monologue
夜明けに向けて
 



彼岸と此岸が重なった今、吉田等がSFと共演している歌声をわたしにアップロードしてほしくてまたアクセスしてきた。


その日、わたしはいつものように相棒中島茂男を芸術家集団がシェアする家に迎えに行った。
そしてハリウッド地区にある日系人クラブ「蝶」に到着してエンターティナーとして仕事を始めた。その頃、わたしたちは「アルバム「プロセス」の曲作りをしていて仕事で演奏しながらアレンジや演奏法を変えて煮詰めていた。客には迷惑だったかもしれない。延々と続くわけのわからないまだ曲と呼べないフレーズの繰り返しを酒の肴として聴くのだから。

そこにさっきかれらの家で挨拶した画家吉田等と庭師本間氏、大阪出身の写真家堀山氏がどやどやとやってきて客として席についた。
なんか変な感じだった。仲間たちが客として目の前に座るというのは…。かれらはピンクフロイドの「us and them」やわたしたちのオリジナルをリクエストしてしばらく遊んでいたが吉田が思いついたようにこの歌を歌いだした。堀山氏は大阪出身だしギターを弾くのは広島出身の中島だしひらめいたのだろう。あとにも先にも吉田がわたしたちSFの伴奏で歌を歌ったのはこの夜だけであった。その時のかれの歌を20数年を経た今隔り世のかれ自身のリクエストで多くの人々が耳にするというのは実に奇妙だ。こんなことがありうるのだ。
fumio 

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コメント
 
 
 
懐かしい声 (さんざし)
2011-10-17 18:35:57
懐かしい声でした。
何故か音が小さくて、目一杯ボリュームを上げて聴きました。あ~懐かしいこの声です。
吉田さんは、こんな歌を歌っていたのですね。
ピンクフロイドやジェネシスか、芸能山城組とかいう集団のLPレコードをよく聴いていたのは知っていましたが。。。

クラブ「蝶」・・・?
私、そこ知ってますよ。
和服姿の日本人のママさんがいましたよね。
無口なご主人さん?みたいな人がよくカウンターにいて、そしてそして、バーテンさんの名前が「キリちゃん」と呼ばれていました。
私、そこに知ってる人がいて、ちょくちょく行ってたんです。そこでギターを弾いていた痩せた人と、丸顔のポッチャリした人の顔も覚えています。
その人達が交代で、多分ローテーションを組んで弾きに来ていたのだと思いますけど。
うわぁ・・・ちょっとこれは驚きです。
やっぱり、やましたさん、私お会いしてると思います。
あの近くって、霧子という名前のクラブもあったのですよ。ご存知ですか?
そこは日系人のご夫婦がされてて、確かご主人がシェリフでしたよ。
血の気の多いママさんで、よく遊びに行ってても、お店の女の子に(韓国人が多かったような)ヒステリックに怒鳴っていたのを覚えています。
そこにも吉田さんは歌いに行ってましたよ。
だからママさんもよく知ってる筈です。

私は、ウィルシャーブルバードにあった、「ロータス」と言うクラブで、行ける時だけバイトしに行ってました。経営者がサムという名の韓国人でしたが、私は運良く可愛がって貰っていました。

あの頃の人たちはみんな散り散りになって、今はどこにいるのでしょう。。。ほんとに懐かしいですねぇ。
思い出すとあれもこれもと出てくるのですが、あの当時、もう一人、ギターを弾いてた若いちょっとルックスの受ける男の人がいましたねぇ・・・確かネバダのラスベガスで結婚した人でしたか、彼は日本に数年後戻っているのですが、名前が出てきません。
彼は、今でも音楽関係の仕事をしているのかどうか。

私がこれだけいろいろ覚えていて、名前だけが出てこないのですが、きっとやましたさんとは会ってると確信できるような気がしてきました。
だから、どうってことではないのですけど。
う~ん、、、やっぱりこういう形でいろいろ判ってくるのはとてもとても不思議です。
何か意味があるのでしょうか?
それとも吉田さんのいたずら心で、アクセスしているということなのでしょうかねぇ。
みんな、吉田さんを忘れてはいないということが判って、吉田さんも満足ではないでしょうか。
 
 
 
クラブ (fumio)
2011-10-18 09:12:33
さんざしさんこんにちは。


「霧子」や「ロータス」と言うクラブの名前は知っていましたが
毎日、自分がクラブで演奏しているのですから仕事以外に他のクラブに自分で飲みに行くということはありませんでした。
休みの日は自分自身の音楽づくりでしたから。
 
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