家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

別れることになりました

2008年10月26日 | レザークラフト
女性遍歴などといえるような経験がない人でも手帳遍歴というのはあるのではないか。
かく言う私も何種類もの手帳遍歴がある。

手帳らしい手帳とのファーストコンタクトは中学に入学したときに配布された生徒手帳だ。高校の時も生徒手帳ですませていた。
大学生になって自前で手帳を購入するようになったが、社会人になって再び支給された会社の手帳をちょっと使い、その後システム手帳に移行した。
そのころはシステム手帳がブームになりかけのころで、私はアーリーアダプター(関連エントリLINK)の部類に属していたかもしれない。
とはいえ私のことだから手帳は市販品ではなく自作。ドイツのクラウゼ社の金具を購入してレザークラフトした。当時は「リフィル通信」などというシステム手帳専門雑誌もあって…… などとシステム手帳のことを語りだすとキリが無いので、それはまたの機会に。
それほど凝ったシステム手帳も、いつのことか「かさばること」がわずらわしくなり、PCでスケジュール管理もできるようになって、数年後人事異動で職場が変わったことをきっかけに使わなくなった。
あるとき、メモを取る回数が減ったことに気づき、ちゃんとした手帳を持ちたいと考えた。
それが以前のエントリで紹介した「ほぼ日手帳」の導入につながっている。


しかし私の移り気は健在だった。
1日1ページの文庫本サイズでスペースがたっぷりあるのに、ここのところメモをほとんど記入していない。それは図体が大きくてポケットに入れられないことが影響しているように思う。とっさのメモについては「IDカードホルダー付きポストイットホルダー」が活躍するようになっているせいもあるだろう。
長遠距離通勤なのに空白だらけの大きめの手帳をいつもカバンの中に入れていることはよろしくないと考えた。
システム手帳の時とおなじようにかさばることが気になるようになってきてしまった。
ということで、「ほぼ日手帳」とは2年でお別れの時が来てしまった。

で今度の手帳はというと…

「ほぼ日手帳」一家(?)の「ほぼ日週間手帳」である。
「ほぼ日手帳」の厚さが14mmあるのに対し「ほぼ日週間手帳」は4.2mm。その薄さは魅力だ。(冒頭の写真を参考)
「ほぼ日」一家の証である方眼のラインをちゃんと踏襲し、タイムスケジュールも同じ縦構成で、これまでと違和感なく使える。
見開き1週間のバーチカル手帳として最小構成というのもイイ。
ほかの手帳メーカーにもバーチカル型の手帳はいくつもあるのだが、世界地図だの度量衡表だの年齢早見表だのアドレス帳だのまでくっついているのは私には余分だった。
まあこれだけだと肝心のメモ部分がないので、やはり「ほぼ日一家」のメモ帳と組み合わせることにした。これは厚さ2.4mmで、2つ重ねてもほぼ日本体の半分にも満たない。
週間手帳とメモ帳は同じサイズだが、ほぼ日手帳よりやや小さい。カバーに挟みやすいように配慮したものだろう。

ということは、ほぼ日手帳本体を使わずに、いままでのカバーに入れるとなると、ブカブカになってしまうということだ。
で、この手帳のカバーを年内に作ることが必然になった。
年内ならば時間はあるようだが、いま一件の手ごわい依頼品が構想段階で停滞していて、これをやっつけてから取り掛かることにするのでちょっときわどいかもしれない。できあがったらまた紹介するつもりだ。

それはそうと、
冒頭に女性遍歴を持ち出したのには、「手帳との別れは女性との別れと似たような面があるかも」と思ったからだ。
手帳を眺めながらの脳内会話。
ほぼ日手帳(以下「ほ」):あなた、最近なにかそっけないじゃない。私に不満でもあるの?
私:いや、これといって不満があるわけじゃないけど…
ほ:なによ、はっきり言ってよ。
私:どうも僕では君のよさを引き出すことができないと思いはじめたんだ。
ほ:それってどういうこと? 私に原因があるっていうの。
私:いや、君は悪くない。
ほ:もしかしてほかに好きなコができたっていうの。
私:実は…、そうなんだ。
ほ:誰よ、誰を好きになったっていうの?
私:君の…、…妹なんだ。
ほ:ええっ(絶句)

今回は「妹」に惹かれてしまったわけ。お姉さんが嫌いになったわけじゃないけど、お姉さんのいいところを受け継ぎながらお姉さんよりスリムなところにホレてしまったという次第。ホントに男というのはどうしようもない(笑)。

女性も手帳も好き嫌いを判定する条件というのはたくさんある。この部分(性質)が気に入っているけどあの部分(性質)はあんまり好きじゃない、というように。そのときの自分の気分や成長具合で好みは変わることもあるし、その組み合わせは無限に近い。
そんなことで、今の相手が嫌いになったわけじゃないけど、別に気になる存在が現われるなんてことはよくあることだろう。
手帳の場合、女性よりははるかに別れやすいわけだが、この手帳はなにせ自分で作ったオリジナルなカバーがついている。2年使ったので革のエイジングでいい感じになっていて、このままお役御免にするのはもったいない。
ほぼ日手帳は文庫本サイズなので、文庫本カバーに転用することはできるとはいえ、「本妻から二号さんに格下げ」のような申し訳ないような気分がある。
誰かに譲ってもいいのだが、新品でなくともいいという奇特な人は少ないだろう。


さて、女性(人)と手帳(モノ)の類似点を語っては見たものの、配偶者(人)や終の棲家(モノ)の場合はそんなに簡単に考えられるものではない。
添い遂げる覚悟を持って選んだ(選ぶべき)相手だからだ。
気になる存在が現われたって、簡単に乗り換えるわけにはいかない。
魅力的な対象が現れても、「新しいものはよく見えるものだ」と割り切って誘惑されないようにする心構えは必要だと思う。また「古くなることの良さ」を見出すこともこれまでも言っているとおり大事なことである。
イイ感じのじいさんばあさんになって、イイ感じにエイジングした家でしあわせに暮らしたいものだ。
表題はおわかりのように、いわゆる「釣り」である(ゴメンナサイ)。


140円住宅まで登場

2008年10月18日 | 家について思ったことなど
米国の185円住宅で驚いていてはいけない。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081016-00000030-maip-soci

 【ローマ藤原章生】「地中海を見下ろす石造りの家、売ります」--。イタリア南部シチリア島西方のサレミ市で古い住宅1000戸が売りに出されている。土地付きの値段は、1戸たったの1ユーロ。金融不安に伴うユーロ安もあって、日本円に換算すればわずか約140円だ。
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イタリアで140円住宅が登場した。
もっとも、これは「建築条件付き」。
記事によると、地震によって壊れた部分を地元業者による伝統建築で復元するという条件がついている。およそ1300万円かかるという。
140円という金額はいわば極端な「キャッチコピー」というわけだったのだが、伝統建築で復元なんて条件はステキだと思う。
地域ぐるみで家を大事にする。そういう文化があればこそ家の寿命は長くなる。
家単体のハードの性能だけ考えていたってだめなのだ。


「驚くべき物件」を凌駕する「驚くべき落札」

2008年10月06日 | 家について思ったことなど

差し押さえ住宅、185円=ネット競売で売却-米 (時事通信)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/n_auction__20081006_4/story/081004jijiX956/

 【ニューヨーク4日時事】米ミシガン州サギノー市にある差し押さえ住宅がインターネット競売大手イーベイで売りに出され、4日までに1ドル75セント(約185円)で売却されたことが分かった。米国では差し押さえ住宅が急増しており、安値での売却が続けば住宅相場の下落に拍車を掛けることになりそうだ。
 米メディアによると、住宅は米投資会社が1セントで売りに出し、シカゴに住むジョアンヌ・スミスさん(30)が競り落とした。スミスさんは代金のほか、滞納されている税金や住居の清掃代など、総額約1000ドル(約106000円)を支払わなければならないという。 
[時事通信社]


当blogの関連エントリ↓

驚くべき物件――もしかしたら1万円で買えるビル


しかし、185円で住宅を売買って、何かの間違いじゃないかと思う。
税金、清掃代1000ドルをあわせたって法外に安い。
「驚くべき物件」のように余計な建築条件がついているとでもいうのか。
市場原理という言葉でも説明は困難だろう。

<いろいろなギモン>
・なぜこの会社はわずか1セントでオークションに出したのか
  出す意味あるの? 
・なぜ185円で落札できたのか
  チョコレート買う感覚で子供だって買える値段なのに、入札した人が少なすぎないか?
・185円ならいっそのことホームレスの人とかにあげちゃえばいいのに
  支援団体の人とかこのくらいのお金は出せるでしょ。

<記者にいいたいこと>
>米国では差し押さえ住宅が急増しており、安値での売却が続けば住宅相場の下落に拍車を掛けることになりそうだ。
この例を「安値での売却」というくくりで判断するってどんなセンスをしているんだろう。やがてみんなこんな値段になる、なんてわけがないのだ。