さて、Dear Johnの玄関前のコンクリートの隙間から美しい花を咲かせられた天地創造の神は、
若い数人の使徒をこの武雄にお遣わしになり、
「ゴスペルとフラダンス・ライブ」という集いを催し、罪深き私たちに、しばしの安息の機会をお与えになったのでした。
そこに紛れ込んだのが・・・・、
ジャズを唄っている割には根っからのの仏教人で、つい先日も長崎と佐世保のお墓参りを済ませ、先祖から浄化されてきたばかりのMaiko女史、
真夏だというのに鳥打ち帽を目深に被って、「新興宗教じゃねーか・・・」といぶかしがる某ケーブル・ワンのM君、
本来まったくもって無宗教人の見本のような、汗臭いS君、
そしてお盆もクリスマスも、いい酒盛りの機会と思っている私
私なんぞは、この日大切な会合が20時から始まるために、時間潰しのコーヒーブレイクに立ち寄ったという偶然・・・いや神様がお導きになったのかも・・・・。
ゴスペル・・・というからには、あのビア樽みたいな体躯の黒人女性が、声をはりあげて歌う・・・あれかと思っていたのだが、
そこには僕たちのバンド編成に似たコンボバンドが勢ぞろいしていて、神をテーマにした曲を次々と披露するのである。
見た所普通の若者、そして演奏もまずまず上手いんである。
ドラム・・・香港生まれのオーストラリア人グレン君、中々いい奴なんです。
曲の間には、これまた本格的なハワイ仕込みのフラダンスが披露されたりと、キリスト教の宣教師の方々の主催にしては随分とリラックスムード一杯なんである。
フラダンスのお二人は、何と和歌山から20時間かけて車で来たというのだ・・・・。信ずる神の為に・・・。
福引抽選会まであって、ちょっとしたお菓子が当ったりすると、みんなとても嬉しそう・・・・。
集まっている若者もみんな優しくとても礼儀良く、よく挨拶もして、いい人ばかりの印象なんであった。
よくよく話を聞いてみると、彼らは「プロテスタント」だという。
何い・・・・・。
1500年頃のドイツの、あのマルティン・ルターの宗教改革の流れを汲むという、あの新教グループなのかと・・・興味津々の私。
カトリック教徒との違いを色々と尋ね漁ると、徐々にその水脈の違いが鮮明になってきた。
「元々はイエス・キリストはんが始められたんでしょう。 そいがどしてこんなになってしまうとやろうかねぇ・・・。」といじわるな質問
「教会を持って、その維持に献金を母体とするのがカトリックだけど、僕らは自分達の居るところが教会なんです。」との返答
そういえば仏教もすっかりセレモニー化して、儀式によってメニュー料金が無いようで・・・実はしっかりとある世界になってしまっているしなぁと考えさせられる。
私の可愛い部下が、遠縁の身寄りのない故人の永代供養を相談したら、最低50万円からとのご託宣だったらしい。
仏の沙汰も金次第という訳だ。
だからお経は「何万だぁ・・・」と唱えるんだろうか。
彼らは武雄にプロテスタントの信者を作るのだと、布教活動に勤しんでいるのだという。
やり方は実にユルユルで、けして強要したりなどしない。あくまでもじっくりと話して心を開ける友達になって頂いての上だと云うんである。
カトリック系の教会はすでに武雄にあるのだが、神様も仏様も実に欲が深いものである。
宗教の真の目的は魂の解放にある筈なのに。
アラーの神もブッダもジーザス・クライストもヒンドゥーもゾロアスターもシバも皆一緒になって衆生の悩みの相談に乗ってくれれば、世界中が仲良くなれるかも知れないのにと思ったりする。
コンクリートの僅かな隙間に咲いたこの美しい花のように、
彼らの敬虔な神に対する祈りが、わが町武雄の人々に届くのであろうか。