monologue
夜明けに向けて
 



 そのころ、島健 はジャズ雑誌のファン投票で上位に入るトランペッター、アル・ヴィズッティ (AL VIZZUTTI)のバンドでキーボードを弾いていたがそれだけでは生活できないのでクラブのピアニストも始めた。わたしはその店に仕事ではなく客のフリして訪れてかれの伴奏でスタンダードやポピュラーソングを歌ったりした。

 ある音響メーカーの新製品のPCMレコーダーがいかにクリアな音でデジタル録音できるかのテストと宣伝のためにジャズバンドの紹介を頼まれて、わたしはアル・ヴィズッティのバンド を紹介した。ひとり100ドルのペイで請け負って、ドラムス、ベース、ギター、キーボード、トランペットとプロユースのスタジオで時間をかけてPCM録音した。それが日本でその社の宣伝資材として使用されたのだろう。

 そのとき、島健はキーボードをハモンドオルガンの名器B3の音が出る設定にしたと自慢していた。一般の人には、それがどうした、という話題だがわたしは感心してその音を聴いた。かれは仕事をまわしたお礼にわたしの曲をアレンジしてやる、といっていた。それはかれらにとっておいしい仕事だったのだろう。

 わたしは「カリフォルニア・サンシャイン」のシングルを作っている時、島にアレンジを頼んでアルにトランペットのソロを頼もうかと思ったが、それではあまりに人頼みに過ぎるので思いとどまった。今にして思えばそれも面白かったかも。なにしろ島がのちに日本でストリングスアレンジしたサザンオールスターズの「TSUNAMI」はレコード大賞を受賞したのだから…。
fumio

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