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藤木勇人「沖縄言葉(ウチナーグチ)ちょっといい話」

2009年11月17日 | 本と雑誌
Uchinaguchi
 
沖縄言葉(ウチナーグチ)ちょっといい話
藤木勇人 著
双葉社 刊

 11日付の朝日新聞朝刊に掲載された「天声人語」に一部が紹介されていて、面白そうだと思いすぐにアマゾンで購入、日曜日に渋谷に映画を観に出かけた往復で読んだ。
 200ページに満たない小さな本で、しかも口語で書かれているから、スタスタ読める。
 ただし、これは電車の中では読まないほうがいい。特に始めのほうはつい吹き出してしまうので、一人で本を読んで笑っている変な人になってしまう。
 
 著者は立川一門の「うちなー噺家」である。高座でどんな噺をするのか、聞いてみたい。
 
 沖縄には鍋料理がなかったそうだ。たしかに、ヤマトでも鍋は冬の定番。平均気温が20度以上ある沖縄には似合わない。
 この本の著者が、「中学時代に父親と姉と3人で、それも熊本で」鍋料理を食べたときの話。
 
 テーブルにコンロと鍋が用意され、野菜や肉や魚の具が別皿で運ばれてくる。父親が勇んで鍋奉行しようとしている横で、ネーネー(姉さん)と僕が魚の切り身に醤油をつけて食べ始めた。そしたら父親、怒ってねぇ。「何で生で食べるか!」って。沖縄生まれ・沖縄育ちの僕らにしたら、生で出された魚は刺身で食べるものだと思ってる。
 
 こんな話も。

 沖縄には「ダール」という言葉がありますこれは「…である。その通り」という意味。以前立川志の輔師匠と沖縄で僕の友人が運転する車に乗っていたときのこと。窓から見えた畑の作物についてぼくが友人に質問したんです。
 「あれ、ターウム(田芋)?」
 すると彼はこう答えました。
 「ダー。ダール、ダール! ターウム、ターウム」
 それを聞いた志の輔師匠がひと言。
 「おまえたち、どこの国の言葉でしゃべってるんだ」

 
 さもありなん。
 
 「おばちゃん、さっき買ったパン、腐ってたよ」
 「あんたが、早く買いに来んからじゃ」

 
 「天声人語」に触りだけ紹介されていた一文は、以下の一節だ。

「ヌチヌグスージ」【命の御祝事】
 1945年、島は沖縄戦による大きな痛手を負いました。本島中部の石川??住民わずか2000人足らずの小さな農村だったこの地には、家族を失い、家を焼け出された人々が集められ、人口3万人もの難民収容所の町となっていました。誰もが夢も希望もなく打ちひしがれるなか、
 「チャーピラサイ(ごめんください)」
 何家族もが押し込められた1軒のバラックの軒先に、忽然と現れた丸メガネにチョビヒゲの中年男は、開ロー番、こう言いました。
 「ヌチヌグスージ サビラ(命のお祝いをしましょう)!」
 ご存じの通り、沖縄戦で約19万人もの日本人が亡くなりました。そんな時期にこの男は、集落のバラックを訪ねながらこんなふうに語ってまわったのであります。
「生き残った人が元気でいなければ、死んだ人は浮かばれないよぉ。だから、命のお祝いをしましょう」
 そして、沈みきった人たちを前に、同行した若者に「トゥントゥン テントントン」と口でサンシンの伴奏をさせながら、あまりにも場違いで陽気な歌を歌い、キテレツな踊りを舞い始めます。誰もが泣いていた時代に、笑いを通して元気を届けた人??その人こそが沖縄初の漫談家、通称「プーテン先生」こと、小那覇舞天なのであります。

 
 本は後半になると、話が次第に現実味を帯びてくる。アメリカーに占領されたことで変わってしまった文化。それ以前に薩摩の侵略が沖縄の歴史に大きな影響を及ぼしたこと。
 
 沖縄特有の、ゆる~い雰囲気で、米軍基地に反対、いや、「基地がなくなるのに賛成」したり、泡盛のこと、りんけんバンドのことなどを、ひょうひょうと語りながら、ちくりちくりとスパイスを効かす。落語家らしい軽妙な語り口に引き込まれてしまった。
 それぞれ2~3ページの短い逸話は、どれも「ちょっといい話」ばかりだった。
 
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