monologue
夜明けに向けて
 

記憶  


このところ、わたしのブログの「思い出語り」の記事によくアクセスがあるので以下にそれらの記事をコピーしておく。
日本のフォーク、ソウル ロック音楽の黎明期の記憶なので興味がある人が多いのかも。
大ヒットアニメ「ケイオン」のモデルになった十字屋楽器店からスタート。

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ザ・ヴァニティーとタッシュグループ

思い出語り / 2010年06月07日

1960年代後半のある日曜日、京都市内に遊びに行っている弟から電話があった。「今からギターを持って十字屋の二階に来い」という。京都の三条通にある十字屋楽器店が主催する音楽サークルの演奏会があるらしいのだ。出演バンドのひとつに同志社大学在学中の学生たちの「ザ・ヴァニティー」というフォークバンドがあった。メンバーはギターとヴォーカル石塚成孝(いしづかしげたか),ギターとヴォーカル越智友嗣(おちゆうじ)、ウッドベースとヴォーカル井上博(いのうえひろし)の三人。得意曲サイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」で聴かせた石塚のリードヴォーカルと切れの良いギターストローク、越智の柔らかいハーモニーの組み合わせは抜群だった。そしてキーボードが口髭(マスタッシュ)を蓄えているのでタッシュグループと名付けた関西ナンバーワンのソウルロックバンドと謳われたバンド「タッシュグループ」がオーティス・レディングの「トライ・ア・リトル・テンダーネス」を白熱演奏した。すごかった。細身のヴォーカルがジェームス・ブラウンのような振りで踊り歌いバンドが一体になって盛り上げる。ヴォーカルにわたしたちの知らない最新テープ式エコーマシンをかませて深みのある圧倒的サウンドを演出していた。かれらはのちに古城たかしとブルー・タッシュと名乗り京都レコードから「東京の夜に泣いている」をリリースしてレコードデビューしている。かれらをただの歌謡コーラスグループと思っている人は本来の演奏を聴けばぶっ飛ぶだろう。わたしはその演奏会に飛び入りのように参加して弟のギターの伴奏で「アンチェインドメロデイ」を歌った。作曲家山室紘一氏がサークルの顧問をしていて「ギター一本ではなくオーケストラのバックで聴きたい」とのコメントをくれたのを記憶している。その後わたしは渡米したのでそれは実現しなかったのだが…。
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「サウンド・オブ・サイレンス」が得意だったフォークバンド

思い出語り / 2014年10月23日

昨日の「SONG TO SOUL」はサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」を採り上げていた。
この曲を聴くと 同志社大学出身のフォークバンド「ザ・ヴァニティー(バニテイ)」を思い出す。
「ザ・ヴァニティ」とはリードヴォーカル石塚成孝、コーラス越智友嗣、ベース井上博のトリオでサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」を得意曲にしていて抜群だった。かれらは日本コロンビアからカレッジフォークとして「ザ・バニティー 愛に吹く風」 というシングルを発売している。フォーク・クルセダーズ解散後、同志社大学の先輩端田宣彦が結成したシューベルツに越智友嗣と井上博が杉田二郎とともに参加して「風」をヒットさせた。リードヴォーカル石塚成孝は他のジャンルの職業に就きたいと加わらなかった。メンバーの抜けた「ザ・ヴァニティー」の方は石塚成孝(同志社大) 岡田恒夫(京都産大) 松田伸昭(大阪工大)という他校のメンバーとの「ザ・ヴァニティー」を再結成して1969年9月に「最後のお話」というシングルをキングレコードからリリースしている。そして 2003年にザ・ヴァニティーのリーダーであった石塚成孝が逝去したという。音楽以外の職業を選んでどこまで成功したのだろうか。合掌。
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「風」

思い出語り / 2010年06月08日

  歌謡界の女王、美空ひばりが好きな歌を訊かれて「風」 と答えたことがあった。なにか意外で似合わない気がしたが自身が歌う歌は演歌や大衆歌謡であっても好きなのはこういう歌だったのだ。シューベルツの「風」はボブ・ディランの「風に吹かれて」に想を得て人生を歌った作品のようだった。美空は歌謡人生の終盤に「川の流れのように」で本当に歌いたい歌に巡りあったような気がする。

 1968年後半に日本のフォークグループの草分け「ザ・フォーク・クルセダーズ」が解散して同志社大学出身の端田宣彦(はしだのりひこ)がシューベルツを結成する時、同志社大学の後輩たちのフォークバンド「ザ・ヴァニティー」から越智友嗣(おちゆうじ)と井上博(いのうえひろし)をメンバーに加えた。石塚成孝(いしづかしげたか)だけは学業を優先した。

 1969年1月、はしだのりひことシューベルツのリリースした「風」は大ヒットして日本のフォークソングの定番になった。「ザ・ヴァニティー」ではあまりリードを歌う機会がなかった井上博がテンガロンハットをかぶってウッドベースを弾きながら二番を歌いルックスの良さもあって人気者になった。

   メンバーの抜けた「ザ・ヴァニティー」の方は石塚成孝(同志社大) 岡田恒夫(京都産大) 松田伸昭(大阪工大)という他校のメンバーとの「ザ・ヴァニティー」を再結成して1969年9月に「最後のお話」というシングルをキングレコードからリリースしている。

  ところがはしだのりひことシューベルツのベースの井上博が1970年3月31日に病死してシューベルツは4月に解散した。あっという間のことだった。そしてそれから30数年を経て 2003年にザ・ヴァニティーのリーダーであった石塚成孝が逝去したという。

「ヴァニティ」とは虚栄心, うぬぼれ 、 空虚, むなしさ, はかなさ, つまらなさ、むなしい物事, はかない行為、空(くう)などの意。過ぎてしまえばすべては空(くう)で、そこにはただ風が吹いているだけ、だったのだろうか…。合掌。
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fumio










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