monologue
夜明けに向けて
 



 
 帰国の日程が決まるとわたしたちはこの地で縁を結んだ多くの人に別れの挨拶にまわった。妻と仲が良かった日本語学校、羅府第二学園の先生、ゴーマン美智子 さんはマラソンで何度も優勝してスポーツ用品メーカーが特別に作ってくれたマラソンシューズを妻にプレゼントしてくれた。 「ひのもと文庫」の女性司書、欅さんはわたしたち一家を「インペリアルドラゴン」に中華料理を食べに連れていってくれた。わたしが「インペリアルドラゴン」に客として入ったのはそれが初めてだった。「ひのもと文庫」では夫婦そろって一生分ほどの読書をさせてもらってお世話になった。こちらがお礼にごちそうしなければいけない立場だったけれどありがたくいただいた。その時「インペリアルドラゴン」の料理は本当においしいと思った。以前わたしが楽器をセッティングしている時、中国人の大家族がやって来て食べ終わると全員消えて、「食い逃げだ」と騒ぎになったりしたことを思い出した。「食い逃げ」はその店ではよくあった。

 沖縄空手の太田英八先生の奥さんはなんと以前ピアノバーでエンターティナーをしていた人だったのでわたしと顔なじみだった。それで家に立派なカラオケセットがあった。太田先生は一曲、餞(はなむけ)に歌を歌い、わたしもお返しに一曲歌った。かれは普段もこわい顔をこわばらせて怒ったような表情で別れの言葉を息子にかけてくれた。かれは感情がこみあげるとそんな顔になるようだった。
 

 そして1976年に昇ったわたしの「カリフォルニア・サンシャイン」は十年の間輝き続け数え切れない思い出を抱いてマリブの海に沈んでいった。やがてそれは日本の東の空に昇る日となりわたしは今度は日本からその旭を見上げることになるのである。

 「続カリフォルニア・サンシャイン」了。
fumio


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