家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

山小屋と住宅

2004年11月29日 | 山小屋・ログハウス
 家の建て替えに動く前、我が家は家に絡んだ大きなイベントをこなしている。
 自力(セルフビルド)でログハウスを建てたのだ。

マシンカットでキット化してあるログハウスをセルフビルドする人は最近増えてきたが、我が家の場合は丸太そのもの、しかも自分達で山の木を伐採して調達した。木の伐採からやる人はそうそういないはずだ。
丸太の皮むきも人力でやり、ハンドカット(手刻み)で、電気、ガス、水道も引き込んだ居住可能なポストアンドビームのログハウスを自前で作り上げた。我が家では「山小屋」と呼んでいるが、延べ床面積は23坪くらいある。
なんといってもすごいのは、これを建てたのが父であるということだ。還暦をとうに過ぎた人間である。仕事をリタイヤして時間があったとはいえ、パワーはすごい。自分の親ながら尊敬していることを公言したい。
さすがに伐採は一人ではできないので、週末に駆けつける私と2人でやった。皮むきと手元は母も手伝った。
大半を自力でやったので、相当なローコスト住宅であることはまちがいない。「金をかけずに汗をかく」というのが、この家づくりの思想でもあった。

 規模がそこそこあることもあって、さすがに基礎と瓦葺、ガス・給排水工事は業者の力を借りた。ここでちょっとした工務店気分を味わった。ちなみに基礎工事は私の中学時代の同級生、瓦葺は母方の親戚、ガス工事は私の高校時代の同級生の家、水道工事は父方の親戚とその土地の知り合いに頼んでいる。

 山小屋作りの過程を書いたら、本ができてしまうくらいいろいろなことがあった。また、この経験で、家づくりの工程についていろいろなことを学ぶことが出来た。

 実は、自宅の建て替え計画はこのログハウスの竣工を待ってはじめた。
 前の家が築55年の部分と築38年の部分からなり、築38年の方を取り壊すことにしたことをblogの初めのころに書いたが、その取り壊す部分は父が建てた部分だったためだ。旧家屋を取り壊せば、父が建てた家がなくなってしまう。
 しかし、まさに父が自力で建てたログハウスという家が完成したため、心置きなく家の建て替えに臨むことが出来た。
 
 山小屋は去年に竣工したが、まだ「完成」に向け、手を入れている。竣工時よりもじんわりと「いい家」になってきていると思う。

現場打ち合わせ 11/27

2004年11月28日 | 建築現場記録
現場は、玄関前ポーチの天井板が張り終わっていた。落ち着いた色合いときれいな木目に満足。
その他、ところどころに仕上げ用の材が張られていたが、きれいな木目の材をみてうれしくなった。

この日は設計事務所と現場でうち合わせ。
・外壁の塗り見本を見せてもらう。基本的には白系にするのだが、家の形が重なり合った2つの箱のような形状とあって、箱ごとに色を塗り分けるという手もあると示唆される。
今後、設計事務所の方でアイディアを考えるということになった。
施主支給の炭の搬入も近日中からやるということで工務店社長と合意。
ワークショップのデスク下収納の構成について、希望を伝えた。レザークラフト用の革を収納するため、こちらが考えているアイディアを伝えた。
・父の希望で、1階トイレ横のデッドスペースを収納として有効利用するよう検討してもらうことに。
・玄関飾り棚用として、施主支給で提供していたサクラ材は「あばれ」がすごくて使えないことが判明。別の材を検討することになった。ただ、サクラ材の1枚は棟札にしてもらった。


「いい家」になる時と「いい家」である時間

2004年11月26日 | 家について思ったことなど
 家づくりに関する情報は世にあふれているが、大半は「いい家」をつくるための手引きであるといっていいように思う。
 ただ、その多くが竣工時点をもって「いい家」の完成とし、その時点での家のことばかりを語っている。
施主としてはそれでいいのだろうかと思う。

 家の完成があるとしたら、家族が住み始めて、家と家族がしっかり馴染んだ時ではないだろうか。竣工はあくまで人が住めるようになった状態であって、完成とは違うと思った方がいい。私が依頼した建築家も、竣工=完成ではない、という考えの持ち主だ。

 だいたい、新築時が家の生涯で一番「いい状態」だと考えると、将来がつまらない。そうだとすると竣工直後から「いい家」から徐々に遠ざかっていくのであって、喜びもしおれる方向に向くということだ。
 家族が手入れしながら住んでいくうちに、もっと「いい家」になっていくと考えれば、暮らしも楽しくなるだろう。

 また、「いい家」にこだわるのならば、「いい家」としていられる期間も重要ではないか。
 いい家だと満足できるのは新築から10年くらいで、20年もすればつまらない家だと思えてくるとしたら、新築の時、「いい家」にこだわって建てたことがむなしくなりそうだ。それとも、最初から、20年もすれば「いい家」でなくなるのはあたりまえと思って、短命な「いい家」を建てているのだろうか。
 
我が家は築55年の古屋を壊すことができなかった。その間ずっと「いい家」だったからだ。さらに残すのだから、家族にとってはまだ「いい家」でありつづける。10年間くらいしか「いい家」でいられないような新築の家を見ても引け目を感じることもない。
もちろん、長いこと「いい家」でありつづけていられそうな新築の家も見かける。私達家族の新しい家も、長く「いい家」として存在できるにはどうしたらよいか、という視点で考えて、それを目指しているつもりだ。
ただし、本当にいい家でありつづけられるかどうかは家族の力にかかっている。


テラス――屋根の無い部屋

2004年11月25日 | 我が家のスペシャルな仕様
 ガレージの上はテラスにした。ただ、テラスといっても、柱も梁もあり、四方には壁がある。壁は1面が住居に接し、他の3面は横向きに木を「すのこ」状に貼り付けてある。
面積の半分くらいは「涼み台」が天井のように存在しているものの、空が見え全体としては屋根の無い部屋のようになる。
 「すのこ」の壁が外部からの視線を防ぎつつ、風は通す。日常は洗濯物やふとんを干す場所として活躍する。

 洗濯物がない時は――
 煙を気にしなくていいから、七輪を持ち出して気軽にバーベキューなどもできる。
 視線が気にならないから、小さなテーブルと椅子を持ち出してアフタヌーンティーもいい。
ひなたぼっこや日光浴も気持ちよさそうだ。

 屋根が無い非常識な「部屋」になったからこそ、普通の部屋ではできない使い方ができる。
まだ、想定の段階にすぎないが、考えているのは楽しい。

電信柱って

2004年11月23日 | 我が家のスペシャルな事情
 我が家は角地に建つが、その道路側2面に1本ずつ計2本の電信柱が立っている。
 電気と電話を使っている手前、1本ならば、あってもしかたがないかとあきらめられるが、2本となると不公平感が大きい。両面とも向かい側には電信柱は立っていないのだ。

 そもそも、電信柱はなんで美しくないのだろう。ごちゃごちゃしていて、悲しいくらいに洗練されていない。

 この電信柱、1本でも移設できないかなあ、と考えてみたのだが、電線のルートがそれを許しそうにないのが素人目にも分かる状況。通りごとならともかく、1本だけなんて移設は不可能だ。

 しかたなく、気休めのために思考(妄想)する。

 無理やり考えた電信柱のメリット。
その1 犬のおしっこ誘導。
    これで家にひっかけられることはない??
その2 車のスピード減速装置。
    何もないよりは、いくらかなりともスピードを抑えようとする心理的効果がある
その3 ガードレールがわり。
    電信柱のあるところだけは直接、車が家に衝突することはない。

 他に何かないものか。

渡り顎(わたりあご)

2004年11月22日 | 我が家のスペシャルな仕様
ウチの古屋は純和風建築だが、新築部分は純和風ではない。箱が組み合わさったような形状で、竣工したら遠くから見たら木造建築だということも分からないかもしれない。
さらに、平坦な壁だったら、近くで見ても木造かRC造か、わかりにくかっただろう。
しかし、近くに立てば、壁に突起物が横に並んでいるのが目に付く。それが「渡り顎(あご)」であり、我が家が木造建築であることを認識させてくれる(はず)。

 私が依頼した建築家のモットーは「木は木で組む」。ウチの家も金物は極力使わず、昔からの木組みの技法が使われている。「渡り顎」もそうした木組みの技の一つである。渡り顎では梁ががっちりと組まれる。最近多い「京呂組み」より、ひっぱりなどに強いようだ。

 構造上の利点だけでなく、外観上のポイントとなるのに気づいたのは最近のことだ。
 図面を見ているだけの段階では「渡り顎」をあまり意識しておらず、我が家が竣工したら、木で組んだ家であることが他の人にわかってもらえないのではないかと、ちょっと気にしていた。
上棟され、外壁に木ズリが張られると、「渡り顎」が次第に目立ってきて、外壁が塗られればさらに存在感が増すであろうことが見えてきた。伝統的な木組みの一部が木で組まれた家であることを主張するのだ。
この段階に至って、またしても「そうか、そういうことだったのか」と、建築家の仕掛けに感心させられたのだった。

そして、その後。
 「谷中M類栖」のm-louisさんが、私のエントリ「欄間を見直す」にトラックバックしてくれた「欄間を介して」を読んだことで、別の期待が生まれてきた。
m-louisさんの家では、再利用する古い欄間と丸太梁が妙に浮き上がることのないよう、天井の節のある杉縁甲板という材が視覚的に活躍している。同じように、我が家においては、「渡り顎」が、新築部分と古屋がよそよそしく接するのを和らげる視覚的効果をもたらしてくれるのではないだろうか。そんな期待である。

つくづく、建築設計というものは奥が深いと思う。そして、施主はこうした奥深さに触れては喜ぶことができるのだ。


現場の状況 11/21

2004年11月21日 | 建築現場記録
 バスルームにはハーフユニットバスが搬入されていた。ハーフユニットバスとは風呂桶の縁よりちょっと高い部分までの下半分のユニットバスで、壁と天井は好みのものにできる。施工が楽な割にオリジナリティのある風呂場にできるメリットがある。
 我が家の場合、ヒノキ張りになる予定。目をつぶればヒノキ風呂気分にひたれるかも。

 2階のフローリング(ナラ無垢板)が9割方、張られていた。大部分は保護されていたが、まだ、保護されていない部分で色を確認。なかなか落ち着いた色合いで満足。手で触った感触も悪くない。
 今後購入する家具と色あわせするために、切れ端を一片拾わせてもらった。


ご近所のありがたさ

2004年11月20日 | 我が家のスペシャルな事情
家づくりにあたって、ご近所に非常に好意的にしてもらって、ありがたく思っている。
特に北側道路を挟んだ筋向いの家と西隣の家の方には感謝しきれない。
筋向いの家からはすぐ横の倉庫の空きスペースを提供してもらった。そこそこ大きなスペースで家財道具の1/3以上はここに入れることができた。
西隣の家からは工事車両の止まる駐車場を提供してもらっている。6、7台は置けるので非常に助かっている。
当然、両家に謝礼はするのだが、こんな近くのスペースを都合よく提供していただけたことは、我が家にとってすごく幸運なことである。両家にひたすら感謝だ。
ご近所と良好な関係であるということは防犯上の効果も大きい。コミュニケーションの大切さを思う。

トイレ自慢――男性_限定

2004年11月18日 | 我が家のスペシャルな仕様
我が家にはトイレが2箇所あり、そのうちの1箇所には小便器がある。前の家でもそうだった。
 これは実は自慢の一つ。
 設置したのは、もちろん、男にとって使いやすいという理由があるのだが、家の中で男の存在感を表すシンボルとしての意味合いもある。

 男の知人・友人が初めて我が家に訪れた時は、「トイレに入ってくれないかなあ」なんて思ったりする。
わかる人は「むむっ」と思ってくれるはずだ。

 ほとんどの家の中には、女性のためだけに存在するモノがずっと保持されている。かたや、男性のためにのみ存在するモノはなくなった。前者はドレッサー(鏡台)であり、後者は小便器だ。小便器だけが急速な勢いで姿を消している。設置を望むことにだって少しは理があるのだ。

 観念的と言われれば、それまでかもしれないが、家の中で父親の存在が軽視されてきたことと、小便器を設置しなくなってきたことは相関があるように思っている。
 しかし、いまや、父親の存在感がなんで必要なの?と言われるくらいどうでもいい存在にされてしまっている。「絶滅危惧種を絶やさない」くらいの意気込みを持たないと、「家庭内小便器」を守れないかもしれない。

 上記のような理屈を語ることなく小便器の設置を承諾してくれた妻と母には感謝している。勝手かもしれないが、私の中では、小便器を自慢することは妻と母を自慢することにつながっている。

2004年11月17日 | 我が家のスペシャルな事情
 ウチの庭には苔がある。
 この苔を根付かせるために長い年月をかけている。最初に苔を植えてからかれこれ25年ほど経っているだろうか。

 父と母が西芳寺(苔寺)の庭を見たとき、苔に魅せられてしまったようで、そのときから苔庭への挑戦がはじまった。普通、苔を根付かせるなどというと、庭師の力を借りることになろうが、コストをかけたくない私の両親は無謀にも自力で試みた。ゆえに「挑戦」なのである。
 最初のうちは、遠くから苔を取り寄せ、夏にはヨシズをかけるなどして頑張ったが、なかなか根付いてくれなかった。

地元に生えている苔を試し、どうにか見てくれがよくなってきたのは、10年ほど経ってから。「石の上にも3年」ならぬ「苔をおだてて10年」だ。いや、英語のことわざには「A rolling stone gathers no moss:転石に苔むさず」というのがあるらしい。まさに、あきらめずに放り出したりしなかったことが苔を定着させたといえる。
やがて、苔は直射日光にもびくともしなくなり、しっかりと根をおろした。ここまでくると、西芳寺ほどのずっしりとした重みのないことが、逆に我が家の庭らしくてよいように思えた。
苔に水をやると、生き生きとして、その上を通ってくる空気は心なしかおいしい。

この苔の多くは、現在、某所に避難している。当初はしっかりと養生するよう施工者に指示するだけにしようかと考えたのだが、苔育成の最大の功労者である母が、踏み荒らされる危険に耐えられず、丁寧に掘り起こして仮の場所に移植した。
この苔たちは、家が出来上がれば家族と同様に帰宅してもらう。
そしてさらに貫禄をつけてもらうつもりだ。

欄間を見直す――光、風、温度の共有

2004年11月16日 | 我が家のスペシャルな仕様
 欄間というと、和室によくある木彫りのものが思い浮かぶ、あれはあんまり好きな方ではなかった。
 古刹や旧家の欄間を見てすばらしいと思ったことはあるが、現代の家の中で見る木彫りの欄間は中途半端な作品に見えてしまうことが多い。精魂傾けたという気迫は感じられず、同じ図面で形だけ整えるような職人仕事になってきているせいかもしれない。
今でも精魂傾けた仕事をしている木彫り職人さんもいることだろうが、一般の家ではそういう仕事になかなかお目にかかれない。

今や欄間が単なる「飾り」と化してしまったせいか、居心地悪そうに収まっている感じも受ける。
本来、欄間には機能がある。風を通し、光を採りこむ。
しかし、現代においては欄間の機能があまり生かされていないことの方が多いようだ。

実は、私は自分の家づくりにおいて、当初、欄間のことはまったく意識していなかった。
「続き」の和室は作る予定は無いし、冒頭述べたように、いい仕事をした欄間など導入できないと思っていたからだった。

ところが、
建築家から上がってくる図面がだんだんと詳細になってくるにつれ、「欄間」の存在に気が付いた。
 木彫りのあの欄間が描き込まれていたのではない。何も無い「欄間」がそこにあった。
鴨居と天井の間に空間を開けてあるだけのもの。装飾を考えず、機能だけを取り込んでいる。

 欄間の機能はいい。家の中を空気が流れる。視線は防ぎつつ、部屋と部屋とで光と風、そして温度を共有するのだ。
 図面をじっくりみていると、効果的に欄間を配置してあることがよくわかる。
南側の壁から北側の壁までの間は、内壁があっても欄間を設けて、南北方向に風の通り道が作ってある。造作の本棚を壁にして上部を欄間にしてあったりもする。
 欄間で問題になるのは「音」。したがって、音を共有したくない寝室間の壁には欄間はない。そしてその壁は南北に対面するように位置していない。
 プロの設計技術を感じることができた。

一点だけ、欄間のデメリットを指摘しておくと、欄間の底辺(鴨居等の上)にはホコリがたまるだろうということ。風の通り道だから、それほどはたまらないとは思うが、目につかない場所だけに、いつのまにかほこりがたまってしまうこともありそうだ。
たまに掃除をすることをわすれないようにしたい。

現場の様子 11/14

2004年11月14日 | 建築現場記録
 カーポートの門側面に穴が開いていた。この穴は、車を出す際に運転席から道路の状況を見るためのものである。
当初プランにはなかったが、こちらの要望であけてもらった。こういうものがあるとないとでは便利さが違う。デザイン的にも、妙なところにミラーをつけるよりすっきりしていいと思っている。
門はこの後、ガルバリウムで覆われる。

 床用のナラの無垢板が搬入されていたが、ダンボールに入っていてまだ中身は見れていない。

モノを飾る場所

2004年11月13日 | 家について思ったことなど
 家を建てるときに忘れられがちなのは、モノを飾る場所だと思う。

昔の家のちゃんとした和室には床の間があり、掛け軸や、陶器などの置物を飾ることができた。
現代の生活でも、モノを飾るということはよくあるはずなのに、総じて飾る場所を備えている家が少ない。和室が減ってきている分、床の間もなくなり、「飾る場所」はますます減っている。
せいぜい、玄関の下駄箱の上が飾り棚になっているくらいではないか。

 その玄関の飾り棚も、生け花が収まることが多い。
飾るモノのうち、「絵画」の収まり場所はなかなかない。
私の昔の家も絵画を飾る場所がなかった。いや、飾る場所はなかったのに、むりやり飾っていた。
 亡くなった祖母の趣味が日本画を描くことだったため、絵はいろいろとあった。それを、壁にフックをつけて紐でつなぎ、鴨居に額の片端を乗せる、というような飾り方をしていた。絵も居心地が悪そうだった。
 私は、この状況をなんとかしたいと思っていたので、家の新築に当たり、絵を飾る場所を設けるように建築家に要望した。

 絵は平たいものだから、床の間のような大それた場所を確保する必要はない。壁にスペースがあればかけることができる(だからこそ、絵の居場所は無視されやすいのだが・・・)。
ただ、最初から絵をかけることを想定した壁とそうでない壁では、絵の収まりはだいぶ違うはず。照明の効果や日射も意識する必要がある。
壁にニッチをつけたなら、そこは堂々とした絵画の居場所になる。
 
 新しい家では、居間と、私達夫婦の寝室、親夫婦の寝室の3箇所に、そうした絵画を飾るための場所を設けた(単なる壁の一部ではあるが)。
 こうした場所は作るのに、材料面でたいしたコストはかからない(照明の位置の調整と壁の凹みだけ)。しかし、ハウスメーカーにそういう場所を作れといってもなかなかできないのではないだろうか。オプションのラインナップにありそうもない(私が知らないだけ?)し、作らせたら妙に高い請求がきそうな気がする。
細かいことかも知れないが、建築家・設計事務所と建てるメリットはこういう部分にしっかり表れる。

 絵のための場所には、子供が描いたおもしろい絵も飾ってみようかと考えている。子供が絵を描く時の意気込みもちょっと変わってくるだろう。

屋上――花火を見る展望台か、宴会場か

2004年11月12日 | 我が家のスペシャルな仕様
 以前から、屋上がほしかった。
 我が家の位置から、年に4回くらい花火を見るチャンスがあるためである。前の家では2階の窓際に立って背伸びする感じで見ていたが、屋上があればゆったりと見ることができる。
はっきりいって必需品ではないので、贅沢な要望。だが、私は遠くを眺めることも好きだし、月見のようなイベントが好きな一家でもあるので、あきらめずにずっとプランに残して実現にこぎつけた。

 最初の設計プランでは陸屋根の上にあって、まさに屋上だったが、いろいろな要件を考えていくうち、ガレージの上に屋上を作るような形になっていった。
ガレージの上にはベランダないしテラスというべきスペースがあるのだが、そこにもちゃんと柱と梁はあって、家の骨組みだけは作ってある。その周囲を「すのこ」状に木で覆って壁を作り、梁の上に6畳ほどの広さの屋上を作ることになった。そこに上るためのらせん階段も設置する。

 「すのこ」の壁があるため、外からは分かりにくいが、中からみると屋上というよりは、展望台のようになる(はず)。
花火を見ることがきっかけになっただけに、展望台のような風貌にも納得してしまう。

人を呼んで宴会場として使うのも一興かと思う。赤白の提灯を3つ4つぶら下げればビアガーデン気分が味わえそう。

設計者は最初、「花火見台」(はなびみだい)と名付けたのだが、発音しにくいので「涼み台」に変えてもらった。

できあがるのがなんとも待ち遠しい。

素手での実力

2004年11月11日 | 家について思ったことなど
 格闘技の多くは素手で戦うことがルールになっている。
 その背景には、人間が生物単体でどれだけ強くなるか、というテーマがある。武器がない状態での強さを競い合う。そこで強い人は本当に強い人といえるだろう。

 電気・ガスなどのエネルギーが供給されることが現代の家の前提条件であることはわかっているが、外部の支援のない「素手」の状態での家の強さに興味がある。
 例えば、
夏・冬の日差しを考慮して天然のエネルギーを自然に調節できる家がいい。
換気システムが止まっても、窓の開け方次第で効率的に換気ができる家がいい。

 外からのエネルギー供給がなくなったとたんに、それまでの快適さがうそだったように住みにくい家になる、というのには抵抗がある。
銃を持ってるときはめっぽう強いけど、銃が無いとからきし弱いガンマン、刀がないと弱い剣士っていうのは強くないんじゃないかと思う。
 丸腰でも強い、ガンマンや剣士にあこがれる。

ある住宅で、大掛かりな24時間換気システムを見て、天井上を走るダクトの管が生命維持装置のように思えてしまったことがある。換気システムが動いていることを前提とした間取り・構造だったせいだろうか。
 大きなドレーキップ窓はかっこよかったが網戸のある窓はなく、この家に住む人は冬だけでなく、夏も閉じた生活をすることが最初から決められているようだった。もし、換気システムやエアコンが止まってしまったら相当に住みにくくなるのではと感じた。

24時間換気システムが、絶対になくてはならぬ必需品としてあることを前提に設計された家より、「素手」の状態でも大過なく暮らせるように作られた家をさらに強力にするために換気システムがついている、というような形の方が私は好きなようだ。格闘技が好きなせいだろうか?