monologue
夜明けに向けて
 

無残  



天草・島原の乱において原城に立てこもった絵師山田右衛門作は、陣中旗の「綸子地著色聖体秘蹟図」によって一揆勢を鼓舞していたが1638年2月28日の幕府軍の総攻撃によって一揆勢は全滅。それで一揆に携わった人々の命日はみな同じで2月28日ということにされたのだが、
ところがその山田右衛門作だけはなぜかただひとり生き延びて、300年のちの世に起こる太平洋戦争の終わり頃、戦争終結に向けての新型爆弾使用を回避するために「「天に兆(しる)し顕れ木に卍(まんじ)呻(うな)り、野山に白旗立て諸人の頭(こうべ)にクルス立つ可く申し候。東西に雲の焼け必ずあるべし諸人の住む所皆焼け果つべし野も山も草も木も、皆、焼け申すべく之を書置く由申し候。」と口書で述べて書き置かせているのである。それにもかかわらず日本は白旗を立てて降伏せず、広島ではその形状からリトルボーイと呼ばれるウラン原爆を投下され、長崎ではファットマンと呼ばれるプルトニュウム型原爆が投下されたのだった。その惨状は残念ながら右衛門作の表現を超えていたのだ。
fumio

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西暦1637年の天草・島原の乱において原城に立てこもった絵師山田右衛門作は、陣中旗に「綸子地著色聖体秘蹟図」つまり綸子(リンズ)の地(じ)に色つきで聖体つまりキリストの身体の秘蹟(サクラメント)を描いていたのだ。
最後の晩餐はワインとパンの晩餐だったので、中央にキリストの血とされるワインを容れるゴブレット、その中にキリストの身体を示すパンの光輪、そして羅典(ラテン)十字架。その上に、「ユダヤ人の王ナザレのイエスJesus de Nazaré, Rei dos Judeus」の頭文字「JNRJ」と記し、翼を生やした二天使ルシフェルとミカエルが左右に侍り、上部には、「LOVVAD・SEIAOSẨCTISSIM・ SACRAMENTO (最も貴き贄を讃え崇める)」と記して一揆勢を鼓舞していたのである。
fumio


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