家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

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鏡餅  我が家の幸運を呼ぶアイテム

2008年12月31日 | 我が家のスペシャルな事情
 
この前の日曜日に我が家恒例の餅つき(関連エントリ→LINK)を執り行った。
ついたのは7臼。そのうちの1臼をおそなえ用とした。
できあがった鏡餅は見たとおり豪華さも洒落っ気もない素朴で武骨なものではあるが、我が家では自前で用意するということ自体に意義があると思っている。
鏡餅とは神様と人間を仲介するものだという。自分達が魂を込めて作っているのだから神様への訴求力はそれだけ強いはず、という理屈である。

昔は自家製の鏡餅を用意する家は多かったが今はそういう家は数少ない。ということは需給原則からいって神様のご利益(ごりやく)が集中しやすいのでないか、というような貧乏性的計算もあったりする…。
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最後の一葉

2008年12月27日 | やまぼうし
 
 12月27日現在、我が家のやまぼうしはほぼ葉を落とし、残り1枚となった。
O・ヘンリではないが「最後の一葉」というやつである。
 どうやら昨年のような「年越し古葉(こば)」なく今年を終えそうだ。

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未曾有でなくなった未曾有のこと

2008年12月18日 | 家について思ったことなど
米国が事実上のゼロ金利政策に移行した。

以前、日本がゼロ金利政策を解除しようという時に、「未曾有のオペレーションなのだからいずれ必ず解除されると確信していた。解除前にローンを組んで家を建ててよかった」などという話をしたが、米国ではあるがまたもや未曾有のオペレーションが生じている。日本も再びゼロ金利になる可能性が強まっているし、他国もそうなるかもしれない。こうなると何が未曾有なのかよくわからなくなる。
未曾有という漢字が読めない首相の時代に、未曾有が未曾有でなくなる状況を迎えるなんて、これは何かの罠なのか。未曾有が未曾有でなくなること自体が未曾有という皮肉か。

なお、日本が再びゼロ金利政策になったとしても以前とは環境が異なるので、家を建てるにはいいタイミングになったとは推奨できない。この先行きの暗さの中で家計に多額の負債を抱え込むのは資産形成の達人でなくともリスクが大きいことがわかる。実際のところ、ベストなタイミングで建てたなどとうそぶいていた我が家も悠長なことは言っていられなくなった。まだローンが残っているからだ。
余裕を持った返済計画を練ったつもりだが貧乏性の危機感がうずき始めている。貯蓄と返済について改めていろいろとシミュレーションしようと思う。
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自分の行動基準を知る 「家づくりの出発点」よりさらに前

2008年12月16日 | 家について思ったことなど
某氏曰く
人間の行動における判断基準は以下のものに振り分けられる。
 善悪 勝ち負け 損得 好き嫌い 苦楽

この説にはうなずける。
善悪で動く人というのは、
「善いことだからやる。悪いことだからやらない」
勝ち負けで動く人というのは、
「勝ちたい(または勝てる)からやる。負けるからやらない」
損得で動く人とは、
「得だからやる。損だからやらない」
好き嫌いで動く人とは、
「好きだからやる。嫌いだからやらない」
苦楽で動く人とは、
「楽だからやる。苦しいからやらない」

むろん、善悪、勝ち負け、損得、好き嫌い、苦楽のうちの複数あるいはトータルに吟味して行動することは多いが、何を真っ先に考えるのかは人それぞれだ。
自分の価値観を公言していなくとも、その人の行動を観察していると、その人がどの行動基準に属するか見えてきたりする。
周囲からせこいと思われている人物の行動基準はおそらく「損得」だろう(逆は「真」ではない。損得で動きつつ、せこく思わせないすぐれた人もいる)。
物事に積極性が足りない人の行動基準は「苦楽」もしくは「好き嫌い」と推測できる。面倒なことはやりたくないというのが「苦楽」基準の人の特徴。「好き嫌い」が行動基準で、積極性がないように見える場合は世の中に嫌いなもの(事、人)が多い人物ということになる。好きなもの(事、人)が多い人だったら逆に積極的な人間に見えることだろう。

この説は、主にプラス面からのアプローチである。
「善いことだから」「勝ちたいから」「好きだから」・・・という部分を重視して、どうする(どうなる)と楽しい(うれしい)から行動するというわけだ。
私は逆に、人間を知るためにはマイナス面から考えることも重要であると気がついた。人間は「そうなるために行動する」こともあれば、「そうならないために行動する」こともあるからだ。

「悪い」「負ける」「損をする」「嫌い」「苦しい(大変)」というのはどれもいいことではないが、このうち何が自分にとって一番不快でイヤかについても考えてみよう。

プラス面とマイナス面の両方を思考して分かるのは
「一番実現したいことと、一番回避したいことは、反対語のペアになるとは限らない」
ということ。
例えば、
「一番楽しいのは『勝つ』 ことだけれども、一番不快なことは『負ける』ことではない。『嫌い』なモノ(事、人)に接することのほうが『負ける』ことよりもっとイヤだ」
というような人はいるわけである。

さらに、
「プラス事項の実現とマイナス事項の回避のどちらのウエートが高いのか」
も考えたい。
前述したタイプの例で言えば、「勝つ」と「嫌いなことを避ける」を天秤にかけてみる。
勝つためには嫌いなことに接することも我慢できるのであれば、プラス事項の実現のほうがその人にとって重要であるわけだが、「嫌いなことに接するくらいなら勝たなくてもいい」というような場合は、その人はマイナス項目を回避することのほうが重要というわけである。

行動基準の種類は多くないが、プラス・マイナスの組み合わせとそのウエート付けによってけっこういろいろなタイプに分かれることが見えてくる。

ネット上では、同じ目的を実現することについて語る場であっても、互いにリアルな人物像を知らず、それぞれの行動基準もわからないままに情報交換や議論が始まることが多々あるため、噛み合わない話になったり、反目したりすることがある。

家づくりでも同じこと。
「好きな家」を実現するためには手間や面倒、苦労はさほど問題にならない人と、そうでない人ではきっと違う選択や行動をするだろう。

気をつけたいのは、家づくりは多額のお金がかかるため、通常より「損得」基準が発動しやすいこと。もともと損得で動く人は損得基準の情報収集で満足できる家が建てられるかもしれないが、もともとは「好きな家を建てる」のが主目的の人が「家づくりで損をしたくない」のが主目的の人の情報に流されたりすると、よい結果にならないかもしれない。「損はしなかったけど特に気に入った家にはならなかった」というように。損得で動く人は極端な話、まったく同じ家を建てた他人と比べて安く仕上げた、というようなことに満足できる人である。

また、「勝ち負け」基準で行動している人も多いことに気づく。「自分が選択したやり方が他よりいいやり方だ」と主張したがる。「自分にとっては」というような立場から離れて、一般論的に他の家より優秀(機能・性能、デザイン、価格など優秀さの対象はそれぞれだが)であることを表現したがるのでそれが分かる。その行為は自分が「勝ち」に属することを確認する作業なのだ。「勝ち負け」基準で動く人と意見交換したりするときはへたをすると論争になりやすいことに注意したい。

さて、
「行動基準が違う人どうしは互いの意見を参考にするな」とは言いたくない。行動基準が違う人から気づかされることだって多々あるからだ。
そもそも何人か集まればたいてい違う行動基準の人が入り込んでいることだろう。
せめて行動基準が違う人がいるということを理解できればいい。そうすれば意見を整理して「気づき」も得られやすくなるし、冷静に有用な部分を拾い出す作業もしやすくなる。

自分の行動基準を自覚することは、家づくりの出発点よりさらに前であるべきかもしれないと思った。
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クリスマスリース

2008年12月14日 | 我が家のスペシャルな事情
 

母お手製のリースをとりつけた。
我が家もやっとクリスマスモードになってきた。


市販品はけっこう高いので、こういうものを実益を兼ねた趣味(前回のエントリ参照)にすれば少しは足しになるかもしれない、などと考えた。
材料は山小屋方面と某所で調達できる(関連エントリ→LINK)し。

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金融危機への備え――貧乏性を活用する

2008年12月11日 | 我が家のスペシャルな事情
現在のこれほどまでの金融危機を予測していた人は数少ないだろう。だからこそ社会的には事前に何の備えもなされなかった。
では、予測していた少数の人は「個人的に」どのような備えをしたのだろうか。それに興味がある。

それはおいおい探るとして…

私にはいろいろと備えのようなものがある。
それは貧乏性なるがゆえの「もしも」の状況を想定した備えであって、今回の金融危機を予測して対応したものではない。
しかし金融危機はまさに「もしも」のことが現実化するような状況であるので、貧乏性人間による対策が「たまたま」有効に働くかもしれないと思っている。

私がとっている「危機対策」のようなもの
(1) 大家族主義
深刻な不況(リストラ、大幅な収入源など)になったら家族が少人数だと生活防衛に心もとない。さらに恐慌などになったら、社会的に用意されている福祉インフラがちゃんと機能するかもあやしい。いざというときに助け合える人数で日常生活をしていれば深刻な事態は避けられる。我が家は6人なので別に大家族とは言えないが、人数を多くしておきたいという志向がある。なにより結婚前から「核家族」「DINKS」というスタイルはやめておこうという明確な意志を持っていた。そして同居というスタイルを選択するにあたっては家族の性格と夫の役割について熟考した。

(2) 共働き
これも不況に対する備えになる。夫婦が同時に失職するという確率は低い。ちなみにたまたまではあるが、私達夫婦はそれぞれまったく関連がない業種に就いている。なお、共働きと大家族主義はペアで考えている。現金収入をもたらすものが一人では、かえって大家族化は苦しくなるからだ。そして子育てのこともある。平日の送り迎えとか通院などといったことは両親に助けてもらった。社会常識なども両親の存在によって子供が自然に修得できてくる。

(3) セカンドハウス   
山小屋は資金が無いゆえのセルフビルドだけれど、棲家を作るスキルを修得するという大義名分もある(笑)。自宅以外の拠点を持つという目的もあったりする。自分の空想癖にはあきれるしかないが、戦争時の疎開先確保、という相当飛躍した想像もすることはした(笑)。まあそこまではいかなくとも、恐慌とかになって治安が悪くなったら、しばらく山小屋の方で生活するというオプションが選択できるとは思っている。山のほうなら農家が近いので、いざと言うときの最低限の食料も確保しやすい(クレソンの自給というのはたいして役には立ちそうもないが)。もちろんそんなオプションが主目的ではなく、レジャー利用もあるし、仕事を引退したときの隠棲先という使い道を考えている。

(4) 多様な道具
自分達で最低限のことができるよう道具類が揃っている。いろいろ作れるミシンはとても重要な道具。そのほか、我が家は山小屋をセルフビルドしたおかげで大工道具一式がある。金づち、ノコギリ、ノミなどはずっと前からあったが今は電動工具、チェーンソーまで揃っている。父は陶芸をやるために電気炉を購入した。私のレザークラフト道具もある。こうした道具類によって大抵の日用品は家族が自前で作れるわけだ。非常時に使える七輪もあるし、火鉢もある。おまけに言えば私はサバイバルグッズの類が大好きでいろいろ所有している。

(5) 自前のエネルギー源
七輪や火鉢で使う炭を、自前の炭焼き小屋によって自給できる。材料となる竹は山小屋の周囲にたくさんあり、自由に切ってよいという地主と渡りをつけてある。また、将来薪ストーブで使うことを想定して山小屋の周囲にはコナラを植樹している。

いろいろ書けば書くほど、自分の貧乏性ぶりが浮き彫りになってくる。
だいたいこれは危機対応であるかもしれないが金融危機対応ではないことがわかるだろう。金融資産の保全というような過程をすっ飛ばしている。しいて言えばその先の世界恐慌対応モードになっている。貧乏性に空想好きが重なってエスカレートしているのだ(笑)。

勘違いしないでほしいので言っておくと、貧乏性とは基本「無駄」につながっている。「もしも」の備えがもしものままに終わって無駄になるからこそ貧乏性というわけだ。もったいないと思って処分せずに持ち続けるのも貧乏性の特徴。だから無駄にモノを多く持っている。贅沢はしていなくとも、シンプルライフとも遠い。
防災用具を使用する機会が無いほうがいいように、世界恐慌への備えは無駄に終わったほうが世の中は平和だ。社会の一員としては無駄に終わることを願っている。



さて、筋金入りの貧乏性はそれで終わらない。ここからさらに踏み込む。

そもそも貧乏性は「もったいながり」なので、無駄な配慮をするくせに無駄が嫌いという矛盾を持つ。無駄になることを想定しつつ、無駄にしないことを考える。
それにはどうすればいいか。
無駄を趣味にすればいいのである。そもそも趣味というものは生活には必要性が乏しく、いわば無駄なものだったりするわけだし。
ログハウスをセルフビルドするのも、陶芸で食器をつくるのも、ミシンで服を縫うのも、レザークラフトでバッグを作るのも、炭焼きするのも全て趣味というくくりに入れることが可能なものだ。サバイバルグッズはいっそのことコレクション化する。
ようするに趣味と実用を兼ねるというヤツ。「実用を兼ねているんだ」と言えば、趣味をしていても家族に引け目に感じることを抑えられる。外向けには「暮らしを楽しむ」というカッコイイ言い方もできる。
私はそんなことを考えながら「確信犯」的にレザークラフトという趣味に入り込み、かつ置物系、装飾物はほとんど作らず、「持ち歩いて使うモノ」ばかり作っている。まさに貧乏性が染み付いていることを自覚せずにはいられないのである。

これで、暮らしの上で無駄ではない掃除とか洗濯まで趣味に出来れば最強なのだが、なかなかそうはならないのが貧乏性的にはちょっぴりくやしいのだった。





<おまけ>
いまとなって思えば、私の少年期に貧乏性気質に拍車をかけた本
「サバイバル」 さいとうたかを作


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フラット50なんてやめたほうがいい

2008年12月08日 | 家について思ったことなど

50年固定の住宅ローン「フラット50」などというものが企画されているらしい。

nikkei.netより↓
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住宅ローン「フラット」、金利50年固定の新型 住宅機構
 住宅金融支援機構は2009年4月をめどに、金利を最長50年間固定する新型の住宅ローン「フラット50」を発売する方針を固めた。「200年住宅」など長期間住むことができる性能が高い住宅が対象。満80歳までに返済を終えるか、子供にローンを引き継いで完済することが貸し出しの条件で、銀行の窓口などで申し込みを受け付ける。
 現在、大手銀行などの多くは最長返済期間を35年までにしている。国土交通省の試算によると、200年住宅は通常の住宅よりも2割程度高くなるが、50年間のローンを発売すれば普及を後押しできるとみている。
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何を考えているのだろう。
「200年住宅」の普及のため、などという目的を掲げているが、そんなもので真の200年住宅(要するに長寿命を達成する住宅)の普及に効果があるとは思えない。

30歳で家を建てた(購入した)として、返済が終わるのが80歳。
おそらく利用者の大半が30年から40年後に子供にローンを引き継ぐことになる。
家と同時にローンを引き継ぐシーンを考えてみてほしい。
その時点で譲り受けてうれしい家でなければ、子供は親を恨めしく思うことだろう。

30年も40年も経っていて喜んで譲り受けられる家とは、何だろう。
「ちゃんと問題なく機能している」というような要件は最低条件に過ぎない。その時点で残り20年もの住宅ローン残を引き継ぐことになる場合、「問題なく機能している家」程度のレベルであるならば「自分で借金して自分好みの新しい家を建てた方がいい」と考えるだろうから。

ローンを引き継いでもいいと思える条件があるとすれば、それは何か。
一つは楽しい思い出が家に刻み込まれていること、家に愛着を感じながら過ごしてきたという歴史だ。
そのためには家族がずっと仲良く暮らしていなければならない。その面では建物(ハード)の実力などより、住人の性質の方が重要になってくる。
逆に言えば、「子供にローンを引き継いでもらおう」などと子供に寄りかかった依存体質、問題先送り体質の親が、良好な親子関係を続けられるのだろうかという疑問がわいてこないでもない。

引き継ぐ気をおこさせる別の要件は、30年、40年経つことによって、新築ではかもし出すことが出来ない風格を生みだしていることだ。
「壊すのがもったいない」と思えるような家でないと、ローン支払い義務付きの家をもらおうとは考えたくもないだろう。だから、新築時に「30年後は新築時とは違う魅力が増している」と期待できるような建物にしておかないといけないと思う。
現在開発されている「200年住宅」はそれを考えているだろうか。
例えば、ホンモノのテクスチャーを真似たメンテナンスフリーの「ニセモノ」素材(関連エントリ LINK)は、30年後に魅力が増しているとは思えない。随時リフォームで取り替えていけばいいのだろうが、そういう素材ばかりで構成された住宅だったならば、受け継ぐ者に「いっそのこと建て直したほうがいい」という発想を浮かばせることになりそう。その家にしかないオリジナルな経年変化が楽しめる素材を使った部分は必要だと思う。
ファサード(外観)もそう。伝統的建築ならともかく、建てた時期の流行に乗る場合はよくよく考えたほうがいい。そのデザインがその時期の文化の一端を象徴するようなものであるならば、時代的価値を生むこともあるけれど、いかにもこの時代の流行はこれですよといった感じの大量生産的なデザインの場合は30年後には時代遅れ感が強まっていることだろう。住人が周囲の家と比べてデザインに引け目を感じるようになったら建て直したくなってくる。そのようなデザインが価値を持ってくるとしたら、おそらく築50年から100年以上は経った時期になるのではないだろうか。そんなスパンでは親子間の引継ぎというタイミングでは有効に働かない。

もうひとつ、50年ローンを有効に働かせようと思うなら中古住宅市場がちゃんと育っていることが重要だ。
前にも言ったが、プライマリー(新規売り出し)時点のことばかり考えてセカンダリー(流通)のことを考えないというのが日本人の欠点である。
現在のような築20年以上の建物に売値がつかないような状況では、古い家に資産価値はないわけで、子供はばかばかしくてローンを引き継ぐ気はおこらない。築年数とは別の評価軸で家の状態によって価格が算定されるような市場が必要だ。

「フラット50」のようなものが先行するのを見るにつけ、住宅の長寿命化より、「寿命が長くなるかもしれないちょっと高級な住宅」を売りさばくことに真意があるように思えてならない。

これも前に似たようなことを言っていることだが、本当に長寿命住宅を普及させたいのならば、50年ローンなどを用意するよりも、築50年の住宅を税金などで優遇するほうがはるかに効果があるはずだ。
実際に50年持たせると得をするのがわかっているなら、50年以上持つように住宅の性能もよくするだろうし、性能以外の点も熟慮して家を建てるようになる。あわせて、家を手入れするモチベーションも高まるし、いい家族を築いていこうという意志が生まれやすくなるというメリットがある。
そっちのほうが絶対にいい。

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0系ラストランに想いをはせつつ…

2008年12月01日 | 新幹線通勤
いつのまにかこんなものが世に出ていた。
「新幹線鉄ジャンゲーム」↓
http://epoch.jp/ty/tetsujyan/

エポック社が新幹線通勤者のために出したドンジャラ系ゲーム(ウソ)。
子供向けのようだが、「役」↓を見てみるとかなりオタク的。
http://epoch.jp/ty/tetsujyan/images/game/game-tetsujyan-02-mo.gif
11月末で「引退」した「0系」が入っているのが泣かせる。

「先端車両9種」って、国士無双みたい。

役の点数は低いが「ドリーム9両編成」がイイ。
9両すべてが違う車両で連結って、スゴイ。
実際これで編成して走ったら、見ても乗っても感涙ものだと思う。
まさにドリーム。

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