monologue
夜明けに向けて
 




93/08/18 さて冥界の王は、青ざめた頬を光の方へ向けながら微笑み
94/05/24 闇を封じることは光を封じることに繋がる、闇は悪では無いのだ。
94/05/25 闇に光が無いのではなく、闇には「光でないもの」があるのだ。
94/05/26 光が光であり闇が闇であることは、人がヒトであることに似ている
94/05/27 光が闇を被い尽くす時、白が白だけになり赤の命は失われる。
94/06/16 時を旅する者達よ、光は星の向こう側の暗闇からさして来る。
94/07/16 響きは彼方から、合図は光と共に…戦いは、これからなのだ…

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    聖書にも「光」と「闇」についての句がある。
   「The light shines in the darkness ,光はやみの中に輝いている」
    (日本聖書協会新約聖書ヨハネによる福音書第一章五節)

 「光」と「闇」をわたしたちは普通どのように捉えているのだろうか。
「新明解国語辞典 三省堂」によれば
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【光】〔太陽・星・電灯・ホタルなどから発せられて〕目に△明るく(まぶしく)感じられるもの。〔人生の前途に希望を与えるような物事の意にも用いられる。
【闇】 光が全く ささず、何も見えない△こと(所)。くらやみ。〔道理が失われ不安な状態の意にも用いられる。
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 このような国語的な定義ではなく、光は科学的には電磁波の一種でおもに可視光線のことを指し「量子力学」では「光は粒子でもあり波でもあり、粒子と波の両方の性質を併せ持つ、量子である」という事になっている。

「光でないもの」とは「光でないmono(物部の物であり音オームの逆)」
「闇」の文字の門を開けば中には音。その音とは立つ日。われわれが闇と呼ぶ隔り世で輝く封じられてきた文字、口に縦棒のヒ。それが闇の太陽。音→言→光、となり、この世の光の元である。音はノンとお呼びする。NONと書けばあの世でもこの世でも逆読みしてもノンである。闇の門が開いて音(ノン)がお出ましになればこの世の横棒の日と縦棒のヒが重なり真太陽「田」が顕現する。「暗闇」の「暗」、にも日の陰にそして、われわれの存在そのものである「意識」の意にも識にも、音が潜む。それはわれわれの精神を司る口に縦棒の陽であるから。合図の光はいつ…。
fumio

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