吉田等とアパートをシェアしていた本間さんは将棋が好きで初めて会った頃からよく指した。わたしの顔を見ると将棋を挑んできたものだった。
1998年にSFのアルバム「プロセス」を日本でCD化する話が出た時、米国にいるSFの相棒、中島茂男の電話番号がわからないので6月24日に本間さんに電話すると留守番電話だったのでこちらの電話番号を入れておくと電話してきてくれた。それで、中島茂男の仕事場や立ち回り先の電話番号を訊いてやっと連絡が取れて、それから長野の宮下富実夫にも連絡してCD化が実現したのだった。
あれからもう13年ほどになる。昨日、吉田等のことなど近況を訊こうとひさしぶりに本間さんに電話してみた。
ところが何度かけてもその番号は現在使用されていませんという英語のメッセージが流れるだけだった。移転したのか、前の番号は終わっていた。
fumio
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引っ越しても暫くはオペレーターなどに移動先の電話番号など残しておけるんですけど、随分前に引っ越されたのかもしれませんね。
彼は、吉田さんの亡くなったことも知らないかもしれないですよね。
日系人や、リトル東京辺りで住んでいたり交友関係がなければ、もう再会や連絡を取ることは難しいのかもしれません。
当時は、吉田さんのお酒の癖の悪さに驚いた私は、とにかくそれ以上関わらないようにしていたので、
余計LAにいる日本人とは縁を持たないようにしていたのです。
残念ですが、懐かしい思い出の人達とのご縁は、ここまでなのかもしれませんね。
いずれにしても、やましたさんには何だかいろいろと打ち明けたり、思い出の協力をしていただいたようになり、ありがたく思っています。
感謝です。
吉田君が989年に亡くなったのならその時点で本間さんは葬式に出席したと思います。とにかく1998年には前の電話番号で通じたのですから。
引っ越したのなら1998年以降でしょう。