monologue
夜明けに向けて
 



昨日の「GRACEofJAPAN」はアマテラスの鳥居とされる
夫婦岩で有名な「二見興玉神社」を採り上げていた。
神社本庁昭和37年発行の神社名鑑から「二見興玉神社」 の項を以下に引用する。
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二見興玉神社 旧村社
度会郡二見町江 参宮線 二見浦駅より一キロ
祭神 御食津神 猿田彦大神
例祭 七月 十五日
本殿 神明造 一坪半
由緒沿革 往昔水荒神、三狐神社とも称され、
興玉と三宮社を合祀しもの。
天平年中僧行基が此の地に勧請すと云う。
古来参宮の前にこの浜で沐潮し、これを浜参宮と称す。
明治四十一年二見興玉神社と単称した。
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伝承によれば、二見浦ではニギハヤヒの長男サルタヒコはヒラベ貝に「手」を挟まれて海に沈んでしまい興玉(おきたま)石になったという。どうして興玉石という名前がついたのか。二見興玉神社はサルタヒコがアマテラスである父ニギハヤヒとともに祀られている社でアマテラスのAMATとサルタヒコのHIKOを仲良くつなぐと天ではAMATHIKOとなってこれを地上で読むために逆に直すとOKIHTAMAで興玉となったのである。つまり興玉神石とはサルタヒコひとりの変身した姿ではなくニギハヤヒとの親子二柱の魂が依り憑いている。ニギハヤヒを祀る和歌山の「玉置神社」ではOKIには「置」を使っているがここでは「興」という文字を使用している。「興」は大修館新漢和辞典によると同と舁(二人が両手で物を抱え合う意)の合わせ字で力を合わせて物をかかえおこすことと記されている。すなわち二見興玉神社ではとにかく親子が力を合わせてことに当たっていらっしゃるということを示している。
由緒沿革には「往昔水荒神、三狐神社とも称され、興玉と三宮社を合祀しもの。」と書かれているがその水荒神とはわれらが母イザナミなのである。つまりここにはニギハヤヒ、サルタヒコとイザナミが合祀されている。
fumio

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