家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

カケヤの音が響く朝

2010年11月27日 | 建築現場記録
 
 隣地の住宅が上棟中。
 昨日8割がた終わっていた感じだが、今日は残りの部分をやっている。
 カケヤの音が響く。
 私はワークショップでこうしてPCを打ちながら上棟をリアルタイムで見る。
 これも面白い。
 施主の姿が見えないようだが、私だったらきっと最初から眺めているだろうなあ。

板塀計画完了

2010年08月29日 | 建築現場記録
 
 我が家の板塀計画が完了した。
 塀の最上部を板金屋に葺いてもらった。
 ダークグレーの板金はガレージのゲートの色とあわせたもの。締まった感じになったと思う。

 ところで、別に時期を相談したわけではないが、完成からしばらくして、隣の工場跡地で地鎮祭があったようだ。
 平日なので私は見ていないが、法螺貝まで吹いて結構本格的な地鎮祭だったらしい。
 しばらくの間、他人様の家作りを観察して楽しませてもらうことができそうだ。

板張り完了 板塀計画その4

2010年08月14日 | 建築現場記録

 父の普請道楽の直近案件である「板塀作り」が完成に近づいている。
 メインの板張り作業が完了したのだ。

 柱を渡す長さの板を板幅分だけ間をあけて順に横張りし、そのあいた部分を埋めるように柱の裏側から交互に板を張ってある。
 普通の身長の人間の目線からなら居室は見えず、プライバシーは守れる。
 一方、塀に近い位置にいれば、目線を上に動かしたり下に動かしたりすることによって上下のどちらかに隙間がちらりと見える(平行目線ではないので居室は見えない)。これで塀の前後に立つ人の「けはい」を感じることができる(関連エントリ→LINK)。視線を完全に防ぐ塀よりは防犯効果があるように思っている。
 また、この塀は風をゆるりと通す。風が好きな住人(関連エントリ→LINK)にとってはこれも重要な機能なのだ。
 我が家の「外部とのつながりを保つ」というコンセプト(関連エントリ→LINK)は塀も住宅と同じなのである。

 なお、この構造は我が家のオリジナルではない。どんな塀にしようかと地域のいろいろな塀を見て回ったときにこれと同様の塀を採用している例を2件見つけ、家族で「この構造にしよう」と決めた。
 上記のような解説を誰かから聞いたわけではなく、上記のような要件を考えてから参考物件を探した結果だ。

 「モノからアプローチするのではなく、コトからアプローチする」
 それが家作りで肝心なことであることをあらためて主張しておきたい

連休大工 板塀計画その3

2010年07月18日 | 建築現場記録
 
 この連休初日に運良く梅雨明けしたので、板塀作りにとりかかった。日曜大工ならぬ連休大工である。
 土台や柱は材が大きいので、父と私の2人がかりで作業する必要があったのだ。
 土、日の2日間で大汗かいて板塀の枠を完成させた。
 後は板を張っていく作業になるが、まだ板を加工しきれておらず、しばらくたってからになる。

3年点検と作り手とタイミング

2008年03月23日 | 建築現場記録
我が新居も竣工から丸3年を経過し、施工を担当してくれた工務店が昨日点検に訪れた。
こちらが気になっていたいくつかの点を指摘し、目で確認してもらって、必要な部分は後日詳細な点検・調査をしてもらうことになった。
そのほかも、まんべんなく点検してもらった。その場で調整できる建具はその場で直し、こちらはさほど気にしていなかった音まで、音が出ないよう補正してくれた。
こういうチェックは細かすぎると思われるくらいの方が施主は安心感が持てる。また、細々としたメンテナンスや使い方の注意点も指南してくれてありがたく思った。

点検が終わってお茶を飲みながら話したことだが、作り手というものは自分が作ったものに責任とプライドを持つべきだと思っている。このように作ったものを気にかけて点検に訪れる行動は基本作業といえるかもしれない。

茶飲み話として、気になっていた住宅業界の環境についても聞く。
こちらは業界外に伝わる情報での理解でしかないが、建材が値上がりして大変じゃないかと…。
実際大変だと言う。
例えば我が家のパーツでいうと、縁側部分に鋼材を使って組んだガラス屋根のところなど、今注文したら3年前の金額に5割増しした金額でも受けられない、と言っていた。特に鋼材は価格が跳ね上がっているらしい。それ以上は聞かなかったが、涼み台に上る螺旋階段などはもっとすごいかもしれない。

我が家を建築中の3、4年前はデフレでモノの値段が安かった。「あのころは、お客さんにいい材料を薦めることができたのに、難しくなっている」との言葉には実感がこもっていた。
「できるだけいい素材で作りたい」というのもモノの作り手らしい心構えである。
これが作り手(メーカー)ではなく流通業であるなら、いいモノを売るのは嬉しいが、その前に「できるだけ安く仕入れて高く売りたい」という気持ちが先に立つだろう。同じ工務店でも建売住宅の販売のほうに力を入れている工務店だと、流通業的な価値観が入り込みやすいのではないかと思う。

それはそうとして、作り手がいい素材を使いやすかった時期に建てられた幸せを意識し、改めて「お得な時期に建てたと思う」と思った次第。金利は上がりそうになくなってきたけれど…。


求ム、家屋調査必勝法

2005年11月11日 | 建築現場記録
登記からそろそろ半年になろうとしているのに、固定資産税のための家屋調査が無く、「このまま忘れてくれているといいんだが」などと都合よく考えていたのだが、今日、ついに役所の税務課の人間が調査予定日の調整に現れた。

税金分の予算は考えてある。しかし、少しでも評価が低いのにこしたことはない。
ハードはごまかしようがないので、心象的に評価が下がる手法はないだろうか。
「部屋をちからしておくと貧乏くさく見えないかなあ」
「天井の隅にわざと蜘蛛の巣をはらせておいたらどうだろうか」
「調査員が見て回っているとき、家に対する不平不満(ウソだけど)をぶつぶつ言ってみようか」
などなど、馬鹿な作戦が思い浮かんだが、実際なにがしかの効果のある作戦があったら、誰か指南してはいただけないでしょうか。


<おまけ>妄想中に一つ思いついた商品
「ポストイット式壁紙」
塗り壁の方がクロス張りより評価が高くなると聞く。であるなら、塗り壁のうえから張れて、簡単にきれいにはがせるポストイット式の壁紙があったらどうだろうかという発想。
ニーズがあるなら実用新案を出そうかな。

庭ができた――苔の帰還

2005年04月24日 | 建築現場記録
父親と庭師が2人で作っていた庭が出来上がった。
もっとも、庭師が手を入れたのは石の配置までで、残りは自家製。出来上がりの割りに驚くほど低コストで出来ている。

父と母が育てた例のは、施工している間、山小屋の方に疎開していた。改めてみてみると、自然界の近くでたくましくなって戻ってきた感じがする。
植え込んだばかりなので、まだ「虎刈り」の風情があるが、しばらくすればなじんでくるだろう。

写真はNASAの偵察衛星をネットで遠隔操作して取得したもの、
ではなくて、涼み台から撮影したものだ。

踏み石の配置はさすが庭師といった感がある。 


ダンボールとの戦い

2005年03月24日 | 建築現場記録

目の前にあるのは、何の表情も見せないダンボール箱。
中に入っているものを知らなければ、そのままケトバしたい存在。
今思えば、この形になる前、もっと慎重に詰め込むべきだったと悔やむ。
大切なものと、どうでもいいものが混在している。
開けたとたん、どうやって片付けたらいいものか、途方にくれる。
なかば投げやりになりながら、ひとつの箱を片付ける。
すると、その背後には次の箱が無表情に鎮座する。
開けてみると、今度はどこに収納したらよいのかわからないモノが顔を出す。
それもなんとかねじ伏せる。
するとまた、別の無表情な箱が平然と居座っている。
次から次へとそうした相手が対峙する。
地獄の百本組手なのか、これは。

ひとつの真理にいたる。
施主適齢期はある。あと10年後では私は施主はやれそうにない。

引き渡し

2005年03月21日 | 建築現場記録
2005年3月19日、ついに我が家の引き渡しとあいなった。

まるまる8カ月をかけて、まだ手直しはあるのだが、ちゃんと住める状態になった。
とにもかくにもよろこばしい。

こまかな手直しはさておき、全体としては申し分なく、工務店、設計事務所、ご近所の方々すべてに感謝したい。

現在、段ボールと格闘中。それは後日報告することとする。

オープンハウスと宴会

2005年03月13日 | 建築現場記録
3月12日、予定通り、オープンハウスを開催した。
ただ、前日まで突貫工事といっていい状況で、当日朝になってハウスクリーニングをしている有様。
古屋の方の修復工事は間に合わず、障子を閉めたままの公開となった。
まさにどたばただった。

12:00からの公開だったが、ご近所の方はその前に訪れた。昼食前にちょっと見ておこうということなのだろう。
12:00を回ったばかりの時間はさすがに人は少なかったが、13:00ごろからは、とぎれなく人が来るようになった。
遠くは大阪からm-louisさんが訪問してくれたが、他にも長野県から来たり、熱海市から来たり、時間と労力を使ってわざわざ見に来る人がいてびっくりした。
市内でも結構遠い場所から見に来た人がいた。
晴れという天気が幸いしたのだろうが、興味を持ってくれる人がいるのは何となくうれしいものだ。

自分も、あらためてじっくり家を眺めていると、建築家が「まるで人のオープンハウスに来たみたいですね」などとちゃかす。
「昨日までごちゃごちゃしてましたからね」と皮肉を込めて切り返しておいた。

いったん昼食ではずしたものの、それ以外はずっと現場で新築の我が家を味わっていた。

もっとも・・・。
残工事はまだ多く、ここにいたって引き渡しをさらに1週間延ばした。
ここまでくると私も一週間くらいはどうってこともないように思えてしまっている。それでいいのだろうか。

18:00ごろから、現場で工務店、設計事務所をねぎらう食事会をした。
感謝の意を伝え、乾杯。その後はにぎやかな宴会と化した。病み上がりの身なのに、うれしくてしこたま酒を飲んでしまい、しまいには前後不覚に陥り、記憶はとぎれた。
翌日(つまりきょう)は完全に2日酔い。
自業自得なのだが、それだけうれしかったということで、自分で自分を弁護している。

おおわらわ

2005年03月09日 | 建築現場記録
父と母、また設計事務所からの報告を聞くと、今週末のオープンハウスと引渡しに向け、現場はおおわらわのようだ。

自分は離れた場所にいるため、隔靴掻痒といった感はどうしても出てきてしまう。
ただ、ここまでくると、施主としての自分はあんまり焦りのようなものはなく、むしろ陣中見舞いや応援に駆けつけたいという気分。
本当はずっと現場にいたい。そして、職人として「いい仕事」をしていれば、「うんうん」とうなずき、その場で賞賛し、励ましたい。
急ぐ必要はあるが、何より確実な仕事を望んでいるのだ。


ここへきて、情けないことに風邪をひいてしまった。新しい職場でもらったらしい。前の職場から一緒に異動した部下もダウンした。
空調の効き具合が前の職場と違うというのも影響したかもしれない。
シックハウスというわけでもなく、家を変えると体調を崩すということもあるらしい。それをオフィスにおいてプレ体験したということか。これでワクチン的効果を得て、住宅でそういうことはおきないだろうと考えることにする。

とにもかくにも、
風邪は、週末までに「気合」(by アニマル浜口)で治すことは宣言しておく。

足場撤去--インパクトの大きいイベント

2005年03月05日 | 建築現場記録
 ついに足場が撤去され、家の姿が見えるようになった。
 家の外観を表すということは、お披露目や幕開けといっていいイベントだと思う。
「幕」の内側にいる施主、設計事務所、工務店にとっても、「幕」の外側にいた施主周辺の人々にとっても待ち遠しい瞬間ではないだろうか。

地鎮祭や上棟式の他に、イベントじみた行事をしてもいいように思える。


2月11日の記録

2005年02月11日 | 建築現場記録
現場で打ち合わせ
・ 古屋の補修範囲の確認
・ 外壁の色、塗り方を決定
・ 縁側の踏み石の確認
・ スノコ壁の開口場所決定

現場進捗
・ キッチンの床タイル施工完了
・ トイレの小便器周りのタイル張り完了
・ 縁側の基礎工事
・ ワークショップと子供部屋を区切る本棚設置
・ 子供部屋のロフトベッド、棚施工
・ 涼み台の床張り完了
・ デッキテラスの床施工中
・ カーポートの門の板金工事


涼み台の床が張られたため、上に上ってみた。
想像以上の眺めの良さに満足。花火の上がる方向の視界は良好で、座っても花火がばっちり見えるであろうことが確認できた。
遠くの山並みも見えてイイ。時には夕焼けも楽しめそうだ。

2月5、6日の記録

2005年02月07日 | 建築現場記録
2階デッキテラスと涼み台周りのスノコ壁にとりかかっていた。
このスノコ壁、格子戸の原理と同じで、外から中は見えにくく、中から外は見やすいという機能を持つ。風も通すので、洗濯物干し場としては非常にいい。

板金工事の職人さんと左官職人さんも作業中。それぞれ、笠木作りと外壁の下地作りをしていた。

この週末、実は忍者まがいの作業をする羽目になった。
ここへきて古屋をあちこち補修しはじめているのだが、天井裏にものすごいホコリが堆積していることが判明したためだ。
風車の弥七ばりに、天井の角部分の板をはずし、天井裏にもぐりこんで掃除をした。弱い天井板の上に乗るわけにはいかないので梁の上を移動しながら、はいずっての作業、梁の上だけでは隅に手が届かないので足場板を渡して、移動した。
箒とちりとりでゴミをあつめ、その後掃除機をかけた。ついでに梁も軽く拭いた。
もうもうとホコリが舞い上がるなかでの作業。終わったころには身体中がすすけていた。防塵マスクは真っ黒だった。
忍者が覆面で鼻と口を隠すのは、顔を見られないようにする以外、ホコリを吸い込まないようにするという目的があったに違いない。

我が家はこれで、古い日本家屋の天井裏掃除のノウハウをつかんだ。しかし、こうしたハウスクリーニングの需要は世間にはありそうにないのがなんとなく悲しい。