monologue
夜明けに向けて
 




愛しのラナ(Lana)
という歌があった。ザ・ヴェルヴェッツ(The Velvets)という黒人ドゥワップグループの軽快なヒット曲だった。

 わたしが高校に入ってまわりの洋楽ファンの友達に勧められて聴きだした「9500万人のポピュラー・リクエスト」というラジオ番組で聴いて好きになった。放送の翌日友達の間で話題になるのはその週のこの曲とロネッツ(Ronettes)のBe My Baby の順位だった。「愛しのラナ」の「エル・エイ・エヌ・エイ」という部分を友達とコーラスで練習したり「ビー・マイ・ベイビー」の順位が下がるとみんなでリクエストして順位を上げようと相談したりしたものだった。

 そんな青春時代のヒトコマを いとしのラナ を書いている時にふと思い出した。「ビー・マイ・ベイビー」の作者が「愛しのラナ(Lana)」を殺害したというこのへんな事件、スペクターがラナ・クラークソンに出会った時、きっと自分の曲「ビー・マイ・ベイビー」と同時期にヒットしたロイ・オービソンが書いた「愛しのラナ」のメロディを思い起こしたことだろう。

 わたしにとってもこの事件は衝撃的なもので真相に迫ろうとしてもなかなか迫れなかった。どんな事件であったのかをあれこれ調べてもうすこし書いてみる。なにか見えなかったものが見えるかも。

 2003年2月3日、911番緊急電話 を受けた警官はスペクターのロサンジェルスの邸に駆けつけた。警官のリポートによれば、警官は玄関の間の椅子にぐったり座る40才の女優ラナ・クラークソンの体を見つけた。かの女は口中を射たれ、2インチの銃身の青い鋼鉄製38口径コルト・リヴォルヴァー銃がかの女の体のそばの床で見つかった。

 クラークソンは女優でそしてウエスト・ハリウッド、サンセット・ストリップのクラブ、「ハウス・オブ・ブルース」のVIP ラウンジでホステスとして働いていた。
その夜、かの女は62才のスペクターと出会いかれのリムジンでかれとともにでかけた。かれの運転手アダリアノ・デ・ソウザ(Adriano De Souza)は陪審団 に語った。
ふたりがかれの邸に入ったあと外で待っていた。ふたりが家に入ってほとんどすぐに、スペクターは車に戻りブリーフケースをもっていった。1時間ほどして運転手デ・ソウザは銃声を聞いた。そしてスペクターが裏から銃を手にして出て行くのを見た。申し立てによると、スペクターは運転手デ・ソウザに "I think I killed somebody."と言った。

警官が現場に到着したあとスペクターが前ポケットに突っ込んでいる手を見せるように言われた時小さいもみ合いがあった。かれは警官と争い、警官はスタンガンを使って鎮圧してそれから地面に倒した。

 警官は家宅捜査を行い9挺の火器とひとつの血痕を見つけた。大陪審の供述書の写しでは、スペクターは警官に初め、かれは事故で女優ラナ・クラークソンを射ったと語った。そしてのちに、かの女は自殺を図ったと言った。
警官ベアトリス・ロドリゲス(Beatrice Rodriquez)が現場に到着したとき、スペクターは "I didn't mean to shoot her. It was an accident." 「わたしはかの女を射つつもりじゃなかった。あれは事故だったんだ」と言った。

 そして6ヶ月の調査のあと2003年11月スペクターは公式にラナ・クラークソン殺害により起訴されたが100万ドルの保釈金で保釈された。

 その後、2007年9月、米ロサンゼルス郡地裁で開かれた裁判では陪審団が全員一致の評決に達することができず「評決不能」を宣言していたが、2009年5月13日(月)再審理では第2級殺人で有罪、少なくとも18年以上の懲役、最高で終身刑の評決が下され、5月29日には懲役19年から終身刑の判決が最終的に申し渡されたのである。

 一応、これだけが調べることができたこの事件の概要である。それにしてもわたしの青春期の偉大なるヒーローのひとりフィル・スペクターが終身刑となったのはすごく残念だった。
fumio



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