旧:鳳凰堂のランダムウォーカー <伏見の光>

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「重症児の授業づくり」12

2011-11-19 19:39:17 | その他
 本の内容からはどんどん離れていきますが・・。また戻りたいと思います。

 日頃意識しているのは「言葉」のこと。

 認識的に乳児期段階にある子どもたちの多くは、直接「言葉」をそのままの意味のあるものとしてとらえることは難しい場合が多いです。
しかし、全くわかっていないかというと、そうでもないなと思う時も多々あります。このあたりは具体的な事例、エピソードを蓄積しながら、実態の正確な把握につとめたいものだと思います。

 ただ、この人が発する「言葉」というのは、子どもらにとっては、環境であり、刺激であり、はたらきかけられることでもあります。

 こちら側が意図をもって「言葉」を発する場合は、それは「はたらきかけ」ということになろうかと思います。

 単に言葉をそのまま言葉として理解することができなくても、「音」として聞こえていれば、また、それを人の話し声として感覚的につかんでいれば、これは日常的なはたらきかけの内容として、意識するしないに関わらず、かなり大きなものがあります。

 自分自身の場合は、場面場面で子どもにはたらきかける時の言葉を決めて、それを同じ口調、抑揚、大きさで言うことを意識しています。

 こんなことをそんなに意識しなくても、その人その人の声質や言い方、特徴というのは出ますから、子どもらはそれをとらえられる場合が多いです。
ですが、同じ人であっても、場面とか状況、授業の内容によって、それらを意識的に変え、また、それは行き当たりばったりではなく、継続的に同じ言い方、言葉を続けていく。そのことは、子どもらに見通しや期待感をよりはっきりしたものとして定着させるためにかなり意味が大きいと考えています。

 「言葉」はそれぞれの子どもたちの発達段階や障害の実態に応じて、丁寧に考えて扱われるべき「はたらきかけ」の内容であると思います。



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