風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

クリスマスウイークに

2015年12月21日 00時01分00秒 | 風竿の音楽夜話

やっと冷え込んで冬らしくなってきたと想っていたら、いつの間にかもうクリスマスウイークを迎えることになった。

師走をソリに乗って駆け抜けるが如しである。

今年のクリスマスイブは、久留米市にライブででかけることになった。

FUNKY DOGというお店。

ビートルズバンドで親しくさせて頂いている「筑後のビートルズ」ことThe StripesのリーダーDr.中野のお誘いなので、何をさておいても駆けつけねばならないのだ。

愛犬の体調が悪く、ちょっと心配なのだが、日帰りなので、行くことにした。

今年も都合30回以上のライブをこなしてきたが、これで今年の弾き収め、唄い収めなんである。

私が一番好きなビートルズナンバーである

「Happiness is a warm gun」を唄い収めの曲としたいと想っている。

いい歳だからいつまでビートルズバンドをやれるだろうかと思っているが、今年はとりあえずやれた。

来年は少し違うメンバーともやってみたいと考えている。

ともあれ、久留米近郊の皆さん、西鉄久留米駅の近く東町にあるFUNKY DOGでお会い致しましょう。


ジョンレノンの夜

2015年12月08日 23時46分43秒 | 風竿の音楽夜話

今日は35年前にジョンが凶弾に倒れ亡くなった日

残念で悔しい記念日なんである。

まだ29歳だった私は起こったことが信じられず、呆然として彼のアルバムを聴きながら、夜通し酒で哀しさを紛らわした。

5年ぶりに素晴らしいアルバムを発表したばかりの出来事

ダブルファンタジーというLPは、今後の彼の音楽的な方向性を予感させる素晴らしい曲ばかりであった。

1980年12月8日のこと。

彼はその年の10月に、40歳になったばかりであった。

専業主夫を自ら任じてヨーコ夫人との一粒種ショーンの育児に専念していたのを卒業して、音楽活動に復帰したばかりの出来事であった。

ビートルズのメンバーの中でも一番の個性派で、天才的で芸術家肌のジョンは、晩年はとてもストレートで、時に尖ったりしていたが、彼の楽曲を聴くととてもシャイで優しく、素直な人柄であったことがよく理解できる。

そして私は、そんなジョンが大好きであった。

特に静のジョンの歌は優しさが満ち溢れていて、素直な唄い方もとてもいい。

動の歌は、それこそ魂の底から謳いあげる、心情の発露みたいな叫びが聴こえてくる。

それもまた素晴らしい。

今でも、ジョンが生きていてくれたらと思うことが多い。

どんなに素晴らしい楽曲を作って私たちを愉しませてくれたことだろうかと、しみじみ思うのある。

今年も彼の追悼ライブを行った。

西暦2000年のミレニアムイヤーから始めて今年で16回目の「ジョンレノンの夜」であった。

今年もたくさんのお客様と一緒に最後はHappy X'masを唄ったのだが、素晴らしい大合唱となった。

今年から、もうエレキバンドのライブは騒音の問題でやらないと云われ、場所を武雄から有明に移したのだった。

ステージが始まる前にキャンドルを灯し、ジョンの魂に降臨をお願いしてImagineからスタートした追悼ライブは、ジョンの曲を中心に24曲演奏した。

ライブが終ると、いつも来て下さるドクターから「想いの伝わるいいライブだった。」と誉めていただきとても嬉しかった。

言葉ではなく、音楽である熱いモノを共有できることほど素晴らしいことはないのだと思わされた。

そして今夜の命日、ピアノに向かいImagineを唄わせて頂いたのであった。

あちらこちらのライブ会場でジョンの追悼ライブが行われている。博多も熊本も・・・、

長崎では、友人の井手さんが今年も平和公園でImagineを唄ってくれたようだ。

みんな想いは一緒なのだ。

ジョンレノンの死が辛い。哀しい。寂しい。


おやじバンド

2015年11月23日 21時34分49秒 | 風竿の音楽夜話

親父バンドが台頭著しい昨今である。

若い頃は買いたくてもとても買えなかった舶来の楽器が、為替レートの関係もあって、手に入りやすくなったのも後押ししている。

オヤジの若い頃はエレキギターなど持っているだけで、不良といわれた時代であった。

海外ではビートルズ旋風が吹き荒れ、それに影響を受けたグループサウンズといわれるバンドが雨後のタケノコのように次々と生まれた。

ブルーコメッツ・スパイダース・タイガース・テンプターズ・オックス・ワイルドワンズ・ジャガース・ゴールデンカップス・サベージ・パープルシャドウズ・カーナビーツ・シャープホークス・ビレッジシンガース・・・・・思いつくだけでもこれだけある。

そんな時代に団塊の世代は育ったのだ。

その頃ビートルズのジョンレノンが使っていたギターがある。

ギブソン社のJ-160Eというピックアップを備えたギター、これが1966年頃に盗まれたにも関わらず、最近発見されてオークションにかけられ3億円で落札されたのだという。

確かに初期の頃はこのギターで録音したものが多い。

 しかし3億円とは如何に・・・・

因みに私のギターコレクションの中にもこのギターがあるのだが、

こちらは僅か20万円ほど・・・・。

オークションにかければせいぜい15万円くらいだろうか・・・。

それはそうと、今週の金曜日は久しぶりに博多でライブ出演

長浜公園の近くの「Sugar time」というお店で夜の8時から

また12月5日(土)には有明町のライブカフェ「ROAD」で毎年恒例のJohn Lennon's Night Vol16が開催されます。

どうぞお近くの方でビートルズフアンの皆様はぜひオヤジバンドの味のある音を聴きにおいで下さいませ。

特に博多は人脈が薄く苦戦しております。

あらあら、ライブの告知になってしまいました。

とブログを書いていたら、嬉野の同好の士からアドバイス

彼はビートルズの現役世代の私とは違い、まだ31歳という若さなのだが、ビートルズフリークを通り越して、まさに研究家の域に達しているお方。

ある老舗旅館の若旦那なんである。

ポールのライブには万難を排して駆けつけるほどなので、ポール命かと思いきや、ジョンのこともごっっう詳しいのだ。

ということでジョンのギブソン160-Eは1963年に盗まれたということでした。

ここに訂正して深くお詫び申し上げます。

 

 


今度の週末はライブでお会いしましょう

2015年11月06日 23時17分53秒 | 風竿の音楽夜話

 

ビートルズのススメ vol 2

2015.11.7(土)19時半

有明町・ライブ喫茶 「ロード」

 

秋の夜長をビートルズで愉しもう❢❢

出演 ◆レギュラーバンド  The Apples

◆ミュージック・チャージ1000円

ライブカフェ・ロード ☎0954-60-0041

(有明町深浦国道207号沿い・ロードの看板が目印です)

※リクエストがあれば、事前にロードまでどうぞ

 

 

今度の土曜日11月7日は有明町ライブカフェ「ロード」での定例ビートルズライブ

私の所属するThe APPLESが出演します。

風邪で苦しんでおりますが、何とか体調を整えて出演します。

2ステージ、ビートルズの曲を取り揃えてお贈りします。

メンバーは・・・・

EB 岡ちゃん、EG 中島くん Dsチャーリー EG・Pf 風邪竿

の仲良し4人組

 

お時間の許される方は、是非お越し下さいませ。

愉しい時間を一緒に過ごしましょう。

ライブ告知でした。


水郷柳川イマジン音楽祭のこと

2015年10月13日 23時43分03秒 | 風竿の音楽夜話

そもそも誰に迷惑をかけている訳ではないので、

まあ、いい歳をしてこんなヤクザなことをしているのも、別に悪いことをしてる訳ではないし、良いではないか・・・・。

老人に依る電気的増幅音楽集団という徒党を組んで、大胆にも、かのビートルズの音楽に必死になって挑戦している。

それを突き動かしているのは、間違いなく私の敬愛するジョン・レノンなのだが・・・・、

そのジョンの奥様である小野洋子さんの祖父の屋敷跡が柳川に遺されていて、今は門が遺されているだけなのだが、400坪の敷地だという。

その由緒ある土地を柳川市が買い取り、跡地利用を模索しているということで、有志が3人揃い私のもとにお出でになったのは、丁度、武雄市図書館で「ジョンレノン特別絵画展」を開催していた一昨年の今頃の話。

温泉deビートルズ音楽祭のノウハウを参考にしたいのと、柳川でのイベントの相談に見えられたのであった。

それから1年が経ち、福岡市の才女にして会社経営者にして、ミュージシャンの亀山みゆきさんのプロデュースにより、立派な音楽祭に仕上がったのであった。

そのジョンレノンが遺した名曲Imagine は妻のヨーコ氏がインスピレーションを与えたということもあり、

「水郷柳川イマジン音楽祭」としての音楽イベントに昇華・結晶されたのであった。

音楽祭を付した方が良いというのは私の助言であった。

その音楽祭に私達のThe Applesも出演した。

ビートルズの楽曲が多く披露される中、私達のバンドは敢えてジョン・レノンの曲だけに拘って演奏した。

Revolution

Don't let me down

Woman

just like Starting over

I'm losing you

Imagine

Ain’t that a shame

この日のセットリストである。

九月の終わりだというのに残暑厳しい真昼に、会場の小野邸跡地はたくさんの人で溢れかえった。

最後には、今や平和を祈る歌の象徴ともなった「Imagine」を会場の皆さんと私のピアノで唄ったのであった。

こういうコンセプトのあるライブは素晴らしいものだ。

柳川の音楽祭はスタッフが50人も居て、それぞれに持ち場と分業が定められていて、それぞれに忙しく働いておられた。

市長が実行委員長として陣頭指揮をとられていたのも、「びっくりポン」であった。

  

スタッフで副委員長の松藤さんが駆け寄ってこられ、何度も握手を交わしたのだが、彼の想いはしっかりと伝わっていた。

来年の再会を約束して帰路に付いたが、いいイベントに育ってくれることを願わずにはおれなかった。


博多にチャッピーに会いに

2015年08月26日 23時58分23秒 | 風竿の音楽夜話

わが敬愛するビートルズバンドの最高峰、The PARROTSのリーダーにして、日本のジョンレノンを歌わせたら、ちょっと右に出る人は・・・かのリッキーさんくらいかなあというミュージシャン

チャッピーこと吉井守君が博多でソロライブをやるから是非来てよ!というので、かれこれ30年来のお付き合いのよしみで出かけてきた。

友人が始めたma-yaという天神のお店は狭いので、二部構成になっており、

私は午後8時からの第二部にお邪魔することにしていたので、

博多でも、つとに有名なラーメン居酒屋「山ちゃん」で腹ごしらえしていくことにした。

牛の下がりで生ビールを一杯・・・・旨い。

ここのラーメンの旨いこと・・・・。もう悪魔的な旨さ・・・・。

ここで最初のノックダウン

頃合いを見計らってライブの店に行くと、ライブは9時スタート

期待通り、ジョンレノンがソロ活動を始めてからの曲ばかり披露してくれた。

六本木のAbbeyRoadでは絶対に聴けない曲ばかり

I'm losing youから始まったライブは素晴らしいの一言

もう50年もビートルズ音楽を聴き続けてきた私がノックダウンするくらいだから、お察しいただきたい。

ジョンレノンは元々歌が上手いミュージシャンだったのだが、その独特のドライブ感とR&Bのノリは、中々そう簡単にはマネの出来るものではない。

さらに半音のさらに3分の1くらいの半音を微妙にズラして唄うブルージーさもまねの出来ないところであるが、

チャッピーは完璧に自分のものにしている。

文句なしに上手い。歌心もばっちりなんである。

余程にジョンのことが好きだったに違いない。

約1時間半のライブは圧倒されまくった至福の時間でもあった。

さすがにご本家ポールマッカートニーが日本公演で訪れた際のパーティでポールの前で演奏しただけのことはある。

実は9日ほど前に東京のABBEY ROADで会っているのだが、さらにこの日、ライブが終ってから再び親しく旧交を温めることとなった。

温泉deビートルズ音楽祭への招聘のことで、昨年から友情にヒビが入っていたのだが、完全修復。

けして飾らない人柄、友達を大切にする優しい人柄

ジョンのソロ時代の曲も今から単独ライブとして仕掛けていき、新境地を開くのだという。

応援しなくてはと思わされた次第である。

 チャッピー吉井、いい友人を持ったものだ。

 

 


シュミ趣味ミュージック

2015年08月09日 23時50分32秒 | 風竿の音楽夜話

先週の日曜日はかの文化会館大ホールの舞台に立った。

昨年の武雄物産祭り以来の大ホールであったが、ここの舞台は過去に凄いアーチスト達がここに立った栄光のステージなんである。

吉田拓郎・沢田研二・柳ジョージとレイニーウッド・ゴダイゴ・

演歌界では、美空ひばり・前川清・千昌夫などの大物が

クラシックではレニングラード交響楽団がやってきた。

そんな華やかな舞台なんである。

     

 

 出番を舞台の袖で静かに待ちながら、自分なりのパフォーマンスをちゃんとするためのコンセントレーションを整える。

   

この歳になると音楽の上手下手などよりも、いかに何かを伝えるかだとハートを込めることに全力を注ぐ。

   

プラス、ハーモニーとアンサンブルなんである。

そうでないと音楽を趣味としている意味が無いではないか。

   

妙に力が入ると却って逆効果にもなる。

それでも力を入れないと、ビートルズの音楽は年齢にこたえるのである。

その力加減が何とも難しいものだ。

ステージは本格的なものに仕上げられていた。

山下君のご苦労に敬意を表しつつ、

他のバンドの素晴らしさに参ってしまう。

それくらいレベルの高いミュージック・イン・タケオに成長しているのだ。

もう今年が最後になるかも知れないなどと考えたりしていた。

僕らのバンドが始まって以来、ずっと最年長バンドなのだ。

でも若い人からなめられるのは嫌だし、歳相応の音というものも確かにある筈なんである。

そんな雑念が頭を駆け巡る時に、ついに出番はあっさりとやってきた。

いざステージに立つと、そんな余計な雑念は見事に消えうせたのである。

僕らが今出来るビートルズをやればいいんである。

そして30分間、7曲のビートルズナンバーを無事にやり終えたのであった。

義父母と友人が多数、応援に駆けつけてくれていて、実にありがたいことであった。

The Applesの地元デビューはこうしてあっと云う間に終った。

趣味とは申せ、愉しいのが一番なのだが、それだけではけして覗くことの出来ぬ、音楽の深さの第一歩に辿りついた感ありの演奏であった。

道は遠い。まだまだずっと遠い気がする。

 

 


The Apples 熊本に上陸

2015年07月06日 00時22分15秒 | 風竿の音楽夜話

8月4日、土曜日は熊本のROCK BAR 「KEN・LENNON」さんでライブを楽しませて頂いた。

ドラマーが入れ替わり初の本格的ライブであった。

二度のアンコールを含めて全26曲を演ったのだが、ここ数日喉の調子が悪く、高いキーが出ない状態。

おまけに坐骨神経痛がひどく、お尻から足にかけてピリリと傷みが走る最悪のコンディションであった。

 それでも、約束したお座敷はちゃんと務めねばならず、

メンバーが替わったことでコーラスパートも変わり、メンバーも大変で、苦しいステージであった。

自分の体がじぶんでないような、こんな経験は初めてのこと。

これが老いというものなのかと、少しばかり落ち込んだものだ。

思えば5月のハードな遠征から体調を崩し、帰ってその翌日から高熱にうなされ、

ベースの岡ちゃんは仕事中に具合が悪くなり病院へ、ギターの中島君も仕事を休んで寝込んだというのだ。

還暦を過ぎてバンドをやることの辛さが確かにあるのは事実。

それでもビートルズバンドをやめるつもりはサラサラない。

それどころか、メンバー全員燃えに燃えているんである。

2ステージを終えて、熊本市内の居酒屋でメンバーと打ち上げ。

疲れた体を癒すのは生ビールに焼酎。肴は熊本名物の馬刺しと音楽談義。

みんなバンドのパフォーマンス力を向上させようと、熱く語り合うのであった。

こんな会話が愉しめるうちは、バンドは確実に成長しているものだ。

たとえ平均年齢が64歳のバンドだとしても、唯一の人生の楽しみとしてこの友情を大切に頑張っていこうということになった。

安ホテルに帰りついたのは午前2時半

久しぶりの不良体験であったが、心底楽しい夜ではあった。

さて、腰痛と糖尿と喉と・・・・病院に行かねばなるまい。

 


The Applesは熊本へ

2015年06月18日 23時30分13秒 | 風竿の音楽夜話

新しく生まれ変わった私達のビートルズバンド

その名も「The Apples」

平均年齢64歳のバンドになった。

ビートルズの歌「When I'm sixty-four」の年齢に達していることから、今年は九州ツアーを断行することに。

7月4日(土)熊本市Rock Bar 「KEN LENNON」夜8時から

7月31日(金)福岡市「Cavern Beat」

8月2日(日)武雄市文化会館大ホール・ミュージックインタケオ

8月未定  大分市ライブハウス「ねいろ屋」

9月19日・20日 武雄市ライブ喫茶「Dear John」

9月未定  長崎市「Body Ⅱ soul」

10月未定 佐世保市フォーク村

11月未定 鹿児島市アビーロード交渉中

12月5日 武雄市「Dear John」John Lennon's Night

12月未定 嬉野温泉大正屋クリスマスダンスパーティ

1月 未定 宮崎県ライブハウス白井

とまあ、ざっとこんな日程なんである。

現在は週一回ペースでハーモニーとリズムの調整中

腰は痛いし、喉は枯れ、眼は霞む中で

メンバーは必死に頑張っている。

大好きなビートルズの音楽に少しでも近づこうと

いいおじさん達が頑張っている姿は可愛いものだ。

みんな40年もバンドをやっている仲間たち

若いもんに負ける訳にはいかんのである。

最高齢者はポール役の岡ちゃん66歳

レパートリーが一気に増えて、必死なのだが愉しそう。

リードギーターのジョージ中島も新たに歌とハーモニーで悪戦苦闘の日々だが、とても愉しそう。

ドラムのシゲ坊は、何と33年ぶりに本格的にドラムと向かい合うのだという。現在リハビリ中だが、少しづつ勘所が戻ってるみたい。元々上手かった人だから、そのうち何とかなるだろう。

それにしてもThe Beatles・・・デビューして51年にもなろうとしているのに、

毎回演奏するたびに新鮮さを覚えるのはどうしてだろうか。

それは私達ビートルズ現役世代にだけ判る悦びに違いない。

あの頃の熱気とカリスマ性

その場所に帰っていけるからに違いないのだと思う。

それとまだまだやれるという自分の発見であろう。

愉しい趣味を持てたこと。

それを共に確かめ合える友を得たこと。

音楽は紛れもなく、感謝である。


Old friend

2015年06月02日 23時45分49秒 | 風竿の音楽夜話

北部税理士総会でのアトラクションのお役目を終えて

せっかくバンドの仲間が集まったということで、大町のお師匠様の経営する喫茶店へ出向くことに。

そこは何とカラオケ喫茶に大変身されていた。

近所のご高齢の皆さんの愉しむ社交場にモデルチェンジ

そこで、久しぶりに鎌ちゃんと音楽談義に花が咲く。

私達の師匠はその昔、九州のジェイムスブラウンと呼ばれた人。

そのヴォーカルたるや、誰にも真似の出来ないブラックフィーリング溢れるもので、それは凄いものだった。

若い頃、このお師匠様から厳しく鍛えられたんである。

単なる歌唱力だけではなく、歌心とヴォーカルのスピード

即ち緊張感なのだ。

前ノリ、後ノリ、突っ込み、シャウト、シャクリ、

そんな歌を教えられた。

そんな鎌ちゃんの貴重な音源がYoutubeにのこされていた。


そのライブの時に私も唄っていた。何とオリジナルソング

恥ずかしながら・・・・・。

<!-- 懐かしのバンド ストロベリー -->

師も今年69歳になられるのだという。

糖尿病からくる眼の病や股関節骨折、色んな困難と格闘しながら、何とか頑張っておられた。

最近はちょっと弱気になっているから、顔をみせてくれれば喜ぶ筈だからと娘さんから云われていたのだった。

カラオケ店だから歌わにゃソンとばかりに、メンバーが歌い出すと、師匠も楽しそうに同調してくれた。

背筋はピンと伸び、声も衰えてはいなかった。

まだまだやれる

69歳と66歳、64歳と63歳が次々と英語の歌ばかり続けて唄う。そして3声でハモる。

何とも愉しからずや。

また来るね。

再会を約束して土砂降りの中を家路についた。

今日から北部九州は入梅したのだという。

前も見えないほどの豪雨の中の帰路であったが、心はホンワカしていた。

友達はいいものである。