monologue
夜明けに向けて
 






 我は高領より来たり 高領を居住まいにするものなり
 我が名は此の世に知らぬ者無し
 我が名を語る社は多けれど、我が社は荒れすさび
 我が魂は鎮まるところを持たず

 我が力の成すところのものを観よ
 留まるところを知らぬ者達よ

「光の黙示録」より


すぐに「素盞嗚尊」という答えに到達した方は多いだろうが一応考え方を述べておく。

この「我」の残したヒントを拾うと「高領、社、荒れすさび、成す、留まる」あたり。
「高領」は普通「高嶺」と書くけれどわざと領にしてある。
領の意味は「首筋。えり。2 大事な所。中心。3 おさめる人。かしら。
4 支配する。」など。それらの意味を含ませたいらしい。
そしてもちろん高根で根の国(島根)をも指している。
スサノオの別名、高オカミや大宮の氷川神社の高鼻町のようにかれは高の字に関わりが深い。「社」は八城」で出雲の数の領域。
「荒れすさび」は荒神すなわち一霊四魂説の新魂(あらたま)、和魂
(にぎたま)、奇霊(くしたま)の初めの魂。すさびは素戔嗚尊の名スサ。
「成す」はスサノオ(susanoo)を音霊逆転したときの大成(oonasus)。
このようにヒントがすべてスサノオを暗示していることがわかる。

そして最後にかれはわたしたちに呼びかける「留まるところを知らぬ者達よ」と。
それは「父(とと)もあるところを知らぬ者達よ」の意味なのである。
ニギハヤヒはアラタマであったスサノオが進化してニギタマになった子供なのだが
その父もあるということを思い出せと呼びかけているのだ。
日本各地でスサノオ、ニギハヤヒ、イザナミが三位一体でわたしたち子孫を見守っている。年の瀬にもう一度そのことを心に留めたい。
fumio











コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 高領より来たり 年間閲覧数 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。