家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

6月25日は「住宅デー」――ガウディを想う

2006年06月25日 | 家について思ったことなど
6月25日の「住宅デー」の由来は、建築家アントニ・ガウディの誕生日からきているという。
住宅デーがどういう意図で制定されたのかを調べてみると、
この日を制定した全国建設労働組合総連合(全建総連)の住宅デーのページ↓に
http://www.zenkensoren.org/house/03day/day.html
「『地域の消費者、得意先との信頼確立』をめざし、地域住民に私たちの仕事と技能を理解してもらう日」
とあった。ガウディとどういうふうにつながっているのかよく分からない。
そして、ガウディといえばまっさきにサグラダ・ファミリア教会が思い浮かぶわけで、「なぜに住宅?」という気がしないでもない。
というか、そもそも私はサグラダ・ファミリアでしかガウディのことを知らない。
ついでだから、ガウディが住宅をどの程度手がけているのか調べてみた。

ガウディはバルセロナの資本家アウゼビ・グエルに才能を見出されている。そのグエルの屋敷を建てている。また、グエルがバルセロナ市外に60戸の分譲住宅を建設し販売する計画を立てた。その時にもガウディは住宅を建設している。といっても、グエルの死によって計画は頓挫したため、建てられたのは2戸のみだったという(分譲地跡は現在「グエル公園」となっている)。
このほかに、集合住宅はいくつも建てている。
<参考>
ガウディを詳細に取り上げてる柴田さんのHP↓
http://www.shibata.nu/gaudi/

意外(そう思うのは私だけ?)に住宅を手がけているようだ。

それでも、サグラダ・ファミリアが強烈に意識されるガウディより、フランク・ロイド・ライトとかル・コルビュジエとかもう少し住宅をイメージしやすい建築家がいるではないかと思わずにはいられない。

勝手に推測。
推測1)
そもそも日本人の記念日の決め方は「かこつける」感が強い。たぶん世界で最も有名な建築家、という程度の理由だけでガウディが担ぎ出された。
推測2)
住宅デーには職人たちによるボランティア活動が各地であるらしいので、梅雨時のこのあたりの日程にしておけばもっとも仕事に影響しないということではないだろうか。たまたま、この時期にガウディの誕生日があったので渡りに船とばかりに決めた。

私は推測2)のセンをうたぐっている。
ちなみに、ライトの誕生日は6月8日で、全国的に見れば入梅というのには微妙な時期。そしてコルビュジエは10月6日生まれである。


建築業界はまだしも住宅業界には「建築家」を嫌う人がそこそこいる。そして現代の家は工期が短いほど良しとされている。着工して150年も経ってまだ完成していない建築物を設計した海外の建築家が、日本の住宅デーの由来になっているというのは何かの皮肉なのだろうか。


ガウディ絡みでたどり着いたブログにトラックバックさせていただく。
グエル公園についてリポートしている木の葉パンさんのブログのエントリ。
http://ameblo.jp/konohapan/day-20051015.html
おもわずバルセロナに行きたくなることうけあい。
やっぱりガウディは突き抜けている。
そして日本の「住宅」デーとの距離感をますます感じる・・・。


我が家にジャストフィットな冷蔵庫

2006年06月21日 | 我が家のスペシャルな仕様
6月21日は冷蔵庫の日らしいので、我が家の冷蔵庫について紹介しておこう。


新築を機に冷蔵庫は新調した。
家電売り場でいろいろ説明を受けたあげく選択したのは、SHARPの左右開き冷蔵庫
http://www.sharp.co.jp/products/menu/kitchen/refrigerator/index.html#prod01
である。ちょうつがいに工夫があって、右側にも左側にもドアが開く

これは結果的に、我が家にぴったりだった。
ウチのキッチンは二列形で、リビングと対面になっている列にシンクとガスレンジが並び、背後のもう一列に冷蔵庫と、引き出し収納がついた作業台が並んでいる。
シンク前に立つと、うしろが冷蔵庫という配置である。シンクと冷蔵庫は廊下側に配置してある。
この形態では左右開き(両開き)にするとまことに都合がいいのだ。

まず、冷蔵庫の左側の作業台で調理しているとき、右開きでスムーズに必要な素材を取り出せる。
これだけなら単に普通の右開き冷蔵庫でいい。

左開きが有効になるのは、調理をしていない人間が冷蔵庫からものを取り出すときだ。
もし右開きしかできないと、シンクや作業台の前に人がいるとき、冷蔵庫からモノを取り出そうとすると、人を押しのけて回り込まなければならない。
左開きができるとキッチン内に入り込まず、廊下側に身体を置いたまま、ものを取り出すことができるのだ。人を押しのけなくてすむ。

と、ここまでくれば具体的なシーンを表してみよう。
我が家の腕利きシェフが調理しているとき、それを邪魔せずにビールを取り出せるということ。
非常に流れがスムーズなのである。


ただし、このとき大きな注意事項がある。
なぜか、邪魔もしていないのに睨まれるということがあるため、間違っても冷蔵庫前で鼻歌なんぞを歌ってはならない。隠密行動が肝心なのだ。
もしかして、こういうのを「ゴ○○リ亭主」と呼ぶのだろうか。

日銀総裁の家づくり

2006年06月17日 | 家について思ったことなど

福井俊彦日銀総裁が村上ファンドに1000万円拠出したことが大きな話題となっている。所有する株についても開示が求められている。
ファンドへの拠出と株保有の罪深さがいくばくかという議論はともかく、金融市場に対する影響力からして、どう考えても取得時点・就任時点で取得していることを公に開示することは必須であろう。

さらに、よくよく考えてみると、日銀総裁は外貨預金や変動金利型の金融商品についてだって保有していたら開示するべきではないのか。一言二言しゃべっただけで金利が動くこともあるのだから。

まてまて、そうなると資産だけではない。負債も開示すべきだ。日銀総裁ならば、負債を抱える最適の時期(金利動向の転換点)を普通人より精度が高く読むことができるはず。

現在、福井総裁は住宅ローンは抱えていないだろうか。

「金融政策決定会合で利上げを決定する前に、前倒し返済したりして…」なんてことを想像する私はあまりにもセコくて、とても日銀総裁のお鉢は回ってこないであろうことを重々認識せざるを得ない。


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ついでに、

金融政策に絡めた以前のエントリで指摘したように、だんだんと家づくりのハードルは高くなってきている。
最近の株安で利上げ時期こそ早期実施観測は後退したが、材料価格は上昇が目立つ。

合板用輸入原木、騰勢強まるhttp://www.nikkei.co.jp/news/kakaku/20060614d1j1400m14.html
 合板原料の輸入丸太価格が騰勢を強めている。中国の需要増や東南アジア産地の伐採規制強化で日本向け供給量が減っているためだ。国内需要も好調で合板メーカーの生産意欲は強い。合板の値上がりで住宅メーカーなど需要家が代替品を探す動きも出始めた。
 コンクリート型枠用合板や家具向けの薄物合板などに使う南洋材丸太は9年ぶりの高値圏。指標のマレーシア・サラワク州産メランティ・レギュラーの6月積みは前月比8ドル(4.2%)高い1立方メートル約198ドル前後(本船渡し)。9カ月連続で上昇し、一部には200ドルの成約も出ている。産地の丸太伐採制限が厳しく、日本向けの出荷量が減っている


1年あたり坪単価

2006年06月15日 | 家について思ったことなど
住宅価格は坪単価で語られることが多い。
坪30万円と坪60万円と聞けば、坪30万円のほうが安いと思う。
しかし、単純にそう判断していいのだろうか。
坪単価は施工費を坪数で割っただけの数字にすぎない。その数字だけで本当の高い安いは判断できないのではないか。
住宅は長期間使うものだ。使用期間という時間軸を考えずに真の高安を判定できないと思う。

坪30万円の家が30年後に解体されたとしよう。
家族が30年間に家にかけた1坪あたりの年間費用、という見方をするならば、30万円÷30年で、1万円/年だったということになる。
ということは、坪60万円の家を60年維持すれば、1坪あたりの費用は同じく1万円/年である。
結果論で言えば、1坪にかかった年間コストという面で両者は同等だ。

つまり坪単価の高い家でも、もしかしたら坪単価の低い家より贅沢な使い方ではないということもあるかもしれないということ。それは家の使用期間をみてはじめて判定できる。

建築プロデューサーの朝妻さんのブログで、家づくり川柳を募集しているが、そこにおそまつながら一句投稿しておいた。

「どの家も 長く使えば ローコスト」

私は長く使ってローコストにするために、30年後に家の有様を見たとき、「取り壊すのもやむなし」と考えたくなる家ではなく、「取り壊すのは惜しい」と思えるようになる家をめざしたつもり。
家の建て替えに乗り出したとき、築38年部分と築55年の古屋部分を眺めて、築55年の方を残すという決断をしたのは、まさにそちらのほうが「取り壊すには惜しい」と感じられたという体験からだ()。まあまあ持たせた築38年のほうは惜しさはあったが「取り壊すのもやむなし」と思えてしまった。

我が古屋は新築当時、決して安い坪単価ではなかったはずだが、今では胸を張って「ローコスト」と言えるようになっている。
しかも、いまとなっては年々貴重な存在になっていくというオマケまでついている。
今回、時間当たりのコストという面で家を考えてみたが、時間当たりの価値ということも考えてみたい。

雨を眺めて楽しむ

2006年06月11日 | 山小屋・ログハウス
 
山小屋に来客があるというのに、あいにくの雨だった。
遠方からの来客で日程も動かせず、山小屋に向かった。
両親と来客が話をしている間、2階の部屋でしばらくボーっと雨を眺めた。

山小屋は軒を深くとっているので雨どいを設置していない。
屋根の瓦にそってつたって落ちる雨だれをただ見ながら、「こうしてすごす時間も悪くない」とちょっと楽しくなった。
雨を楽しむということもできるものだ。

パレートの法則 住宅版

2006年06月06日 | 家について思ったことなど
パレートの法則というものがある。
「社会の富の80%は20%の人間に集中する」
とか、
「20%の優良社員によって利益の80%が生み出される」
とか、
「売り上げの80%は20%の大口顧客によるもの」
とかいうヤツである。
詳しくは、wikipediaでも見て欲しい。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87

お遊びで住宅版パレートの法則というのを考えてみる。
あらかじめ表明しておくが、何の検証もしていない。なんとなくそんな感じでは?というものの羅列である。私は業界の人でもないので勘違いもあるかもしれない。(ちなみにパレートの法則と同様、80:20というのは、ばらつきの存在を象徴する数字にすぎない)

「住宅業界の人間は、ライバル業界の中の20%の質の悪い業者の所業によって、ライバル業界の80%を説明しようとする」
「住宅雑誌掲載写真の80%は20%以下しかない建築家住宅」
「家を建てる人の80%は住宅雑誌を見るが、雑誌記事(広告以外)に出てくる設計者と家を建てる人は20%以下」
「寿命を迎えたといっていい家の20%はまだ解体されないが、解体されている家の80%はまだ本当の寿命がきてはいない」
「クレームの80%は20%の施主からもたらされる」

夏の暑さを楽しむ

2006年06月04日 | 家について思ったことなど
だんだん暑い日が増えてきた。

「暑い夏を涼しく過ごしたい」とは至極当たり前の要望だ。
だから、家づくりでは涼しく過ごすためのいろいろな工夫がなされる。
とにかく涼しくするのだったら、エアコンを使えばいい。そのときなんと言っても効果的なのは断熱と気密性能を上げることだろう。空調のランニングコストを抑えて効率的に避暑できる。性能がとても優れている家だとエアコンをほとんどつかわなくてもいいくらい。

ここであえて、「涼しく過ごす工夫の他に、暑さを楽しめる工夫をしてあるだろうか」ということに言及してみる。
暑いのがどんな状況下でもとにかく大嫌いという人は別にして、暑いからこそ楽しいということだってあると思う。そうでなければ、人間、海水浴などに行きはしまい。
海水浴の楽しさを考えたとき、泳ぐこと、日光を浴びることのほかに、日陰でビールを飲んだり、スイカを食べたり、かき氷を飲んだりすることもある。
このときの日陰とは、太陽の日差しをさえぎっているだけで、気密性はまったくない。そういう環境でも、人間は心地よさを感じることができるのである。
むろん、日光の下でほてった身体を回復させるという状況が心地よさを生んでいる面もあるだろう。しかし、通常時でもビールやカキ氷がうまいのは、ある程度の暑さがあるゆえだ。汗も出ないほどの室温の部屋でとるよりは確実にうまい。
暑さから完全に逃れたらこの快適さは得られない。暑さとうまく付き合うことが気持ちよさにつながることもある。
家を開放して、風を通し、ラフな格好をして、外の暑さをほどほどに避けて、昼寝をしたい。セミの鳴き声を聞きながら子供たちとスイカをほおばり、庭に向かってタネの飛ばしあいっこする楽しさだって満喫したい。私は原始人に近いほうの部類なので、暑い時期に家を締め切ったままでないと楽しくない家だと困る。そして、この季節に閉めたまま、他の季節と大差ないすごし方をするのはつまらないと思ってしまう。
むろん、開けていられないような過酷な暑さの日はけっこうある。だから、閉めたら閉めたなりの、開けたら開けたなりの快適さ・楽しさを求めた。

「夏涼しい」というキーワードだけを念頭に浮かべて計画すると、「時に暑さも楽しむ」ことのできるつくりにならなくなるのでないか、などと思っている。

新聞の収納術

2006年06月01日 | 我が家のスペシャルな仕様

我が家は新聞を3紙とっている。そのため、ほっておくとそこらに新聞が散らばる。
新聞は最終的にちり紙交換用に束ねることになるので、決まった場所に片付けるのだが、当日のものだけはテレビ欄などの確認のために見える場所に置いておきたい。

旧宅では、当日の新聞を早く片付けたい派(妻、母)と取りやすい位置に置いておきたい派(私、父)がせめぎあっていた。片付けたい派は夕方ごろにはちり紙交換用待機場所(リビング階段の下)にすぐに片付けようとし、もめごとになっていた。

「新聞が散らばってみっともないでしょ」
「ここに置いたら古新聞と混ざってしまうだろ」

というような会話がちょくちょく発生していた。

家の建て替えに当たってはこの状況をなんとか打破したいと考えた。
新聞収納に関わる要件は以下の4つ。

1)当日の新聞置き場はリビングとしたい
2)当日の新聞と前日までの新聞は分けて置きたい
3)当日の新聞を翌朝までにすぐに片付けられるように、前日までの新聞置き場と離してほしくない
4)リビングに前日までの新聞が積み重なっている姿を現したくない。

この要件を満たす収納はできるだろうか、と頭をひねった。

その結果がこれ↓


もともと造作家具にするつもりでいたテレビ台を一工夫した。
テレビ台なら必然的にリビングに置かれるので1)の要件を満たす。オープンな棚を当日新聞置き場とし、そのすぐ下に引き出し収納を設け、前日までの新聞入れとする。これで2)、3)、4)の要件を満たす。

我ながらいい思いつきと自負している。見た目は何の変哲もないが新聞収納を意識した寸法になっているのがキモ。

ちょっと前のエントリ「『収納』百人百様」で、「片付けやすくした」と言っていたひとつの工夫がこれである。

いまのところ、スムーズに運用できている。
このシステムで一番得をしているのは父であろう。父は以前と同様、基本的に新聞を片付けない(注)。出しっぱなしの新聞を当日新聞用の棚に移動するのはたいてい母や妻なのだった。

(注)父の名誉のために言っておくと、ちり紙交換用に束ねる作業は父の貢献が大きい