風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

TAKEO

2011年01月31日 23時56分54秒 | 風竿日記

そもそも母方の祖父は納富と姓を名乗り、武雄に居たらしい。

菩提寺は西福寺であったから、きっとそうなんだろう。

その縁があってか、私は武雄に本店のある金融機関にお世話になったのだろうか。

若い頃は何も考えなかったが、最近は宿命という名の縁を感じるようになった。

爾来37年、武雄にただならぬお世話になってきた男なのだ。

今でこそ、武雄から車で10分ほど離れた、塩田町久間という静かなところに終の棲家を構えてはいるが、

一日のうちの三分の二は武雄で仕事をして、武雄で仲間と語り合い、武雄で呑んでいる。

友人も知人も、圧倒的に武雄の人たちなんである。

そして夜のスケジュールがない夜は、

家路に付く時に、必ずこの場所から武雄ん街を眺めて帰るのが、ささやかな愉しみ。

猫の額のような小さな街。

何にもない小さな街なのだが、

御船山の懐に抱かれた「この街」は、

若い頃からバイクにまたがり、重たい渉外カバンを抱えて走り回った街。

街々角々辻々に、私の汗と、色んな想い出が塗り込められている

そして実は心のマイホームタウンなんである。

 

さて、クリスマスの約束・・・今年のジョン・レノンズ・ナイトはこの曲を弾き語りで唄います。

 

<!-- 小田和正~my home town~ カバー -->
 

やっぱし本物がいい・・・・こちらからどうぞ。 


温泉deビートルズのこと

2011年01月30日 23時59分59秒 | 風竿日記

今日の西日本新聞佐賀版に7段ぶち抜き、カラー写真入りで「温泉deビートルズ」のことが紹介してあったのですが・・・・、

実は、はいびー市長さんから電話を頂いて、その「一大事」に気づいた次第。

慌てて新聞を取りにポストへ・・・・。

    

読み進むうちに、言い出しっぺの私にスポットが当てられていて、汗顔の極みというか、青天の霹靂というか、面映いような不思議な気持ちなんであります。

本音のところもしっかりと書いてあって、恐縮至極、穴があったら入りたい心境なんでありました。

かねがね死んだばあちゃんから、新聞沙汰にだけはならぬように、厳しく戒められておりましたので、

戒律を破ったことを仏壇にひれ伏して詫びて、

熱いお茶を啜りながら、

新聞に穴が開くほど記事を何回も熟読したのでした。

まあ、色んな反応があるもので、朝から友人知人からたくさんの称賛の電話を頂いたのでありました。

かくして、私にとってのちょっとした事件は、

温泉deビートルズ音楽祭が成功するのならということで、

多少の気恥ずかしさは我慢しなくてはと

腹をくくったのであります。

「町おこし」と言葉で云うのは簡単ですが、

地域社会には色んな繋がりの根が張っていて、

それらの毛根に至るまでを、丁寧に手探りで辿りながら、

多くの協力者の輪を広げていかねばなりません。

その意味からは、広報活動という分野はとても大切であることを

思わされていましたが、

自分が表面に出ることには少しばかり抵抗もあり、

実行委員会でも重役は辞退しておりました。

そこに本日のスポットライト・・・・・。

 

晴れがましい舞台は一切似合わぬ、粗末な田舎の無骨者なんですが・・・・、

今年は年男でもあり、少しは脱兎の如く跳んでみなさいという天からのお導きなのかも知れないと思わされてもいます。

西日本新聞の南條記者さま、素晴らしい記事どうも有難うございました。

これまでお世話になってきた地域社会の繁栄のため、万難を排してこの音楽祭イベントを成功させたいと思います。


徳山のお姉さま来たる

2011年01月28日 23時59分59秒 | 風竿日記

アフラックさんの金融セミナーで博多へ

いつもながら盛りだくさんのセミナーでありました。

でも私の期待は最後に登場された講師

徳山のおしとやかなパワーレディ前川育先生

本人はいたって普通の主婦と仰るけれど・・・・・。

このお方実に凄いんであります。

ご長男を小児性白血病で6歳で亡くされ、お父様も57歳、ご兄弟もガンで亡くされ、

ご自身も二回の胃がんと、甲状腺がんを罹病

現在もがんサバイバーとして闘っていられるのに、

周南いのちを考える会を設立され、ライフワークともいえる、

同じ悩みを抱える患者さんの、精神的な緩和ケアを行うという、

地域社会の貴重な支えとなって活躍されています。

一隅を照らす・・・こんな方が社会を支えているのだと思います。

尊いボランティア活動をなさっている芯の強い、しかしとてつもなく優しいお姉さま。・・・・だって僕より2歳年上なんです。

でも若いし、綺麗だし、可愛いし。素敵だし。

2年前の1月に同じセミナーの講師としておみえ頂き、

有難い出会いのご縁を頂き、今もご指導を賜っています。

その後、武雄市のがん撲滅推進市民決起大会の運営からスタッフまでのシナリオを書いて頂いたのでした。

現在の市政アドバイザーである東京大学放射線科教授の「中川恵一先生」をご紹介頂いたのも前川先生のおかげなのです。

友人のがん闘病にも色んなアドバイスを頂戴したのでした。

こんなに人のために熱くなり、無私の活動をなさるお方は滅多にいらっしゃるものではありません。

私はひそかに徳山のマザーテレサとお慕いしているのですが、その前川先生と、昨年の晩夏以来の再会を果たしました。

何と、東京のがん関連の会合から飛行機で駆けつけられたそうで、小さなお体の一体どこにそんなパワーが宿っていられるのかと思わずにはいれません。

今日のご講演は、今まで遠慮なさっていたご長男の死についてかなり詳しくお話になり、心の葛藤までありのままにお話いただいたのでした。

2年前に続いて、またしても先生のお話の間中、男泣きに泣きました。回りのおじさん達もこぞって泣いておられましたが・・・・。

そして、人生このままでいいのか・・・・

と、社会奉仕活動にファイトを燃やす新たな前向きなパワーを授けられました。

いずれ誰でもが死んでいく中で、だからこそ一日一日を大切に、なるべく人のお役に立っていきたい。

先生はご講話の中で二回このことを強調されました。

平易な言葉で優しく語り掛けられるそのお姿に、一切の気取りも、高所からの物言いもなく、見事に達観されている稀有な女性なんであります。

背筋をビシッと叩かれた思い。

徳山のお姉さまは本当に凄い人なんであります。 

武雄のレモングラスティーをお土産に差し出しました。

先生、ハーブティーみたいに飲んでくんしゃい。

パワーを分けて貰い、感謝でーす。

 

 


寒中お見舞い申し上げます

2011年01月27日 22時42分42秒 | 風竿日記

今朝はとりわけ冷え込みました。

皆々様、寒中お見舞い申し上げます。

 

最近は、スーツの上にジャンバーコートと襟巻きマフラーが定番となってしまった。

若い時には、絶対履かぬと決めていたズボン下のスパッツも、

今は必需衣料品となった。

さすがにまだ、股引には抵抗があるものの、

寒さにはからっきし、白旗降参なんである。

珍しく夜のスケジュールはなく、帰宅途中の道すがら

冬凪ぎの空の下、御船山を愛でた。

男性的な険しさと、女性的な優しさを併せ持つ名山

こんな美しい山は日本広しといえども、そうあるものではない。

しかもこんな街の中に・・・である。

 

陸田の信号からちょっと入った水路の所に車を止め

凛とした寒気の中で御船山をしばし仰ぎ見た。

ここからのアングルが一番気に入っているんである。

水面に艫岳が顔を覗かせる。このポイント。

そして、いつものように「ほうーっ・・・」と見とれてしまう。

微かな筋雲がかかった御船山の勇姿

武雄の人々が愛してやまない心の拠り所

20分ほど写真を撮っていたら、すっかり寒さが凍み込んでしまったんである。

 

家に帰ったら暖かい鍋を囲もう・・・。と車に戻ってもう一度御船山を車中から眺める。

惚れ惚れする美しさでありました。


コメントはありがたい

2011年01月26日 23時59分59秒 | 風竿日記

いつも感想を頂戴するQSKの唐さん

わがギョーカイのシステムを掌るレッキとした信用金庫人なんである。

システムの保守管理を仕事するから、さぞかし水平思考型のクソ真面目タイプかと思いきゃ、時折実に味のある含畜の深いコメントを寄せて頂く。

とても思いやりがあって、相手のことを慮るといった福岡市の水瓶「江川ダム」みたいに度量の大きい人とみた。

そしてそのコメントには少しのユーモアとペーソスもどこかに塗り込められている。

上品なワインとは云わぬが、上質の芋焼酎の口あたりのコメント・・・・。

私は彼からのコメントに何度も快哉を覚え、そして何回も救われてきたのであった。

 

今回も私の拙稿「春がいっぱい」に対して、興味深い北の便りを教えて頂いた。

  

後ひと月 (QSKの唐さん)
2011-01-26 19:23:38
寒い寒いと、後ひと月も言っておれば、確実に春は来ます。
なんて偉そうな事言いましたが、北海道の同業者と本日話たところ、今朝は、零下10度だったそうです。
南国の我々は、想像もできない世界ですね。
追伸 (QSKの唐さん)
2011-01-26 19:58:23
同業者曰く、
今年は、雪も多く困ってるらしいです。
彼の地では、敷地内の除雪した雪を排雪(雪を業者に引き取らせて捨ててもらう)するのに、ひと冬何回で、数万円の契約を個人でするそうです。
今年は、その回数を超えそうだとなげいていました。
私は、道端に積んで置けば、市などの自治体が対処するものとばかり思っておりました。
聞いて考えると、道端だって雪、雪ですね。
 
 

何でもない他愛のないコメントなのだけど、身近で日常的で、何かほのぼのとして実にいいよね。

さて、これまで敢えて詮索はしなかったけれど、「QSKの唐さん」貴方は一体誰なのでしょうね。


春がいっぱい

2011年01月26日 01時00分01秒 | 風竿の音楽夜話

春よ来い

今年の寒さは細身の体にはこたえますね。

早く来い

今年の冬ほど春が待ち遠しく思ったことはありません。

    

例えば、一滴の雫の中にも真実が光っているように

季節はちゃんと廻り来るものなのに、

万物が精気に溢れる春が待ち遠しいのは、歳をとった証拠なのでしょうか・・・・。

 

ということで、毎年この時期にお届けするYoutubeから

私の大好きなインストロメンタルの曲 『春がいっぱい』

もうすぐそこまで、希望に満ちた春がそこに来ていますよ・・・・という楽曲

今は亡き天才ギタリスト大村憲司さんのプレイでどうぞ・・・

<!-- OMURA Kenji - Spring Is Nearly Here  -->

 


早暁のひと

2011年01月25日 05時05分56秒 | 風竿日記

何をとち狂ったのか、朝4時に突然起き出してPCに向っている。

この時間を早暁というのだが、

昭和60年頃だったろうか・・・・

「ハガキ道に生きる」というご講演を通じて

坂田成美先生と有難いご縁を賜ることになった。

坂田先生のハガキ道の師匠は、在野の哲学者森信三先生と

超凡破格の教育者と言われた徳永康起先生

坂田先生の弟子たる私は、森先生、徳永先生から続く命脈を受け継ぐに至った。

複写ハガキに命を刻むという、人生を教えられたご縁の序列がここにあるのだ。

 

問題は、どうして本日、このようなブログを書くことになったのか・・・・

いつもぐうたらで、怠け者の私が・・・・

しかも昨夜はある新年会で深酒をあおり、就寝前はあまりの具合の悪さにのた打ち回っていたというのに・・・である。

ある啓示があったのは確か・・・・。

何かに揺り動かされ目覚めた。

「いいかげんに起きぬか・・・。目を覚まさぬか・・・・。」

眠い目を擦りながら、時計を見たらまだ4時ではないか。

「おいおい、まだ寝てないと明日きついバイ・・・・。」

再びぬくぬくとした布団に潜り込もうとして、

突然徳永康起先生の顔が浮かんできたんである。

     

康起ボサツと云われた先生のお顔が・・・・・。

先生は早暁3時に起きられて、自分の担任するクラスの生徒に励ましの想いを込めて、日常的なハガキに刻まれ、それを複写にして遺されている。

その数何と2万3千通、自分の担任の先生から定期的に届くハガキに子供たちはいつも励まされ、助けられたのだ。

今時、こんな教育者は誰一人として居ない。

だって校長先生にまで成っても、教育委員会に降格願いを出されたお方なのだ。

どうしてかといえば、現場で子供たちと接していたいという、強い思いからなのであった。

私が坂田先生を通じて徳永康起先生を知った時には、既に他界されていたのだが、先生の匂いに触れたくて八代市の自宅を訪ねたこともあった。

「徳永康起先生の人と教育」という3冊の本は、私の宝物で、何度も精読したものであるが、その本に書かれてある先生の三畳の書斎にも上がりこみ、山のように積まれた複写ハガキも実際に手にとって拝見させて頂いたのであった。

まだ若かった私は震えが来るほどに感動を覚えたものだ。

それから私も複写ハガキを書くようになった。

 

神戸に森信三先生をお訪ねしたのもこの頃

目茶苦茶に優しい先生で、実際ハガキの手ほどきも、していただいたのであった。

武雄市山内町の小学校で提唱されていた立腰教育こそが、森信三先生の教えの最たるもの。

腰骨を立てれば人間は主体的に生きるというもの・・・・。

 

そんなこんなで、今年で27年目になるのだろうか。

3万枚ほどもハガキを書いてきた。

今では日本全国にハガキをご縁としての友達がいて下さる。

これぞ人生の至福ともいえる私の宝物となった。

その原点ともいえる師がこのお方、

 

坂田成美先生、・・・・・現在道信と号を発せられる。

良質の月刊誌「至知」にも度々ご紹介されておられるので、ご存知のお方も多いであろう。

早朝のハガキが最もいいと仰っていたのだが、

実は今朝の早暁のある種の啓示には、原点に還って、ハガキに人生を刻み込めということであったのだと思えてならない。 

さて、冒頭の本は、私を不思議なハガキ人生に導いた佳書なのである。

坂田先生直筆の『ハガキ道賛歌』

 


友達の友達はみな友達

2011年01月23日 23時59分59秒 | 風竿日記

音楽をやっていて、本当に良かったと思えること

それは感性が磨かれるということと、

音を複数の人で分かち合えるということ、

そして誰とでも友達になれるということなんである。

そりゃーバンドで音楽を追求していると・・・、

それぞれのメンバーにおいて、音やリズムに対する

色んな感じ方があるもので、

時として全然しっくりこないこともあるものだ。

それでも、出来るだけ理想の音楽に近づけようと

議論を重ねながら努力を続けていると

あら不思議・・・段々とビシッと合うようになってくるのだ。

そんな不思議な縁で繋がったバンドの仲間

あの感性がビシッと合った時の

背筋に電気が走るような戦慄感は、

やった人にしか理解できないものなんであるが、

昔のバンド仲間では、長くやっていたせいもあり、

何にも云わずとも、アイコンタクトで、

イントロもエンディングもピタッと符合して、

何を考えているかまで分かり合えるほど・・・・、

そんな時は一曲終わる毎に、よく不思議な気持ちになり、

時には気味悪くなるほどであった。

そんなバンド仲間が、

最近武雄によく遊びに来てくれるようになった。

「またもう一度やりたいね。」

といつも言葉を交わすのだが、お互いにいいおじさんになった今

まあ、あの頃のように、真剣にはなれないのかも知れないが、

たしかにもう一度やってみたいと思う。

「Strawberry」という懐かしいバンド

いいバンドだったなぁ・・・・。

そしてまた、素晴らしいミュージシャンに出会った

バイオリニスト「ユリリン」さん

とても高い感性の所有者

こうして友達の輪が広がっていくのが、音楽の素晴らしいところ

音楽がなければ、ヘンな外人「グレン」君とも知り合わなかったことであろう。

音楽の神様に感謝しなければと思わされる。

 


ジョン・レノンになりたかった男

2011年01月22日 13時30分50秒 | 風竿の音楽夜話

ディア・ジョン この店の名を命名したには ちと訳がある

その昔 ビートルズに脳天を打ちぬかれて

ずっと ビートルズマニアやってきて

喫茶店とやらを 企画した そのときに

当然思案するのは お店の名前

そこで ビートルズフリークの真骨頂を 遺憾なく発揮して

数ある候補の中から 彼はこの名前を 選択したのであった

「DEAR JOHN 」

そう 彼はビートルズの中でも とりわけ ジョン・レノンが

好きであったのだ

丁度 25年前のハナシ・・・・・

そして本日 彼は57歳にして 念願かなって

めでたく ジョン・レノンになった

その歴史的瞬間に立ち会ったのは 90名ほどの招待客

場所は 武雄温泉ハイツ ソレイユの間

ちょっと前かがみで 猫背のジョン・レノンではあるけれど

彼は1年間の血の滲む努力の甲斐あって

難関の三連符の連続弾きを やってのけた

終始ギターのフレットから目を離すことなく 

客席の野次も 一切耳に入ることなく

一心不乱に ジョン・レノンを演じ切ったのである

けしてラクではない 喫茶店稼業にも

奇人と云われても 変人と云われても

無愛想と云われても やる気があるのかと云われても

ただひたすら 彼はジョン・レノンになりたかったのだ

それが今夜 実現した

武雄のジョン・レノンが誕生した夜・・・・

25周年おめでとう

これから僕はポール・マッカートニーをめざします

君がジョン・レモングラスならば

僕は若楠ポーク・マッカートニーを

 

 

 

 

 

 


昨日は大村、今日また佐世保

2011年01月20日 23時59分59秒 | 風竿日記

20日は佐世保地区渉外担当者の勉強会へ出講

昨日の大村地区は、神の啓示を受けたがごとくに、次から次へと言葉が降りてきて

とても満足のいく話っぷりであったが、・・・・・

今日の佐世保地区では、話に力味があって、どうも噛み合わなかった。

こんな時は受講者の反応も良くない。

いかんいかん、もっと彼らの心に語りかけねばと思えば思うほど、焦りが生じ、

やがてそれは空回りを始めてしまうのだ。

はからいが、邪魔をするんである。

話したいこと、伝えたいことを素直に吐き出せばいいのであるが、

上手く話そうとか、カッコつけていると、そのはからいが邪魔をし始めるんである。

勉強会の後、佐世保地区の若い諸君と懇親の場を持った。

20人ほどの、一人ひとりと膝を突き合わせて、呑み、且つ夢を語り合った。

こんな至福の時はない。

ビール、焼酎、日本酒なんでもござれだ。

本当はそんなに呑めないのだが、魂で一気に飲み干す。

 

そんな中から、ほのぼのとした、人間のおつきあいが始まるんである。

吞み会で開襟を開いて語り合う、これが最も有効な研修機会なのかも知れない。