風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

平戸の茂樹と昌樹

2015年06月28日 23時44分04秒 | 風竿の釣り師烈伝

今日は磯釣りの世界で大変お世話になった柴山茂樹さんと昌樹さんのご母堂さまのご逝去に接し、葬儀に参列するために平戸の津吉へ

かって昌樹君が志々伎に居た頃、五島に釣りに行くはずが、時化で船を出せないとなると、ここまでよく飲みに出てきた町であった。

そんな平戸の南

釣りに通った折には、そう感じなかったものの、久しぶりに行くと

いやー遠い遠い。

長男の茂ちゃんとは、宮の浦の丸銀釣りセンターの経営者

ここでしっかりと磯釣りの修行をさせて頂いた、いわば私の道場のような場所。

亡くなったばあちゃんも、いつも釣り宿の店番をなさっていたものだ。奥さんの満子さんとは久しぶりに再会。

長男の久幸君がいい大人になっていて嬉しかった。

宮の浦は、尾上島、高島、中ノ島、頭ケ島、上下阿値賀島、釣り場は全部制覇したほどに通ったものだ。

磯釣りの島の名前をあげただけでも、なつかしさが込みあげてくる。

一方の弟昌樹君は、あじか磯釣りセンターの社長でサムソンホテルの経営もしている働き者。最近は水産会社も立ち上げて陣頭指揮を執っている。

いつ寝ているのだろうかという働き者。瀬渡し船の船長の頃から眠らない男ではあったが、還暦を過ぎ体は大丈夫かと心配になるくらい働きづくめ。

嫁さんのマリ子さんがまた、これに輪をかけた働き者なのだ。

彼の瀬渡し船で渡った五島列島・男女群島は私のホームグラウンド。おそらく500回位は行っているだろうか・・・・。

そして、昌樹君は私の切っても切れない親友なんである。

そんなご縁の深いお二人のお母様も旧知の間柄で、これはどんなに遠かろうと、ご葬儀に参列させて頂かねば仁義を損なうというものなんである。

大勢の参列者の中、厳粛な葬儀は終わり、

私達夫婦は、出棺を見送り、

帰路に付くと家内が「宝亀教会を見たい。」と言い出したので、天気も良いことだしということで、ちょっと立ち寄ることに・・・。

 

 

明治時代に建てられた教会はとても素晴らしいものであった。

その昔一度訪れたことがあったが、狭い道を登っていくと、思わず見とれる素晴らしさなんである。

 

この平戸で一番古い教会の話は、また後ほどすることにして、

お腹も空いていたので、田平の昌樹君のサムソンホテルで何か食べようと寄ってみると・・・・

あの超大型バイキングレストランでは、結婚披露宴が賑々しく開かれていた。

ちょっと私が招かれた結婚式場の中では類をみない素晴らしさ。

帝国ホテルもオークラもハイアットも敵わない素晴らしさである。

実はこの超大型レストランを建てる時に、昼間も稼動するようにウエディングをやったらとアドバイスしていたもの。

そんなことで、佐世保の信金のお取引先のブライダル業者も紹介していたのであった。

紹介の一席で呑んでそんな話が盛り上り、ブライダルがやれるものかテストをしようということで、昨年の9月に再婚して1年以上も経っていた私達夫婦が、テスト披露宴をやることになったのだ。

私も取引先を紹介した手前後には引けなくなったのだった。

ということで、ここの披露宴第一号は、何を隠そう私達実年夫婦なんである。まったく申し訳ない気持ちなのだ。

平戸瀬戸を見下ろす抜群のロケーションのレストランだけに、絶対に流行る筈と云った私の進言は見事に的中

11月など結婚式披露宴が目白押しの大盛況だという。

海側の窓を一枚ものの最大級の特注に換えて、レストランの雰囲気は最高レベルになっていた。

ついでに司会の女性も友人を紹介していて、この日はその彼女がMCで活躍していた。

元々は、海のご縁であった昌樹君との友情、その上で

人がこうして繋がっていくのは嬉しく有難い限り。

この日の花嫁さん、窓越しに撮影させて頂いたが、かなりの美人でございました。

いや、素晴らしい結婚式場だけに、まだまだ人気が上がると思うのである。

 

さて、葬儀の後に結婚式の話で恐縮だが、茂樹さんと昌樹君のお母様は95歳の大往生。

そのお顔は幸せで安らかそのものであった。

改めてご冥福をお祈り申し上げます。

 


ある平戸のおばあさまのこと

2015年06月28日 01時41分12秒 | 風竿の釣り師烈伝

その昔、と云っても二十年までもならないのだが、

私は多少有名な釣り人であった。

狂ったように、月に3度は磯に立っていた。

主戦場は平戸宮の浦、五島列島、果ては男女群島から鹿児島県甑島、大分県の鶴見までも遠征したものだ。

言いようも無い孤独感に苛まれ、磯に逃避行していたのかも知れない。

ターゲットは真鯛・クロ・石鯛・そしてアラ

それなりの大物も仕留めたし、石鯛に至っては軽く300は釣ったであろう。

宮の浦は丸銀釣りセンター、船長の茂ちゃんとは顔馴染みを通り越して友人として今もお付き合いを頂いている。

五島はあじか磯釣りセンター。社長の昌樹ちゃんとは親友付き合いをして頂いている。

昨日、この二人のお母様が亡くなられた。

大正8年のお生まれというから、おん歳95歳の大往生である。

このお母さんは、とても良く出来たお方であった。

釣りに行くと良く声をかけて頂いたものだ。

とても心配性の一面を持っておられたが、普段は腹の据わったまっすぐのお方であった。

お母様から長い手紙を2回ほど貰ったことがある。

内容は個人情報だから遠慮するが、とても神経の細やかな素晴らしい手紙であった。

長男の茂樹、三男の昌樹のことを宜しく頼むとの文面であったが、それだけ私のような者を信頼して頂いていたことが、当時とても嬉しかった。

明日はお葬式に平戸まで行くつもりだ。

津吉の斎場だというから、まだ平戸大橋が架けられる前、フェリーで宮の浦まで初めて行った港のある所である。

そしてドングリウキのような頭をした瀬渡しの親父さんが、旦那さんの銀太郎さんであった。

今頃、早逝されたそのご主人と久しぶりに再会を果たしておられることであろう。

ご冥福をお祈りするばかりである。

 

                      尾形風竿 拝    合掌

 

 

 


五島へ釣行す

2014年07月24日 00時35分58秒 | 風竿の釣り師烈伝

勤務していた信用金庫の年に一度のお客様釣り大会には、時々参加していたが、プライベートで磯釣りに行くなどというのはこの10年無かった。

釣りの仲間から退任をよい機会として磯釣りの熱烈なお誘いを受けていたのだが、

9月6日の退任と結婚披露のパーティを主に釣りの仲間から開いて貰う事もあって、今回はどうしても断りきれず、本当に久しぶりに磯釣りにでかけることになったのである。

上五島小値賀の帆揚は平瀬が今回の釣り場

右側の小さな岩礁に、疲れ切ったおじさんが3人

既に自分の竿は振り回せぬ年齢に達しており、石鯛とイサキ・真鯛を狙って丸一日を、この岩の上で磯竿を振り回すんである。

正面から撮影すると大きな岩礁のようにも見えるが、実際はこんなにちっぽけな岩なんである。

平戸を正午に出発すると1時間半ほどでここに着いた。

真夏ということもあって、磯はガラ空きの状態で、願いが叶い狙いのペイントに上礁することが出来た。

渡船はあじか磯釣りセンターの「SEA WING」

この船は就航して23年ほどにもなるが、何度もエンジンを入れ替え現在は1500馬力と元気一杯の瀬渡し船である。

この船の名付け親は実は尾形風竿、私めなんである。

私は右側の角で竿をだすことにした。

ガンガゼというウニを二個がけにしてポイントとおぼしき場所に投げ込むと初日の午後5時頃、私に待望の石鯛が微笑んでくれた。

47センチ1.8kgの石鯛であった。

石鯛はまぼろしの魚といわれるだけあって、釣行してもボーズが当たり前のような魚であるが、

不思議と私にはよく釣れてくれるんである。

腕というよりかはついているだけなのだが、それでも有難いことだ。

次の日にも午前8時半に43cm1.5kgの二枚目の石鯛が微笑んでくれたのだから、久しぶりの磯釣りにも関わらず自分の強運に感謝せずにはいられなすった、

同礁舎は教祖小田先生とねヒゲのトシしゃん。

私の長い釣り仲間で、もう30年近い友人なのだ、

夜はイサキ狙いと頑張った。

型がイマイチだったものの、まさに入れ食い状態であった。

詳しくはまたいつか話したいと思うが、連日の多忙なスケジュールに追われて今夜はもう疲れきっていますので、寝ます。

今日は早起きしてお客様のクルーザーでまた釣りでした。

明日も佐世保に出かけます。

お客様のゴルフコンペ佐世保南地区信友会がハウステンボスカントリークラブに行くことになっています。

辞めても私のスケジュールは一杯一杯なんであります。

ああ、眠い・・・・・。

 

 


枯れきった川をわたる

2014年07月20日 05時02分44秒 | 風竿の釣り師烈伝

種田山頭火の自由律による俳句に

「枯れきった川をわたる」

という句がある

短いことばではあるが、何とも味わいのある句である。

最近になってこの句の良さが判るようになってきた。

 

人間は中々枯れることが出来ないものであるが、自然の営みの中では、水がたち枯れた、乾ききった川があり、近道でもあるのだろうか、

その川を漂泊の俳人といわれた山頭火がトボトと歩くのである。

わたりながら、その枯れた川と枯れきれぬ自分とを対比しながら、歩いているのであろう。

それは、この岸からあの世へと続く、彼の岸までと続く三途の川なのかも知れない。

 

最近は世俗を離れ、得度出家しようとは思わなくなったが、その昔は禅の世界に憧れ、日曜日の朝は必ず武雄の廣福護国禅寺に参禅したものである。

変わり者といわれていた峰松大雲老師は、いつも日曜参禅会に訪れる若者をとても大切にして下さったものだった。

臨済宗のお寺でありながら、曹洞宗の開祖道元禅師の「正法眼蔵」の輪読書会などもやっていた。

やや、私たちには難解な仏教聖典ではあったが、擦り切れた作務衣に身を包み結跏趺坐での参禅のあとの読書会は、とても素晴らしいものであった。

2年間凛として毎週欠かさずに通ったものであったが、その頃はいつ得度を受けようかと真剣に考えていた時期でもあった。

それだけ私の「業」というものの深さに手こづっていたのかも知れない。

 

磯釣りを始めた頃から次第にお寺に通わなくなった。

大雲和尚から

「尾形は最近来ぬが、何をしておるのか・・・。」

という詰問を受けてはいたのだが、白波砕け散る海の素晴らしさに魅入られた私は二度と参禅会には戻らなかった。

磯釣りに没頭して20年余り、風竿という釣号まで与えられるほどに、五島列島から男女群島まであらゆる磯に立ち尽くしたものであるが、

それもやがて仕事の忙しさにつれて、数年に一度しか行かないようになっていた。

かって、釣り番組の準レギュラーまで務め、月刊誌のエッセイを連載執筆していた磯釣り師尾形風竿は世間から忘れ去られた。

少し時間に余裕の出来た昨今、悪友の誘いを受け、その途絶えていた海に出かける。

今日、五島に石鯛を追って出かけるんである。

 

枯れきった川を渡れるようになるには、まだまだしばらくはかかるようである。

 

 

 

 


雨に濡れても

2013年11月05日 23時51分29秒 | 風竿の釣り師烈伝

一昔というか、二昔も前に

BJトーマスという人が歌った「雨に濡れても」という曲があった。

私が尊敬するバート・バカラックという作曲家の曲だ

原題は「Rain drops falling on my head」という題名だったと思う。

今回の久しぶりの五島は、雨で出迎えてくれた。

石鯛狙いで、今回はどうしても一枚釣り上げたかったので、二本竿

妻のオヤジさんに、どうしても石鯛を献上したかったのだ。

このオヤジさん、昔は自衛隊の司令官をやっていた人なのだが、かって700人の部下を指揮していただけあって、中々の人物なんである。

職業柄、キチッ!とされているのだが、それでいてけして無粋ではないんである。

60にしてゴルフを始めて、シングルになったというだけあって、何か探究心を感じさせる味のあるお方。

28歳で父を失ってからというもの、こんな素晴らしい父にめぐり合うなど思いもよらなかったのでね実に大切にしている。

その人と釣り立ての魚で一杯呑みたかったんである。

石鯛狙いの愛竿プレシオの二投目を襲ったのが、フエフキ鯛であった。

強烈な締め込みを耐えて竿をのされそうになりながらも、何とか釣り上げたのであった。

64センチ、何と4.3キロもあった。

無理して笑っているけれど、重いのなんの・・・・・・。

私は釣りに関しては何かツイているように思う。

一緒に上がった名手の小田先生はからっきしのボウズなのに、

さらに三投目にはまたぞろ、凄いアタリの大物が襲ったのだ。

それがこの肴、青ブダイ72センチ7.4キロ

これは抱えて写真を写す気にもならなかった。

この2尾で12キロにもなるのだから、すっかり息が上がってしまったのは言うまでもない。

この後も、高級アカハタまで釣れてくれたのだが、ついに本命の石鯛は微笑まず、次の日の朝を期待することに・・・・。

夜釣りでは遠投カゴ仕掛けでマダイを狙うことにした。

32センチのイサキを釣り上げて、よし今からという時に雨が本降りになってしまった。

止む気配のない雨に戦意喪失であったが、それでもひるまずに頑張ってみたのだが、アタリは遠のいてしまい、

ついに休憩することに・・・三人でシートをかぶって雨の中の食事タイム

すでに体中に雨が染み込んでいて寒いのなんの

お湯を沸かして食べたカップラーメンが、フランス料理のフルコースにも引けを取らない5星の旨さであった。

雨にズブ濡れになりながらも磯の上でブルーシートに包まって、根性で横になるのだが、プールの中で寝ている状態なので一晩中まんじりとも出来なかった。

期待の翌日は、風が北東に変わり、見る見る間に時化てきた。

釣り座を波が洗うようになったので、敢え無く予定を3時間も早めて回収となった。

一泊二日の釣りは雨と風の所為で、短時間の釣りになってしまった。

また、年内に敵討ちを誓って五島の海を後にしたのだが、雨に濡れてもまた行きたいと思うのが磯釣りの魔力なんである。

ということで、冒頭の歌で締め括ろうか・・・・。

<!-- 雨に濡れても(訳詞付) . -->

 

 

 

 


釣り人のバラッド

2013年11月03日 23時32分29秒 | 風竿の釣り師烈伝

絶海の孤島の荒磯の上での一泊二日の釣行から帰ってきました。

不眠不休の過酷な磯釣りでありました。

不眠不休というよりかは、一晩中雨が降って寝れなかったのでした。

そんなへビィな環境にどうして出かけていくのでしょう。

昨夜は雨にただ濡れながらそのことを考えていました。

大切な公演に夢中の妻に集中させてあげたいとの思いも心の片隅にあったのでしたが・・・・。

白波が怒涛のように砕け散る荒磯の上は、覚悟の上ですから何ともないのですが、一晩中雨ざらしというのは、ちょっとどころではなく辛い。

武雄温泉が大好きな同礁の仲間は・・・しきりに

「こんな雨の日は温泉にゆっくりと浸かって、帰りに綺麗なお姐さんのお店で、一杯呑んでおればヨカとに・・・・・。」

と、降りしきる雨に向って、なんども何度も悔やんでおりました。

それは私とて同じ思いだったのですが、自然のこと、釣り大会という性格上、仕方が無いと諦めつつ長い夜を過ごしました。

若い頃は雪の中を磯で過ごしたこともありますが、いくら寒くても、好きなことをやってる手前、それは自分の責任の上のことと諦めていて、

寧ろ雪の中の釣りの風情を愉しむ

つまりは自然と同化することが出来たように思います。

が、しかし、

歳を重ねると、やはり辛いものは辛い

一晩中、ただ、雨に打たれるがまま、

着ているものはすべて水が沁みてしまい、パンツの中まで・・・・

そんな一夜を明かしたのでした。

 

磯釣りをやらないお方からすれば、はっきりバカです。

それでも磯には未知の世界との遭遇という、とてつもないロマンがあるのですね。

見えない海の中のことをあれこれ思いを巡らして、自分なりの戦略を組み立てて

自分の仕掛け、持参のタックルで攻めるという、男の狩猟本能を呼び覚ます大いなる愉しみがあるのです。

これは男にとっての資質としては、必須条件だと思うのですね。

 

2日正午に平戸のあじか磯釣りセンターを出発、

「Sea Wing」という高速船で上五島を目指しました。

因みにこの船の名前は二十年以上も前にこの船が竣工する時に、私が付けたのでありました。

一時間半で美良島のヘリコプターという瀬に上礁りました。

石鯛狙いの2投目に、とてつもない竿引きのアタリがあり、ファイト

何度も竿をのされるような危機を凌ぎ釣り上げたのは、4.5キロのフエフキ鯛でした。

その後も続けてとてつもない大物が・・・・・

それらのことについては、明日にでもゆっくりとお話しましょう。

とにかく寝てないのと、疲れているのとで、瞼が重い。

今夜はとりあえず体の電気を充電するために、泥のように、ただ只管眠ります。

 

とりあえずこのブログのテーマに沿った、私の大好きな歌をオマケしておきます。


みなさまおやすみなさい。

 


おじさんは荒磯をめざす

2013年11月02日 01時06分02秒 | 風竿の釣り師烈伝

仮にも九州に尾形風竿ありと云われた男

RKBのフィッシュ・アイのレギュラーで、数ある釣り具メーカーのテスターをゴマンとやってもいた。

釣春秋の常任執筆者にして、風竿の釣り師烈伝は多くの読者層を誇っていた。

見知らぬ街を歩いていても、

「おっ風竿さんやないねぇー・・・・。」

とよく声をかけて貰ったものである。

それが、いつの間にか、疲れ切った初老のオヤジになり下がってしまっていたのだ。

もともとグータラで怠惰な性格であるからして、筋肉も次第に弛緩しておるのである。

  

まあ、週をあけずに磯通いをしていた釣り極道時代のようにはいかぬのだが、

せめて一年に数回くらいは、荒涼とした白波が砕け散る荒磯に出かけねばなるまいと思ってはいたものの、

中々願いが叶わずにいたのも事実。

土・日ごとに何かの行事が入って釣行が出来ず、

また出来るときは天気が優れずといったことが続くうちに、

次第に荒磯から遠ざかっていたのが真実なのだ。

そこで今年のわが信用金庫主催の五島列島釣り大会には、万障繰り合わせていたんである。

 

いつものように、石鯛と夜はマダイを狙うことにした。

昔は、夜はアラ狙いときめていたのだが、道具が大変なうえに、足元が頼りないからである。

どこにあがろうか・・・・。籤引きではあるけれど、底物のポイントは限られていることから、やはり潮通しの良い場所に上がりたいのが本音。

まあ、すべては籤と船頭さん次第ということになるのだが、いい磯に上がりたいので、仕切りと色目を使って哀願するのである。

これも釣りの駆け引きの常套手段なのだ。

釣り大会は瀬上がりの順番通りに従わねばならないのだが、それでもやはりいい磯、仕方もない磯というのがあるものだ。

明日はどこに上礁しているのだろう。

天気は途中で一雨くるらしい・・・・。

荒磯の瀬の上で一晩を明かすのだから、雨はこたえるものだ。

出来れば平穏な天気であって欲しいもの・・・・。

何しろ久しぶりなのだからね。

       

明日の準備をちゃんと終えた。

仕掛けも作った。

毎週磯通いしていた頃であっても、修学旅行の前日のように眠れなかったものだが、そんな高ぶりは感じないのがCool

私の愛竿プレシオ石鯛の写真をご披露して、ベッドに潜り込むことにしよう。

デカバンの石鯛をヒットさせた夢を見ながら・・・・・

おやすみなさい。

 

 

 

 

 


あじかのまさき

2013年07月28日 23時49分45秒 | 風竿の釣り師烈伝

柴山昌樹君がいよいよ還暦を迎えた。

あのあじか磯釣りセンターの社長にして、潮風のスパリゾートサムソンホテルの社長という男

韓国企業のサムソンとは一切なんの関係もないのだが、よくあのホテルは韓国企業なのですよね・・・・。

と聞かれることが多いのだが、いやいや彼の所有する男女群島行きの高速瀬渡し船の名前から付けただけの話なんである。

昭和60年頃からの付き合いだから、もうかれこれ30年近くにもなるのだろうか・・・・。

武雄サンデー倶楽部との交流から、武雄市のセンチュリーホテルで祝賀会が行われることになったのだ。

私は、実はこのイベントの言い出しっぺなのだ。

実行委員会にはあまり参加できなかったのだけれど、発起人の一人に加えられていた。

吉原会長の下、ありがたいことに<みんながよく準備をしてくれていた。

かって私が釣春秋に書きまくった、家元ヒロちゃん、アンパンマン水口さん、ウツボ杉光兄貴、ヤッタル藤岡ちゃん、

境短竿、黒岩藤竿、コンビ二のり坊、教祖小田、アヒル中島、娯楽石鯛クラブの面々など、地元勢が集結していた。

そして、遠くからも懐かしい顔ぶれがひしめきあっていた。

釣春秋の川藤社長は勿論、川辺会長、河野編集長、今は九州磯釣連盟の会長となられた牛島さん、熊本の田中長久さん、伊万里の川原会長、木須釣具さん、もう数え切れない方々が、

「おい風竿、どげんしよったとや・・・・。最近会わんねぇ。」

なんである。

男女群島や五島列島の名磯の名前がつけられたテーブルに集う160名の釣り人の熱気で異様な雰囲気の中

僕達のバンドはいつものようにビートルズナンバーを演奏して高らかに唄ったのだ。

演歌がお似合いの釣り人の世界だと思ったが、それがあにはからん哉、大うけしてしまったのであった。

司会はこれまたRKBのフィッシュアイのリポーターを長くやっていた、あの元気印の永田裕美子なんである。

彼女も縁あって今は武雄市で大活躍している。

そんな懐かしい顔ぶれに囲まれて我が親友柴山昌樹は満面の笑顔であった。

「あじかのまさき」も初老を迎えて顔つきが穏やかになってきたという人もいるが、長い間、板子一枚下は地獄の世界で生きてきた海の男が還暦くらいでおとなしくなるはずは無いんである。

僕らは最後に「抱きしめたい」を熱唱したのであった。

 会場ではみなちゃんことアンパンマン水口氏も

 

 素晴らしいたくさんの仲間に囲まれて「あじかのまさき」も満足の夜だったに違いない。

それはまさに、そのまま彼の人生の縮図でもあった。

昌樹ちゃん還暦おめでとう。

これからも老け込まずにお互いに頑張りましょう。

 


窓の下には海をご用意しました・・・平戸たびら温泉サムソンホテル

2012年06月05日 21時13分00秒 | 風竿の釣り師烈伝

その昔、といっても10年ほど前までは私は釣り人であった。

平戸・五島列島・男女群島と荒磯を駆け巡ったものだった。

尾形風竿のペンネームで月刊誌に12年ほど連載のエッセイを書いたりもしていた関係で、RKBテレビの「フィッシュ・アイ」という番組にも準レギュラー出演したりもしていた。

5社ほどからフィールドテスターとして契約していた。

そんな関係から、釣り竿、ハリス、針、ウキ、ウエアに至るまで、全部新品が届けられていたんである。

半分プロみたいな釣師をやっていた。

そんな釣りキチの日々の中で、一番気脈が通じたのがこの男

「あじか磯釣りセンター」の柴山昌樹

高速船を7艘も有し、平戸・五島・男女群島に釣り人を運んでくれる

文字通り日本一の瀬渡し船の社長なんである。

その彼が、このほどサムソンホテル新館をオープンさせた。

武雄からも「武雄サンデー倶楽部」のちょっと危ないオジサン達が招待されたのであった。

一昔前は、九州磯釣連盟に「武雄サンデー倶楽部」ありと恐れられた危険な核弾頭の面々も、すっかりじいさんになってしまった。

それでも、柴山昌樹が一声かけると行かぬ訳にはまいらぬ。

なぜなら、俺たちは海の男なんである。

板戸一枚、下は地獄の荒波を超えてきた海の仲間

「切っても切れない男の世界」なんである。

オープン祝賀会は400人を超える人が駆けつけていた

 

 

さてさて、サムソンホテル新館は全28室がすべてオーシャンビューという素晴らしさ。

なんとも美しい建物ではある。

武雄市内の建設会社が施工されたご縁も・・・・。

最上階に展望デッキがあり、そこからの絶景スナップをご披露しよう。

ホテルの下の公園も整備されている。

元々は国民宿舎があったところ。

これが平戸瀬戸・・・・。フーッとため息が出てしまう。

こんな絶景を見下ろしながら、休日を優雅にすごせたら

いいよねぇー。

「窓の下には海をご用意しました・・・・。」

というキャッチコピーが似合う絶景なんである。

あの北村尚志さんにイメソンを作ってもらったらいいだろうに・・・・。

いい唄ができるだろうに・・・・。

広くてオーシャンビューなデッキ・テラスでは、太鼓のパフォーマンスも繰り広げられた。

夏はビアガーデンもやるのだと・・・・・。

ここでThe WestWindsも演奏することになりました。

メンバー全員張り切っています。

右から丸銀の茂ちゃん。昌樹くん、マリ子奥様、秀樹ちゃん。

皆さん、是非平戸のオーシャンリゾート、サムソンホテルにお出で下さい。

風竿の超オススメ・リゾート

極上の海が皆さんをお迎えします。

 


おじさんは荒野をめざす

2012年03月15日 23時59分59秒 | 風竿の釣り師烈伝

かって呼子沖磯・平戸島・五島列島・男女群島・甑島・大分の鶴見と荒磯を駆け抜けてきた。

磯釣り師、尾形風竿

業界のテスターも数社と契約していて半分プロの釣り師のようなかかわり

RKBをキーステーションとしてほか9局ネットの良質の釣り番組「フィッシュ・アイ」では

準レギュラーとして頻繁に出演させていただき、海外ロケも経験した。

そんな釣り師人生の中でも、男女群島はやはり別格

五島列島の福江島からさらに南西に100キロの絶海の孤島

そこには私が最もファイティングスピリッツをかき立てられる石鯛が数多く生息しているんである。

そして、4月になれば乗っ込みの石鯛が磯際に産卵にやってくるベストシーズンなんである。

ここ数年、仕事と家事に追われて磯釣りからは遠ざかっていた私なのだが、

あるライバル釣り師から挑戦状を叩きつけられた。

かったるい安穏とした日常の中で、すっかり牙をもがれ

かって荒野のライオンと称された凄腕の釣り師、尾形風竿氏は猫になってしまった

・・・・と強烈に揶揄されたんである。

「よーし、判った。そこまで云うんなら、行ってやろうじゃないの・・・。」

かくして4月に男女群島に見参することに

石鯛くん・・・・覚悟