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ゆうべに辿る道は険しかろうと 朝露の道は輝いているだろう
砂浜は波に洗われ洗われ 其方達の足跡を残すことは無い
過ぎ行く時の しじまを縫って帆掛け舟は出て行く
時と時との間にある にかわを溶かす者は何処に眠っているか
耶麻女(ヤマメ)の走る先 清き流れの元となる所
総ての雪の生まれる所、馨しき香の流れる所
音で辿れ あまねく人々の耳に快い音で
それは 葉ずれの音
それは 波打ち際の音
それは 深山の音
ようやくにして 心と心の音の解る人々が生まれてきたことよ
黄金のサキツチの世に、虐げられるもののあることを許すまじ
闇の世 永くは栄えぬことよ
そは すべからくアジナの主の言う通り
メの神の世には 光 未だ齢(ヨワイ)を持たず
今 しばらくの時を待つべし
---カリカラの明王
「光の黙示録」より
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それではいよいよこれまで難解過ぎて採り上げることができなかった「光の黙示録」の詩編を選んでまず手始めにこの章を俎上に乗せよう。
「時と時との間にある にかわを溶かす者は何処に眠っているか」
「にかわ」とはくっつけるものだが、弥生時代「に」飛鳥時代「は」など「に」か「わ」で時代をつないでいる。
「時と時と」の間にあるものは二回使用して強調している「と」つまり「戸」が「にかわ」になっていて「時」をくっつけてはいるが、実はへだてているらしい。戸で隔てられた時は澱み腐敗する。その「にかわ」を溶かせば時は正しく流れるのだろう。「にかわ」を溶かす者は何処に眠っているか?
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奇遇です。この詩を、見たばかりでした。
こちらのコメント欄でも有名な方の、ずいぶん前のブログのログのようでした。
私、fumioさんに一連のものをここで紹介していただいて、その晩、どこかの誰かに、この詩に関する解説を聞きに行ってるんです(という夢?を見ました)。
私が聞きにいったのは、数字についてだったと思うのですが、どなたかが簡単に説明してくれて、それが本当に単純だったんです。「えっ、そんな単純なことだったの?!」って思って、すごいすんなりわかって、めちゃくちゃ感動した事を覚えているのに、肝心の事を持ち帰れませんでした・・・残念。。。
3次元にいるときは、何もわからない私でした。。。
>にかわを溶かす者は何処に眠っているか
これは…あれなんじゃないでしょうか…
大洋に沈む真珠…ここです。
【<26>
霊的なる者 スパスシフィカは
大洋にありて 真珠の光】
にかわ…なんなんでしょうね…うーん。。。
真珠の光スパスシフィカについてはいずれ、そう遠くないうちに明かされる日が来ると思っています。
この詩のメッセージ主?のカリカラとは、
謎の言葉のようですが、このハリハラのことではないでしょうか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%8F%E3%83%A9
ハリはヴィシュヌを、ハラはシヴァをたたえる言葉だったような気も・・・
また、カリはカーリー女神で、カラはマハ・カーラのシヴァ神のことではないかと思われます。カーリーとシヴァは夫婦ですね。
マハ・カーラで大黒神になるのですが、カーリー女神も黒を象徴し、時間にも関係するようです。
イメージとしては、
時の終わりに、すべての生命はその経験を持って暗黒の世界に還るといったような、まあ宇宙が最後にブラックホールに吸収される、といったことを象徴しているのでしょうか。そしてまたその暗黒の世界から新たな宇宙が生まれるというサイクルを繰り返す・・・(うろ覚えですが)
シヴァは不動明王とも関係が有るようですし、アジナということからもインド由来の神様からのメッセージ、という形をとっているのでしょうか?
カーリー女神ということではないですが、メの神は、女神かなという気もします。
カリカラの明王からは、なんとなく合体神(身)が私にはイメージされます。
耶麻女(ヤマメ)の走る先 清き流れの元となる所
総ての雪の生まれる所、馨しき香の流れる所
ここは、渓流・源流・雪解け水・氷河と考えて、氷川かなと考えてみました。氷川神社の御祭神はスサノオ尊なので、まあ遠からずかなと(このへんはかりてきとおです)
カリカラがシヴァ神とカーリー女神という説には賛成です。
実は、上記のコメントを書いたあとに、引き続きシヴァとパールヴァティの半身合体像の事を調べたり
http://sebastian-company.com/india-gods/arunadarisyuvara.htm
乳海攪拌の事を調べたりしていたのですが、
http://www.pitt.jp/article/14273345.html
http://www.koredeindia.com/teikoku/vishnucity/vishnucity13a.htm
そのな時、2010年11月22日に、カンボジアの水祭りで多くの方が亡くなるというニュースが入って来ました。
http://sp.m.reuters.co.jp/news/newsBodyPI.php?url=http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-18294220101123
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/accidents/2776446/6503713
http://thainaka.seesaa.net/s/article/170431814.html
この事故を調べれば調べるほど、この事故は乳海撹拌を示していると思わずにはいられませんでした。
多くの方が亡くっている事、そしてどういう意味なのか理解する事が出来ず、私の筆は止まってしまいました。
あとになってよくよく考えてみると、
この乳海撹拌は、カンボジアの事故、311の大津波へと繋がって、或いは示唆していたのではないかと思わずにはいられませんでした。
実は、2010年の9月頃に311の津波の事ではないかと思える夢を見ていました。
この予言詩が乳海撹拌や311について書かれていたかどうかは分かりませんが、この記事がこの時期にアップされたという事は、311への注意喚起という意味があったのかもしれません。
もし乳海撹拌やカンボジアの事故について書いていれば、注意喚起になり得たか…と考える処はあります
カンボジアで亡くなった方と津波で亡くなったかたに改めて追悼
(予知夢についてはtwitterでかきます)
第3の目で不動明王やシヴァの事も考えたのですが、
つい最近、八重の桜の夫の新島襄の本名が、新島七五三太だと言うことを知りました。七五三太と書いて
「しめた」と読むそうです。すなわち七五三でしめです。
いみじくも11月26日の記事で753という数字について触れられております。
メというのは、七五三と言う事でもあるのではないのでしょうか。
新島襄はキリスト教を求めてアメリカに密航したそうですが、メはクロスでもあり、メの神とはイエスキリストのことでもあるのではないかと思いました。
もう少し、しめで進めさせて頂くと、
しめ=ラストでやはりシヴァなのか
封印された神なのか
封印という事では、欧米なんかでは封書に蝋やゴムで封をするシール。
黙示録の第七の封印は、seventh seal と言うので
黙示録の神なのか?
乳海撹拌=津波や事故という事ではなく、
乳海撹拌を通して津波などを指し示そうとしていた、という様な意味でした。
長々と済みませんでした
図書館で本をめくってみたら(本当は隣の本を取ったつもりだったのですが)、
「ヒマーラヤ」とは「ヒマ(雪)」のの「アーラヤ(場所)」つまり「雪のある場所」を意味する。
「パールヴァティー」とは「パルヴァタ(山)」から派生した女性名詞であり、「山に属する女性」つまり「山の娘」を意味する。
という記述がありました。
『ヒンドゥーの聖地』山川出版社より
つまり、二つの流れ といった意味でしょうか?
明王の明ですが、これもカリカラと同様に日月で陰陽になっています。
アジナ・チャクラは両眼の間です。
二元論と一元的な話しかもしれません。
にかわが二つの流れだとして、にかわをとかすものはアジナの主、
的なことなのかもしれません
と、少し特徴的に使われている、とは既にご指摘されているところですが、ここにも二元的なものが隠されているのでしょうか?
時と心でじしんと読めます
地震が二回?
いつも興味深い考察ありがとう。
>>「八重の桜」の夫の新島襄の本名が、新島七五三太だと言うことを知りました。七五三太と書いて
「しめた」と読むそうです。すなわち七五三でしめです。
「〆た」とは面白い名前ですね。「錠で閉めた」ということなのですね。
数霊の使い方がうまい。新島七五三太は数で読めば「二一四ま七五三太」で妻が八重ですから一から八まであって
一から十までに六と九だけが足りなかったのですね。九は八重の兄山本覚馬が「か九ま」として持ち、かれは新設の私立校に「同志社」と命名した時「十」を志の「士」に入れました。結局六だけはなぜか使用しなかったようですね。