monologue
夜明けに向けて
 



日本盤の音に違和感を持ってからわたしはビートルズのアルバムは輸入盤しか買わなくなった。
米国Capitol盤に収録されていたIfeel fineのイントロのギターの音に聞き惚れた。曲としてはそれほどすごくないけれどギターの音だけでも米国1位になる価値はあると思った。日本のラジオのヒットパレードで聴くIfeel fineは音が浅く感じた。わたしに限らず洋楽オタク少年たちは同じもどかしさを持ったことだろう。
fumio

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わたしが各国のレコードの音の作り方の違いに気づいたのは8 days a weekが全米1位になった時だった。
アメリカのヒットパレードでの8 days a weekはイントロのギターが出だしから迫力があった。ところが日本で聴く8 days a weekはなぜかフェイドインで始まった。後に購入した米国capitolの輸入盤LPに収録されていた8 days a weekは出だしから迫力があった。やはりマスタリングエンジニアの感性が反映していたのだとその頃はまだミックスダウン作業でフェイドインなどをすることを知らなかったのでそう思っていた。
fumio

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youtubeでビートルズの「With the Beatles」アルバムを聴くと「マネー」の音が聴きなれた音でなかった。
結局、輸入盤のセカンドアルバムに入っている「マネー」を昔いつも聞いていたことがわかった。
ちょっとしたことで違和感を感じてしまう。
マスタリングエンジニアの感性によって米国英国日本盤の音がそれぞれ違うのだがわたしは米国の盤の音が好きだった。
fumio

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大瀧詠一のスピーチバルーンでビートルズのデビューのきっかけになったシングル「マイボニー」のリードヴォーカルトニー・シェリダンのギターがすごく上手いと聞いて意外だった。ハンク・マービンがリードを弾いているシャドウズのリードギターをやりそうだったという。トニー・シェリダンはポップソングの歴史に大きな役割を果たしたミュージシャンだったようだ。
fumio

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今週の「ベストヒットUSA」はジョン・レノンのイマジンを採り上げていた。
わたしたちの世代の最大のロックスターはロックではなくこの美しいバラード曲を遺して去った。以来、人々がジョン・レノンを語る時常に「イマジン」を頭に置いて語ることになった。わたしにとってジョンは歌い方の先生でありリズムギターの弾き方の先生であり曲の作り方の先生でもあった。現代を生きるシンガーソングライターの多くはジョンの影響を受けているのだろう。
fumio


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今週の「SONG to SOUL」はビートルズの「Something」を採り上げていた。
ジョージ・ハリソンがギターにオルガン用レスリースピーカーをつないでいたというのでびっくりした。
ジョージはいつもなにかやっている。普通にコピーしてもとりきれないなにかがわたしたちを動かす。一流アーテイストはどこか届かない部分がある。
わたしたちの世代のミュージシャンたちもよくジョージのリードの真似をしたけれどやっぱりどこか届かなかった。レスリースピーカーを使用してもやっぱりジョージのあの雰囲気は出せないのだろう。
fumio


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ビートルズのメンバーだった故ジョージ・ハリスンが所有したエレキギターが米ニューヨークで競売に掛けられ43万ドル(約4800万円)で落札されたことが話題になっている。
ジョン・レノンとジョージは、ビートルズ前身バンド、ザ・クオリーメンでHofner(ヘフナー)社の「club40」を使用していた。ジョージが修理に出した間の代替モデルが競売にかけられたという。将来、ビートルズ博物館ができれば展示されるのだろう。
それはそうとわたしが時代を変えたと思うギターはジョージが映画「ハードデイズナイト」で使用した12弦エレキギターリッケンバッカー360-12WBである。売れないで困窮していたバンド、バーズのメンバーはこの映画を見てジョージの12弦エレキギターの音に魅せられてボブ・デイランの「ミスタータンブリンマン」のカバーをする時に使用した。フォークとロックが融合した斬新なサウンドはポップファンに支持され全米1位を獲得した。続いて「Turn turn turn」にも12弦エレキを使用して全米1位になった。サイモンとガーファンクルの「サウンドオブサイレンス」もアコースティックギターの伴奏のフォークソングの音ではおとなしすぎたがドラムと12弦エレキの音が加えられてフォークロックに衣装替えして大ヒットした。ジョージは自分では気づかぬうちに世界中のミュージシャンに大きなインスピレーションを与えたのだ。
fumio

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ポール・マッカートニーがツイッターでニューヨークのグランドセントラル駅でのライヴの模様を9月8日に公開したのでこのリンクをクリックしてとつぶやいている。 現在のポールがあのカールヘフナーのカブトムシ型のベースを弾きながら「ハードデイズナイト」などを歌うのをネットで見るのは懐かしくてうれしかった。「From me to you」など知っている曲は画面に向かって思わずハモッてしまった。世界中のビートルズファンがジョン・レノンの代わりに永遠のレジェンド、ポール・マッカートニーと一緒に歌っているのだろう。いい時代になったものだ。
fumio

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ビートルズのWhat's your favorite song by The Beatles? というキャンペーンでわたしが選んだ好きなビートルズの曲は
ラジオで初めて聴いたビートルズの曲「プリーズ・プリーズ・ミー」そして突然全米1位に上がってビックリした「I want to hold your hand」そして名曲「イエスタデイ」そしてビートルズフリークが集まれば演奏したくなる「I saw her standing there」などだった。選ぶのはむづかしい。
fumio


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ビートルズがツイッター上でWhat's your favorite song by The Beatles? というキャンペーンをしている。
ベスト100をランキングするために一人5曲選ぶというのでわたしも初期の曲を5曲選んだ。日本のラジオ番組の好きなビートルズの曲のカウントダウンでは「レット・イット・ビー」がよく1位になったが。世界的にはどうなのだろう。
fumio


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このところエリック・クラプトンとデレク&ドミノスの「レイラ」の練習をしているのだが、あの有名なリフを弾くとビートルズの「デイ・トリッパー」を思い出す。そしてマイケル・ジャクソンの「ビート・イット」のリフを思い出す。これらの名曲は「デイ・トリッパー」のリフに触発されて始まったような気がする。わたしは「デイ・トリッパー」を初めて聴いた時あんなリフを弾きながらよく歌が歌えるものだ、と感心した。いつかわたしもあのようなすばらしいリフを作って曲を作りたいと思う。
fumio

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わたしの通っている歯科クリニックの院長のブログにポール・マッカートニーのライブの模様があった。
院長は洋楽ファンでローリング・ストーンズのライブも見に行っている。よくチケットが手に入るものだ。ポールが歌うサムシングは感動的だったようだ。
fumio


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「How do you do it」という曲がある。ビートルズはこのHow do you do itでデビューすることになっていたが結局ジョンの作品「ラヴミードゥ」でデビューした。この曲はプロデューサーのジョージ・マーチンがGerry and the Pacemakersに与えてそのバージョンが英国NO1になった。わたしたち洋楽ファンにとってはジェリーとペースメーカーズといえばこの曲より「Don't Let the Sun Catch You Crying」や "Ferry Cross the Mersey" のジェリー・マースデンの名唱が有名。ビートルズがあの「How do you do it」でデビューしていたらあれほどの爆発的人気が出ただろうか。時代を変えるためにはこの曲では役不足だったのだろう。
fumio

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1962年の元旦、ジョン・レノン 、ポール・マッカートニー 、ジョージ・ハリスン 、ピート・ベストの4人の若者のバンドがリバプールからヴァンに乗って吹雪の中をロンドンのデッカレコードスタジオに午前11時からのオーデイション開始ぎりぎりに到着した。かれらは15曲演奏したがデッカレコードの新アーテイスト発掘部門担当者ディック・ロウ (Dick Rowe) は"guitar groups are on the way out" ギター・グループに将来性はない、と思ってこのバンドと契約を結ばなかった。デッカレコードがこの日のオーデションで選んだのは。トレメローズだった。ディック・ロウは自分が落としたリバプールから来た若者たちが世界を興奮の渦に巻き込むのをどんな気持ちで見守ったのだろう。トレメローズの名前は残念ながら現在あまり口にされることはない。
fumio

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息子とTHE BEATLES - A Hard Day's Night - 1964のジョージの間奏のギターの話をしていて
わたしがいくら練習しても弾けなかったというと息子は自分の友達は12弦ギターで簡単に弾いて見せてくれたという。12弦ギターならそれほどむづかしくないフレーズらしい。
そういえばジョージ・ハリソンはリッケンバッカーの12弦ギターを愛用していたことを思い出した。それでバーズは映画を見て12弦ギターを買って「ミスター・タンブリンマン」に使用してフォークロックブームを起こしたのだった。楽器の開発によっても時代は変わるのだ。
fumio

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