風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

Tear Drops Moon

2013年03月31日 23時59分59秒 | 風竿日記

いい春の宵、街に出た。

そして久しぶりに愉しい酒を呑んだ。

肴は「音楽」の話である。

この話で気脈の通じるお方と呑む酒ほど旨いものはない。

つまらない場末の音楽を嗜んでいる私ではあるが、

表現者としての方向性と感性、そしてささやかな体験と音楽に対する敬虔な想いはまったく同じなんである。

相手はクラシックのピアニスト

私はといえば、しがないポップスバンドをやってる男なのだが、

ドキリとするほど相通じるものがあった。

浴びるほど豊穣の美酒に酔い、かつ口泡を飛ばして話した。

いい春の夜、送って行きながら桜の満開の下で、また話した。

家に帰り着いて、まだ全然、話したり無い想いなのである。

窓をあけていつものように夜空を仰いだ。

そこには名前もよく知らない山の上に、大きな涙型の月がほっこり出ていた。

写真では上手く撮れなかったけれど、Tear drops moonである。

溢れんばかりの涙を溜めた月が輝いていた。

この涙は、まさしく嬉し泣きなんである。

人生は判り合える、価値観を共有できる出会いこそ、音叉が共鳴を始め、深められていくものだということが身に沁みた、三月最後の日。

少し肌寒いものの、心はほっかりとした夜。

それは、愉しく嬉しく胸が熱くなり、そして贅沢な夜でもあった。

 

 

 

 

 


魔法の黄色い靴

2013年03月30日 23時59分59秒 | 風竿の音楽夜話

かって福岡市天神のフォーク喫茶「照和」に出入りしていた頃、

チューリップは一番人気であった。

財津さんを始めとして宗田さん、末広さん、吉田さんのハーモニーはずば抜けて素晴らしく、

「ママがパパを愛したように」とか「ええとこのこのバラッド」とか

「白い雪そんな雪が私は好き」などと素晴らしいオリジナルは学生の間でひそかに歌われていたものだった。

彼らは自費制作のコンパクトLP・・・・4曲入りのものを当時こう呼んだ。

をKBCのプロデューサー岸川さんの力を借りて、世に出してからは、プロ志向の財津さんに引っ張られて、「私の小さな人生/こけっかきの棲む沼」というシングル盤でメジャーデビューを果たしたものの、

すぐに博多に帰ってきたのであった。

その頃、KBCのラジオ番組「歌え若者」や、テレビの「パンチヤング福岡」でチューリップと一緒に出たこともあったのだから、地下の水脈では相通じるところもあるのだ。

それからは、当時ライラックというサイモンとガーファンクルのコピーをやっていた姫野君と・・・・、

武田鉄矢率いる海援隊から、ドラマーの上田さんを引き抜いて

ハーズメンというウエスタン系のバンドでリードギターを弾いていた安部君を引き連れて

再度上京して東芝EMIから「魔法の黄色い靴」というファーストアルバムを出したのである。

 

そのアルバムに影響を受けたのが、当時高校生だった北村尚志君

故に、彼の音楽活動の原点はチューリップなのだ。

彼らのバンド名はこの魔法の黄色い靴からきている。


その「イエローマジカルシューズ」のライブが酒蔵ツーリズム運動で盛り上がっている肥前浜宿の酒蔵跡のホールで開催された。

私もチューリップは大好物であるので、ちょっくら出かけることに・・・

彼らも50歳という大台に乗り、人生の悲哀も、人の有難さも身に沁みる年代に差し掛かった。

そんな中で音楽の原点を忘れてはならじと、今回5年ぶりにこのバンドを再結成したのだという。


この古い画像のドラムにBAD BOYSのものが・・・・だとするとリッキーさんはこの時チューリップと共演していたことになる。

 

「心の旅」から始まって、私の好きな「ハーモニー」

そして「僕のお嫁さん」、「夕陽を追いかけて」など懐かしい曲が目白押しの素晴らしいライブパフォーマンスであった。

アンコールの「私のアイドル」「夢中さ君に」は若い頃私もバンドでやっていた曲なので、思わず口ずさんでしまった。

北村尚志君はこの日燃え尽きると宣言していたが、どの曲にも相当の想い入れがあったようで、全力で歌うその姿はとても好感がもてた。

彼のオリジナルにも多少影響を与えたと思われる「博多っこ純情」の歌唱力は鳥肌ものだったことを付け加えておかねばなるまい。

いゃー、いいライブでした。

ではその「魔法の黄色い靴」を・・・・

この曲を作った時財津さんは確か「魔法の黄色靴」といっていたような気がするのだが・・・・。

今となっては古い話であんまし覚えていない・・・・。

その頃から音楽活動を始めた北村尚志・・・恐るべしである。

彼がパーソナリティーを務めるFM佐賀の月曜日の人気番組19BOX あの日の忘れ物」では、今度の月曜日4月1日ビートルズ特集をするのだという。

月曜日3時から・・・FMの前で仕事をすることになりそうである。

 <!-- 恋人への手紙 -->

 


博多キャバーンビートで会いましょう

2013年03月27日 23時59分21秒 | 風竿日記

29日金曜日は夜8時から福岡市清川の博多キャバーンビートで、ビートルズトリビュートバンド

The AppleBeats のワンマンライブがございます。

ここ、キャバーンビートのオーナー町田さんはとてもステキなお方。

温泉deビートルズ音楽祭での有難いご縁からの経緯があります。

武雄市で開催されているその「温泉deビートルズ音楽祭」の宣伝を兼ねてやりますが、

博多はさすがに、人脈が薄く、お客様の動員にかなり、苦労しております。

演奏するのはいいのですが、やっぱしお客様がいない中でやるのは、

ちと辛いものがございます。

佐賀では満席の中で、愉しく演奏できましたが、今回は・・・苦戦

福岡市近郊の皆様、おギリでも何でも構いません、どうか遊びにおいで下さいませ。

・・・・と、頼むのも実は気が引けることではございます。

それでもやっぱりビートルズが好きだから仕方がない。

そしてこんなライブハウスを営業された町田さんのお役にも立ちたいし・・・・。

音楽は聴くのもよいけど、演るもんだと思っている私たち。

ビートルズ現役の頃からのファンとして、どうしてもバンドで表現したいことがあるのです。

さて、今回はGeorge が恋人のために捧げた曲「Something」を久しぶりに歌います。

また、難しいコーラスの曲、「Yes it is」も何とか仕上げました。

そして大好きな「Any time at all」 もキャバーンでは初披露

牛歩の歩みではありますが、レパートリーも50曲ほどに増えました。

ともあれ、金曜の夜はぜひ、博多キャバーンビートにおいで下さいませ。

The AppleBeats 一同、心よりお待ち申し上げております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


私が死んだら・・・

2013年03月26日 23時24分24秒 | 風竿日記

ギリでいいですから線香一本上げて下さい。

そして、「バカな男がいたもんだ・・・。」と呟いて下さい。

「あんまし世間さまのお役にも立たなかったし、箸にも棒にもかからなかったよね・・・・。」と笑ってやって下さい。

「そういえば、どこか淋しがり屋だったのか、良く酒を呑んでいたな。」と憐れんで頂いても全然OKです。

「生きたいように生きて、もはや悔いはあるまい・・・。」と半ば呆れて貰っても構いません。

「お付き合いと称してあいつは、いつも呑んだくれていたもんね・・・。」って酒の肴にしてくれてもいいです。

「下手なピアノで自己満足の歌を唄っておったよね・・・。」と笑ってやって下さい。

「そう云えば、仕事にはセルフモチベーションを刺激することが一番大切だなんて、えらい拘ってたよね。」・・・と同僚のみなさんから言われたらウレピイ

 

ただ、夕方、風が吹いてきた時に、それが気持ちよく頬をかすめていく時に、

「あいつはバカな男だったけれど、いつも純粋ではあったよね。」とフッと思い出してくれたら・・・・

それはもう、最高の生き方であると思うんですね。

 

いゃ、まだ死にませんけど・・・・

死ねませんけれど・・・・。

 

 


ブログ開設4年目の春

2013年03月25日 23時59分59秒 | 風竿日記

平成9年の3月26日、何をとち狂ったのか、私はブログという情報発信手段を手に入れた。

それから丸4年の歳月が流れたことになる。

思えば深夜、パソコンに向かいて、徒然なることを、そこはかとなく、書き連ねてきたものである。

半分目を擦りながら、言葉に神経を尖らせて、いわば自分史ともいえる日記を書いてきただけのことであるのだ。

ただそれだけのことなのだが、

多少は世の中を観る目が変わってきたなら、さあお立ち会いである。

外に向う日記であるので、あまり否定的なことは描かないのだが、これはこれで、プラス思考の訓練くらいになったかも知れない。

人様の悪口は恐らく書いたことはないだろうと思う。

その日に感じたことを感じたままに書き続けてきたにすぎないが、元来飽きっぽい性格の私が、よくぞ・・・と思う。

写真のアングルも、一工夫するようになった。

置きにいく写真ではなく、一歩前に出て対象をデフォルメ化するようになった。

これも思わぬブログの効用であるかも知れない。

そして、アクセスである。

最近アクセス数には、とんと興味を失っていたが、1,506千もの累計アクセスが記録されていた。

この数字は色んな意味から、実に重い。

弁証法でも証明されているように、量は質への転化を来たすのであるならば、書き続けることが、ただそれだけが大切なのかも知れないとも思う。

 

全国にgooのブログを愛好されている輩は180万人もいるのだが、その中でランキングはかなり上位に位置させて頂いている。

「ゲーノージン」でもあるまいに、ただの田舎の無骨者にしては出来すぎたことであろう。

仕事のこと、経済のこと、政治のこと、友達のこと、趣味の音楽のこと、ゴルフのこと、本のこと

書くには困らなかったけれど、

つまらないと思われる人生も、目の前の森羅万象にちょっと注意を払っていれば、意外にも真理が無造作に転がっているものだと気付かされている。

そしてその一つひとつの現象が、光り輝いて見えてくるのである。

 

いつも、記念日には、ブログの手ほどきをして頂いた皆様に感謝の意を表すことにしている。

背中を押してくれた北村尚志さま、編集のテクニックを教えてくれたINPUTの山下光男さま。

先達として私の拙いブログを応援してくださった、タケタク先生、山閑人のママさん。

ことあるごとに私を紹介してくれ、武雄市にブログ文化をもたらした樋渡市長さま。

そして毎日私のつまらない、幼稚なブログに遊びに来て頂いた皆様

心より、感謝申し上げます。

5年目に向けて、ちっとはマシなブログが書けるように、感性を磨きつつ精進したいと思っております。

今後ともどうぞ、よろしくお願いいたします・・・・。

ところで、私のささやかなブログ記念日を祝うかのように、街中に桜が満開なのであります。

今年はどうしたことか・・・・。

春がいっぱい。

何かいいことがありそうな予感がします。

 

 


昔聴いた、いい歌

2013年03月23日 19時06分51秒 | 風竿日記

もう過ぎ去った昔のことをいくら思い出しても、歴史が塗り替えられる訳ではありません。

それは人は、通ってきた道を引き返せないということでしょうが、音楽では簡単にタイムスリップしてしまえるから素晴らしい。

  

今は砂の中に埋まってしまったけれど、

1968年に、こんなステキな音楽がありました。

 


 

「Traces of love」 という曲

 

 traceは複製するという意味の他に、辿る・追跡するという意味があり

 

ここでは痕跡という意味で使われているようで

 

つまりは「愛の傷跡」とでも訳すればよいのでしょうか・・・・。

 

約半世紀も前の曲ですが、深みがあってとても良い曲ですね。

このあじさんのYoutubeもなかなか秀逸でしたので、ご紹介します

<!-- .Traces Dennis Yost Classics IV Cover . -->

 

 

ラジオから流れてくるポピュラー音楽を何でも吸収しようと、必死になって聴いていたあの頃

     

 

 

 

Oldies is Good days でございます。

中学生の頃に9500万人のポピュラーリクエストというラジオ番組がありましたが、その毎週のランキングをノートに描き止めていたのを懐かしく思い出します。

小島正雄さんというパーソナリティーでした。

その番組はあとで、オールジャパンポップス20に変わったのでした。

以下はその年度ごとのナンバーワンリクエストソング

ああ、なつかしい・・・・。

 

オール・ジャパン・ポップ20」時代(1985年は「ALL JAPAN TOP20」)

 

 

 


幸せの青い鳥

2013年03月23日 02時39分30秒 | 風竿日記

どうも最近いかんのである。

精神的に余裕が無いというか、孤独感に苛まれるというか・・・

一体どうしてしまったのだろう。

いい大人が、嵐の中に航海に出て、不安定な船の中でもがいているような、そんな気分である。

いかんいかんいかん

こんなことは、今までになかった。

  

少しのお酒に、妙に酔ってしまい、

夜中に喉が渇いて目覚め、日課のブログを忘れていたことに気付いて

深夜だというのに、PCに向っている。

どうも自分が自分でないような、そんな状態

   

ここは、精神安定剤を・・・・ということで、

浮かんだのが、この曲


たまたま居酒屋で居合わせた、無責任な部下を叱ってしまうし、

またそれで、自分も落ち込んでしまうし・・・・

こんなことでは・・・・、

幸せを運ぶといわれる青い鳥が逃げていくんである。

青はMy Favorite Color

この色を見れば、不思議と心が落ち着く

早く我が家の庭先に、青い鳥が帰ってくるように

心を落ち着かせて、泰然自若に振舞わねばなるまい。

明日目が覚めたら、青い鳥の囀りに耳を傾けることが出来ているように、今夜はぐっすりとやすもう。

まあ、時にはこんなこともあっていい。

人間だものね。

 

 

 

 


Something

2013年03月21日 23時41分05秒 | 風竿日記

何を書くのか、外に向う日記ともいえるこのブログ

すべてのスケジュールを終えて、風呂に入り、髪を乾かしてパソコンの前に座るまで、大概何も考えてはいないことが多い。

では、どうしてこんなにブログを書き続けたのか・・・・・。

それはちょっとした何か・・・

これが見つかると、案外スラスラと書けてしまうんである。

Something little bit

これですね。ちょっとした何かが書くモチベーションの原動力

ここからどんどん発展して、やがては自分でも予想しなかった展開になることがしばしば・・・・。

語彙というか、はたまたボキャブラリーというか

頭の訓練にはなっているのだと思うが、さてどうだろう。

このちょっとした何かが見つけられるうちは、まだまだ発展途上人だと信じて、一種の修行ともいえる日課のブログに向うこと実にもう4年

飽きっぽい性格だと思っていた自分に、自分で驚いている。

人間は、実は、一番身近な自分のことが良く判っていないのかも知れないとも思えてくるではないか。

この3月26日が私のブログ記念日

今年もその日が近づいてきたのだが、私にとってささやかながらも、大切にしたいメモリアルデイなのである。

ということで、サムシングというお題で、くだらぬ文章を書き殴ってしまったけれど、実はGeorge Harrisonのこの曲を聴きたかったのでした。


ジョージ・ハリソンが亡くなってもう12年が経とうとしているけれど、さすがにビートルズの一員ですね。亡くなってもその存在感は益々光り輝いている。

そして、とてもいい曲です。The AppleBeatsでもレパートリーにしていますが、中々この味は出せません。

Somethings が足らないのでしょうか・・・・。

隠し味というか・・・料理も、音楽も、人生すらも、この「ちょっとした何か」で大きく違ってくるものなのだ・・・・・。

そしてそれは、ちょっと大袈裟に云えば、「愛」なのではなかろうかと思ったりしている。

 

 

 

 

 

 


岩手県大槌町からのお客様

2013年03月20日 23時59分41秒 | 風竿日記

佐賀県企業対抗ゴルフ大会は九州ひぜん信用金庫が並み居る県内企業200人の参加者を抑えて、堂々の二年連続準優勝を飾ってきたのでしたが、今年は5位内にも入りませんでした。

残念・・・・・。

夜の7時からは、Facebook交流会に出席

おもやいカフェの時間では、岩手県大槌町からのお客様

震災でお世話になった方々に、感謝の気持ちを伝えたくて、キャンピングカーで全国を行脚している若者、古館さんが来武され、大槌町の生の情報をお話になりました。

大槌町はNHKで一世を風靡した井上ひさし原作の人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルとされる島がある町。

震災の爪あとはここも酷く、心が痛みました。

古館さんは、全国行脚の道すがら地元の特産品を販売されていて、私も少しだけお付き合いして塩ワカメを買い求めました。

復興とは心の復興をいみするのだと力説する古館さんに共感を覚えたからに他なりませんが、

やはり地元のお方の生の声は説得力があります。

30名ほどの皆さんが次々と質問攻めに・・・・・。

私は、黙って聞いているばかり・・・。

珍しく小心者の風竿先生だったのであります。

そんな・・・・軽々しく聞けないというのが実のところ・・・・。

だって未曾有の大災害なんですものね。

だから、ちょっと震災の内容については書けません。

 

写真はすべて町のHPからお借りしました。町の中心部は壊滅状態、これが何よりも震災の凄まじさを語っています。

もう皆さんがよく御存知のとおりで、あってはならないことが同じ日本の国で起こったのですからね・・・・・。

昔からよく知っている吉田君のコーディネートのようでしたが、

古館さんが元気よく、にこやかにお話されたのが何よりの救いでした。

Facebookの輪がこんな形で広がっていくことはとても素晴らしいことだと思いつつ、会場のひだまりOKKO堂を後にしました。

いつも頑張っている矢野オッコさん、どうもありがとうございました。感謝

 


ただ、水が流れるがごとく

2013年03月19日 23時59分59秒 | 風竿日記

17日日曜日は、佐賀市の雷神というライブバーでビートルズバンドのライブをやらせて頂きました。

店内は満員の大盛況。ありがたいことでした。

声がガラガラでしたが、何とか30曲あまりを歌いました。

佐賀市内の友人にお知らせしていましたが、殆どの皆さんが駆けつけて頂き、オヤジバンドで恥ずかしながらも愉しくライブが出来ました。

心から、感謝に耐えません・・・・・。

音楽は本当に愉しいものです。

しかも一人より二人、二人より三人、三人より四人の方が楽しみが増えていきます。

そして四人の息がピタリと合った時に、背筋に戦慄が走るのです。

和音とアンサンブルの妙とでもいうのでしょうか・・・。

 

そして、18日月曜日は母の祥月命日でありました。

母が逝ってもう数え切れない時が経ちましたが、齢を重ねる度にその数少ない記憶は、益々鮮明になっていきます。

少し気恥かしい記憶ですが、私は耳掻きが大好きなのです。

それは母の膝の上に頭を寝せて、昔の黒い鬢止めの丸い部分で母が耳掻きをしてくれていたからなのでしょうか。

とても心地よく、今でも耳掻きをすると母の思い出がすぐに甦ります。

呼び合う魂とでもいうのでしょうか。

母は遠い黄泉の国から、今でも私に信号を送り続けてくれているような気がしてなりません。

もう没後53年が経ったのに・・・・。

白いフリージャを墓前に供えて母の冥福を静かに祈りました。

最近は少しづつ枯れてきたのか、あまり欲がなくなってきました。

食欲と音楽に対する想いはそこそこなのですが、その他の欲はかってのほどではありません。

行雲流水・・・・ただ、水の流れるが如く、まわりから苦にもされずに生きていかねばと思わされています。

たとえチョロチョロと流れる水でも、一滴の水は大河の一滴であります。

遠いところにいる母の命日に、ひそかにそう打電しました。

今日は生憎の雨ですが、これから佐賀県企業対抗ゴルフコンペに出かけるところです。

足を引っ張らぬように頑張ってまいります。

いいスコアで回りたいなあ・・・・とつい・・・、あらら欲が出てる。