風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

光ったナイフの枝に天使のような梅が咲いた咲いた

2014年02月27日 23時20分46秒 | 風竿日記

三寒四温、春の訪れを感じるようになった。

昨日、お客様とのゴルフコンペは生憎の雨であった。

今回は雨男が欠席でも降ったので、彼は雨男ではなかった。

雨に濡れながらのゴルフほど気を殺がれるものはない。

101も叩いてしまった。雨の所為にしてはならぬのだが、そういうことにしておこう。

それでもあまり寒くは無かった。

ほっこりと可憐に梅が咲いていたことも一因。

尖ったナイフの枝に天使のような梅が咲いた咲いた

                                 風竿

 

スコアカードにこんな歌を書きつけた。

自然の造形美はたとえようもなく心に染み入る。

これからは肩をすぼめて歩く日々も少なくなることだろう。

そうして、私は62回目の春を手に入れた。

 

紺碧の空に一輪どうして生まれてきたのかも識らず梅は咲くのみ

                                      風竿

 

風邪か花粉症か、もしくはその他が原因なのか頭が重い

今夜は早く布団に入って熟睡します。

 


ライブのご案内

2014年02月26日 06時34分46秒 | 風竿日記

実は、恥ずかしながら今度の土曜日・・・・・つまりは平成26年3月1日でありますが、

福岡市中央区清川2丁目にある「キャバーン・ビート」さんで、我がバンド

「The AppleBeats」のライブを執り行います。

つきましては、是非皆様のお越しを団員一同、心よりお待ち申し上げております。

とまあ、通り一遍のライブのご案内をさせて頂いた。

告知フライヤーはメンバーのドラム勇希クンの手によるもの。

今回はPaperback writerとRevolution、You can't do that、I need youなどが初お披露目

今回も36曲あまりを3ステージに分けて演奏する。

これでビートルズのレパートリーは60曲になった。

ビートルズの曲といえば彼らの解散後の曲まで入れると軽く500曲くらいはあるのだろうか・・・・・。

まあ、老後の愉しみには事欠かないんである。

ところが、今回は突然私を襲った花粉症、カレーを作っていて包丁を滑らせ左手の薬指を切ってしまったことなどから

とんでもない悪コンディションでライブに臨まなくてはならないのだ。

    

今回は我がバンドの唄わないジョージハリソンこと中島君も1曲披露

譜面が必要で、年金を貰うポールマッカートニー岡ちゃんも、相変わらず張り切っているし

大いに唄うリンゴスター勇希クンも新曲Paperback writerに挑戦

アルツハイマーで歌詞を覚えられないジョンレノンこと私も2曲、新しい歌に挑むのである。

それに、今回は元クリ

スタルキングのキーボディスト今給黎博美さんがサポートメンバーで加入してくれる。

いつも苦労するのが観客動員なんである。

佐賀のバンドの哀しさ、地縁人縁を手繰り寄せてもたかが知れている。

どうか、「おお、可哀想に・・・。」

と、憐れみの情をお持ちの良いお方は、是非お運び下さいますよう、風竿伏してお願い申し上げる次第でございます。

 聴いてくれる人のいない音楽は寂しいものだから

 さて、ここからは業務連絡であります。

<colgroup> <col width="72" /> <col width="46" /> <col span="5" width="72" /></colgroup>
Ⅲ STAGE 22:00  
    Performance Number Key
  1, Boys
  2, Don’t let Me down
  3, Woman
    MC(ゆうき)  
  4, Revolution
  5, Helter Scelter
  6, Something C
    MC(尾形)  
  7,  Starting over A
  8, Eight days a week
  9, Oh darling
    MC(メンバー紹介)  
  10, I saw her standing there
  11, Kansas City
  EC Stand by me 
       
<colgroup> <col width="30" /> <col width="51" /> <col span="3" width="72" /> <col width="112" /> <col width="75" /></colgroup>
CAVERN BEAT LIVE 2014.03.01
Ⅰ STAGE 20:00        
    Performance Number Key
  1, No where man
  2, Anytime at all
  3, This boy
    MC  
  4, If I need it someone
  5, I feel fine
  6, I’ll follow the sun
    MC(ゆうき)  
  7, I need you A
  8, You can't do that
  9, Baby’s in black A
    MC(尾形)  
  10, あったとたんに一目ぼれ
  11, I wana hold your hand  G
  12, Hard Days Night G

 

<colgroup> <col width="30" /> <col width="51" /> <col span="3" width="72" /> <col width="112" /> <col width="75" /></colgroup>
Ⅱ STAGE 21:00        
    Performance Number Key
  1, Paperback writer
  2, No reply
  3, Yes it is
    MC(ゆうき)  
  4, Mr.Moon light F#m
  5, 恋を抱きしめよう
  6, Till there was you
    MC  
  7, Can’t buy me love C
  8, Rain
  9, And I love her F#m
  10, With a little help from my friend
    MC(ゆうき)  
  11, My love

 


譜めくり

2014年02月25日 23時43分43秒 | 風竿日記

日曜日、大村室内合奏団のコンサートを聴きに文化会館へ

この日は地元のやまびこ合唱団も出演するのだが、

ホルショフスキ・トリオというピアノとバイオリンとチェロの演奏家がニューヨークから来演

チェリストはあのハーバード大学で物理を学んでいたとか・・・・。

今は何を勉強していたかよく覚えていないというジョークを・・・・。

そのプロの舞台にわがBetter halfが座っている

譜面めくりの大役を仰せつかっているのである。

緊張しているのか、微動だにせず譜面を見つめている。

現代音楽だから譜面を読むのも大変なのだろう。

私は、やらかすなよ・・・・とそればかり心配していて、気が気ではない。

何しろ、鰻の蒲焼と称して、平気でサンマの蒲焼を食卓に出して、違うと判ると、「アハハハッ!」と屈託無く笑う女なんである。

演奏の間中、私はドキドキ、ソワソワしていた。

無事に演奏が終る

演奏者のインタビューが始まると

   

さっとピアノの陰に・・・・。

一瞬たりともスポットライトを浴びてはいけないんである。

私だったら・・・・。ピースサインくらいやるかも知れないのだが、

彼女は万事黒子に徹していた。

うちの奴、中々やるねぇ・・・・。

一人内心でささやかにほくそえむ。

小ホールは合唱団と室内管弦楽にはちと狭い気がしたが、音は中々良かったように思う。

大村室内合奏団はかなりのレベル

九州交響楽団にも負けていないと感じた。

クラシックはまったくの素人の私

それでも今日演奏されたハイドンやバーンスタインは良く知っている。

遠い昔、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のウイーンフィルや

レナード・バーンスタイン指揮のニューヨークフィルのレコードを聴き漁ったことを、ほんのりと思い出したクラシックコンサートであった。

そして譜めくりの大切さもよく判った。

まあ、私はスカートめくり位しか出来ないのだが・・・・。

 

 

 


春の雫

2014年02月24日 23時50分56秒 | 風竿日記

人生は良いことと悪いことが交互にやってくるもののようだ。

まさに禍福は糾える縄の如しなんである。

人間万事塞翁が馬だと言ってもいい。

そんなことを 最近よく思うようになった。

昨夜は楽しい酒を呑んだが、呑み過ぎると二日酔いが待っている。

良い時間も過ぎると良くない如実な例である。

美味しい料理も、食べ過ぎると生活習慣病が、てぐすねを引いて待っている。

万事、腹八分目がよいのだとこの歳になってやっと判った。

春の訪れを喜んでいると、やがて暑い夏がやってきて、

「暑い、暑い!」と愚痴をこぼし

しばらくすると季節は紅葉して

「何ともまあ綺麗なこと」と悦んでいると

あっというまに寒い冬がやってくる。

そんな繰り返しで歩いてきたが、最近糖尿の気配が・・・・・。

とうとう薬を飲むハメに陥ってしまった。

合併症を引き起こさぬよう、食事療法と運動療法を併用して治療せねばならない。

贅沢病とも揶揄されるこの病気

好きな時に好きなものを貪り食ってきたツケなんである。

メザシとお粥の清貧な生活に、到底満足できない私なのだが、それでも命ながらえるために

ダイエットにも挑戦中

ああ、生きることは難しいものだ。

春の訪れを素直に喜べる普通の自分であることの難しさ。

朝露のような人生を思わされている。

 

 

 

 


Spring has came !

2014年02月22日 23時57分10秒 | 風竿日記

Spring has came.

Roy to see Peal.

これは中学2年のNew Horisonという英語の教科書の冒頭の一文

二年生になって過去形というのが出てきた件である。

どうして今覚えているかというと、それはまさに春まっさかりであった。

気候も良く、松陰さんの桜は咲乱れていて、そんな中で2年生になり、

さあ、ちゃんと勉強にも力を入れなくてはと思っていた頃である。

その頃までは勉強もボチボチで、学年で10番位であった。

一学年に360人位居た時代だから悪い方ではなかった。

当時は試験の結果を点数の上位から100番まで廊下に貼り出されていて、それはそれなりに自分の励みになったものだ。

中学の思い出は何といってもクラブ活動に尽きる。

1年の時は少しだけ野球部に在籍していた。

しかし、合奏部という存在が次第に私を占領し始めて、すぐに転部したのであった。

音楽好きは当時からのものであろう。

この合奏部というのは所謂リード合奏といわれるもので、アコーディオンとハーモニカを主体としたもの。

当時の日本はヴァイオリンなどという高尚な楽器を習う環境にはなく、専らリード楽器が主流であったのだ。

合奏部は年中休みなし。あっても正月くらいのものであった。

目標は、全国学校音楽コンクールの器楽合奏の部で九州一になることだった。

指導者の志向もあって、古典音楽すなわちバロックをやった。

ヘンデルとかバッハである。

それで九州第二位にはなるのだが、とうとう三年間、1位にはなれなかった。

熊本県代表の湯前中学に、もうちょっとの所で負けるんである。

三年生の時は、地味なバロックから脱皮して歌劇ジョコンダから「時の踊り」という難しい曲に挑んだ。

ハーモニカをヴァイオリンのビブラートのように演奏するテクニックまで身に付け、もうこれ以上は出来ないという位に練習を積み重ね、九州大会に臨んだのだが、またもや2位なのであった。

その無念さは今でも心の中に刻み込まれている。

春になると英語の教科書の冒頭の英文と、クラブ活動の想い出が旭ヶ丘公園の桜と共に思い出される。

もう半世紀も前のことなのに、いつまでも鮮明に覚えているのはどうしてなのだろうか・・・・。

 

 


パロッツは凄い

2014年02月21日 23時59分06秒 | 風竿日記

東京六本木のABBEY ROADを本拠地とするThe Parrotsは

ポール・マッカートニーの日本公演の折に、丁度奥様の誕生日が訪れたことから、ポールの宿泊先であった、ペニンシュラ東京でサプライズのバースデーパーティが催された際に

ゲストバンドで呼ばれ、なんとご本家ポールの前でビートルズの楽曲を演奏する栄誉に浴したのであった。

それだけでも凄いことなのに、なんと今度は駐日大使のキャロライン・ケネディ女史がライブを聴きに訪れたというんである。

彼らと10年来の親交のある私としては、まことに同慶の至り。

リーダーの吉井ちゃんとは30年来のお友達なのだから、本当に嬉しい限りなんである。

彼らのハーモニーはそれぞれの声の質が、ビートルズのバランスによく似ていて、とても心地よく耳に響いてくるんである。

温泉deビートルズ音楽祭のゲストバンドとして3年間武雄に来てくれているのだから、私達の目は間違ってなかったということにも通じる快挙

実は・・・・・私だって超VIPなんである。

そのThe Parrotsに負けじと、私達のバンドThe AppleBeatsも頑張っています。

3月1日(土)は20時から博多キャバーンビートでライブ

怒涛の36曲を演奏します。

この日は元クリスタルキングのキーボディスト今給黎博美さんも一緒にサポートしてくれます。

パワーアップした演奏を是非聴きにいらして下さいませ。

キャロライン駐日大使様も是非どうぞ・・・・。

 

 

 


冬の木立ち

2014年02月20日 23時57分47秒 | 風竿日記

それは、国際線の待合室でのことだった。

手荷物検査を受けて、税関も通過して、後は飛び立つばかりと心は高揚していた。

そんな時に、ある優良企業に勤務する親しい友人から電話が入った。

始めは仕事関係でのお付き合いであったのだが、ふれあいを重ねるうちに、彼の人柄に魅かれて、「一生涯のお付き合い」をお願いした貴重なる大切な友人。

彼の勤めている会社には同じような経緯で「一生涯のお付き合い」をお願いした男が、あと二人いる。

この三人は大企業の社員にしてはまったくと云っていいほどに気取りがなく、しかし、胸の中にはいつも熱い血潮が流れていて、つい引き込まれてしまう素晴らしい人間なのだ。

  

空港はこの寒い時期にも拘わらず、わりかし混んでいて、滑走路を大きな窓越しに見ると、こな雪が降っていた。

こんな日に南の国に行こうとしているのだから、つい口元が緩んでしまう。

私は早々と免税店で家内へのお土産を買い求め、待合の椅子に腰かけて、楽しいことになりそうな南国のことに想いを馳せていた。

そんな時に携帯のベルがなったのだ。

「尾形さん、今何処にいらっしゃるのですか???

「実は私も福岡空港に居ましてね・・・・・。もしお会いできるのなら一目だけでも会いたいのですが。」

私のブログかfacebookの記事で、私が福岡空港にいるかも知れないと思ったに違いない。

思いがけない場所で思いがけない弟分からの電話にちょっと驚いた私。

九州出身者の彼のことだから、帰省してたのだろうと思ったのだが、その後の彼の話を聞いて天と地がひっくり返ってしまった。

「尾形さんにだけはちゃんと云わなければと思っていたのですが、実は私、昨年会社を辞めまして・・・・。」

「なんで辞めた。あんないい会社を・・・・。」

電話の先では詳しくは尋ねられないもどかしさもあったのだが、彼の居る所は国内線、こっちは国際線だから同じ福岡空港といっても相当離れている。

まあ、今回は会えないかと、また今度ゆっくり会おうということで電話を切った。

しかし、何で急に辞めたのだろうかと心配でたまらなくなり、彼のことを良く知っている、もう二人の一生涯のおつきあい友達に電話をかけた。

「彼のことは、残念としかいいようがないんです。むしろ彼の方が被害者だと思っています。仕事熱心な彼のことですから、遅くまでミーティングやら検討会議やらをやっていたらしいのですが、それをパワーハラスメントだと内部告発されてしまって・・・・・。」

そんな・・・・・私は絶句するのみであった。

彼がパワーハラスメントを起こすような男でないことは、ちゃんとしたコモンセンスのある人間なら誰だって判る筈なのだ。

人を思いやる優しい心根も常人のレベルを遥かに超えている。

それは私がここ3年、しっかりと見てきた。

私が保証してもいいくらいなんである。

彼は本社にパワハラを告発されてから、潔く辞めたというんである。

大企業病だと直感した。

組織は決められた通りにしか動けない。そこに人の客観的要素は入る余地がない。

口では温かみのある商品を売っているクセに、組織は血が通ってなく、冷たいのである。

仕事に厳しい上司を告発する軟な社員も社員だが・・・・・。

彼に救いの手を差し伸べられない上司も上司だ。

これまで、散々にコキ使っておきながら・・・・。

私は悔しくて国際線のロビーで思わず泣いてしまった。

   

そんな時に、また彼からの電話がなった。

「尾形さん、今国際線ターミナルまで来ました。会えませんかね・・・・・。」

税関に掛け合うが、一端、ここのゲートを潜ると、簡単には戻れないらしい・・・・。

その旨を告げると・・・・・

「ゲートはどこですか・・・。つまらないものですが、ちょっとしたお土産があるので手渡ししたいのです。」

双方が電話しながら相手を探しあっている。

残念なのは相手が男だというくらいで、空港の中のワンシーンとしては映画にでもなりそうな感動的シーンなんである。

やがて、手荷物検査場の向こう側から、必死に携帯電話に話しかけている彼の姿が目に止まった。

同時に彼も私を見つけたようだ。

50mくらいの距離であろうか、顔を見合せながら携帯で話す。

「辞めた理由は聞いたよ。君は絶対に悪くないと信じている。再就職先でまた頑張ってね。いつもどんな時も君を応援しているからね。」

「今、空港の係員にお土産を預けました。飛行機の中ででも食べて下さい。」

やがて特段の計らいで、税関越しにその「新宿カレーあられ」なる彼の気持ちのこめられたお土産が私のもとに届けられた。

それを受け取る姿を確認すると、彼は大きく手を振ってくれ、やがて私は機上の人となった。

飛行機の中で彼のお土産を口にしながら、ショックを受けた心を落ち着かせる。

「悔しかったろうね。はがゆかったろうね。」

と云いながらポリポリ食べた。その味は苦い大人の味がした。

その昔、一緒に酒を酌み交わしながら

「病める時も健やかなる時もずっと友達だからね。」

と云った言葉を、自分自身も反復していたのである。

 

冬の木立は、寒い荒野に一人で立っている。

愚痴も云わず、恨みごともいわず、寒風吹きすさぶ雪の中、一人で黙って立っている。

一切、弁解しなかった彼に、冬の木立の厳しさを見た。

新天地で頑張ってくれと心から願わずにはいられない。

いや、彼ならばきっと大丈夫。

また再び、いい仕事をしてくれると信じている。

なぜならば、彼のペースにはいつも「お客様の幸せ」がキチンと据えられているからなのだ。

 

 

 

 


アッチの噺

2014年02月18日 23時59分14秒 | 風竿日記

日曜日は以前買ってきていた小さな花を庭の花壇に植えた。

もうしばらくしたら、白いフリージャが顔を出す我が家の猫の額のような花壇にである。

土を掘り起こし、ホームセンターから買ってきた「花と野菜の土」をまぶし、肥料も混ぜて、狭まくるしい8鉢ほどのポットから解放してあげたのだ。

先日植えた柿ノ木の下には芝桜も植えた。

それだけで息が上がり

一仕事終えると、今度は炬燵の番人となった。

恙無く平和な日曜日を追え、さて晩飯

念願の花壇が実現した妻は頗る上機嫌

「あなた、よく頑張ったわね・・・・。今夜は精をつけて貰おうと、ウナギの蒲焼を買ってきてあるのよ・・・・。」

妻の目が怪しく光った。

私は糖尿病の入り口に立っており、この怪しい目は最近どうも苦手なんである。

もっとも、私の周辺には家庭内糖尿という輩もゴマンといるのだが、それは夫婦を長年やっているベテランの話。

私はまだ新婚の身なんである。妻はまだ45歳の若さ。

糖尿だから・・・・なんて云ってられないんである。

いよいよ、その精をつける食べ物が妻のルンルンという笑顔と一緒に食卓に上った。

もともと鰻はけして嫌いではない私。

それでは頂くかとばかりに一口頬張る。

「ウン、何か違う・・・・・。」

「おいおい、これはサンマじゃないのか・・・・。」

妻は慌ててその鰻の入っていた筈のパックを確認しに台所に走った。

そこには・・・間違いなく「サンマの蒲焼」と書かれてあったのである。

万事かくの如し

おもしろい嫁さんと結婚した私は、何とも、ここ十年分くらい笑って暮らしている。

まあ、サンマでは精力はでませんわなぁ・・・・・・。

 

 


南の国で遭った犬

2014年02月17日 23時59分40秒 | 風竿日記

なぜか気になる犬なのであった。

それはタイのバンコクでゴルフをした時のこと

今日で最後のバンコクというのに、のんびりすればいいものを

同好の士から誘われるままに、グリーンバレーカントリークラブで芝刈りに勤しんでいた。

そろそろ最終ホールかなあという時に、ティーグランドにチョコンと座っている犬に遭遇した。

小型犬にしてはちと大きい、中型犬にしてはちと小さい

そんな大きさのワンちゃんであった。

その犬は黙って私の方を見ている。

近づいても逃げようとはしない。

何かやるものはないかと小探しするのだが、飲み物の他は何もなし。

5分くらいそのまま、双方見つめあった。

タイの滞在が長引けば家に残してきた愛犬のことも気になってはいた。

そんな折も折り

この犬に出会ったのであった。

しかも・・・・体毛の色もウチの奴に似ていないこともない。

これは、愛犬の想いが海を越え、空を飛び

このグータラで怠惰な、実に頼りない飼い主のことを心配しているのだと思った。

本気でそう思ったのである。

 

たかが犬のことと云う勿れ。

犬は人間のことをよく理解しているものだ。

さらには老境に差し掛かっている我が家のレオンなど

ひねもす寝ていることが多いのだが、私の体調の悪い時など

自分もあまり調子が良くないくせに、私を気遣うのである。

件の犬は、やがて南国特有の椰子の木の中に消えていったのだが、途中で三度振り返って私を見た。

 

夜中の1時のフライトで、日本には時差の関係もあって朝の8時頃着いた。

家に帰り着くと愛犬が脱兎のごとく駆け寄ってきた。

抱き上げると、滅多にそこまではしない癖に顔をペロペロと舐めた。

しばし、見つめ合う。

南の国で出会った、あの犬の目と同じ目をしていた。

 

 

 


赤門

2014年02月16日 23時59分03秒 | 風竿日記

犬の散歩がてら家内を連れて旭ヶ丘公園に行った。

私の巣立った高校を見せる目的もあったのだ。

久しぶりに訪れた旭ヶ丘公園は、一目二万本と云われる桜が静かに蕾を膨らませ始めていた。

広々とした公園は、旧藩主の庭園であったものを市民に開放されたもの。

鹿島藩は佐賀鍋島藩の分家で、禄高わずか二万石の小藩であったことから、藩政とやりくりには相当な苦労を強いられたようだが、そんな中でも鹿島の人々から「とんさん(殿様のこと)」と慕われているのだから、名君の誉れ高い。

とりわけ鍋島直彬公のご功績は広く顕彰されていて、私達も識るところである。

「うむ・・・。こんな所を三年間も通ったのか、こんないい環境の高校は全国広しと雖も中々あるもんでは無いぞ・・・。」

と秘かに思った。

桜が咲き始めると市民はここに桜見物に訪れていた。

夜桜は特に見事で、満開の桜の下ではそこかしこで宴会が繰り広げられたものだ。

私も若い頃は「花見」と称して仲間と車座になって酒を呑んだものだ。

地元では旭ヶ丘公園などと堅苦しくは云わない。

「まつかげさん・・・。」と親しみを込めて云うのだ。

この公園には歴代の鹿島藩主を祀る松蔭神社があるからなのだ。

私はてっきり神社名から、吉田松陰を祀るものだと思っていたのだが、違っていた。

この公園に包まれたように私の母校鹿島高校はある。

夕方近くで画面が暗いのだが、鹿島城の正門がそのまま高校の正門となっている。

もう遥か昔の話となったが、私の父も、隣の兄貴も、私も、二人の弟も、この門をくぐったのである。

当時は武雄高校や伊万里高校などとの四校模試もあっていたが、本命は三校模試というのがあっていて、佐賀西高と唐津東高と競い合ったものだ。

まあ私は大概足を引っ張っていたが、国語だけは学年でトップクラスだった。

鹿島高校図書館の本は全部読破すると誓った位に、猛烈な読書家だった私は、週に三冊を自分のノルマとしていた。

その所為だろうか、国語だけは誰にも負けなかったのだった。

その代わり親父が得意だった理数系は「からっきし」だった。

そんな私が数字が仕事の金融業に身を置くのだから、人生は不思議の連続なんである。

この門、朱塗りの門なので、通称赤門という。

実のところ東大の赤門にも負けていないと自負している。

高校時代、三年間一日も休まなかったのが自慢の一つ

赤門祭と称する鹿島高校文化祭のバンド演奏や、ファイヤーストームなど質実剛健を旨とした校風には心から大切な拠り所としていた。

2年の後期、生徒会長もやったりしたが、当時熱病のように日本中を席巻した学生運動に染まってもいた。

原子力空母エンタープライズの寄港反対のデモで佐世保まで行き、放水車にズブ濡れにされた苦い思い出もある。

今はその佐世保市で働いているのだから、本当に判らぬものだ。

少し縁遠くなっていた赤門だが、今年は桜が花開く頃、妻と再度訪れようと思っている。