風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

武雄から全国へ、世界へ、再び

2013年02月28日 20時26分47秒 | 風竿日記

1月29日、天下のNHKさんの全国ネットのラジオ&FM番組「ここはふるさと旅するラジオ」に出演させて頂いたのは、前にブログに書いたとおり。

そこで武雄市の観光のこと、僕らがやっている「温泉deビートルズ音楽祭」のこと

そしてさりげなく「信用金庫」という社会的な存在をアピールしたのでありました。

ところが、これには続編があることに・・・・・。

よくは判らないのだが、特に好評だった番組をセレクション放送として再放送されるらしい。

これは武雄市にとっても、「温泉deビートルズ音楽祭」にとっても素晴らしい朗報なんである。

だって、前回の生放送後の反響たるや、実にすさまじいものであったから・・・・。

NHKの昼のラジオとFM、皆さん結構聴いているんですね。

特に温泉deビートルズ音楽祭の紹介にはプロデューサーさん、ディレクターさんが、とても力を入れて頂いたことから、しっかりとスポットライトが、あたったんである。

政治も宗教も関係のない、音楽を通じての町興しを夢見て始めた、この企画も今年で三年目を迎えることとなり、

巳年に相応しく、一皮むけるプロセスに差し掛かっている時に、なんとタイムリーな取材申し込み、そして再放送なのであろうか・・・・。

全国規模のセレクションに採り上げられること自体、まさに奇跡としか云いようがない。

恐らく東京渋谷のNHK放送センターで、番組編成企画会議が物々しく開催されて、断が下されたということは・・・・・

とりもなおさず、このイベントが間違ってなかったことの証明でもあろう・・・・。

「勇気百倍、自信を持って頑張ろうぜい・・・・。」

市内でなかなか協力者が少ない孤独な運営スタッフ内で、ささやかに喜んだんである。

実際、毎日連続9日間の音楽祭は、人も金も手間暇もかかるんである。

私など、一年目は大きな潰瘍を作ってしまったくらいなのだ。

NHKさんのおかげで少しは報われた気分なんである。

小さな積み重ねが、成功を産むのだということを実感している。

実行委員の皆さん、今年も頑張ろうね。

 

 

 

 

 


走り出したころ

2013年02月27日 20時00分28秒 | 風竿日記

オイルショックでトイレットペーパーがスーパーから消えた、昭和48年に私の信用金庫人生はスタートした。

アラブ石油輸出機構(OPEC)において、生産調整と販売価格の一方的なつり上げで、原油価格が2倍に高騰した煽りをうけ、物価が上昇、生活必需品の物資が一時的に不足して、日本中が混乱した年である。

今では第一次オイルショックと称される。

それまでの新築住宅は大抵300万といわれていたのが、一挙に倍となり、建築資材も不足がちということになった。

政府はこの混乱を抑えるために、総量規制を敷いたのだが、それでもしばらく混乱は収まらなかったように思う。

 

鹿島支店に配属された私は、入って二日目から外回りの仕事に就いた。

旭が丘公園の桜は満開で、その下を先輩に連れられて歩いた鮮明な記憶がある。

二日目にして金融の知識もなにも無い中で、渉外活動をさせられたのだから、今にして思えば随分と乱暴なことであった。

とは云っても、当時の渉外担当者の主な仕事は、日駆け集金で、朝から60軒ほどを回って、日掛け積金の通帳に領収判を押して帰ってくるという任務だった。

それでとても仕事をした気持ちになっていたのだから、効率も生産性も何もあったもんじゃなかったんである。

そのうちに慣れてくると、お客様から資金の相談を受けるようになった。

それは新米職員としては妙に嬉しかったものである。

そんなある日・・・・

有明方面を回っていた先輩が、あるお取引先に決算書の提出を求めたが、そこの女性事務員さんから・・・・・

「決算書、決算書ていうけど、あんたの所の決算はちゃんとしてるの?」

と問いかけられて、思わず言葉に詰まったというのである。

当時は現在のディスクロも自己資本規制も無かった時代だから、支店内でもとょっとした議論になった。

「お客様に決算内容の良しあしを問う前に、わが信用金庫の決算内容もちゃんと判っとかんといかんよね。」

入って2,3年生の新米職員同志の他愛もない会話であるが、それから私はおもむろにわが社の決算内容の勉強を始めた記憶がある。

それでも先輩たちから可愛がられ、守られてきた。

走り出した頃の私は、まったくの世間知らずの生意気な男であったが、どこかにちゃんと問題意識は持っていたように思う。

 

当時は今とは時代が違い牧歌的なものであった。

外回りから帰ってきた先輩の靴が泥で汚れているので、

「大変だったですね。」と声を掛けると・・・、

「ちょっと来い・・・」と駐車場まで連れていかれて、先輩の車のトランクの中を見せてもらうと、有明海のハゼが数匹ビニール袋に横たわっていた。

「今日は大漁やったバイ・・・。」と得意そうな先輩の顔が思い出される。

ソフトボールの大好きだった支店長が赴任されると、支店内は俄かにソフトボールチームと化した。

その支店長さんは、私費で私たちにユニホームまでプレゼントした位である。

そのうちに、先輩のSさんが支店長の目にとまり、

「君はピッチャーの素質があるよ・・・。」と見込まれたのである。

はたして、S先輩は燃えに燃え、朝は7時に支店に出勤して、早朝トレーニングと称して、職員駐車場での投球練習に付き合わされる始末であった。

そんな実にiおおらかな時代であったが、あの頃は理屈抜きで楽しかった。

そして、リレーションシップバンキングなどという言葉はまったく知らなかったのだが、お客様には誠心誠意お仕えしたものだった。

今となっては、すべてお客様から教えられた気がする。

私が走り出した時代はおらかでのんびりした時代であった。しかしねだからこそ、慌てずに信用金庫とは何かということをじっくり教えられた気がする。

できれば後輩たちにも、たまにはおおらかな職場ライフを送ってほしいと思う私は、管理者として失格なのであろうか・・・・。

 

 

 

 

 

 

 


クロスオーバーな夜

2013年02月26日 16時45分55秒 | 風竿日記

今夜は、伊万里でちょっとした会合・・・・・。

時間が少ない中、できれば鳥になって飛んでいきたいくらいに忙しいのであるが、

この用事は今のところとても大切なミッション。

       

中味は企業秘密

5次元のことを同列に捉えて、同時進行して生きているような身の回り

まさに、ひと頃流行ったクロスオーバーミュージックのように、

複合化され、馴染んだ形が出来上がればいいのだが、

それが、なかなか・・・・。

そうかんたんにはいかないのが人生なのだろうか・・・。

ともかくも、雨の夜空にフライトする Night Bird の私である。

いい仕事となるように・・・祈りつつ


 

 

 


仲間

2013年02月25日 20時56分03秒 | 風竿日記

私には・・・、有難くも、勿体無くも

小中高校の時から付き合っている仲間、仕事仲間、音楽の仲間、ゴルフの仲間、磯釣りの仲間、ライオンズの仲間、呑み仲間、温泉仲間等など、色んなジャンルの仲間がいてくれる。

別に計算した訳ではないが、それはそのまま、私の仕事を遂行する上においても、ただならぬ力を貸してくれている。

深く、付き合えば深い友情が返ってくるのである。

ミラーの法則というものだろうが、

不思議なことにこちらが相手を好きになれば、その分相手も私を好いてくれるようになるものだ。

実は単純なことではあるが、このことが地域金融機関の心臓部なのだろうと思うことが多くなった。

なぜなら、私達地域金融機関は植物だからである。

この地域限定型の金融機関は、その地域にしっかりと根をおろして、たとえ日照りの夏が続こうと、厳寒の冬が続こうと、ここで活きていかねばならないのである。

植物が豊穣な土地を求めて歩いて移動するなんて聞いたことがない。

この土地で生きていくしかないんである。

だから町起こしなどには積極的に参加していかねばならない。

この地域の土壌をゆたかなものに育てていかねば、結局は私達も生きれなくなるからなのだ。

何かをしてやっているなんて思う地域金融機関があれば、それは失格


 
そんな思いで歩いているうちに、いつしか周りにはたくさんの仲間がいてくれるようになった。

なるべく相手の長所を見るようにするのも、仲間を増やす秘訣であろう。知ったかふりをしないことも大事。

仲間が困っている時は、さりげなく、しかし全力で助けることも大切なことであろう。

 

日曜日の夜、古い友人が32年間続けてきた酒場を閉めることになったので、さよならパーティを企画したのだが、

声をかけたたくさんの仲間達が、お店に入りきれない位に駆けつけてくれた。

それは、理屈ぬきで有難い限りであった。

店主がビートルズ大好き人間ということもあって、仲間のバンドも呼んでのパフォーマンスも大成功。

来て頂いたすべての人に感謝の握手をして回りながら、しみじみと仲間の有難さを噛み締めることとなった。

鉛筆1本、ハンカチ一枚、米一粒すら作れない自分

だからこそ、仲間の有難さが沁みた。

 

Youtubeは、かのビートルズのリードギタリスト、ジョージ・ハリソンとスローハンドのギタリスト、エリック・クラプトンの「Somethingである。

彼らは本当の仲間である。」

なぜなら、ジョージの奥さんパティを、エリッククラプトンがたまらなく愛したのをジョージは許して、死ぬまで親友として付き合ったのだ。

私には理解できない友情だが、できればそんな仲間を持ちたいものだ。

仲間とは例えば、枝をくっつけ合って共生する森の中の木々である。

一緒に助け合いながら風雪に耐えている。

地域金融機関も、かくありたいものだ。

木を見ずに森を見よという言葉もあるではないか・・・。

人という字は支えあっているという、象形文字の時代からの絶対真理

そんなことを教えられたウイスキーハウス剛のパーティであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


糸電話

2013年02月23日 23時59分39秒 | 風竿日記

巷ではSNSが汎用化され、大変便利な時代が訪れた。

スマホを主体として、携帯電話が生活必需品の時代に、糸電話もないのだろうが・・・・、

その昔、幼い頃に竹筒にパラフィン紙を貼り、そこに木綿糸を通して糸電話を作ったものであった。

すると不思議なことに、振動で相手の声が聞こえるのである・・・・。

             

 

木曜日は毎月定例の佐世保地区7ケ店の支店長会議を催した。

この会議は一国一城の主が出席するので、いわば戦略に重点を置いた会議となるように、毎回特に配慮している。

結果もプロセスも当然大切なのだが、それよりもむしろ、そもそも論ではないが、一体どのように戦略構築しているのかを問いかける会議にしているのだ。

所謂、考え方を問われるので、一国一城の主とて、なまくら刀では太刀打ちできぬこととなるのである。

七ケ店の支店長が集まるので、私はいつも彼らを7人のサムライと呼んで鼓舞している。

佐世保に赴任して半年、この会議進行にも少しは慣れてきたのか、忌憚の無い意見が飛び交うようになってきたのは、まことに嬉しい限りである。

さらにここ三回ほどは、各店のお客様をお呼びして、一時間ほどの講話を拝聴させて頂くこととしている。

経営上のノウハウ、経営計画、仕事人生での体験談、信用金庫に対するご要望、何でも構わないので、本音で語りかけて欲しいと無理なお願いをしている。

今回は、大宮支店のお客様で、当金庫の熱烈な応援者のお方

いままで、たくさんのお客様をご紹介頂いている有難い支援者なのだ。

その分、愛情もあられるかわりに、時には厳しいことも仰って頂く極めて貴重なるお客様。

ご自身のこれまでの人生を振り返られての、

三人のそれぞれの分野の師匠のことをエピソードを交えて話された。

それは、換言すれば人のご縁の尊さの示唆であり、

切々とお話になる中にも、師匠とのご縁を大切にされているという、

それはそれは、心を打つものであった。

話の後半は、私共には少し耳の痛い話も飛び出した。

お客様との応対ぶりの話、クレーム処理のいたらなさを突いた話

等など、イチイチごもっともの有難い話なのである。

普段から、本音で語られるお人柄故に、歯に衣を着せない内容でもあったが、そこは謙虚に拝聴せねば、せっかくのお心が無になってしまっては勿体無いんである。

しっかりと、メモを取りながら、改善策をその度に考えて熱いご講演は終了した。

その後はすぐ近くにある安い居酒屋で第二部のスタート

実はねここからがとても価値のあるところ・・・・。

お酒を酌み交わすと、本音が加速するからなのだ。

はたして、そのお客様は、第二部ではもっと示唆に富んだお話をして頂いたのである。

私達に多少耳の痛い話をされたのは、心底わが信用金庫を愛されている証左なのがよく判る。

酒が進むにつけ、本音で打ち溶け合っていくサムライ達を、とても頼もしく思った。

いいお話、活きたお話を聴けて、実に有意義で有難い夜であった。

まさに知行合一・・・・されは実学にも通じる尊いOJTともなった。

携帯電話が便利な時代ではあるが、

すぐ近くの人にしか使えない「糸電話」こそが、コミュニケーションを最も大切にする私達信用金庫にとって、とても大切であると思わされた。

か細い木綿糸ではあるが、大切に糸を紡がなくてはなるまい。

 

 

 

 

 

 


サイモンとガーファンクルは確かに沁みる

2013年02月22日 20時00分53秒 | 風竿日記

ビートルズに夢中になっていた中学生の頃、

実はもう一つ気になる音楽があった。

それはダスティンホフマン主演の映画「卒業」のテーマ曲にも使われた曲

「Sound of silence」

何て深く、何て心に沁み入る曲、そしてなんて素敵なハーモニーなんだろうと聴き入ったものだ。

     


精神性を漂わせる知的な歌詞と深いハーモニーの響き

当然大好きになって、当時は難しかった彼らのギターテクニックを、必死になってコピーしたものであった。

学生時代は福岡で暮らしていた私であるが、当時天神のセンターシネマの横にあったフォーク喫茶「照和」には、「ライラック」というデュオが絶品のS&Gを聴かせてくれていた。

その二人が、チューリップで心の旅を歌った姫野辰也と、武田鉄矢の海援隊のノッポのギタリスト千葉和臣である。

しかし、現在大川市に住む、山浦さんと堤さんは、本物さえ凌ぐというS&Gの完全コピーを演じてくれているのだ。

英語の発音から完璧を追求される徹底ぶりには頭が下がる。

しかも、単なるコピーという範疇を超えて、心に沁み入ってくるのである。

彼らは武雄のあらゆる場所でライブをやってくれたのであるが・・・・・、

このほど、私たちの兄貴分である、「ウイスキーハウス郷」の閉店イベントに訪れてくれた。

急なライブだったにも拘わらず、満席のオーディエンスで溢れた。

この「早く家に帰りたい」はその時の録画である。

お客様がうっとりと聴き惚れる素晴らしいライブであった。

この山浦さんは大川で「家具の三和」というこだわり家具の会社を経営されているお方なのだが、本当に素晴らしい人格のお方なのだ。

いつも物静かで、普段は純粋な大川弁を駆使して話すのだが、こと英語に関しては、Kings Englishなのが好対照。

相棒の堤さんはJAZZにも造詣が深く、ギターの腕前もプロ級だとのこと・・・・。

武雄市にある後楽園というラーメン店のチーフである祐さんにそっくり・・・・。

堤さんもまた、とても紳士でやさしいお方。

しかも二人ともイイ男なんであるのがニクイ。

まさに、いい才能が出会ったものだと思う。

 

 この日、サイモンとガーファンクルの往年の名曲をたくさん披露してくれたのだが、何度聴いても聴き足りないくらいで、アンコールが何度も・・・・

ライブが終わった後も、いい余韻がウイスキーハウス郷の店内を包み込んでいた。


彼らのユニットJPARKERSが親しく武雄に来るようになったきっかけは、スタジオINPUTの山下さんのおかげ・・・・・。

彼の地道な力で、武雄の音楽シーンはとても豊饒なものになった。

INPUTは開業してから22年、山下さんも還暦を迎えることになった。

彼に「武雄市文化功労章」を贈りたいと思っているのは私だけではないと思う。

こんな良質の音楽家を武雄に紹介してくれたのだからね。

そしてJPARKERSは今年の「温泉deビートルズ音楽祭」にも特別参加してくれることになった。

また秋が楽しみである。

 


春の足音

2013年02月21日 23時56分25秒 | 風竿日記

3月に降る雪を、「忘れ雪」という。

もう55年も前に母に教わった、美しい日本語である。

「三寒四温」という言葉もまた好きな日本語。

一度にという訳にはいかず、徐々に季節は巡っていくのである。

しかし、この季節はどうしても待ち焦がれた春の訪れを発見したくて、いつもウズウズしてしまう。

  

それは例えば道端のタンポポであったり、虫の羽音であったり

時として、猫の夜泣きだったりもする。

北国に暮らす人でもあるまいに、待ち焦がれた春とは、如何にも大袈裟だというむきもあろうが、齢を重ねると、寒い冬はいやじゃ、いやじゃ・・・。

やっぱし、万物が生命の息吹を謳歌する春がいいのじゃ。

 

 そしてこの時期になると、いつも待ちかねたように、春はそこまで来ているという演奏が聴きたくなってしまう。

邦題は「春がいっぱい」というもの

毎年、このブログでご紹介してきた曲でもある。

もう50年以上も前のシャドウズというエレキバンドのオリジナルなのだが、

なぜかこの曲が大好きなのである。


後1ヶ月もすれば、街中に桜が咲乱れる春が、もうそこまで来ているのだ。

 

そんなブログをしたためたら、何故か今夜はやけに冷えますね・・・・。

 


成功者の三条件

2013年02月20日 18時47分14秒 | 風竿日記

仕事柄、お客様の商売の中身はとても気になるところ。

うまくいってるところもあれば、悪い循環に陥っておられるところもある。

日本で初めて上場を果たした経営コンサルタント会社、船井総研の顧問先約2万社の中で

うまくいってる会社の社長さんの、ある共通の素養が備わっていることに気付いたというのだ。

それが、わが信用金庫でも社員教育で必ず教え込んできた「成功者の三条件」というもの

この3月から新入職員10名を迎えるのだが、ここでも耳にタコができる位に何度も繰り返して教え込むことにしている。

その三つの宝とは・・・・・

1,素直であること

 素直ということが簡単そうで一番難しい。多少の経験をつめば、すぐ自慢したがる人は無理

 自分の自慢話ばかりで、人の言うことを聞こうとしないんである。

 素直であるということは、即ち人の話を受け入れるということ・・・・。

 人の話に聞く耳を持っていることは、まだ伸びシロがあるといことなのだ。

 ところが、「そんなこと言っても出来る筈なかろう・・・・。」とか

 「そんなこと判ってる。今までの体験はダテじゃなかバイ・・・。」

 とかいう人は、まったく伸びシロはなし。成長はストップなんである。

 素直に謙虚に人の話が聞けているうちは、自分はまだ発展途上人だと思っていいんである。

 

2,プラス思考の持ち主であること

 「なんでも積極的に前向きに取り組む人」と置き換えてもいいのだが、総じてプラス思考の人は

 目の前に広がる砂漠ですら、青々としたオアシスに変える力があるといわれる。

 お客様が試練に遭われ、落ち込まれた時にいつも・・・・

 「街で後ろ向きに歩いている人と一度も会ったことがありません・・・。」

 と励ますようにしているのだが、仕事も趣味も、前向きに取り組む人だけが

 天からご褒美を貰うのだと思う。

 消極的で後ろ向きな考えの人に人生を拓いた人はいないんである。

 いいパワーは前向きな発想をして、積極的な行動をしている時に生まれてくるんである。

 

3,好奇心旺盛であること

  何に対しても好奇心が旺盛で勉強好きな人は、自分の物差しが広がっていく

  人を観る尺度も広がるということは、人を深く理解できることとなる。

  相手よりも自分の物差しが小さかったら、相手の考えのすべては見抜けないからだ。

  やがて好奇心は知恵に変わり、その経験は体験を経て、貴重なノウハウに転化する。

  やがて、目の前の森羅万象、すべてのものに真理が隠されていることに気付くのである。

 

さて、この三つの要素を兼ね備えた経営者は必ず成功すると、かの船井先生は仰った。

私もそういう眼で、この地域社会の経営者のみなさまと接してきたのだが、

それはまさに黄金律であった。

成功されている社長様はみんなこのタイプなのだ。

成功しても驕らず、いつも謙虚で人に優しいし、何事にも研究熱心で勉強好きで好奇心に眼がキラキラしている。

そんな皆様から親しく薫陶に授かってきたのも有難い。

いやはや、いいお客さまに囲まれて、私はなんて幸せなことだろうか・・・・。

 

 

 

 


2013年02月17日 23時59分59秒 | 風竿日記

いやはや、金曜日から土日と、目一杯の忙しさでありました。

金曜日は有力な情報源をお持ちのお客様と佐世保で食事会、どうしても帰らなければいけない私は、水を飲んでおつきあい、帰り着いたのは夜の11時半・・・・。

しかし、おかげ様で、いい仕事のネタが一杯吸収できました。

土曜日は、洗濯をして掃除をして、午前11時から若い職員さんの結婚式に佐賀へ

眩いばかりの素晴らしい花嫁さん・・・・。

  

    

元々ミスひぜしんの声も聞かれたほどの美人女子職員さんなので、至極当然なのですが、本当に美しい花嫁さんでした。

花見て一杯。

   

昼酒はこたえますが、お祝いの席はやはりお酒がつきもの

後が控えているので、自重していたつもりが、勧められるままに杯を重ねているうちに、やはり酔っぱらいおじさんに・・・・

       

結婚式が終わると、そのまま武雄市に戻り、今度はセンチュリーホテルで旧きしま信用金庫のOB会に出席

昼間からの酒がかなり効いていましたが、懐かしい先輩の皆様と昔話に花が咲くと、ついついまた酒の深みに嵌ってしまう弱い私であります。

   

それにしても、やはりOBの皆さんは温かい・・・・。生意気な私をご指導頂いた方々ばかり。

理屈抜きで甘えられるから、有難く、嬉しいものです。

3年に一度の開催となっていましたが、ぜひ毎年の再会の場をとお願いしました。

人生のすべてを捧げられたと言っても過言ではない、職場なのですから、どんな話をさせて頂いても心に沁みます。

先輩のご苦労があるから今日があるのだという、謙虚な気持ちを忘れないためにも、現役職員さんの参加も意義あるものだと思います。

先輩の話の中で・・・・、三人の方から・・・・。

「お前のブログ、楽しみにして毎日見てるよ。辞めてしまってもいつも気になっているけれど、信用金庫のことがよく判るのが嬉しいからね・・・。」

この言葉は、長くブログを刻んできて、こんなに嬉しかったことはありません。

そのうちに私がOBとなった時も、このように温かく接することのできるように、

周りの方々に深い感謝と、愛を注ぎ続け、そして老境に差し掛かっても、幾ばくかの夢を持ち続けて生きていかねばと思わされたいいOB会でありました。

 閉会後はそのまま二次会、三次会へと、今度は月見て一杯

     

開けて日曜日は、朝から平野重徳先生のメモリアルゴルフコンペに参加

個人の誕生日のコンペとしては、超凡破格の180名の参加

嬉野市の名誉市民にして社会教育に多大な功績のあられる大先生は、今年90歳にして尚、口から火を吹かんばかりにお元気

ヘビースモーカーの先生は、旨そうに煙草を吹かしながら、極上のユーモアを発せられる凄いスーパーじいちゃんなのであります。

先生には、信用金庫のビジネスセミナーで講師を務めて頂いたこともあるのです。

久しぶりに80台のラウンドを果たしたものの、パーを9個もとった割には、まだまだ課題の多いゴルフでありました。

表彰式を終えて、そのまま友達の還暦祝いに武雄へ

30年続いているの三夜待仲間の還暦祝い

かって私が住んでいた永島区の仲間です。

かって気ままに言い合える仲間ですが、これで12人全員が無事に還暦を抜けました。

一人も欠けずに、還暦を超えたことで、本当に嬉しく有難かった。

今度は全員で古希をクリアしようと誓い合いました。

そしてお祝いということもあり、またぞろ武雄の街に・・・・。

二次会、三次会へとなだれこみ、いつもの如く撃沈したのでありました。

金曜日から続いたハードな日々がやっと終わりました。

たくさんの皆さんと交流して、職場の絆、地域社会の絆の大切さを再認識させられました。

一人では何もできないちっぽけな自分、人のご縁有難さに改めて気付かされました。

まさに、人様から生かされているんであります。

    

さてさて、私はここに断言します。「しばらくお酒は呑みません。」

今度呑む時までは・・・・・。