンシャルはある。
まっとうな欧米の家をそのまま日本に持ち込んでちゃんとメンテナンスしても未成熟な市場と政策のせいで右肩下がりで市場価値を下げられてしまうだろう。逆に日本のまっとうな家を欧米に持ち込んでちゃんとメンテナンスすれば発達した市場によって正当な価格がつけられることだろう。
持ち家と資産形成の話を聞くとき、このギャップにもう少し焦点をあててもよいのではないかといつも思う。利用価値や付加価値があっても市場がタコだから価格をつけてくれないという実態。
使用者にとっては市場価値がないものでも利用価値があれば有効な資産ではあるはずなのだ。また、バランスシートに表すといびつな家計になるかもしれないが、一方で実態を表さないバランスシートというものだって世の中の随所に存在するということも知っておくべきことである。
有効な資産なのに価値を時間経過で一律に下げられる。いわば毎日「最安値」(さいやすね)を更新する資産。資産としての家をとりまく日本の環境は悲しい。