家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

構造計算をチェックするのにふさわしい組織――今後のために

2005年11月30日 | 家について思ったことなど
構造計算書偽造事件、もう収拾がつかなくなるくらいさまざまな問題を噴出させている。
この事件をどう解決すればいいのか妙案は浮かばないのだが、せめて今後、同様の事件が起きにくくするようにするにはどうしたらいいのか、考えてみた。

明らかになったいろいろな問題のうち、構造計算の確認検査機関を建築主(売主)が指定するという仕組みが特に大きな問題だと思う。売主側が、時間もかかり、「経済設計」にならない厳しいチェックをする機関を敬遠するのは間違いないからだ。(この問題をとらえて、「官から民に任せればいいという流れに問題がある」などという人々が結構いるが、私はそうは思わない。イーホームズで検査業務に携わっていたのは大半が元公務員だったではないか。それに、官に任せて税金が高くなるくらいなら民のなかで工夫した方がいい)

そこで、建築主に自由に確認検査機関を指定させないという方策がひとつ浮かぶ。
ではその指定は誰がやるべきか、ということになる。私は金融機関が指定するのが妥当である、と考える。
大抵の住人は金融機関を利用して住宅ローンを組む。そのローンの担保となるのは購入した住宅そのものである。今回の事件では取り壊すことになるのだから、担保価値は消滅した。ということは金融機関にとっても「おおごと」になっているはずだ。ローンの利用者が破綻したら、最低限回収できたはずの担保がなくなってしまったのだから。
で、これからは金融機関が信頼できる検査機関を指定する方式にするのである。もちろん、マンションの場合、住人の購入時にローンを組むのだから、建てる前に検査機関は決めておかなければならない。だから金融機関が検査機関にあらかじめ、ここなら大丈夫という「お墨付き」を付与しておく。自前の検査機関を作ってしまってもいい。1機関だけだと物件が流通しにくくなるので何社か指定する。そして指定した検査機関のチェックを経た物件でなければローンに応じないことにするのだ。建築主は売りやすいように多くの金融機関のお墨付きを得ている検査機関にチェックを依頼するようになる。
建築主が好き勝手な検査機関にチェックさせていた物件でローンの依頼があったときは、もう一度、指定検査機関にチェックさせるようにする。そのコストは建築主ないし購入者に負担してもらう。
あるいは、検査機関を区分けし、それに応じてローンの優遇措置をとるというのでもいい。自社指定機関、他社指定機関、金融業界団体指定機関、指定されてない機関等々に分けて差をつけるのだ。それで購入者側もリスクを意識できるように思う。

このようになれば、検査機関は金融機関の指定を得ようと、間違いの無いチェック体制を構築するようになる。本来、いい仕事をしているはずの厳格検査をする検査機関が甘い検査機関に仕事をさらわれているというような悪しき状況も改善する。甘い検査しかしない検査機関は淘汰される。
売主による、極限を目指した「経済設計」には歯止めがかかり、リスクは小さくなる。
万が一、この仕組みで今回のような欠陥物件が出てきたとしても、ローンに応じた金融機関の責任も問えるわけで、被害者の負担を軽減することができる。

さらに、民ならではの将来の展開をひとつ。
○構造計算者、検査機関による建物の格付け
構造計算者や検査機関は建物の目に見えないスペックの良し悪しがわかるのだから、建築基準の「合否」を確認する業務を一歩進めて、建物を格付けする業務を始めるのだ。「基準すれすれ」を「BBB」程度として最上位の「AAA」まで格付けランクを作る。そして、耐震性能「AA」、断熱性能「A」、防音性能「AA」・・・というように認定していく。
その情報は住宅の性能表示に直結するので、購入者は価格に納得して購入することができるようになる。金融機関はリスク管理が容易になり、高格付けの建築物の担保価値を高く設定し、ローン金利も優遇する。格付けを取得した建物とそうでない建物で差がつき、建築主はこぞって格付けを得ようとする。検査機関は建築主にも、金融機関にも毅然として対応できる。REIT(不動産投資信託)にも組み入れやすくなるし、REITの投資判断もしやすくなる。中古住宅市場も活性化しそう。総じて健全な市場原理が働くようになる。

どうだろう。これなら官に業務を戻すよりも未来に希望が持てていいと思うのだが。


基準すれすれのリスク

2005年11月28日 | 家について思ったことなど
「経済設計」に関して先日書いたが、姉歯某がやった基準に満たない設計は論外としても、基準をすれすれでクリアするというのもどうかと思う。

施工は設計図面どおりになされるものというのはあたりまえのように思えるが、量産品でない建築物をつくるとき、図面上の不都合が現場で発覚するということは少なくない。不都合というほどでもなく「窓のサイズを少し変えたい」なんていう要望だって出てくる。そのとき、なにがしか図面どおりでない部分ができることになる。それが必ずしも構造に影響を及ぼすとはいえないが、すれすれの構造計算であるならば、わずかな変更でも気になりはしないか。
また、机上の計算ですれすれに基準をクリアしたならば、完全無欠の施工管理・監理がなされてはじめて名実ともに基準を満たす建物になりましたと言えることになる。施工する職人のミスともいえないようなちょっとした間違いとか勘違いが1箇所でもあったら、すれすれであるがゆえに現実の建物では基準値に満たない数値になってしまう恐れがある。
「経済設計ができる」ということは、「できるだけ少ない構造材で建築基準をクリアする設計ができる」ということであり、その追求はどうしてもに限りなく「すれすれ」近づこうというベクトルになりやすい。

施工者が設計者に「経済設計」を要求するという行為の上流には、住宅の購入者や施主がとにかく安さを要望していることが一因となっている場合がある。購入者や施主が安くなるよう要望するのはごく自然のことではあるが、構造のような部分まで、極限まで安くしろというように下流に伝わっていないかどうかは確認した方がいい。
地震や台風などの対災害に関わる構造部分をすれすれのレベルまで「経済的」にしてもらっていても素直に喜べない。


「やまぼうし」の不思議な風景

2005年11月27日 | やまぼうし
やまぼうし連合のfinziさんが、紅葉した自宅のやまぼうしの姿を紹介している。

我が家のやまぼうしも紅くなってきたので写真で紹介しようと思って撮りに行ったら、なんと、まだ花が残っていた。もう半分以上紅い葉になっているというのに・・・。不思議だ。

やっぱり、どこかヘンである。

「経済設計」とは何か--欠陥マンション問題で考えた

2005年11月27日 | 家について思ったことなど
例の欠陥マンション問題で、問題の本質にあるのは「経済設計」ということではないのだろうか。
「経済設計」、要するに施工コストが抑えられる設計ということ。構造計算業務をする設計事務所の関係者(姉歯ではない)が、経済設計ができないと仕事が回ってこないとのことをインタビューで答えていた。
施工業者は「鉄筋を減らせ、などとは言ってない」というが、できうるかぎりの経済設計にすることは要求していたであろう。
経済設計といっても、基準を満たすことが大原則ではあるが、コストを抑えよという指示が行き過ぎれば、基準をないがしろにする業者が出てくるリスクは当然高まる。今回の事件はそんな流れの中で発生したように見える。

これは住宅の供給側の問題だけではないと思う。購入者側が価格と表面的な見かけだけしかみないのであれば、見えない部分のコストを抑える方向に業界の一部が動くことは容易に想像できる。
構造を気にしないで住宅を購入するとこんな事件の被害者になることもありうると思う。
「安いものには安いなりのワケがある」というのは真実だ。その「ワケ」が肝心カナメの部分の手抜きであってはならない。「なぜ安いのか」はちゃんとチェックしておきたい。

我が家の設計者は構造にこだわりを持っていた。私はそこが気に入った。
家づくりに関するネガティブ情報を集めているとき、建築家の「作品」を批判する人々なかに「デザインはかっこよくても構造に不安がある」という意見が多々あった。
それが、建築家全般に対するリスクのように語られていることに反発を持つ一方、建築バカとも言える建築家という職種に、構造オタクのような人物だって少なからずいるはず、と思った。それで、「構造に対するこだわり」を建築家選びのポイントの一つとして意識した。そして、家についての要望のなかに「地震に強い家」という項目をちゃんと記した。

構造は耐震性だけを考えればいいというものではない。間取りの自在性、断熱・気密のとりやすさ、換気のしやすさ、防音・・・。
構法はいろいろあるがそれぞれ得手・不得手があって、どの構法を選択するかは各施主で決めるべきことである。ただ不得手分野といっても、やりようによってはそれを得意とする構法以上の性能を得る対処法だってあるのだ。

我が家は近頃でいう「経済設計」とはとてもいえない。木材の量は多いし、材は大工による手刻みだし、基礎にはお金をかけることになってしまったし、工期は延びたし・・・。
しかし、長く持たせることによって「経済設計」にはなる、と思っている。だから欠陥につながりかねない設計を「経済設計」という、実態がわかりにくい表現にしていることは問題だと考えている。

あらわし

2005年11月26日 | 我が家のスペシャルな仕様
 
2階の天井を見上げると、梁があらわしになっている。
この形が好きだ。
越屋根があるため天井が高く、屋根の下の構造をほとんどあらわしにしている古民家の内観と、少しだけダブって見えるせいかもしれない。

構造材が見えることは自然に安心感も生む。
家の「骨」がおかしなことになっていないか、いつも見ることができるからだ。

INAX銀座ギャラリー

2005年11月23日 | 家について思ったことなど
住宅関連の本を探すとき、東京駅近辺だと「INAX銀座ギャラリー」が便利である。銀座線「京橋」駅から徒歩1分だが、東京駅の徒歩圏内といっていい。

1階が建築関連に特化した書店になっている。
グラフィカルな大判本から文庫本にいたるさまざまな書籍が置いてある。
店舗面積としてはさして大きくはないのだが、何せすべて建築関係本。ゲップがでるほどのラインナップだったりする。
近刊以外、一般書店になかなか置いてないINAX出版の本はたぶんここにすべて置いてある。

9階には2つのギャラリーがある。
会社柄、陶器や住宅に関連した展示を催している。

施主や施主予備軍にはいいスポットだ。

11月22日は「いい夫婦の日」

2005年11月22日 | 我が家のスペシャルな事情

あかりの日」、「いい石の日」に続き、だんだんとシリーズっぽくなってきた記念日紹介。

11月22日は「いい夫婦の日」とのことである。語呂合わせで決まったようだ。

私達夫婦も基本的にはいい夫婦でありたいとお互い願っている(はずだ)が、夫婦がどれくらいいい状態なのかを判定する「ものさし」はないので、いい夫婦の範疇に入れてもらえるかどうかはよくわからない。
そんな中で、ウチには、はっきりと「いい夫婦だなあ」と思えるカップルが存在する。
私の両親はそこそこいい夫婦だと思うが、この夫婦のことではない。
庭木の「ひいらぎ」に巣作りをした山鳩の夫婦がすごく「いい夫婦」なのである。

巣作りの場所を物色しに我が家の庭にやってきたころから、ほほえましい風景を見せてくれた。
妻らしき鳩が、「まき」や「ひいらぎ」の枝をひょこひょこと移動しながら、場所を探す。きょろきょろと枝ぶりなどを眺めるさまは、人間界で住宅設備展示場を熱心に見て回る奥さんの姿を思い浮かばせた。
その間、夫と思わしき鳩の方は、古屋の屋根にチョコンととまって見守っている。妻鳩がきょろきょろしている場所と同じくらいの高さの位置に陣取って。
買い物に熱中している奥さんをうんざり眺める夫の目とは違う。
家探しに熱中している妻鳩を夫鳩が外敵から守ろうと目を配らせているのであろう。
それだけでなく、妻鳩が手が届く範囲の良し悪しを吟味し、夫鳩がもう少し広い範囲の環境を吟味しているようにも見えた。
自然に役割分担し、夫唱婦随でもあり、婦唱夫随でもあるようで、夫婦愛がにじみ出ているのだ。
いろいろな思い・価値観が交錯する人間の夫婦の複雑な関係と比べると、すがすがしい、いいカップルに見える。

休日、ワークショップの机の前に座っていると、この夫婦鳩の行動を同じ目線で観察できることがある。
こういうことはあらかじめ計算できないが、偶然のチャンスをしっかりひろえるつくりというのはあるのかもしれない。物語の舞台(庭)と観客席(ワークショップ)の絡み具合を考えると、つくづく「家」というものはいろいろな要素がつまっていると思う。

家のパーツに名前をつける

2005年11月18日 | 家について思ったことなど
某所にてある人の家の「月見窓」を紹介する映像をチラっと見ている時、ふと思いついた。
「月見窓」というのは、「雪見障子」と同様に、昔の人が粋なネーミングをした家のパーツである。
それぞれネーミングにはれっきとした謂れがあるのだろうが、自分の家のパーツにオリジナルな名前をつけたら面白いと思った。

先日紹介した窓などは「雲見窓」とでも名づけようか。
その窓のエントリにトラックバック(TB)してくれたmartiniflatsさんのエントリにTB。
martiniflatsさんの「窓」も名前をつけてみたらどうだろう。

考えてみたら、我が家にも「涼み台」という名前をつけた屋上(?)があった。これまで「名付け」したこと自体をそんなに意識していなかったが、今考えると名前を付けておいてよかった。
「これぞ」というモノに名前をつけたら、それは家のシンボル的な位置づけにもなるし、家に愛着がわいてくると思う。

そんな流れで、テラスベンチ越屋根などに新たに名前をつけたくなってきた。
テラスなら「空観室」なんていうのはどうだろう、とか。

ただ、多くのモノにスペシャルな名前をつけると少々ウザい。ネーミングにこりすぎてもいけない。バランスは考えないとならない。ぼちぼちと考えることにする。
この際、「他人の家のパーツでも、気に入ったものは名前をつけてしまおうか」などと悪乗りしたくなってきた。
これを読んで、家のパーツに名前を付けたくなってきた方、アイディア出しますよ(笑)。

床暖房

2005年11月16日 | 我が家のスペシャルな仕様
床暖房のやんわりとした暖かさが気に入っている。
この暖かさの質は温度計の数字ではわからない。
足元が暖かいということではホットカーペットも同様のはずだが、やはり暖かさの質は違う。もっと芯から暖めてくれる感じ。
何かの住宅本に「借金してでも入れる価値あり」と書いてあったが、納得してしまう。
とはいえ、「そもそも借金を前提にした家づくりなんだけど」とは突っ込みたくなったが・・・。

夫唱婦随か、婦唱夫随か

2005年11月15日 | 家について思ったことなど
(広辞苑より)
ふしょうふずい【夫唱婦随】
夫が言い出し、妻がこれに従うこと。夫婦の道をいう。

この言葉を見たとき、夫唱婦随もそうだが、婦唱夫随(妻が言い出し、夫が従う)ということもあるなと思った。
「婦唱夫随」なる言葉は造語になってしまうが、きっと他の人も使っているだろうと想像でき、ググってみると案の定、多くの人が使用していた。夫唱婦随という表現は単に仲睦まじい状態を指すが、婦唱夫随で仲睦まじい夫婦も多いという印象を得た。

それはさておき、
こと家づくりに関して、どちらかの型にだいたい分けることができるのではないか。

私が家づくりというものを面白がりすぎたせいで、我が家の場合、(家づくりにおいては)夫唱婦随型だった。しかし、業界人の話を聞いていると最近はどうやら婦唱夫随型の方が多いようだ。
どちらでもいいが、どちらかが先導しないとうまくいかない感じがする。特にオーダーメイドでの家づくりには会社の経営と同じく、最高経営責任者(CEO)相当の人間がいた方がいい(関連エントリ)。そして情熱が大きい人間が先導者になるのが一番いいと思う。
さらに夫唱婦随型にしろ、婦唱夫随型にしろ、要するに夫婦が仲良く、信頼感を持っていることが重要だと思う。

家づくりの過程で、にわかに夫婦の価値観の違いが顕在化し、夫唱「不」随や婦唱「不」随となって、離婚にまでいたる例があるようである。
それから考えれば、「唱」は重要だが「随」も重要なのである。
少なくとも「唱」をしない相方は「随」の姿勢をとらないと家づくりはうまくいかないように思う。

時に「唱」、時に「随」という関係がバランスよく機能すれば、なおいいかもしれない。

いい石の日

2005年11月14日 | その他
11月14日は「いい石の日」らしい。
この前、紹介した「あかりの日」と違って語呂合わせである。

この機会に我が家の石使いを紹介しようと思ったが、画像がすぐにでてこない。
日がまたいでしまうので、画像は後日出すことにする(この分だと週末)。

建築中に文章のみで紹介した「伊豆石」が実際に敷かれた姿を好ご期待。

空の絵

2005年11月12日 | 我が家のスペシャルな仕様

夫婦の部屋の南側窓から見た風景。

この窓はいろいろな空の風景を切り取って見せてくれるのが面白い。
先日紹介した雪見障子と同様に横に細長く、パノラマか蒔絵のような見せ方をする。

今回はいい天気の雲の風景だが、夜に、月がこの枠内に入っているときも風情を感じる。
きれいな夕焼けも見たいのだが、残念ながら、私はその時間にいる時は少なく、まだ見ていない。

求ム、家屋調査必勝法

2005年11月11日 | 建築現場記録
登記からそろそろ半年になろうとしているのに、固定資産税のための家屋調査が無く、「このまま忘れてくれているといいんだが」などと都合よく考えていたのだが、今日、ついに役所の税務課の人間が調査予定日の調整に現れた。

税金分の予算は考えてある。しかし、少しでも評価が低いのにこしたことはない。
ハードはごまかしようがないので、心象的に評価が下がる手法はないだろうか。
「部屋をちからしておくと貧乏くさく見えないかなあ」
「天井の隅にわざと蜘蛛の巣をはらせておいたらどうだろうか」
「調査員が見て回っているとき、家に対する不平不満(ウソだけど)をぶつぶつ言ってみようか」
などなど、馬鹿な作戦が思い浮かんだが、実際なにがしかの効果のある作戦があったら、誰か指南してはいただけないでしょうか。


<おまけ>妄想中に一つ思いついた商品
「ポストイット式壁紙」
塗り壁の方がクロス張りより評価が高くなると聞く。であるなら、塗り壁のうえから張れて、簡単にきれいにはがせるポストイット式の壁紙があったらどうだろうかという発想。
ニーズがあるなら実用新案を出そうかな。