風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

休日はオイソガ氏

2013年11月30日 21時55分14秒 | 風竿日記

こんな生活を一体どれだけ積み重ねてきたのだろうか・・・。

殆どと云っていいほど、休日は完全フリーということが少ない日々。

必ず土日を見計らったように行事が入る。

しかもどうしても断れないものが多いのだ。

それは有難いことではあるのだが、役目柄仕方がないというのもある。

ことに秋の慌しさはスケジュール表が真っ黒になるほどなのだ。

11月は特に酷かった。

好きな私の休日とは、ひねもすボーッとしているのが最高の贅沢なのだが、何やかにやで、そんな期待は全部潰れてしまった。

それでも・・・・職員さんの結婚式は別格。

それは、とても楽しいひとときでもある。

普段お客様を前に、一所懸命に働いている彼や彼女が光る晴れ舞台なのだ。

幸多かれと祈るばかりである。

     

この日も佐賀で結婚式、初々しい花嫁の眩しさに癒されながら、まる一日を過ごさせて頂いた。

おめでとうございます。なんと響きの良い言葉だろう。

朝9時から出発して帰り着いたのは夕暮れ時となっていたのだ。

結婚式の豪華料理をあまり食べきれない私は、いつも空腹のオオカミのように家路につく事が多い。

サークルの忘年会に出かける嫁さんを、丁重にお見送りして、

ごぼう天蕎麦を作ってみた。

勿論、泥付きごぼうを丁寧にこさぐ作業つきのもの。揚げたてのごぼう天が蕎麦に入れた途端にジュージューと音を立てるのだ。

嬉野の人気亭のごぼう天が一応のお手本。

初挑戦のレパートリーであったが、まずまずの味であった。

さて、今夜は少し早めに休むとしよう。

明日も佐世保で、お昼から取引先企業さまの大忘年会に招かれているのだ。

10時出発で帰りはおそらく夜になるだろう。

いつしか紅葉していた我が家の庭を愛でる暇もなく、時は過ぎていくばかりなのだけれど、男たる者、舞台があるうちが華なのだと思う。

しっかりコミュニケーションしなければと気合を入れて、明日もまた頑張ろうと思う。

私達の仕事は、親しいコミュニケーションからしか生まれないのだから。

 


老犬は月に吠える

2013年11月29日 06時42分33秒 | 風竿日記

このところめっきり老け込んできたレオン

病院のおかげで命を長らえているのだけれど、

時々ヘンな咳をするようになってしまった。

モノ言わぬだけに愛犬の苦しみは、即ち飼い主の苦しみなのだ。

それにもってきて、遂に冬が訪れてしまった。

家の中で育った彼には、冬の寒さはこたえるようで、

いつも毛布に包まって震えていることが多くなった。

尾形レオンは平成14年7月生まれだから11歳と4ヶ月

心臓弁膜症、椎間板ヘルニア、白内障の持病をかかえている。

一度、心臓弁膜症から肺に水が溜まり、呼吸困難で死にかけたことがある。

その時はさすがにグータラな飼い主も慌てて、日曜開業獣医を探して駆け込んだものだ。

幸い、一命は取り止めたものの、命を預かる責任というものをしみじみと痛感させられたのであった。

再婚を一番喜んでいるのは、実はこのレオンなのかもしれないと思っていた。

そして、犬好きの嫁さんで良かったとしみじみ思うのである。

朝に生まれて夕べに死するという水玉のよふな はかなきいのちのかがやきのうつくしき

老犬はそらにむかひて低く吠えし夜 明日は霜が降る月が冴え渡る

 

 


音のあるくらし

2013年11月28日 23時59分46秒 | 風竿の音楽夜話

そう、我が家のカミさんはピアノ弾きなんである。

ゲイジュツ家なのだ。

元来クラシックが好きな固いサッチャーさんみたいな鉄の女なのだが、

童謡・唱歌なども同時に好み、町の老人会や、唱歌サークルなどで喜んで伴奏したりしている。

ピアノを弾くときの集中力たるや、人を寄せつけぬ迫力がある。

それがピアノひきというべきではあろうが・・・・。

亭主たる私もたじろぐほどなのだが、ピアノを離れると、単なるチョコレート好きの甘えん坊さんになったりする。

このギャップが実に面白かったりするんである。

そして私も少しばかりピアノを嗜む。

と云っても、まったくの素人ピアノでカミさんの弟子にも加えて貰えない程度の、ぬか味噌ピアノなのだ。

さらには、歌を唄いながらのピアノなので、ちゃんとした楽曲の演奏など出来る筈もないんである。

それでもピアノのある暮らしというのはけして悪くない。

晩秋のこの季節、即興で「枯葉」などを弾いて唄って聴かせたりすると、もとより音楽大好き人間の妻は大喜びするんである。

しかし、人間は全知万能のカミに非ず、うちのカミさんは多少料理に疎い面がしっかりと同居しているのもまた一興。

先日ブリの刺身を買ってきたら、ドーンとばかりにお頭付きだったので、 

「これはスマシ汁にすると旨かろう・・・。」

と話したのが、そもそもの失敗の始まりであった。

次の日の夕食に大きな鍋に、そのスマシ汁が出来上がっていた。

家内はしてやったりとスマシ顔で、得意満面なのだ。

「ホーッ!お前もやる時はやるとたいねぇ・・・・。」

と褒め称えながら鍋の蓋を開けると、そこには大きなブリの頭がそのまま私を睨みつけていた。

「これは出刃包丁で頭を割って料理するもんだよ・・・・。」

私は思わず鍋蓋をガシャンと閉じて、しばし絶句。

それから優に30分は笑い転げた。

まあ、しかし、味は出ていたので、大笑いして食べたのではあった。

かくして、我が家は音楽と料理に妙な調和を図りながら、何とか楽しく暮らしている。

幸せとは日常のくらしの中にありなんである。

そして、音のあるくらしとは実にいいもんである。

  

 


12月8日は「ジョンレノンの夜」へ

2013年11月27日 23時51分11秒 | 風竿の音楽夜話

               『ご招待状』

 

 今年も木枯らしの吹きすさぶ頃となりました。貴方様にはいかがお過ごしでしょうか。

 さて、ビートルズのキーマンであったジョン・ウィンストン・オノ・レノン氏がニューヨークのダコタアパートの前で5発の凶弾に倒れてから、早や33年もの月日が経ってしまいました。

 しかしながら、ジョンの歌声は益々鮮明に私の耳に聴こえています。

 思えば中学生の時にラジオで彼に出会って以来、もう半世紀の月日が経とうとしているのですから、歳月の速さには驚かされるばかりです。

 今年も恒例の『John Lennon’s Night』を開催することになりました。

もうこれで14回目となりましたが、また皆様と最後にHappy Christmasを歌いたいと願っております。

 どうかお誘い併せの上遊びにおいで下さいますよう、心より願っております。

        

 

                        記

         ◆日  時     平成25年12月8日(日)午後7時より

         ◆場  所     Dear John 武雄市川良セブンイレブン前

                     電話 0954-23-6676 

         ◆チャージ     1000円(子供さんは無料です)要ワンドリンク

         ◆出  演     The AppleBeats ゲスト今給黎博美ほか

         ◆ メンバーからクリスマスプレゼントがございます。

今年はポールマッカートニーの来日もあり、少しポールの曲もやりたいと張り切っております。

写真は13回目のジョンレノンの夜、スタジオINPUTさんでのライブ

とても楽しかったライブでございました。

The AppleBeatsは現在ビートルズのレパートリー60曲

リクエストにもお応えいたします。

この写真は12回目のもの、Dear Johnでのライブです。

過去12回はここでやりました。

古いメンバーもゲスト出演してくれることと思います。

元クリスタルキングの今給黎博美さんもキーボードで友情出演します。

楽しい夜にすることで、ジョンの魂の追悼になることと信じます。

皆様のご来店をメンバー一同、心よりお待ち申し上げております。 

お問い合わせは090-1515-8292尾形まで

アップロビーツのライブはこんな感じです。

<!-- 【コンサートホールdeビートルズ】The Applebeats . -->


ポールのライブでどうして涙が出たのか

2013年11月26日 23時59分35秒 | 風竿の音楽夜話

多くの友人たちが涙が出たというポール・マッカートニーのライブ

そこに神をみたというお方も結構いらした。

本当に神がかったとしか形容できない不思議な何かがあったように思う。

             

温泉deビートルズ音楽祭に出演してくれた、ある音楽の仲間からこんな動画が届いた。

勿論、こっそり撮ったものだけれど、二回目のアンコールで、ライブのラスト曲

Golden slumberからの珠玉のメドレーである。

この動画が臨場感があってなかなか素晴らしいのである。

注意深く見ていると、常にポールがお客様を意識して、自分たちのパフォーマンスを判り易く表現しようとしているのが判る。

天性のショーマンシップなのだろうか、それとも自分のこの世における役割というものが良く判っていることの表れなのだろうか・・・・。

そこに神性が宿っているのかも知れない。

実はポールは東京でのコンサートの合間に東北震災の被害者の皆さんと会っている。

「ビートルズの力」という震災復興に向けたムーブメントを行っているお方の想いが、ポールに届いた結果なのだと云う。

私も温泉deビートルズ音楽祭という町おこしイベントに関わっていたので、とても興味深かった。

  

そのお方もまた、会談の間中、優しく気配りをするポールに神を見たと書いておられた。

そして私もあの福岡ドームでのコンサートの間に、三回も涙が溢れた。

そしてその時・・・・

優れたエンターティナーというのは、仕事に、人生に疲れた人々の心を癒すために神がこの世に遣わしたに違いないと思ったのである。

中学生でビートルズに出会い、衝撃を受け、老境にさしかかろうという時に涙が出た理由は、じぶんのことだとはいえ、よくは判らないのだが、

ジョンもジョージも鬼籍に入ってしまった今、

生身のビートルズを体感できるポールのライブで会ったこと、

これまでの自分の人生体験

そして音楽の持ついろんな力

そんなことに゜涙腺が緩んだのであろう。

 

 

 以下は東北でビートルズの力と云う復興支援イベントをやっておられるお方のポール遭遇記である。

     

 

ビートルズのチカラ!を応援して戴いているみなさま
ビートルズのチカラ!のメンバーのみんなに 以下 報告します。


11月18日のPM3:00 東京ドームホテル1Fのcafe。
そこにはポール・マッカトニーとの面会をする10名が集まりました。

被災地の方々と話をしたい、と言うポール自身の希望で
光栄にも私をその10人の内の一人に選んで戴きました。

単なるファンとして会うのは、私自身の本意ではなく、
やっぱり「ビートルズのチカラ!」と言う活動を知って欲しくて
福島からドームに向かいました。


セキュリティーやルールが非常に厳しく、写真やサインは一切ダメ!
と言う条件なので知り合いの力をお借りして、手紙を渡しました。


私の本人確認時にメールでは今までの活動を書いたので、
ポール自身にも私の名前とその活動内容は伝わっているとの事でしたが、
改めて手紙を書きお渡ししたのです。
内容は勿論ビートルズソングの持つチカラ!と「ビートルズのチカラ!」について。


ポールと会ったのは、ステージ脇。
会場からは見えない場所です。
時間は18日16:30頃。


リハーサルが終わり、階段を下りてきたポール。
外国人にしてはわりと小柄だなーと言う印象。

TVで見た方々も多いと思いますが、
私たちの緊張を解くいように気軽に話しかけてくれます。
いざ自分にポールが振り向いた瞬間、私の頭の中は真っ白に(笑)。
あ、あのポール!元ビートルズのポール!
イエスタデーを作り唄っているポール!
サージェントペパーズを作ったポール!が目の前に。
身長は私とほぼ同じ、目線も無理がありません。


色々考えていたのに、全く言葉になりませんでした。
I'm FAN!と言うのが精一杯でした(笑)。

We TOHOKU PEOPLE need your songs and your power!
Please play in TOHOKU area next time.
I've send a letter about our activity ,pls read that.
と伝えました。


ポールは、しっかり僕の目を見て、今の東北をすごく心配している。
東北を応援してる、と伝えてくれていました。
本当に真剣なまなざしでした。そしてしっかりと熱い握手を2回!


ポール自身も、自らの歌のパワーは信じているようで、
最初に我々に向かって 僕の歌で応援するよ と言う内容を伝えていました。

たった10分間でしたが、その10分間と言う時間は、私たちには十分です。
私達の気持ちや状況は、すぐに伝わったようです。

その後ショーを楽しんでね!と伝え、私たちの前から姿を消しました。


アンコールの時に、SONG FOR FUKUSHIMA!として
YESTERDAYを唄ってくれました。
あれは、本当の彼の気持ちです。
ありがたかった、涙が出てきました。

あの時だけは「ポール!ありがとう!」と
静まりかえったドームで叫んでしまいました。

人柄も言葉も振る舞いも全てが神のようでした。
PAUL IS MY GOD!


東北のみなさん、気持ちはいつも前に!
笑顔を忘れず、進んで行きましょう!


 

 


人生は崖っぷちを歩いているようなものだ

2013年11月25日 23時59分15秒 | 風竿日記

そもそも・・・・

生まれてきたのは自分の意志ではなく

明日生きている保証はない

人のためによかれと信じて

人のためになることをやっていても

それは100%伝わるわけではないものの

逆に誹謗中傷されたりもする

とかくこの世は棲みにくい

 

人を傷つけまいと先回りして

周りを明るくするランプを灯していると

まばゆいといわれ

後から来る人が寒いので部屋を暖めていると

暑いといわれ

なるべく出過ぎぬように

気を遣いながら 歩をすすめると

思いもかけないところから石が飛んでくる

とかくこの世は棲みにくい

 

とまあ、愚痴ってみても

景色がよくなる訳でもなく

天気がよくなる訳でもない

人生とはすべからく崖っぷちを歩いているようなものだ

ちょっと、フラつくと奈落の谷底に落ちてしまうかもしれない

人様のことを心配できる自分でもないのに

分相応の人生を歩かねばと

今更ながらに思わされているちっぽけな自分と

断崖絶壁の登山道で、さっきすれ違った

 

 

 


わが心の、カックンちゃん

2013年11月24日 23時59分31秒 | 風竿日記

その昔、まだ幼児だった頃

「そんなに言うことを聞かんと、カックンちゃんに連れて行って貰うぞ。」

とばあちゃんから脅かされた記憶があるのだ。

その時は幼心に、カックンちゃんて、とても怖い人だと思い込んでいた。

ヤンボシと呼ばれ

握り飯を貰うと、必ず土に転がして食べていたと聞かされていた。

一本三味線で、歌を唄って廻っていたとも聞いた。

       

この地域、白石を根城として、武雄・大町・有明・鹿島を流して回り、時には汽車に乗って佐賀市や佐世保市までも出かけたというのである。

いつも褌いっちょうに、重箱三味線に弦が一本でぺペンペンペンとやりながら、頓知や風刺の効いた歌を即興で唄い流して歩いた。

それが白石名物と言われた漂泊の詩人「カックンちゃん」なんである。

門の前で唄って何がしかのものを乞い頂くという、昔の乞食みたいな人であったのだが、歌は抜群に上手かったという。

今で言うところのプロのストリートミュージシャンなんである。

ここに20年以上も前にNNKローカルで特集されたドキュメントが、Youtubeに貼り付けられていた。

私のよく知っている人もたくさん出演されていた。

榊先生、吉川義之さん、松下先生

そして、カックンちゃん役は、何と当時、武雄市の劇団「試行」の花型男優だった武雄商工会議所の光富専務さんなんである。


 


 

 

 

 実は私が2歳の時に、すでに死去されていたカックンちゃんなのだが、小学校高学年になるまで、白石に行けば、そのカックンちゃんに会えると思っていたものである。

そして、心中秘かにその一本三味線を聴いてみたいなと思っていたのだから、

当時からギターに繋がるものに対する興味があったのかも知れない。

還暦過ぎた今でもギターを弾いて歌うのは、カックンちゃんの後を追いかけているだけなのかも知れない。

 

そのカックンちゃん、 一本三味線の音色に乗せて、町や村の軒先、お祭りの雑踏や辻々で即興の歌を唄っていたというのだが、音楽的な素養は抜群だったらしい。

市原角市さんが本名で、目は盲目に近かったという。

もう、カックンちゃんのことを知っている人も随分と少なくなってきたことと思うが、乞食といいつつも、本人は実に心根の優しい人で、多くの人から愛されていたという。

その証拠に、その死は佐賀新聞に報じられているほどだ。

       

ばあちゃんから聞かせられた、その奇行と共に幼い私の心の中に、強烈なイメージとして植えつけられたカックンちゃんなんである。

人々を歌で楽しませたというのは、何とも素晴らしい生涯であったと思う。

こんなたのしい人が居た昭和の時代も遠くなるばかり・・・・・。

さて、カックンちゃんにインスパイアを受けて・・・・・

アコースティックギターを中心とした「ほけまくいカックンちゃんバンド」を始めることにした。

乞うご期待。

 


ポールが帰った後で

2013年11月24日 23時59分21秒 | 風竿の音楽夜話

日本で6公演を終えた元ビートルズのポール・マッカートニーは、無事に本国へ帰った。

約30万人を動員して、37億円を稼ぎ出しての帰国なのだという。

まさに破格のアーティスト

それでもやっぱし、ファンとしては充分に満たされた時間を持てて、

さらには人生最高の喜びを味わうことが出来て、大満足なんである。

何と、その福岡ヤフオクドームでの公演の様子がアップされていた。

ちゃんとしたカメラワークなので、公式のものだろうか・・・・。

とりあえず熱狂して狂喜したそのコンサートの模様を忘れないために、このブログに貼っておきたい。

いつかは削除されるYoutubeかも知れないが、バカみたいな特定情報保護法案が可決される前に貼っておかねばと思ったのである。

尚、写真は丁度私の席から観たサイズである。

1塁側、前から27列という状況、ポールは殆ど見えない状態だった。

S席でしかも、一万七千円余りの1か月分のお小遣いを投じた席にしては何とも・・・・である。

席順って抽選なのだろうが、ファンクラブの関係の方とかが、結構いい席を割り当てられていたようだが、一体どうなっているのだろう・・・・。

主催者のキョードーさんは日本の歳大大手だが、そこの社長さんパロッツのマネージャーさんにそっくりの、怖い風貌だったなあ。

凄い呼び屋さんらしいといえば、そうなのだが、一体興行主はいくら儲かったのだろう。

10%はいくだろうか???

まあそんな下世話なことはことはどうでもいいのだが、ポールのコンサートはワールドツアーと呼ぶに相応しい素晴らしいものであった。

映像と証明と音響が見事にマッチしていたのであるが、映像はパチンコ台みたいなシーンもあったりで、ポールの音楽にだけ集中したい私には、ちょっと邪魔でもあったのである。

この感覚、古いビートルズファンには、判るよね・・・・。

 


 


二つのタワー

2013年11月22日 23時35分29秒 | 風竿日記

なんでこんなにも、東京に集中してしまうのか・・・・。

政治も、行政も、経済も、メディアも

その結果、東京にはその昔、ゴジラが壊そうとした333mの東京タワーと・・・・、

634mの東京スカイツリーという二つのタワーができることになった。

高いからいいという訳でもないが、先の出張では初めてこのスカイツリーに昇ることに・・・・

文字通り高いお金を払った割には何の感慨もなかった。

曲がりくねった隅田川を眺めながら

「まあ、こんなもんか・・・・。」という感じなんである。

どうして江戸文化の残る下町の風情漂う浅草に、こんな鉄の化け物みたいなものを作ったのだろう。

その昔高校三年生の時昇った東京タワーはあんなに、鮮烈だったのに

スカイなんとかは、飛行機の窓から地上を見るに等しい感覚なのだ。

地上350mまでお金を払い上がると、今度はまた3000円也を払ってさらに上に舞い上がる・・・・という仕掛けなんである。

お付き合いで高みを目指して上ったのだが、さほどの感動はなし。

それは、年老いたからではないような気がする。

初年度計画の600万人は、とうに突破したという超人気スポットに水を差す訳でもないのだが、

高ければいいというものではない。

そら街商店街は開店朝の10時からというし、

文字通り、お高くとまっているんである。

それに比べると、芝公園の方が私の性にあっているような気がする。

こちらの方が、ゴジラも大好きと言っているし。

高層ビルに囲まれて、電波が遮られることが多くなったというのが、新しい電波塔が立つことになった原因だというのだが、

棒高跳びでもあるまいに、そんなに高く上を目指さなくともいいのではないか・・・・・。

ねえ、猪瀬知事さん・・・

ああ、選挙資金は高くあった方がいいのだろうけれどね。

 

 


プロフェッショナル

2013年11月22日 00時16分14秒 | 風竿の音楽夜話

夢のような11月15日から一週間が経とうとしているのに、ハンマーで頭を打ち砕かれたままなんである。

ポール・マッカートニーは、今夜東京ドームでの最終公演を終えた。

行った友達のfacebookでの書き込みを見ると、今夜はアンコールのYesterdayの時に赤いサイリュームが一斉に点灯されたらしい。

5万本の光が東京ドームの中を彩ったのであるが、それは美しいものであったろう。

当の本人には知らせてなかったサプライズのポールに対する感謝のサインだったそうである。

そして六本木のアビーロードは昨夜のポールの前での演奏から一夜明け、お店は入れないほどの大盛況だという。

サウンドチェックで20曲ほどを唄い、続けてむ本番では35曲を唄い、

とりわけ本番では水一滴も呑まなかったプロ根性というか、ショーマンシップは71歳という年齢に照らし合わせると、凄いという他言葉が見当たらない。

私たちアマチュアもステージに上がったら、ポールを見習わなければならないと想わされた。

お客様を楽しませることに全身全霊を傾けるポールの姿勢には、神がかりすら感じるくらいなのだ。

長くこの一人のミュージシャンを追いかけてきて、間違いなかったなあとしみじみ想う。

6日間の日本での公演で、延べ30万人ほどの人が彼のコンサートを観たことになるのだが、それだけでも凄いことな上に

ポールには驕り高ぶった態度の欠片もなく、改めて彼が世界中から愛されている所以なのだと想う。

福岡公演の最後に、「また来るからね・・・。」と約束してくれた。

この言葉は結構本気であったように聞こえた。

それならば、私たちも健康に精進して来るべき再来日に備えなくてはならないと想う。

往年の若い声はさすがに出ないものの、それでもレンジの広い表現力の豊かなヴォーカルは健在である。

そしていつも自分の身体と楽器の演奏、唄に精進しているのだという。

お金はエベレスト山よりも高く築いたに違いないが、

それでも音楽をやり続けるというのは、彼こそが真のエンターティナーだと思えてならない。

ポール・マッカートニー、比類なき才能と音楽表現力を有する、稀有のミュージシャンなのだが、

その前に、気配りと思いやりに溢れた、優れた人間であることを思い知らされた今回の日本公演であった。

彼こそ、一流のプロフェッショナルなんである。