monologue
夜明けに向けて
 



四郎のまわりで踊っている領民たちは法悦状態でコーラスしている。四郎たちの言葉の意味はすべてを愛おしむ、という。松平伊豆守の息子、甲斐守輝綱など幕府の鎮圧隊の中でも一揆軍に心を寄せる者が多く出て知恵伊豆も困った。四郎のカリスマにとても抗えない。思わず見とれてしまうのだ。
fumio


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舞台  


原城はまるで舞台となって上で領民たちが四郎のまわりで踊っている。一揆軍の軍師山田右衛門作の提案に知恵伊豆は乗った。一揆のシンボルである四郎を引き渡してくれるならキリスト教以外の領民たちの命は助けようと約束した。一揆衆に山田右衛門作の描いた基督画を踏ませて踏み絵を行おうとしたがだれも踏まない。どうしたらいいかとあれこれ協議したのである。
fumio

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haji  


ハジマーシュと呼ばれるオランダ帰りの参謀森宗意軒は琵琶で伴奏して盛り上げ南蛮絵師山田右衛門作は文筆にも優れていて一揆のシンボルである四郎を引き渡すから一揆衆みんなを助けてくれ、と幕府と様々な裏取引を持ちかけて翻弄した。
fumio

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一気  


天草四郎時貞ジェロニモ・フランシスコは知恵伊豆に「近代、長門守殿内検地詰存外の上、あまつさえ高免の仰付けられ、四五年の間、牛馬書子令文状、他を恨み身を恨み、落涙袖を漫ひたし、納所(なっしよ)~つかまつると雖も、早勘定切果て―」と書いて領主松倉長門守の作物の出来高に似合わない重税を訴えているので松平伊豆守にも 島原の乱の原因は伝わった。原城の前に来ると異国の言葉を唱える16歳の少年が「ラヴアンド・セイ アイオオ サクティシム・サクラメント」Love and say I,oh SẨCTISSIM・ SACRAMENTO (最も貴い秘蹟を愛おしみ唱える)、と艶やかな衣装を身に着けて歌いながら出てきたのだった。  知恵伊豆はそのわけのわからないカリスマに一気に引き込まれた。
fumio

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日記  


小説家坂口安吾は次のようにいう。
「島原の乱で三万七千の農民が死んだ。三万四千は戦死し、生き残つた三千名の女と子供が、落城の翌日から三日間にわたつて斬首された。みんな喜んで死んだ。喜んで死ぬとは異様であるが、討伐の上使、松平伊豆守の息子、甲斐守輝綱(かいのかみてるつな当時十八歳)の日記に、そう書いてあるのである。「剰至童女之輩喜死蒙斬罪是非平生人心之所致所以浸々彼宗門也」と。
fumio

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