monologue
夜明けに向けて
 



 
 それはまだ米国で一般にカラオケブームの始まる前だった。そのころ、クラブでの仕事ではシングル曲「カリフォルニア・サンシャイン」を憶えて歌う客がいてわたしがバックコーラスとリードギターを弾くものだからその時はいつも大盛り上がりになった。そしてわたしは製作中の自分の曲の歌とリードギターを抜いたカラオケ部分のテープをかけて歌いリードギターを弾いた。クラブの個人のエンターティナーというより音だけはバンドのライヴのようだった。わたしはもう一般の弾き語りのイメージからはずいぶんかけ離れてしまっていた。

アルバム「カリフォルニア・サンシャイン」の製作はSFのアルバム「プロセス」の製作で得たノウハウのおかげでこれといったトラブルもなく順調に進んだ。そしてごく当たり前のようにカセットテープ の形態でリリースした。

 ある日、中島茂男に会ってそのカセットテープを渡すと「フミオは日本で成功しているよ。アリオンとかいう神話のアニメの仕事が成功のきっかけだったらしい」と宮下富実夫の噂をした。わたしはかれが成功して、うれしいようなうらやましいようなあいまいな気持でそれを聞いていた。

 もう渡米してそろそろ十年になる。初めに望んだようにアメリカで歌を歌って生活はできているけれどこうしていくらアルバムやシングルを作っても今はこの国ではその先の発展が見込めない。しばらく日本に帰って発展のためのプロモーションをして活動の基礎を作ってまた米国で本格的に音楽活動をしようかと考えた。宮下や島健もまた、そう考えて一足先に帰国したような気がした。十年もの間歌を歌って過ごしてわたしの「カリフォルニア・サンシャイン」は気付かぬうちに中天を過ぎていたのである。
fumio

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