見えない世界のことを書くと・・・
当然ながらじぶんの前で起きていることしか信じない皆様には、信じられないことなので、ヒンシュクを買うのであろう。
だから実際に起きたことのみ、出来るだけ客観的に書くことに留めたいと思う。
無論、私は普通の宗教観を持っている。
特段敬虔な仏教徒という訳でもなく、かといってクリスチャンでもなければ、神道に通じている訳でもない。
父・母の命日には手を合わせ、節目の時には神社にお参りもするというどこにでも居る日本人であるつもりだ。
それは昨年の9月、愛犬レオンの尿道付近が妙に腫れているのに気付いたことから始まった。
かかりつけの信頼している動物病院に診て貰うと、精巣に癌が出来ているというので、音楽イベントをやっているさなかに摘出手術をして貰うことになった。
手術の日は完全看護の病院に泊まらせ、二日目の夜はいつものように我が家のベッドで一緒に寝ることとなったが、老犬故に痛み止めは処方しないというのである。
体を切り刻まれた愛犬は、断末魔のような唸り声をあげて、本当に目から涙を流して痛がっていたのだった。
病院に泊まっていた昨夜も苦しかったに相違ない。鳴く声がもう枯れているくらいなのだ。
赤子をあやすように抱きかかえて、何とか傷みを和らげようとするのだが、一向に泣き止む気配もないまま、途方にくれていた。
あんまり苦しがるので、万策尽きた私は、ふとコスモライト石橋の石橋与志男先生のことを思い出したのであった。
一、二度お会いしたご縁があり、奥様のマリアさんともフェイスブックで繋がっていたので、夜中ではあったが、思い余ってSOSのメッセージを送信したのである。
運良く先生はまだ起きてられ、遠隔治療を施して頂いた。
愛犬の様子を写真に撮ってメールで送ったのみである。
何度か状態の説明をして、必死でメールに集中していたが、しばらくの後、
「もういいでしょう。レオンちゃんは今どうですか?」
と聞かれたので、ベッドの上の愛犬を確認すると・・・・
あんなに苦痛でのたうち回っていたレオンは、安心した時にのみ見せるお腹を天井に向けて、スースーと寝息を立てて寝ていたのである。
ちょっとこれには思わず絶句して、私は地獄に仏を見た思いであった。
それから一年、今度は8月のお盆過ぎに、急に水も食事も摂らないようになった。
石橋先生に診てもらうと、癌ではないよ。でも臓器が腫れている。との診たてであった。
念のため信頼している病院に連れて行くと、膵臓の付近が怪しいという。レントゲンとエコー検査の結果では脾臓か膵臓が炎症を起こしている公算が大きく、山口大学の動物医療センターでのMRIによる精密検査を勧められた。
そこで病院からの紹介状を頼りに山口まで往復700キロをかけて精密検査に出向くと
脾臓が以上に腫れていて9割がた癌に侵されているという診断であった。
その場で手術して摘出した方が良いということで、一週間後に再び山口まで出向くことになった。
手術の当日は午前3時に家を出て、暗い気持ちで長距離を走ったのであった。
もう関門海峡を渡って帰れないかも判らぬと不安な気持ちで一杯であった。
朝一番にレオンを預けて手術の終るのを車の中で待つのだが、何と順番もあって、手術が終ったのは夜の10時であった。
モルヒネまで打たれ、麻酔がまだ覚めやらぬレオンは弛緩していて舌はダラリと出たままのヘロへロ状態であった。
手術の結果をドクターは淡々と事務的に告げ、レオンはそれから9日間も私達の手の届かない病院のゲージの中に隔離されてしまったのであった。
レオンの状態が判らないまま、最後に見たあのヘロへロ状態が頭から離れずにいると・・・・
心配して下さっていた石橋先生から1通のメールが入った。
先生ご夫妻は何とイタリアに旅行中なのに!である。
「手術は成功した。もう大丈夫、安心しなさい。」
という内容に胸を撫で下ろしたのである。
そして退院の日を無事に迎え、ドクターの所見を伺うと・・・
生検の結果は脾臓の腫れは癌ではなかったことを告げられた。ただ炎症が膵臓を圧迫していて食事が獲れなかったらしい。
「癌はないよ・・・。」
と云われた石橋先生の診立てを思い出した。
脾臓は免疫を支える臓器だけにとらないで済むならそれに越したことは無かったのだった。
同時に石橋先生の云うことの正しさを痛感したのだった。
この世には見えない力というものが存在するのだ。
その昔、私も色んな勉強をしてきたつもりであった。
中村天風先生の丹田呼吸法、静座、
森信三先生の哲学的思考法
石橋先生はいつ修行されたのか、それらの素養をすべて身に就けておられる。
そして人の脳の中まですべて見通す力を持っておられる。
続く・・・・。