家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

タイツリソウ

2007年04月30日 | 山小屋・ログハウス
  
山小屋の周囲には母がいろいろな花を植えている。
おかげで園芸オンチの私でも少しずつ、花の名前を覚えてきた。
写真の花は「タイツリソウ」という。
鯛を釣っているように見えることからこの名前がついたらしい。
実際こんなに一度に鯛が釣れたらすばらしい。
まさにおめでたい感じがいい。

これは相当にきつい

2007年04月24日 | 家について思ったことなど
asahi.comより

http://www.asahi.com/business/update/0424/TKY200704240007.html

「消費税を16%に」 経済同友会、税制改革提言を発表
2007年04月24日07時38分
 経済同友会は23日、国の税制見直し論議が今秋から本格化するのを前に、消費税率を現行の5%から16%に引き上げることなどを盛り込んだ税制改革提言を発表した。現在約40%の法人実効税率については、法人事業税の廃止により35%程度に引き下げるよう求めた。いずれも2010年代半ばまでの実施を要望している。
 提言では、16%の消費税率のうち9%は新設する年金目的税とし、年金保険料はなくす。残りの配分先は国税分が2%、地方税分が5%。法人事業税を廃止し、税源を地方消費税に置き換えることで、「地方自治体はより安定的な財源を確保できる」としている。
 低所得者層ほど負担感が重くなる消費税の「逆進性」に対しては、基礎的な食料品を購入した場合には消費税相当額を所得に応じて還付する制度の導入を求めた。
 法人実効税率の引き下げについては、日本企業の国際競争力の維持・向上や、諸外国からの投資拡大などの効果があると主張している。日本経団連も30%程度への引き下げを求めている。
 同友会はまた、低所得者には、税額控除での対応で「所得税の再分配機能を実質的に発揮できる」としている。低所得者の控除額が所得税額を上回る場合、その超過分を現金で給付するという案だ。経済学者フリードマンが提唱した「負の所得税」の考え方に基づく制度で、勤労意欲を高める効果があるという。
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これが実現されるのであれば、現在と同等のものがいきなり1割以上値上がりするのと同じである。
家づくりにかかるン千万円の1割はン百万である。これはたまらない。
この値上げ分を、所得減税分を貯めることでまかなうのには何年かかることか。
ゆっくりとした家づくりをおすすめする私でも2010年代前半までに建てることをアドバイスすることになるだろう。
駆け込み需要のリスクも考慮したら2010年以前に建てたほうがいいかもしれない。

関連エントリ
家と消費税

お前の目は・・・――慣用句・ことわざと古屋

2007年04月23日 | 我が家のスペシャルな事情
 
写真は古屋の広縁の廊下板に開いた節穴である。

この節穴を真上から覗き込むと素通しの縁の下が見える。
同様の穴はもう一箇所あり、我が古屋がいかに気密性と縁遠いかということがわかる。

この節穴、ふさごうと思えばふさげるのだが、ふさぐ気になれない。
古屋の弱点であるだろうが、「味」でもあるのだ。無垢の材の証ともいえる。
そもそも基本的に低気密なのでこの程度は気にしていてもはじまらない。

ポジティブシンキングをさらにしてみよう。

いまどきの家だとこうした節穴にはめったなことでお目にかかれまい。
「『お前の目は節穴か』っていうときの『節穴』はこれだよ」って子供達に現物を見せて教えることができる。役に立たない「節穴」も逆説的に役に立つことがあるのである。

考えてみると、古屋は「縁の下」も昔のままの形だ。これで「縁の下の力持ち」もリアルに教えられる。

<他に教えられそうなこと>
「庇を貸して母屋をとられる」
「壁に耳あり障子に目あり」
「畳の上の水練」


ここまでくれば、あとは子供の国語の成績が上がるのを待つだけである。

雨の庭

2007年04月22日 | 我が家のスペシャルな仕様
 
ここのところ雨の日が多い。
ただ、子供のころと違って雨は嫌いではない
雨の日に庭を眺めるのはむしろ楽しい
春の雨だと植木が本当に嬉しそうだ。
庭には癒しの効果がある。
プライスレスな家の価値だと思う。
家は計算できるスペックを優先的に考えていればいいものではない。
感覚的なものだって大事にしたい。

多すぎるたけのこ

2007年04月21日 | 山小屋・ログハウス
 
この季節、両親はたけのこ掘りに精を出す。
竹かんむりに旬と書く筍は、当然、旬なもの好きの私の好物であるのだが、この時期に我が家にもたらされる量はいささか多すぎる。

現在、日本の山林においては竹林の侵攻が著しく、ただでさえ手を入れられずに荒れている山林をさらに荒れさせている。山林主の中には竹林の勢力を抑えるために「たけのこ掘り」を歓迎する人もいる。
そんなこともあって、両親が掘るのは我が家が山林を購入したときに知人となった山林主の竹林で、掘り放題なのである。
貧乏性の血筋からか、両親は消費量も考えずに掘ってくるので、量がはんぱじゃない。
以前は業務用ガスコンロに大きな釜をのせてそれをゆでていたが、去年、さらに大きな釜を購入し、山小屋のほうで薪を使ってゆでている有様(冒頭の写真がそれ)。
いまやそのへんの農家に負けないくらい「ゆでたけのこ」を生産しているのではないか。

そのようにできたものは1軒の家で消費するような量ではなく、親戚、友人、知人、隣人に配って回る。
掘って、運んで(たけのこは結構重い)、ゆでて、送って、という一連の作業はけっこう手がかかっている。何の報酬もないが、両親は嬉々としてやっている。
実はこの地域のたけのこは知る人ぞ知るうまいたけのこという話もあり(高級料亭にも出荷しているというウワサもある)、送った相手からは感謝の言葉が寄せられる。人が喜ぶ姿がうれしいようだ。


ふと思ったのは、全国のたけのこ自慢がたけのこを交換しあうネットワークがないだろうか、ということ。そういうものができれば、利き酒ならぬ「利きたけのこ」とか「全国たけのこ選手権」なんていうイベントもやれそうだ。
あれっ、一層たけのこが増えそうな話になってしまった。

拝啓、イエ男くん

2007年04月17日 | 家について思ったことなど
livedoorニュースに「拝啓、イエ男くん」などというコーナーができていた。

例の「電車男」が話題になって以来、便乗して「○○男」というネーミングが目立つようになっているが、これもその類だろう。
「電車男」の展開を想像すれば、「イエ男」は家づくりに悩むある男性がネット上のアドバイザーを巻き込んで紆余曲折しながら家を建てる話かと思ったが、これはそういった話ではなかった。
様々な事情から実家というイエに住み続ける男性の話を集めたものであった。
興味のある方はコチラ↓をごらんのほど。
http://news.livedoor.com/category/vender/115/

ひとまずタイトルのみ下記に紹介しておく。
【イエ男くん file5】これぞ息子の鏡!? 一家の大黒柱の立派なイエ男くん
【イエ男くん file4】風俗なしには生きられない でも母親を想う気持ちは世界一
【イエ男くん file3】実家だけでなく俗世間からも「出家したい」
【イエ男くん file2】女に始まり、女で終わった一人暮らし
【イエ男くん file1】母と二人暮らし・アキラさんの夢はズバリ!「独立」


しかし、「イエ女」と比べて「イエ男」ってそんなに少ないの? 結婚したあとも実家に親と同居する場合は「イエ男」とは違うの?というような疑問もある。わざわざ「イエ男」というレッテルをつけてくくりだすことに違和感がある。
やはり、家を建てる「家男」のほうが「○○男」の流れに沿っていると思う。

「経軒値」の提案

2007年04月16日 | 家について思ったことなど
各県をどのくらい経験しているかを測る「経県値」を算出する「経県サイト」というのがある。
「経県値」は、住んだことがあるのが5点、泊まったことがあるのが4点、…、通過したことがあるのが1点というように点数付けして算出するものだ。
ちなみに私の経県値は122点だった。転勤族の方だったりすると「経県値」は相当高くなることだろう。

「経県値」が経験値のもじりであることを考えつつふと思ったのが、何軒の住宅を経験しているのかを表す「経『軒』値」というのを意識したらどうだろう、ということ。「経軒値」とはすなわち暮らしたことのある住宅の軒数である。
「経県値」が、その人の日本の各地域の理解度をある程度推し量ることに使えそうなのに対し、「経軒値」は、住宅の良し悪しへの判定力をある程度示すのではないかと考えられる。
「経軒値」が高い人は、いろいろな住居のいい点、悪い点を経験してきていると推定できる。

私の場合、現時点の「経軒値」は(山小屋をおまけして)8軒となる。
地元では旧宅以前の住居、旧宅、建て替え中の借家、新居、山小屋の5軒。
東京で学生時代のアパート、社会人独身時代のアパート、単身赴任時代のマンションの3軒。
これは日本において多いほうなのか少ないほうなのかはよく分からない。
地元の友人の間では多いほうだが、上京してから知り合った友人と比べては多いほうでもない。

転勤族の方々は「経県値」と比例するように「経軒値」も高いであろうが、現役時代は転勤のたびに理想の住居を追い求めるのはかなり難しいだろう。達観から住居に過大な期待は抱かずに自らの適応力で対応しようと思っている人が大半かもしれない。
ただ、「終の棲家」を想定して建てるような場合は、住居に入れ込むということはありそうである。いや、「経軒値」より「経県値」のほうを活かして、住居へのコダワリより気候・環境を考慮した地域の選定のほうを重視するかも…。


やまぼうしの新芽07

2007年04月14日 | やまぼうし
 
ウチのやまぼうしが勢い良く新芽を出してきた。
すっかり春である。

去年も新芽の報告をしていたが、日付を見ると今年はちょっとだけ遅い感じがする。


新芽報告一番乗りしたやまぼうし連合(※)理事長のaiaiさんのエントリにトラックバック。

(※)やまぼうし連合とは自宅にやまぼうしを植えている人の報告会のようなものである。

<お知らせ>
今回から「やまぼうし」カテゴリを新しく追加しました。

えらそうな「家(か)」

2007年04月13日 | 家について思ったことなど
世の中には「家(か)」が付く人がけっこう多い。
以下、各種の「家(か)」に対する「えらそう」をキーにした私のイメージ。
(注:当然、部下や弟子、業者に対してはどの家(か)にもえらそうに振舞う人は多いだろう。ここではそれぞれの「お客さん」に対してもえらそうに振舞う人が多いか多くないかをイメージしたものと考えて欲しい)

<第1分類>えらそうな人がかなり多そうな家(か)
 小説家
 政治家
 政治評論家

<第2分類>えらそうな人が少なくなさそうな家(か)
 画家
 彫刻家
 陶芸家
 作曲家
 作詞家
 演出家
 投機家

<第3分類>えらそうな人がある程度いそうな家(か)
 宗教家
 写真家
 書家
 音楽家
 漫画家
 脚本家
 投資家

<第4分類>えらそうな人はあまりいなさそうな家(か)
 噺家
 格闘家(こわそうな人はいるが・・・)
 舞踊家
 研究家

<おまけ※>えらそうでもえらそうでなくてもどうでもいい家(か)
 収集家
 薀蓄家
 愛妻家
 恐妻家(えらそうな人はいまい)
 楽天家
 倹約家
   ※ようするに職業ではない家(か)。


さて、肝心の(笑)「建築家」はどうだろう。ここでいう「建築家」とは、設計事務所を運営、ないし設計事務所に所属する建築士で実際に設計を主体的に行っている人、というほどの認識だと思って欲しい。

私のイメージでは建築家は<第3分類>なのだが…。
世間的には<第2分類>に分類されていそうな気がする。
また、実際に建築家に接触したことがない人をそちらに向かせないようにするために、<第1分類>とか<第2分類>に属するような職種だと営業戦略的に吹聴する住宅業界人も少なくないような気がする。

もちろん、えらそうであってもそれにふさわしい実力があるのなら問題はない。
私の場合、えらそうな人物が出てきたらクライアントとしてそれ以上にえらそうに振舞えばいい、などともくろんでいたがそうはなっていない。それが<第3分類>の根拠のようなものになっている。

なお、分類はあくまで私個人によるイメージである。個人差があることは重々承知している。異論自体は聞いてもみたい。




このエントリは「家(か)の問題」シリーズである。そのほかの「家(か)の問題」シリーズは左側の検索窓で「家(か)」と入れて検索のほど。



家の「最高値」「最安値」形成時期の悲しさ

2007年04月06日 | 家について思ったことなど
株式市場には「最高値」(さいたかね)という用語がある。ある会社の株式が取引所に上場してから最も高い値段をつけることをいう。安い時期に買って最高値で売ることができたらそれこそ最高だが、そんなにうまく読みはあたるものではない。
これが「家」の場合はどうだろう。
いつ最高値をつけるか、と問われればあっさりと正解を言うことができる。
それは注文住宅なら「竣工時」、建売住宅やマンションなら「購入時」だ。
ということは、購入者は最高値をつける時期を知っていても儲けることはできないということをあらわす。なんと不自由な資産だろうか。
世にある「いい家」論議の大半が、出来たときのスペックばかりで語られるのは、住宅というものは右肩下がりで価値が下がるというのが定説になってしまっているからなのかもしれない(関連エントリ)。

しかし、市場価値が右肩下がりであるのは日本の市場と住宅政策が未成熟であるために正当な評価がなされないせいであって、利用価値としては決して右肩下がりではない。家は手入れしたりカスタマイズしたりすることによって使い勝手は向上する。そして古刹や古民家を見てみれば、古くなることによって生まれる風格が付加価値を生むことだってあることもわかる。
欧米では手に入れたときより高い値段で家が売れる場合もあることは以前紹介した。
欧米の家が特別なのではない。日本の家にだってそのようなポテンシャルはある。
まっとうな欧米の家をそのまま日本に持ち込んでちゃんとメンテナンスしても未成熟な市場と政策のせいで右肩下がりで市場価値を下げられてしまうだろう。逆に日本のまっとうな家を欧米に持ち込んでちゃんとメンテナンスすれば発達した市場によって正当な価格がつけられることだろう。

持ち家と資産形成の話を聞くとき、このギャップにもう少し焦点をあててもよいのではないかといつも思う。利用価値や付加価値があっても市場がタコだから価格をつけてくれないという実態。
使用者にとっては市場価値がないものでも利用価値があれば有効な資産ではあるはずなのだ。また、バランスシートに表すといびつな家計になるかもしれないが、一方で実態を表さないバランスシートというものだって世の中の随所に存在するということも知っておくべきことである。

有効な資産なのに価値を時間経過で一律に下げられる。いわば毎日「最安値」(さいやすね)を更新する資産。資産としての家をとりまく日本の環境は悲しい。