monologue
夜明けに向けて
 




一七、 黄泉の裁きを侵すことなかれ
    黄泉の壺を手にすることなかれ
    英知は黄泉にも等しく与えられ
    神の御業に等しく映り その対を
    成す様に 定められたからである

一八、 神の名を呼ぶとき 等しく黄泉をも
    影が呼んでいると 常に
    心に止めおく様に
    天秤の左右 どちらかが重くなった時に
    真に求めている者の名を
    知るということを覚えておく様に

「光の黙示録」より

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「浸す」は水や液体にものを入れてその成分を含ませることだが「侵す」は他人の領域に無断で入り、権利権益権限、神聖などを汚すこと。
「黄泉の裁きを浸す」であればあいまいであった「黄泉の裁き」の意味が「侵す」と訂正すれば明確になった。「裁き」が示唆しているのは古代よりそのシンボルとされていた「天秤」英語ではbalanceあるいは balance scale。つまり「侵す他人の領域」とは黄泉なのである。その天秤の片方の皿にはあの世が乗りもう一方にはこの世が乗っている。 それを称して「天の秤(はかり)」というのである。
その構造は「御代黄泉」と裏表一体で3(現世)4支(死)点 3(黄泉)となっている。
fumio




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