monologue
夜明けに向けて
 



先日、ニュー・ジャージーで亡くなった親友、 上田好久、ヨシさんが音信不通のターキーという愛称の友人に死を伝えてほしがっているように感じた。ターキーはロサンジェルス時代、ヨシさんと同じ家に住んだりして仲が良かった。わたしたち夫婦とも親しくなって、結婚写真を撮ってくれた。わたしが「ゴングショー」に出演した時には、 NBCスタジオに車で妻を連れてきて客席で応援してくれた。上の写真は放送日にかれが撮ったテレビ画面。うちの家によくヨシさんとビールを持参してやってきてあれこれ語りながら飲んだりした。そんなターキーがアメリカで始めたビジネス「ロングビーチ・モーターズ」はあまり思わしくなく、84年に一大決心したらしく日本に帰国して以来音信不通になってしまっていたのだった。ヨシさんはターキーは日本でどうしているかね、と気にかけていた。

 とにかくそのターキーを探し出してヨシさんの死を伝えなければならない。
かれの本名はタケヒトだったがアメリカ人には呼びにくいのでターキーになったと聞いたことがあった。それでネット検索するとある運輸会社の代表取締役社長の名前と一致した。しかし同姓同名かもしれないと思ってその会社に電話して社長を呼び出すのは気がひけて躊躇した。それで今度は104でかれの本名で登録されている家の電話番号を調べると一件あった。電話すると奥さんが出たので「お宅のご主人は昔、ロサンジェルスに住んでいらっしゃった方ですか」と確かめた。すると「そうです」と電話をつないでくれた。そこで妻と二人で「ターキーッ」と呼びかけた。電話相手はとまどっていた。長い間ターキーなどと呼ばれることはなかったのだろう。
「フミオです。山下です。ヨシさんが死んだんだよ。ターキーには伝えなければいけないから電話したんだよ。」ターキーはやっと理解できたらしく「上田さん、死んだのか…」と返事した。それから一気に二十数年の氷は蒸発して互いに20代30代にもどった。そしてかれが出社するまで一時間ほど旧交を温めた。こうしてかれはわたしたちの物語の次の章の登場人物のひとりとして戻ってきた。

 ヨシさん、ターキーに伝えたよ、元気だったよ。産業廃棄物を処理する運輸会社を経営してがんばってるよ。20年間やってきて今が一番きびしいと言ってたけれど乗り越えてゆくだろうね。見守ってやってください。
ありがとう。音信不通だった友を引き合わせてくれて。うれしかったよ。
fumio



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