女性遍歴などといえるような経験がない人でも手帳遍歴というのはあるのではないか。
かく言う私も何種類もの手帳遍歴がある。
手帳らしい手帳とのファーストコンタクトは中学に入学したときに配布された生徒手帳だ。高校の時も生徒手帳ですませていた。
大学生になって自前で手帳を購入するようになったが、社会人になって再び支給された会社の手帳をちょっと使い、その後システム手帳に移行した。
そのころはシステム手帳がブームになりかけのころで、私はアーリーアダプター(関連エントリLINK)の部類に属していたかもしれない。
とはいえ私のことだから手帳は市販品ではなく自作。ドイツのクラウゼ社の金具を購入してレザークラフトした。当時は「リフィル通信」などというシステム手帳専門雑誌もあって…… などとシステム手帳のことを語りだすとキリが無いので、それはまたの機会に。
それほど凝ったシステム手帳も、いつのことか「かさばること」がわずらわしくなり、PCでスケジュール管理もできるようになって、数年後人事異動で職場が変わったことをきっかけに使わなくなった。
あるとき、メモを取る回数が減ったことに気づき、ちゃんとした手帳を持ちたいと考えた。
それが以前のエントリで紹介した「ほぼ日手帳」の導入につながっている。
しかし私の移り気は健在だった。
1日1ページの文庫本サイズでスペースがたっぷりあるのに、ここのところメモをほとんど記入していない。それは図体が大きくてポケットに入れられないことが影響しているように思う。とっさのメモについては「IDカードホルダー付きポストイットホルダー」が活躍するようになっているせいもあるだろう。
長遠距離通勤なのに空白だらけの大きめの手帳をいつもカバンの中に入れていることはよろしくないと考えた。
システム手帳の時とおなじようにかさばることが気になるようになってきてしまった。
ということで、「ほぼ日手帳」とは2年でお別れの時が来てしまった。
で今度の手帳はというと…
「ほぼ日手帳」一家(?)の「ほぼ日週間手帳」である。
「ほぼ日手帳」の厚さが14mmあるのに対し「ほぼ日週間手帳」は4.2mm。その薄さは魅力だ。(冒頭の写真を参考)
「ほぼ日」一家の証である方眼のラインをちゃんと踏襲し、タイムスケジュールも同じ縦構成で、これまでと違和感なく使える。
見開き1週間のバーチカル手帳として最小構成というのもイイ。
ほかの手帳メーカーにもバーチカル型の手帳はいくつもあるのだが、世界地図だの度量衡表だの年齢早見表だのアドレス帳だのまでくっついているのは私には余分だった。
まあこれだけだと肝心のメモ部分がないので、やはり「ほぼ日一家」のメモ帳と組み合わせることにした。これは厚さ2.4mmで、2つ重ねてもほぼ日本体の半分にも満たない。
週間手帳とメモ帳は同じサイズだが、ほぼ日手帳よりやや小さい。カバーに挟みやすいように配慮したものだろう。
ということは、ほぼ日手帳本体を使わずに、いままでのカバーに入れるとなると、ブカブカになってしまうということだ。
で、この手帳のカバーを年内に作ることが必然になった。
年内ならば時間はあるようだが、いま一件の手ごわい依頼品が構想段階で停滞していて、これをやっつけてから取り掛かることにするのでちょっときわどいかもしれない。できあがったらまた紹介するつもりだ。
それはそうと、
冒頭に女性遍歴を持ち出したのには、「手帳との別れは女性との別れと似たような面があるかも」と思ったからだ。
手帳を眺めながらの脳内会話。
ほぼ日手帳(以下「ほ」):あなた、最近なにかそっけないじゃない。私に不満でもあるの?
私:いや、これといって不満があるわけじゃないけど…
ほ:なによ、はっきり言ってよ。
私:どうも僕では君のよさを引き出すことができないと思いはじめたんだ。
ほ:それってどういうこと? 私に原因があるっていうの。
私:いや、君は悪くない。
ほ:もしかしてほかに好きなコができたっていうの。
私:実は…、そうなんだ。
ほ:誰よ、誰を好きになったっていうの?
私:君の…、…妹なんだ。
ほ:ええっ(絶句)
今回は「妹」に惹かれてしまったわけ。お姉さんが嫌いになったわけじゃないけど、お姉さんのいいところを受け継ぎながらお姉さんよりスリムなところにホレてしまったという次第。ホントに男というのはどうしようもない(笑)。
女性も手帳も好き嫌いを判定する条件というのはたくさんある。この部分(性質)が気に入っているけどあの部分(性質)はあんまり好きじゃない、というように。そのときの自分の気分や成長具合で好みは変わることもあるし、その組み合わせは無限に近い。
そんなことで、今の相手が嫌いになったわけじゃないけど、別に気になる存在が現われるなんてことはよくあることだろう。
手帳の場合、女性よりははるかに別れやすいわけだが、この手帳はなにせ自分で作ったオリジナルなカバーがついている。2年使ったので革のエイジングでいい感じになっていて、このままお役御免にするのはもったいない。
ほぼ日手帳は文庫本サイズなので、文庫本カバーに転用することはできるとはいえ、「本妻から二号さんに格下げ」のような申し訳ないような気分がある。
誰かに譲ってもいいのだが、新品でなくともいいという奇特な人は少ないだろう。
さて、女性(人)と手帳(モノ)の類似点を語っては見たものの、配偶者(人)や終の棲家(モノ)の場合はそんなに簡単に考えられるものではない。
添い遂げる覚悟を持って選んだ(選ぶべき)相手だからだ。
気になる存在が現われたって、簡単に乗り換えるわけにはいかない。
魅力的な対象が現れても、「新しいものはよく見えるものだ」と割り切って誘惑されないようにする心構えは必要だと思う。また「古くなることの良さ」を見出すこともこれまでも言っているとおり大事なことである。
イイ感じのじいさんばあさんになって、イイ感じにエイジングした家でしあわせに暮らしたいものだ。
表題はおわかりのように、いわゆる「釣り」である(ゴメンナサイ)。
かく言う私も何種類もの手帳遍歴がある。
手帳らしい手帳とのファーストコンタクトは中学に入学したときに配布された生徒手帳だ。高校の時も生徒手帳ですませていた。
大学生になって自前で手帳を購入するようになったが、社会人になって再び支給された会社の手帳をちょっと使い、その後システム手帳に移行した。
そのころはシステム手帳がブームになりかけのころで、私はアーリーアダプター(関連エントリLINK)の部類に属していたかもしれない。
とはいえ私のことだから手帳は市販品ではなく自作。ドイツのクラウゼ社の金具を購入してレザークラフトした。当時は「リフィル通信」などというシステム手帳専門雑誌もあって…… などとシステム手帳のことを語りだすとキリが無いので、それはまたの機会に。
それほど凝ったシステム手帳も、いつのことか「かさばること」がわずらわしくなり、PCでスケジュール管理もできるようになって、数年後人事異動で職場が変わったことをきっかけに使わなくなった。
あるとき、メモを取る回数が減ったことに気づき、ちゃんとした手帳を持ちたいと考えた。
それが以前のエントリで紹介した「ほぼ日手帳」の導入につながっている。
しかし私の移り気は健在だった。
1日1ページの文庫本サイズでスペースがたっぷりあるのに、ここのところメモをほとんど記入していない。それは図体が大きくてポケットに入れられないことが影響しているように思う。とっさのメモについては「IDカードホルダー付きポストイットホルダー」が活躍するようになっているせいもあるだろう。
長遠距離通勤なのに空白だらけの大きめの手帳をいつもカバンの中に入れていることはよろしくないと考えた。
システム手帳の時とおなじようにかさばることが気になるようになってきてしまった。
ということで、「ほぼ日手帳」とは2年でお別れの時が来てしまった。
で今度の手帳はというと…
「ほぼ日手帳」一家(?)の「ほぼ日週間手帳」である。
「ほぼ日手帳」の厚さが14mmあるのに対し「ほぼ日週間手帳」は4.2mm。その薄さは魅力だ。(冒頭の写真を参考)
「ほぼ日」一家の証である方眼のラインをちゃんと踏襲し、タイムスケジュールも同じ縦構成で、これまでと違和感なく使える。
見開き1週間のバーチカル手帳として最小構成というのもイイ。
ほかの手帳メーカーにもバーチカル型の手帳はいくつもあるのだが、世界地図だの度量衡表だの年齢早見表だのアドレス帳だのまでくっついているのは私には余分だった。
まあこれだけだと肝心のメモ部分がないので、やはり「ほぼ日一家」のメモ帳と組み合わせることにした。これは厚さ2.4mmで、2つ重ねてもほぼ日本体の半分にも満たない。
週間手帳とメモ帳は同じサイズだが、ほぼ日手帳よりやや小さい。カバーに挟みやすいように配慮したものだろう。
ということは、ほぼ日手帳本体を使わずに、いままでのカバーに入れるとなると、ブカブカになってしまうということだ。
で、この手帳のカバーを年内に作ることが必然になった。
年内ならば時間はあるようだが、いま一件の手ごわい依頼品が構想段階で停滞していて、これをやっつけてから取り掛かることにするのでちょっときわどいかもしれない。できあがったらまた紹介するつもりだ。
それはそうと、
冒頭に女性遍歴を持ち出したのには、「手帳との別れは女性との別れと似たような面があるかも」と思ったからだ。
手帳を眺めながらの脳内会話。
ほぼ日手帳(以下「ほ」):あなた、最近なにかそっけないじゃない。私に不満でもあるの?
私:いや、これといって不満があるわけじゃないけど…
ほ:なによ、はっきり言ってよ。
私:どうも僕では君のよさを引き出すことができないと思いはじめたんだ。
ほ:それってどういうこと? 私に原因があるっていうの。
私:いや、君は悪くない。
ほ:もしかしてほかに好きなコができたっていうの。
私:実は…、そうなんだ。
ほ:誰よ、誰を好きになったっていうの?
私:君の…、…妹なんだ。
ほ:ええっ(絶句)
今回は「妹」に惹かれてしまったわけ。お姉さんが嫌いになったわけじゃないけど、お姉さんのいいところを受け継ぎながらお姉さんよりスリムなところにホレてしまったという次第。ホントに男というのはどうしようもない(笑)。
女性も手帳も好き嫌いを判定する条件というのはたくさんある。この部分(性質)が気に入っているけどあの部分(性質)はあんまり好きじゃない、というように。そのときの自分の気分や成長具合で好みは変わることもあるし、その組み合わせは無限に近い。
そんなことで、今の相手が嫌いになったわけじゃないけど、別に気になる存在が現われるなんてことはよくあることだろう。
手帳の場合、女性よりははるかに別れやすいわけだが、この手帳はなにせ自分で作ったオリジナルなカバーがついている。2年使ったので革のエイジングでいい感じになっていて、このままお役御免にするのはもったいない。
ほぼ日手帳は文庫本サイズなので、文庫本カバーに転用することはできるとはいえ、「本妻から二号さんに格下げ」のような申し訳ないような気分がある。
誰かに譲ってもいいのだが、新品でなくともいいという奇特な人は少ないだろう。
さて、女性(人)と手帳(モノ)の類似点を語っては見たものの、配偶者(人)や終の棲家(モノ)の場合はそんなに簡単に考えられるものではない。
添い遂げる覚悟を持って選んだ(選ぶべき)相手だからだ。
気になる存在が現われたって、簡単に乗り換えるわけにはいかない。
魅力的な対象が現れても、「新しいものはよく見えるものだ」と割り切って誘惑されないようにする心構えは必要だと思う。また「古くなることの良さ」を見出すこともこれまでも言っているとおり大事なことである。
イイ感じのじいさんばあさんになって、イイ感じにエイジングした家でしあわせに暮らしたいものだ。
表題はおわかりのように、いわゆる「釣り」である(ゴメンナサイ)。