風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

春来たりてなほ

2015年01月26日 23時44分26秒 | 短歌ごっこ

うたがひのうたかたの宴に毒を盛るこころ寂しい春待ち月に

 

余裕無き新し月の春の宵街へ飛び出したるいたたまれずに

 

過去の傷掘り返したる春の酔いこほろぎのごとくに道端に捨てる

 

耐へしのび一輪の花を咲かす寒梅の春は来たりし隣人の庭に

 

月はいでし春の海に今宵は漕ぎ出そうか自己解放の旅へ

 


ビートルズと私

2015年01月25日 23時59分01秒 | 風竿の音楽夜話

何度もここに書いてきたので、常連の読者の方々には、耳にタコどころか、イカが出来ておられることであろうが、

私は中学生の頃からビートルズに洗脳されている。

当時の日本の音楽シーンといえば、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦が若手の御三家といわれていて、歌謡曲全盛の時代であった。

日曜日のお昼になると「ロッテ歌のアルバム」という歌謡番組が人気で、ステージの歌手に紙テープを投げつけ、

それを拾い、握り締めながら、皆さんとちゃんと繋がっていますよと、白い歯を見せながら唄うんである。

高校三年生や霧氷や星のフラメンコが流行っている頃

私はふと流れてきたビートルズの楽曲に脳天を打ち砕かれた。

今までこんな音楽は聴いたことが無かった私は、あっさりと洗脳されてしまい、それがもう50年も続いているのである。

所謂、ビートルズ現役世代といわれる年代なのだ。

新しいシングル盤やLPレコードが発売されると、その日にレコード屋さんに駆け込んだものだ。

そしてレコードが擦り切れるほど聴きまくったのである。

現役世代ならではの新曲発表のドキドキ感は若いビートルズファンには判るまいが、それは、えも云われぬものであった。

私が奇跡と立ち会ったのはHELPからであった。

同時進行でビートルズの世界制覇を体験できたことは、とても素晴らしい私の財産でもある。

しかし、良いことばかりではなかった。

エレキギターをかき鳴らす若者は等しく不良と云われた時代だったから、世の大人はビートルズに眉をひそめたものだ。

ましてや中学生ともなれば、勉強だけしとけばいい・・・みたいな風潮がプレッシャーとしてあったのも事実。

虐げられた時代の鬱憤を晴らす意味もあって、人生のやり残したことを今やっている。

いい大人から、いいじいさんになろうと、楽しくて仕方が無いんである。

だから、同じ志を持つバンドのメンバーは、得がたいとても大切な兄弟なのだ。

かってビートルズがステージで着た衣裳を纏い、同じ楽器で同じキーで唄い演奏する。

顔は違えど、声も違えど・・・・である。

いつか、彼らが生まれたイギリスのリバプールの街に出かけてみたいのが長年の夢でもある。

ジョンの育った家にも行かずばなるまい。絶対にである。

私の家造りの参考にしたポールの家にも・・・・

彼らが夜毎演奏していたライブハウスにも行かねば、死ねないんである。ここで演奏できたら、もう最高。

ジョンが愛したストロベリーフィールドにも行くのだ。

ビートルズは・・・・

理屈ではない。

そんな人がこの世にゴマンと居るのだ。

それだけビートルズのインパクトは、当時の音楽シーンで大きいものであった。

温泉deビートルズ音楽祭を提唱したのも、それらの想いの発露なんである。

そして今年も5年目となるそのビッグイベントをやる。

すぐ近くにビートルズと一緒に暮らしていたい、ささやかな老人の想い。

それが5年目で大輪の花が開くことを願っている。

5年目の今年こそは、私がずっとやりたかったことをやらせて貰おうと考えている。

 

 


帯同訪問

2015年01月23日 23時55分04秒 | 武雄法人会頑張る

昨日から法人会のサポートをして下さる保険会社の皆さんと、法人企業の福利厚生のご案内に、帯同訪問をさせて頂いている。

私は会員企業さまをご紹介するだけなのだが、それても保険屋さんを連れてくるとなると、ちょっと構えられるのかと心配していたのだが、どこに行っても、昨日も今日も・・・。

「わあ、よく来たね。さあ上がって、上がって!」

と大歓迎して頂いた。

一緒に行った保険屋さんは、信じられないと言いながら、大喜びなんである。

お客様というのは、本当に有難い限りと身に沁みる。

帯同訪問リストを見せていただいて、知らない企業が圧倒的に少ないのは、即ちこれまでの信用金庫時代のお陰にほかならないのであるが、歓迎されるとなるとちょっと意味合いが違ってくる。

どれだけお客様の深層と関わりあってきたかということの集大成が、如実に現れるからだ。

表面的なおつきあいなら、それなりになるはず。

ましてもう、専務理事でも何でもない、タダの法人会の事務局長なんである。

それなのに、とても温かく迎えて応接間に通していただく、話はしっかりと聞いていただくわで、本当に有難かった。

そういえば、信用金庫を辞めてもう半年になるのに、まだお客様と職員さんの新年会にも呼んで頂いたし、

若手の職員さんからも、自主勉強会の後の呑み会にお呼びがかかった。

それというのも、一緒に汗をかいた仲間というかとどのつまり同志なんである。

勿論、喜んで出席するのだが、嬉しいではないか・・・。

男というものは、肩書きを無くし、鎧や裃を脱いでからその真価が問われると聞いたことがあったが、私は本当に幸せ者なのだと思った。

昨日、今日と久しぶりにお客様の所を一緒に回らせて頂いて、長年の営業畑の感が甦ってきた。

そして、若手の職員さんと帯同訪問して回った、あの夏の暑い日の佐世保の坂道を思い出さずにはいられなかったのである。

帯同訪問、戦略を語る人間は必ず現場を知っていなければならない。机上の空論で戦略を語るなけれだ。

その意味で最前線たる現場は最も尊い修練の場でもあるのだと思う。

現場にしか答えはないのである。

 

 


ギター

2015年01月22日 23時41分06秒 | 風竿の音楽夜話

私が本格的な社会人になったのは、昭和48年の4月

本格的というのは、その前にありとあらゆるアルバイトをしていたからである。

高校の時の新聞配達、土木作業員、暮れから正月の年賀郵便配達から始まって・・・

浪人時代はレストランのウエイター。

福岡の貧乏学生時代は築港のバナナ荷役作業員、引越しセンター、岩田屋デパートのお中元配達、日本タバコ産業の倉庫作業員、電電公社の線路宅内課の作業員

ありとあらゆる職種を経験していた。共通していたのは汗をかく仕事であったこと。

そして、この経験が信用金庫に入って意外と役に立ったこと。

そんな社会人1年生の時の初任給は4万5千円あまりであったと思う。

そんな時に、どうしても買いたかったギターが一本。

8万円もする「S・ヤイリ」という国産ギターなんである。

佐賀の高柳楽器店の陳列棚に高級ギターとして飾ってあったそのギターを、5回くらい見に行って、最後は清水の舞台から飛び降りたのであった。

急いで帰ってポローンと弾いてみると、夢のような、甘いキャンディーのような、ヘリンボーンのスーツのような、そんな音がして嬉しくてたまらなかったことを覚えている。

それからしばらくすると、今度はディスコミュージックやチューリップなどのコピーバンドを組むことになり、22万円もするテレキャスターという舶来のエレキギターを買った。

これはさすがにキャッシュという訳にはいかず、クレジットで2年をかけて支払った。

この思い切って買ったギターは、すでにオールドとなり、プレミアムが付くほどになっていて、今も私のギターコレクションの中にあるのだが、おそらく一生手放すことはないであろう。

断舎利ではないが、最近増えすぎたギターを逐次友人にあげたりしているのだが、それでも簡単には処分できないギターが何本かある。

  

これもその一つで、アメリカはマーチン社のD-28という高級モデルなんである。

この度メンテナンスを一流のリペアーマンに頼んで、1ヶ月ほどの入院期間をへて、我が家に帰ってきた。

そんなこともあり、今はこのギターに遊んで貰っている訳だ。

長い間ギターを弾いてきたのだが、最近は歳の所為か指がパサパサで、フレットを押さえるのが段々と苦手になりつつある。

指先のことだけに、やはり毎日数分でも練習していないと、退化が目に見えてしまう。

 

さて、私はあとどれだけギターを手にできるのだろう。

大切な友人であるギターと一緒に歌を唄い、どれだけ語り合えるのだろうか。

 

 

 


武雄市の小学校教育現場に感動した

2015年01月21日 23時42分57秒 | 武雄法人会頑張る

今日で租税教室の最終日

白石、鹿島、嬉野地区を回ってきて、今日は武雄市に帰ってきた。

六年生は1クラスのみで、児童数も20名、私の小学生時代は一クラス55人くらい居て、それが6クラスあったのだから。

本当に世の中少子化なんである。

さて、武雄市は早くからアイパッド授業に導入され、今は全児童にタブレット端末を導入している。

また反転授業、官民一体型授業と教育改革が進んでいる地域であるが、

お伺いしてみて、かなり効果が表れていることを実感した。

たとえば電子黒板一つにしても立派なものが全クラス完備しているし、教室内もとても綺麗で、温かみのある校舎。とても恵まれているなあと思わされた。

さらには、どの児童も快活で明朗、そしてとても素直に育っているのが嬉しいではないか。

通りがかりの女の子に、不意にお願いした職員室から会場となる6年1組までの道案内も、見事な気配りでしてくれた。

それは3歩ばかり前を歩きながら、けして間を開けず、かといって縮めず、終始後ろの私に気遣いながら、曲がり角に差し掛かると微笑みながら、

「こちらです・・・」と誘導する理想的なもの。大正屋のベテラン仲居さんの境地なのだ。

児童の受講態度も頗る付きで素晴らしかった。

普通は国税庁編集のアニメで、租税の仕組みを理解させる番組を流しているときには、ワアワア云いながら、漫然と画面を眺めているものだが、今日の子供たちには驚いた。

こんな授業態度は今まで見られなかったので、ヒェーッとばかりに驚きまくった私なんである。

授業中私語をする子も、横を向く子もいなかった。

 

なんとまあ、アニメを見ながら、手元で内容をメモしているではないか・・・。

それも殆どの児童がそうしているのである。

別に先生が指示したわけでもなく、私たちがお願いしたわけでもないのに、自分たちで主体性を持って取り組んでいるのだ。

こりゃー、少子化とは云え、まだまだ日本も捨てたもんじゃないぞと嬉しくなってしまった。

そうそう、このクラスでは英語を日常語として使いこなす工夫をしているという。

小学校なのにALTがいらっしゃるというのだ。

授業の開始と終わりは必ず英語であいさつして、職員室に入退室する時も英語で挨拶と要件を告げるのだというではないか・・・。

もう、「ははーっ、まいりました。」なんである。

帰りには全員で「We are fine and Thank you verry much !」

もうタジタジで小声で「You are well come」と返すのがやっと・・・・。

教える側が教えられることばかりで、感動して帰ってきた武雄市内のある学校での租税教室であったが、これが本当の反転授業なんである。

租税教室にお伺いさせて頂いて、こんなに感激したのは初めてであった。

校長先生も明るく気さくでとてもよいお方で、帰りには清々しい気持ちで学校を後にした。

法人会の仕事も中々面白いではないか。


租税教室

2015年01月20日 23時59分48秒 | 風竿日記

私が関わっている法人会の仕事は実に幅広い。

セミナーなどを通じての加入企業さまのよりよい経営のお手伝いから、税に関する社会的な知識の高揚、はたまた献血などの社会貢献と多岐にわたるのである。

今日はそんな中で、小学校への租税教室に出向いた。

12月は六角小に出向き、

16日は能古見小、今日は塩田小であった。

そして明日は東川登小の何れも6年生を対象に社会を支える税金というテーマで実施している。

法人会青年部の皆さんが先生役を引き受けて下さり、教育の現場だけに、細かく気を遣い汗だくになって授業を行う。

面白いのは、その学校、学校でやはり校風というか、生徒さんの受講態度が違うところ。

キチンと統制がとれている学校もあれば、どちらかというと伸び伸びさせている学校もある。

少子化の影響で、どこも児童数は私達の時代の六分の一以下

体罰などごく当たり前であった私達の時代とは隔世の感あり。

今の時代、体罰を与えようものなら父兄が学校に文句を言いに来るというのだから、時代は変わったものだ。

もし、この世に税金がなかりせば・・・という仮定のもとに児童に意見を求め、

社会は税金により安全・安心と快適な市民生活が保たれていることを理解してもらう授業なのだ。

父も母も教諭であった私には、少しばかり違う思いもある。

兄弟3人のうち一人くらいは教職の世界を継いで貰いたかった父の想いを知っているから、

この租税教室の授業をサポートしながら、頭の中の小さな声で「オヤジ、意に沿わずに、ごめんね・・・。」

と呟いたのであった。

 


Band on the RUN

2015年01月19日 23時59分56秒 | 風竿の音楽夜話

音楽の話題だと、「またかあ・・・。」と云う御仁が一人、身内に居るのだが、仕方が無い。

ゴルフがオフシーズンの今、唯一の趣味は音楽

ということで、わがビートルズ・トリビュート・バンド

The AppleBeatsのライブスケジュールを紹介しておこう。

1月31日(土)はちょっと忙しい

唐津で開催されているプロミュージシャンの登竜門「唐津ジュニア音楽祭」の前夜祭「音育エイド」に出演

ワンステージ終えると、そのまま博多に直行

いつもお世話になっているビートルズ遊園地「博多キャバーンビート」さんのBeatles Special」に出演するのだ。

筑後のビートルズと呼ばれる「The Strips」さんと共演なのだ。

このバンドのリーダー中野先生は開業医さんで、私より一級先輩なのだが、声は出られるし、楽器は上手いし、素晴らしいお方なんである。

昨年は温泉deビートルズ音楽祭にもご出演頂いた。

イギリスのリバプールのキャバーンクラブで演奏してきたというバンドだけあって、幅広いレパートリーは楽しいの一言

2月15日は武雄キルンの森飛龍窯の「光のバレンタイン灯篭祭り」に出演

そして、3月はランタンフェスティバルでわく長崎市へ

音楽仲間のアンクルハリソンさんのイベントで、出演は今回で二回目となる。

とても楽しいライブイベントで長崎の仲間とも再会できるのが愉しみなんである。

何しろ友達になったら必ずと云っていいくらいに、温泉deビートルズ音楽祭に来てくれるから一挙両得なんである。

3月7日は地元武雄市でスタジオINPUTさんの「復興継続支援ライブ」に祝ご出演なのだ。

今年も春から大忙しのわがバンド

近くに来た時には是非遊びにおいで下さいませ。

 


オヤジ地蔵

2015年01月18日 23時55分20秒 | 風竿日記

佐賀市へ愛蔵「マーチンD-28」というアコースティックギターの修理を頼んでいたのが出来上がり、早速迎えに出向いた。

我が子を迎えに行くようなそんな感じで、久しぶりの対面を果たした。

そもそも件の迎えの場所は大和町なので、早く再会したい思いもあって、行きは高速道路をぶっ飛ばして行ったのだが、

帰りは大和ジャスコの楽器屋さんで小物を買い込み、復路はゆっくり帰ろうと江北町から左折して鹿島方面の国道207号へ

幼い頃から佐賀へ行くときには、よく通った道なんである。

父の運転で弟と後部座席に座り、車窓の景色を眺めた懐かしい道でもある。

父が車を買ったのは私が小学6年生くらいだったろうか・・・。

中古のトヨペットコロナが我が家の初代マイカーであった。

潔癖症で異常に綺麗好きの父は、毎日のようにその車を洗い磨いては縦横ナナメ、前後左右、目を細めて眺めていた。

そんな父だったから、土足で車に乗るなどもっての外

いつも座席の下にはプラスティックの靴入れが置いてあり、よく泥を落としてそこに収めると、車内ではスリッパに履き替えるのが我が家の掟なのであった。

車が来てから家族で遠出することが多くなった。

まだ世の中に車が珍しい頃の話で、父はドライブとシャレ込み、中産階級意識を味わいたかったのかも知れない。

 

 

白石町から有明町へ入る道すがらに交通安全を見守るお地蔵さんが立っておられる。

そのお地蔵さんの前を通るときは、決まって車を徐行させて家族全員で頭を下げて、ドライブの安全を祈願するのも我が家の慣わしなんであった。

帰りも「お陰でここまで無事に帰って来れました。」と感謝の意を込めて、また徐行して一礼。

そんなことを思い出していたら・・・・

まだちゃんと寒空の下、道路端にちゃんと鎮座しておられた。

正確に云うと、鎮立しておられた。

・・・・作者脚注これは「ちんりつ」と読んで欲しい。「ちんたち」と      読むとちょっと危なくなるので、くれぐれも宜しく。・・・・

父が生きておれば今年で88歳、もう亡くなってから33年が過ぎたのである。

教員は強飲と書くのだと嘯いていただけあって、酒飲みの父ではあったが、まさか自分が死ぬとは思ってもいなかった筈。

やりたいことは山ほどあったに違いない。

54歳という若さでの突然の夭折であったので、ただダラダラと生きてはいても、父の年齢は遙かに超えたことになる。

父が見たかったであろう55歳からの人生を、私は当たり前のように生きている。

父の生きた時代には無かったスマホを操り、

少しはガタがきたものの、まだ体は充分に動くし、

愉しい仕事も与えられているし、

毎日、酒も、ご飯も旨いし、

家内も優しいし、

飼い犬も元気になり、

趣味のビートルズバンドもそこそこに評価を頂いている。

  

父は、55歳から一体どう生きたのだろう・・・・・。

父が大切に敬っていた道路端のお地蔵さんの前を通るときに、幼い頃の習慣が甦り、私も徐行しながら、黙って一礼。

父を思い出させたお地蔵さまに、一礼したのであった。

 

 

 

 

 


一杯のかけそば

2015年01月12日 23時59分01秒 | 風竿日記

昨年の大晦日のこと。

携帯に電話を頂戴して駆けつけたのは、信用金庫時代から可愛がって頂いているある鉄板焼きのお店のマスターのご自宅

ここ数年、趣味で十割蕎麦に挑戦されていたが、今年は満足の行く出来栄えの蕎麦が打てたので、持って帰って年越しをしてくれ

とのこと・・・・。

そこにはまだ息をしているような手打ちの十割蕎麦が、家内の分まで丁寧に包まれていた。

これまでお世話になったお方々に、年末のプレゼントとして、昨夜から徹夜で百人前を打たれたのだという。

自家製のだし汁に、ご丁寧に生のワサビまで添えられていた。

貴方には一番苦しい時によく相談に乗ってくれて、陰日なたなく助けて貰ったから、自分の人生の節目にはいつも貴方がいてくれたから、何とかなった。

これくらいは当たり前のことやけん、気にせずに持って帰ってくんしゃい。良いお年を!!!

暮れの慌しさの中で、寒い日であったが、胸がジーンと熱くなったのはいうまでもない。

はたして、遠くから聞こえてくる除夜の鐘を聞きながら「ざる蕎麦」で頂くことにした。

旨いのなんのって・・・・。

蕎麦にこんなに深い味わいがあるなんて・・・と思わされる素晴らしい出来栄えであった。

かって、「一杯のかけそば」という感動ストーリーが世相を明るくした時期があったが、

妻と蕎麦を啜りながら、泣けてきた。

私の信用金庫人生の仕事ぶりなど、たいしたものではなかったのに、こんなに無骨で粗末な信金マンを退職した今でも温めてくださるお方がいらっしゃるのだ。

こうして、ジンとする年の瀬を過ごし、新しい年は明けた。

と思っていたら、松の内は終わり、もう鏡開きも済んでしまった。

昨年から年跨ぎの選挙も意外な結果で終ってしまった。

注意深く目を凝らすと、色んなことが起こり、時代は猛烈なスピードで過ぎ去っていくものである。

そんな中でも、人の心は不変。

感謝と祈り。

年越しの一杯の十割蕎麦から教えられた。

人の想いの大切さなんである。

 


一枚の年賀状

2015年01月10日 23時57分18秒 | 風竿日記

ここ数年、年賀状を書くのが面倒になっていて、ピークで400枚近く来ていた新年の訪問者が徐々に減っていた。

それはそれで、年もとってきたので、お付き合いを減らす意味からもいいのだが、やはり社会の中で生かされている存在だけに、人様とのご縁は大切にせねばならないと、思い変えて

今年から家内の手伝いもあって、せっせと賀状をしたためることに。

昨年は二年遅れの退任と結婚披露宴を兼ねたパーティを開いて貰ったこともあり、そのお礼も兼ねての発信だったのだが、

やはり、枚数をこなすのには一苦労であった。

そんな賀状シーンだったのだが、それでも、お頂きするメッセージは嬉しいものだ。

多くの賀状に「ブログ、愉しく拝見しています・・・。」の文字が

そういえば、ブログもサボっていて、どうにもこうにも、グータラ振りが頭をもたげている自分に呆れるばかりだったのだ。

感性の衰えを防止する意味でもキーボードに向わねばと思わされた。

そんな中で、怠惰な私にとって実に強烈な一枚があった。

かっての信用金庫の同僚からのもの・・・・。

私より早く信用金庫を去った、かっての代表権のある役員だった男

信用金庫同士の合併という、未曾有の大変な仕事を終えるとサッサと辞めてしまった男

年齢は私より2歳くらい下だったのだが、再就職をしたという話は聞こえてこなく、どうしてるんだろうと思ってはいた。

少し離れた町に住んでいたので、音信不通に陥っていたのだ。

しかし、その文面は精気に溢れたものであった。

なんと、あの歳で佐賀大学農学部の大学院に通っていて、この春には無事に卒業するのだという。

しかも中小企業診断士の資格も取り、事務所登録もするのだと・・・・。

生涯現役で頑張っていきます!と決意表明までなされていた。

ガーンとハンマーで殴られたような衝撃であった。

さすが、かって私が見込んだ男なんである。

マイッタ、マイッタ・・・・。

私も、新しい仕事でクリエイティブに活動はしていたものの、賀状の彼に比べたら、何とも日々の努力において随分と水を開けられたものだ。

63歳、夕暮れが近づいている人生において、それでもなお、朝日の昇り来る夢と希望を失わぬのは、まさに青春の只中にありだ。

相知町に出向いて、爪の垢を頂戴することにしよう。

マイッタ、マイッタ、マイッタ・・・・。