今日はめずらしく
数年前のことになりますが、私の体験を話したいと思います。
私は幼稚園前からスキーをしていたほどで、
東京生まれではありますが、
大学生のときには、スキー場で住み込みバイトをしながら
スキーに明け暮れ、20代も冬ともなれば、スキーしか頭にないくらいでした。
大学時代には、1級の資格をとり、社会人でも本格的なクラブに所属。
元妻とも、スキーが縁で知り合ったくらいです。
そんな私にとって、家族で行くスキーはほんとうに憧れでしたし、
冬の温泉旅行は楽しみでした。
子供も生まれ、はじめて2歳の子供を背負って滑ったときの感動は
今も忘れません。
しかし、はじめてにしてそれが最後となりました。
離婚のバタバタや調停やら引っ越しやらお金が底をついたこともありましたが、
もっとも人生で大切にしていた趣味をすることができなくなったのです。
雪を見れば思い出し、
ましてスキーをすることなんて気持ちがついていかず、無理でした。
抑圧していたとは思いますが、行きたいとすら感じていませんでした。
時間の経過とともに、スキーもまたはじめたいとは思いましたが、
何かハードルが高くて、越える気力がなかった。
以前も話したとは思いますが、もともとアウトドア派でしたが、
心理学、カウンセリング、コーチング、読書と勉強や、インドアな生活が続きました。
で、6年くらいしてから、特に何の前触れもなく、
ようやく行こうと思えた時期がきました。
おそらく、自分に無意識に封印していたものに、許可が出たのではないでしょうか。
そして、人生をかけて楽しみ、親からも受け継いできたものを
このまま封印して、死ぬなんてことはできない、もう一度
自分自身の人生の原点に帰ろうと感じたのだと思います。
とはいえ、上級者になるとそれなりにトレーニングしていないと
怪我をします。だから一年かけて身体をとレーニングして復帰。
人生の流れとは不思議なものです。
神奈川に住んでいますから、当時北関東に住んでいた時よりも遠距離とはいえ
不可能ではないのですが、
友人の決めたスキー場が、当時最後の思い出となった東北のスキー場でした。
別に、そこでなくても、近くにもいくらでもあるし、不思議なことです。
なんだか人生の目に見えない流れを感じました。
そして、リフトに乗っても、思い出こそあれ、
そこに感情がもっていかれることもなく、
ただ、生きて、元気に再び自分の趣味を再開できたことに感謝していました。
純粋に、スキーができている自分自身に「おめでとう」を言い、
再び、雪山に戻れたことに感謝と深い感動を覚えました。
私自身の人生の原点に戻ってきたことに対する深い感動です。
復帰までに7年を要しました。
ある意味で、スキーヤーとして最も体力もあり上達する30代を捨てたことになります。
ですが、それでよかったし、スキーは生涯スポーツですから、
これからまた死ぬまで、できるということに感謝しているのです。
あせらないでください。
すべきときは自分でわかります、
そうでないときには、それはそれとしましょう。
今ある感情に素直に従う、それが一番大切なことです。
数年前のことになりますが、私の体験を話したいと思います。
私は幼稚園前からスキーをしていたほどで、
東京生まれではありますが、
大学生のときには、スキー場で住み込みバイトをしながら
スキーに明け暮れ、20代も冬ともなれば、スキーしか頭にないくらいでした。
大学時代には、1級の資格をとり、社会人でも本格的なクラブに所属。
元妻とも、スキーが縁で知り合ったくらいです。
そんな私にとって、家族で行くスキーはほんとうに憧れでしたし、
冬の温泉旅行は楽しみでした。
子供も生まれ、はじめて2歳の子供を背負って滑ったときの感動は
今も忘れません。
しかし、はじめてにしてそれが最後となりました。
離婚のバタバタや調停やら引っ越しやらお金が底をついたこともありましたが、
もっとも人生で大切にしていた趣味をすることができなくなったのです。
雪を見れば思い出し、
ましてスキーをすることなんて気持ちがついていかず、無理でした。
抑圧していたとは思いますが、行きたいとすら感じていませんでした。
時間の経過とともに、スキーもまたはじめたいとは思いましたが、
何かハードルが高くて、越える気力がなかった。
以前も話したとは思いますが、もともとアウトドア派でしたが、
心理学、カウンセリング、コーチング、読書と勉強や、インドアな生活が続きました。
で、6年くらいしてから、特に何の前触れもなく、
ようやく行こうと思えた時期がきました。
おそらく、自分に無意識に封印していたものに、許可が出たのではないでしょうか。
そして、人生をかけて楽しみ、親からも受け継いできたものを
このまま封印して、死ぬなんてことはできない、もう一度
自分自身の人生の原点に帰ろうと感じたのだと思います。
とはいえ、上級者になるとそれなりにトレーニングしていないと
怪我をします。だから一年かけて身体をとレーニングして復帰。
人生の流れとは不思議なものです。
神奈川に住んでいますから、当時北関東に住んでいた時よりも遠距離とはいえ
不可能ではないのですが、
友人の決めたスキー場が、当時最後の思い出となった東北のスキー場でした。
別に、そこでなくても、近くにもいくらでもあるし、不思議なことです。
なんだか人生の目に見えない流れを感じました。
そして、リフトに乗っても、思い出こそあれ、
そこに感情がもっていかれることもなく、
ただ、生きて、元気に再び自分の趣味を再開できたことに感謝していました。
純粋に、スキーができている自分自身に「おめでとう」を言い、
再び、雪山に戻れたことに感謝と深い感動を覚えました。
私自身の人生の原点に戻ってきたことに対する深い感動です。
復帰までに7年を要しました。
ある意味で、スキーヤーとして最も体力もあり上達する30代を捨てたことになります。
ですが、それでよかったし、スキーは生涯スポーツですから、
これからまた死ぬまで、できるということに感謝しているのです。
あせらないでください。
すべきときは自分でわかります、
そうでないときには、それはそれとしましょう。
今ある感情に素直に従う、それが一番大切なことです。
私もまだ家族で行った場所へ戻る勇気はないです。まだ機が熟していないのですね。
昨日ショックなことを聞いて起き上がれずに寝込んでしまいました。些細なことでも心に突き刺さると鬱々と落ち込みます。まだ離婚から2ヶ月過ぎ、普通に暮らせる日もありますが消えてしまいたいと思う日も…
もしかしたら、旅行先をあれこれ考えられたら回復できるのかな…などとあてもなく考えました。春の訪れが私の心を楽にしてくれればいいのに…
お久しぶりです。調停が長引きましたが、ようやく私も前進する決心がつき、年明けから条件闘争に入り、週末、双方で合意案が纏まり、子供たちの進級の時期に合わせ最後の調停をします。
さて、ここ最近のブログを拝読させてもらい、自分の未熟さ、考え方の偏りに気づきました。相手や相手家族がした仕打ちは生涯忘れることはなく、今は恨む気持ちが多いのですが、相手の人生でそこまでしても離れたいという意思を示したのだろうなぁと客観的に捉えられる自分もいます。
別居から1年、家族の夢も見なくなりました。そして、少しずつですが、家族で良く行ったショッピングモールにも足が運べるようになりました。
次は子供たちとパパなしの家族旅行。それを目標に貯金と心の整理をしようと思います。
離婚を切り出されたときは 死にたくなる衝動にも駆られました。でも、食いしばって生きているうちに、何かが日々少しずつ進んでます。
きっと離婚成立日は波がくるでしょう。でも今なら越えられない波ではないと思えます。そう思えるだけでも進歩だと、自分を褒めてます。
そうですか、旅行が好きだったんですね。
そして、そのことを思い出した。。。
またみんなのコメントを読みながら、
勇気ももらっているんですね。
私から伝えたいこと。
必ず、越えられる、そして越えてほしい。
だいじょうぶだよね。きっと。
いつも応援しています。
そうなんですね。
もうすぐなんですね。
そして、客観的にみられるようにもなってきたんですね。
耐えているなかで、進歩も感じられるし、
離婚成立のときも、きっと越えられるはずだと感じる。
ほんとうに。。苦しい時間を耐えていますね。
きっと越えられる、そう応援しています。
そしてまず、今のここまで耐えてきた自分を
褒めてくださいね。
私からも、
「よく、がんばってきまたね。十分がんばったね。」
目の前にいたら、そうお伝えしたいと思いました。
とても動揺しましたが、今は何とかがんばっています。
コメントありがとうございます。
ここまで、いろいろと苦しいなかで、
耐えてきたんですね。
相手の再婚を知って、とても動揺して
つらい時間を過ごしているんですね。
言葉にならない・・・そんな苦しさが伝わってきます。
がんばって耐えている自分・・・
ほめてあげてくださいね。
そしてね、
つらいとき、苦しきとき、
そう言っていいんですから。
涙していいんです。
あんまり、我慢しすぎないでくださいね。
苦しいとき、いつでもまたコメントしてくださいね。
いつもありがとうございます。
夫というパートナーを見つけてからは、自分の人生をすべて夫に委ね、幸せにしてもらうことばかり考えていました。自分に自信がなく、夫と出会う前の自分は嫌いでした。
だから、私にとっては、「自分自身の人生の原点に戻る」ことがすごく怖いです。
今週末は、友人達に久しぶりに会いました。自分の事を話した後に、寂しさ、居心地の悪さ、辛さなど色々な感情が行ったり来たりしていることに気づきました。
辛いけれど逃げられない。今ある感情に素直に添いたいと思います。
友人と話したり、
さまざまな場面で、自分の複雑な感情に
気づかされますよね。
そして、自分自身の人生の原点に戻ることも
怖く感じますね。
素直に、否定せずに感じるままに。
もちろん、むずかしいけれども、
それすらも、感じるままにですね。
私がこの事態になってから、やる気にならない趣味は、著者様のものとは異なり、いつでも身近にできる場所があります。
ただ、「やりたいのに離婚のせいでできなくなった」とは思えず
ただ、離婚の事態をきっかけに、「やる気がなくなった」つまり、やりたい気持ちがないわけで、
それが離婚のせいなのかどうかは、分からない…と感じています。
やりたいのにできない…のなら、苦しいでしょうが、
そもそもやる気にならないのですから、
やりたいわけではないのでしょう。
なら、この事態を恨めしく思う必要もないわけで、
やる気にならないことは別に一生やらなくて構わないし、
過去の趣味はそれとして、「いま」やりたいことをやればいいやと、思っています。
過去の自分に責任をもつ…みたいな考え方は、
この事態をきっかけに、することはなくなりました。